門 / 夏目漱石
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起る安井が羨ましがつた。此安井といふのは國は越前だが、長く横濱に居たので、言葉や樣子は毫も東京ものと異なる
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一番古い門閥家なのださうである。瓦解の際、駿府へ引き上げなかつたんだとか、或は引き上げて又出て來たんだとか云ふ
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下らう、もし時間が許すなら、興津あたりで泊つて、清見寺や三保の松原や、久能山でも見ながら緩くり遊んで行かうと云つ
たとき彼は一人でプラツトフオームへ降りて、細長い一筋町を清見寺の方へ歩いた。夏も既に過ぎた九月の初なので、大方
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間もなく歸つた。日本橋から銀座へ出て夫から、水天宮の方へ廻つた所が、電車が込んで何臺も待ち合はした
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つた小六は、又雨の音を頭の上に受けて本郷へ歸つて行つた。しかし中一日置いて、兄さんは未だ行かないんですか
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だと云ふ。其所で何を始めるかと思ふと、遼河を利用して、豆粕大豆を船で下す、大仕掛な運送業を經營して
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詳しい話が聞きたければ、幸ひ自分の知り合によく鎌倉へ行く男があるから紹介してやらうと云つた。宗助は車の中
」と宗助は落ち付いて答へた。地味な宗助とハイカラな鎌倉とは殆んど縁の遠いものであつた。突然二つのものを結び付けるのは
其晩は又御米と小六から代る/″\鎌倉の事を根掘り葉掘り問はれた。
「やっぱり鎌倉辺が好かろうと思っている」と宗助は落ちついて答えた。
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照り返して幾本となく並ぶ風情を樂しんだ。ある時は大悲閣へ登つて、即非の額の下に仰向きながら、谷底の流を下る櫓
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歸らないんでせうかね。貴方今度の日曜位に番町迄行つて御覽なさらなくつて」と注意した事があるが、宗助
丁度土曜が來たので、宗助は役所の歸りに、番町の叔母の所へ寄つて見た。叔母は、
へ行くのが後れるので、此要件を手紙に認めて番町へ相談したのである。すると、叔母から安之助は神戸へ行つて留守
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四條とかいふ賑やかな町を歩いた。時によると京極も通り拔けた。橋の眞中に立つて鴨川の水を眺めた。東山の
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向ふへ突切つて、上總の海岸を九十九里傳ひに、銚子迄來たが、そこから思ひ出した樣に東京へ歸つた。宗助の所へ
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、興津あたりで泊つて、清見寺や三保の松原や、久能山でも見ながら緩くり遊んで行かうと云つた。宗助は大いに可からうと答へ
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の今日迄知らずに過ぎた名を澤山覺えた。京都の襟新と云ふ家の出店の前で、窓硝子へ帽子の鍔を
ゐる。其上宗助はある事情のために、一年の時京都へ轉學したから、朝夕一所に生活してゐたのは、小六の
。東京の家へも歸へれない事になつた。京都からすぐ廣島へ行つて、其所に半年ばかり暮らしてゐるうちに父が
、中々の苦鬪であつた。彼は書生として京都にゐる時分、種々の口實の下に、父から臨時隨意に多額の
秋も半ば過ぎて、紅葉の赤黒く縮れる頃であつた。京都に居た時分は別として、廣島でも福岡でも、あまり健康
始めて身重になつたのは、二人が京都を去つて、廣島に瘠世帶を張つてゐる時であつた。懷姙
の上に出る靜かな月を見た。さうして京都の月は東京の月よりも丸くて大きい樣に感じた。町や人
になつた。それが學年の始りだつたので、京都へ來て日のまだ淺い宗助には大分の便宜であつた。彼は
と云ふ一口話を矢張り友達から聞いた通り繰り返した。狹い京都に飽きた宗助は、單調な生活を破る色彩として、さう云ふ
通知をしやう、さうして成るべくなら一所の汽車で京都へ下らう、もし時間が許すなら、興津あたりで泊つて、清見寺や
