旧聞日本橋 20 西川小りん / 長谷川時雨
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大安楽寺の門前までゆくと、文字焼やのおばさんと、ほおずきやの媼さんが
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時々高野山から説教師が派出されてきた。その坊さんが若くて、学僧らしい顔付き
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文明の爛熟の結果、でかたんになった文化の昔、伊勢のお百姓の娘にそれをのぞむのは無理であろう。
人間は正直が第一だ、ことに神宮の御鎮座ある伊勢は「伊勢子正直」と名のあるのを誇りにしているといましめるのに
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をうって断わったのは幾章か前に書いた。江戸の兄をたよって江戸で暮し、東京で死んだ六十九年、彼女は三十三に
は幾章か前に書いた。江戸の兄をたよって江戸で暮し、東京で死んだ六十九年、彼女は三十三に私の父を抱いて
この祖母、江戸へ来て嫁入って、すぐ大火事にあって、救米のおむすびをもらった時、
た。それに応じて店でも騒ぎだした。火事早い江戸だから間髪を入れず近所の表戸が開く、人が飛出す――
着ている。それらは古びきっているが、祖母が江戸へ来てから新らしく縫って着せたものだ、祖母はその長吉人形を抱いて
なんで江戸まで出てきたのかというと、疱瘡を病らっているとき、あんまり
さき廻りにしてしまった。こんなところは面白くないと、江戸の兄をたよって出て来たのだった。小りんという名も、よい
はしなかったであろう。彼女はそのまま、九ツで江戸へよこした息子に逢わないで死んだのだ。その女は、あきらめきった
た、京人形長吉を抱いて、振袖で、通し駕籠で江戸まできて、生涯に一度、また通し駕籠で郷里を訪れただけの祖母と
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前に書いた。江戸の兄をたよって江戸で暮し、東京で死んだ六十九年、彼女は三十三に私の父を抱いて、通し駕籠