旧聞日本橋 19 明治座今昔 / 長谷川時雨
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久松町の千歳座が焼けて、明治座が建つと、あの辺は一体に華やかになり、景気だった。芝居小屋が
橋じりへまで、芝居茶屋が飛んで建ったほどだ。明治座は橋にむかった角で、芝居茶屋は右手に並んでやまと、はりまやと
も、歌舞伎の稽古芝居か、新派であったので、明治座はたいした人気となった。
よどんは運ぶのに大変だ。とにかく、お稽古はそっちのけで、明治座のはなしに無中になっている。
暗くなってから家へかえる習慣になっていたから、明治座が出来たから急に芝居の前にたつわけではなかったが、みんなと
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いまこの人は老女役になって、生れ土地の関西へ帰っている。
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も高く、柳橋の亀清よりきこえていたのだ。横浜にいった最初の旦那は、判事さんだというものもあったが、その
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浅草猿若町へ、三座がひけぬ前の、葺屋町、堺町の賑いをとりかえしたかの観を呈した。もともと千歳座があったが、
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芦寿賀さんは、向う両国の青柳といった有名な料亭の女将でもあった。百本杭の角で、駒止橋の前に
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て、久しく阪地へいっていた俳優だったのだ。東京の水になれないので、むかしのままのお坊ちゃんで、とお
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坊主頭のお婆さんが死んで、その法事のかえりに、浅草田圃の大金(鳥料理)へいったらそこの人たちが、どうした
れて、うしろには柳橋がひかえている。ずっと昔、浅草猿若町へ、三座がひけぬ前の、葺屋町、堺町の賑いをとりかえし
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娘ぶりより、御後室の方がまだしも気味わるくない。新富町の露路裏に、男役者と、やもめ二人が同居していたが、
左団次の、新富町の家の稲荷祭りなんていうと、おしょさんは夢中だ。それでも
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。橋をわたれば葭町の花柳場があり、いんしんな人形町通りがあり、金のうなる問屋町にとりまかれて、うしろには柳橋がひかえ
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をならべ、アーク燈を橋のたもとに点けたので、日本橋区内には、今までになかった色彩をそえたのだった。それが