旧聞日本橋 02 町の構成 / 長谷川時雨

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地名一覧

本所

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から出た火事で此処らは一嘗になって、みんな本所へ逃げた時、お其は大溝におちて泣き叫んでいたのをあたしの

江戸

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である、この辺は、鐘一つ売れぬ日はなし江戸の春と、元禄の昔其角がよんだ句にもある、金物問屋が角

西陣

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大呉服問屋、太物問屋が門並だが、ここらにも西陣の帯地や、褂地などを扱う大店がある。

日本橋

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旧聞日本橋

日本橋通りの本町の角からと、石町から曲るのと、二本の大通りが

親からなづけられていた、あたしというものが生れた日本橋通油町というのは、たった一町だけで、大門通りの角から緑橋

。これは丁度現今三越呉服店を指さすように、その当時の日本橋文化、繁昌地中心点であったからでもあるが、通油町の向う側

浅草橋

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いう幹線で、浅草から帰りの線路を持つ街の名は浅草橋の方から数えて、馬喰町、小伝馬町、鉄砲町、石町と、新開の大通り

角からと、石町から曲るのと、二本の大通りが浅草橋へむかって通っている。現今は電車線路のあるもとの石町通りが街

浅草

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位は最上位であった。それがいまいう幹線で、浅草から帰りの線路を持つ街の名は浅草橋の方から数えて、馬喰町、

は反対だった。鉄道馬車時代の線路は両方にあって、浅草へむかって行きの線路は、本町、大伝馬町、通旅籠町、通油町、通塩町

神田

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其という小娘が店番をしていた。ちいさい時、神田から出た火事で此処らは一嘗になって、みんな本所へ逃げた

たのを、父が木刀をもって駈けていって、神田弁慶橋で取りかえしたという話もあるので、そんな遊びもしたの