旧聞日本橋 22 大門通り界隈一束(続旧聞日本橋・その一) / 長谷川時雨
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あたしたちは神田明神へお宮参りをしましたが、お父さんは山王様へお宮参りにいったの
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あたしの古郷のおとめといえば、江戸の面影と、香を、いくらか残した時代の、どこか歯ぎれのよさ
に住んでいた。くさ双紙の、合巻かきでは、江戸で第一の人だったけれど、貧乏も貧乏で、しまいは肺病で死んだ
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しても御祭礼には巾のきく氏子だというと、魚河岸から両国の際までは山王様の氏子だったのが、御維新後に、日本橋の川からこっちだ
ていたものだ。武者絵の元祖といってもいい人で、よく両国の万八――亀清楼のあるところ――に画会があると、連れていってくれたも
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続旧聞日本橋・その一
土一升、金一升の日本橋あたりで生れたものは、さぞ自然に恵まれまいと思われもしようが、
は山王様の氏子だったのが、御維新後に、日本橋の川からこっちだけが、神田明神の氏子になったのだと、老父
から、山王様のお祭りのはなしが出る。仁の両親とも日本橋生れで、亡なった母親は山王様の氏子、此家は神田の明神様
寿鶴亭という八人芸(時雨云、拙著『旧聞日本橋』の中には、この寿鶴の名が思いだせないで○○斎と
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が、御維新後に、日本橋の川からこっちだけが、神田明神の氏子になったのだと、老父が教えてくれた。
生れで、亡なった母親は山王様の氏子、此家は神田の明神様の氏子、どっちにしても御祭礼には巾のきく氏子
あたしたちは神田明神へお宮参りをしましたが、お父さんは山王様へお宮参りにいっ
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玄冶店にいた国芳が、豊国と合作で、大黒と恵比寿が角力をとっているところを書いてくれたが、六歳か七歳
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瞞されるほど、大勢寄っているようにきこえた。かみさんは新宿あたりの上りもの(遊女の)で、強者だった。孫娘のおつると