下がつた。宗助はまた行李を麻繩で絡げて、京都へ向ふ支度をしなければならなくなつた。
普通の旅費以外に、途中で二三日滯在した上、京都へ着いてからの當分の小遣を渡して、
事になつたからと云ふ斷を述べた末に、何れ京都で緩くり會はうと書いてあつた。宗助はそれを洋服の内
翌日も約束通り一人で三保と龍華寺を見物して、京都へ行つてから安井に話す材料を出來る丈拵えた。然し天氣の所爲
であつたと云ふ話を聞いた。非常に能辯な京都言葉を操る四十許の細君がゐて、安井の世話をしてゐた
京都へ着いた一日目は、夜汽車の疲れやら、荷物の整理やらで、
かつた。所が其話を聞いた翌日、即ち宗助が京都へ着いてから約一週間の後、話の通りの服裝をした
かを判然告げなかつた。然し彼は三四日前漸く京都へ着いた事丈を明かにした。さうして、夏休み前にゐ
た。又途中何處で暇取つた爲、宗助より後れて京都へ着いたかを判然告げなかつた。然し彼は三四日前漸く京都
の閑靜な所に一戸を構へた。それは京都に共通な暗い陰氣な作りの上に、柱や格子を黒赤く塗
内又秋が來た。去年と同じ事情の下に、京都の秋を繰り返す興味に乏しかつた宗助は、安井と御米に誘はれ
二人を顧みた。それを一所に眺めた宗助にも、京都は全く好い所の樣に思はれた。
「京都は好い所ね」と云つて二人を顧みた。それを一所に眺めた
、橋を渡る人の影が細く動いた。其年の京都の冬は、音を立てずに肌を透す陰忍な質のもので
うと云つた。三人は又行李と鞄を携へて京都へ歸つた。冬は何事もなく北風を寒い國へ吹き遣つた。
して宗助は坐禪といふ記臆を呼び起した。昔し京都にゐた時分彼の級友に相國寺へ行つて坐禪をするもの
兒であるかの如き心持を起した。彼の慢心は京都以來既に銷磨し盡してゐた。彼は平凡を分として、
落ち付いちや居られないと見えますね。何でも元は京都大學にゐたこともあるんだとか云ふ話ですが。何うして
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「へえ、安さんは神戸へ行つたんだつてね」と手紙を讀みながら云つた。
「まあ仕方がない。安さんが神戸から歸る迄待つより外に道はあるまい」
へ相談したのである。すると、叔母から安之助は神戸へ行つて留守だと云ふ返事が來たのである。
「神戸へ參つたのも、全く其方の用向なので。石油發動機
此靜かな夫婦は安之助の神戸から土産に買つて來たと云ふ養老昆布の罐をがら/\振つて
は血色の好い宗助の前をそろ/\過ぎて、忽ち神戸の方に向つて烟を吐いた。
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て出た金は、殆んど使ひ果たしてゐた。彼の福岡生活は前後二年を通じて、中々の苦鬪であつた。彼は
本復してから間もなく、宗助は又廣島を去つて福岡の方へ移らなければならない身となつた。移る前に、好い機
、宗助も已を得ず我を折つた。宗助が福岡から東京へ移れる樣になつたのは、全く此杉原の御蔭である。
なると夫婦とも炬燵にばかり親しんだ。さうして廣島や福岡の暖かい冬を羨やんだ。
。京都に居た時分は別として、廣島でも福岡でも、あまり健康な月日を送つた經驗のない御米は、此點
福岡へ移つてから間もなく、御米は又酸いものを嗜む人となつ
抽出の底へ仕舞つてしまつた。其所には福岡で亡くなつた小供の位牌と、東京で死んだ父の位牌が別々に
樣な死兒の上に投げかけた。御米は廣島と福岡と東京に殘る一つ宛の記憶の底に、動かしがたい運命の嚴か
はされた二人は、廣島へ行つても苦しんだ。福岡へ行つても苦しんだ。東京へ出て來ても、依然として
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或省に奉職してゐたのだが、公務上福岡と佐賀へ出張することになつて、東京からわざ/\遣つて來たので
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會を約して手を分つた。安井は一先郷里の福井へ歸つて、夫から横濱へ行く積りだから、もし其時には手紙
さへ寄こさなかつたのである。宗助は安井の郷里の福井へ向けて手紙を出して見た。けれども返事は遂に來なかつた。
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細君が注意した。細君の言葉は東京の樣な、東京でない樣な、現代の女學生に共通な一種の調子を持つてゐる
引いてよ」と細君が注意した。細君の言葉は東京の樣な、東京でない樣な、現代の女學生に共通な一種の
て來る。必竟自分は東京の中に住みながら、ついまだ東京といふものを見た事がないんだといふ結論に到着すると、
にそわ/\した上調子に見えて來る。必竟自分は東京の中に住みながら、ついまだ東京といふものを見た事がないん
