旧聞日本橋 23 鉄くそぶとり(続旧聞日本橋・その二) / 長谷川時雨

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地名一覧

八丁堀

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おおかめさんは八丁堀の古着屋の娘、近所の古鉄商の若い衆で、田舎出だが色白で

松島町

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いてそれから道幅がせまくなり、ゴミゴミした裏に、松島町の長屋があったのだ。

横浜

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も御祈祷してもらいたいと頼んで来たのは、横浜の弗相場で資産をこしらえ、メキメキと派手な暮しを展開してきた、

いやがる。夜っぴてよ、蝋燭でよ、銭勘定したり、横浜までゆくのに、旅費がなくって、宿場の牛太郎までしやがったことわすれて

それは横浜に居ついて、旧大名の真似をした暮しをしている、輸入商に

深川

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でもやったというふうにいったが、母は、深川の豪商、石川屋という廻船問屋の御新造で、花菊といった自分

から、売に来てやるんだと、たんかを切る、深川浜の蛤町からくる、倶梨伽羅紋々で、チョン髷にゆっている

一人、亀吉は剥身売りだったのだ。父親のない、深川ッ子の剥身売りが、おおかめさんの台所の障子口から顔を突ッこん

日本橋

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続旧聞日本橋・その二

であったためか、先輩の推賞を得た拙著『旧聞日本橋』の稿を、ここにつづけることをよろこびといたします。

の三座や、その他の盛り場のあった名残りで、日本橋区中の繁華な場処なのに、大門通りは大商家が、暖簾を

人形町

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、和泉町、浪花町となると、葭町の方に属し、人形町系統に包含され、柔らいだ調子になって、向う側の角から変って

大門通りの気風と、人形町とはまるで違っていた。人形町通りは、昔の三座や、その他の盛り場のあった名残りで、

ならんでいたのだが、大門通りの気風と、人形町とはまるで違っていた。人形町通りは、昔の三座や、その

、人形町通りに電車が通り、道幅が広がっているが、人形町通りは大門通りと平行して竪に二筋ならんでいたのだ

現今は、人形町通りに電車が通り、道幅が広がっているが、人形町通りは大門通りと

筋の道路へは遠慮して出なかった。横町の、人形町側へ出はずれかける場所に、信用されている品のよい店が秋から

住吉

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間の一角だけがことに堅気な竪筋なので、住吉町、和泉町、浪花町となると、葭町の方に属し、人形町系統に

神田

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チョンボリ結んでいたようだったが、はっきりとしない。神田今川小路の方の河岸つきの、引っこんだところに閑寂な小庭を持って

蔵前

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、立膝でお酒をのんで、土用のうちでも、蔵前のどじょう汁だとか、薬研堀の鯨汁好みが、汗をふきふき、すっかり