歸つて寐やうと云ふ氣になつた。彼は年來東京の空氣を吸つて生きてゐる男であるのみならず、毎日役所の
/\歩いてゐるうちに、どこか遠くへ行つて、東京と云ふ所はこんな所だと云ふ印象をはつきり頭の中へ刻み付けて
時宗助は大學を去らなければならない事になつた。東京の家へも歸へれない事になつた。京都からすぐ廣島へ行つ
する、云はゞ山氣の多い男であつた。宗助が東京にゐる時分も、よく宗助の父を説き付けては、旨い事を云つて
御面會の節云々とあつたので、すぐにも東京へ行きたい樣な氣がして、實は斯う/\だがと、
列車の走る方に自己の運命を托した。其頃は東京の家を疊むとき、懷にして出た金は、殆んど使ひ
身となつた。移る前に、好い機會だから一寸東京迄出たいものだと考へてゐるうちに、今度も色々の事情に制せ
「御米、久しく放つて置いたが、又東京へ掛合つて見樣かな」と云ひ出した。御米は無論逆ひ
小六さへ何うかして呉れゝば。あとの事は何れ東京へ出たら、逢つた上で話を付けらあ。ねえ御米、左う
のものが多かつた。宗助は父の死んだ時、東京で逢つた小六を覺えてゐる丈だから、いまだに小六を他愛ない
だが、公務上福岡と佐賀へ出張することになつて、東京からわざ/\遣つて來たのである。宗助は所の新聞で、
も已を得ず我を折つた。宗助が福岡から東京へ移れる樣になつたのは、全く此杉原の御蔭である。杉原から
「御米、とう/\東京へ行けるよ」と云つた。
東京に着いてから二三週間は、眼の回る樣に日が經つた。
ひに、銚子迄來たが、そこから思ひ出した樣に東京へ歸つた。宗助の所へ見えたのは、歸つてから、まだ二三
宗助は屏風の前に畏まつて、自分が東京にゐた昔の事を考へながら、
「つまりは己があの時東京へ出られなかつたからの事さ」
「さうして東京へ出られた時は、もうそんな事は何うでも可かつたんです
を惡んでゐらつしやるでせうか」と聞き出した。宗助が東京へ來た當座は、時々是に類似の質問を御米から受けて、
遣つて行けないわ。御肴の切身なんか、私が東京へ來てからでも、もう倍になつてるんですもの」と云つた
送つた經驗のない御米は、此點に掛けると、東京へ歸つてからも、矢張り仕合せとは云へなかつた。この女には
して本省にゐないのを遺憾とした。彼は東京へ移つてから不思議とまだ病氣をした事がなかつた。從つてまだ
へ編入されるのだらうと疑つた。彼は自分を東京へ呼んで呉れた杉原が、今も猶課長として本省にゐない
紐見たやうな長い丸打を懸けた樣子は、滅多に東京抔へ出る機會のない遠い山の國のものとしか受け取れなかつた
「是は甲斐の國から反物を脊負つてわざ/\東京迄出て來る男なんです」と坂井の主人が紹介すると、男
、飯を食はす所が茶屋だと答へた。それから東京へ出立には飯が非常に旨いので、腹を据ゑて食ひ出す
ずに過したりする今の世に、年に二度も東京へ出ながら、斯う山男の特色を何處迄も維持して行くのは、
すると三度目の記憶が來た。宗助が東京に移つて始ての年に、御米は又懷姙したのである
位牌が別々に綿で包んで丁寧に入れてあつた。東京の家を疊むとき宗助は先祖の位牌を一つ殘らず携えて、
。其所には福岡で亡くなつた小供の位牌と、東京で死んだ父の位牌が別々に綿で包んで丁寧に入れてあつた
死兒の上に投げかけた。御米は廣島と福岡と東京に殘る一つ宛の記憶の底に、動かしがたい運命の嚴かな支配
宗助は相當に資産のある東京ものゝ子弟として、彼等に共通な派出な嗜好を學生時代に
靜かな月を見た。さうして京都の月は東京の月よりも丸くて大きい樣に感じた。町や人に厭きたとき
が、長く横濱に居たので、言葉や樣子は毫も東京ものと異なる點がなかつた。着物道樂で、髮の毛を長くし
なく續く景色を、高い所から眺めて、是でこそ東京だと思ふ事さへあつた。今の宗助なら目を眩しかねない事々物々
宗助が東京へ歸つたときは、父は固よりまだ丈夫であつた。小六は子供で
等のあるものは、避暑といふ名義の下に、既に東京を離れてゐた。あるものは不在であつた。又あるものは多忙
りさうに風に吹かれる樣を宗助は見た。庭も東京と違つて、少しは整つてゐた。石の自由になる所
安井は郷里の事、東京の事、學校の講義の事、何くれとなく話した。けれども、御
では兄に敬意を拂つてゐなかつた。二人が東京へ出たてには、單純な小供の頭から、正直に御米を惡
へ行つても苦しんだ。福岡へ行つても苦しんだ。東京へ出て來ても、依然として重い荷に抑えつけられてゐた
――そりあ金の事も云つて來ますが、なに東京と蒙古だから打遣つて置けば夫迄です。だから離れてさへ
、いくら廣い土地を抵當にするつたつて、蒙古と東京ぢや催促さへ出來やしませんもの。で、私が斷わると、蔭
よく法螺を吹いて私を欺したもんです。それに今度東京へ出て來た用事と云ふのが餘つ程妙です。何とか
まづ此所の閑靜な事、海に近い所爲か、東京よりは餘程暖かい事、空氣の清朗な事、紹介された坊さん
紹介状を貰ふときに東京で聞いた所によると、此宜道といふ坊さんは、大變性質
だらう。こんな所に愚圖々々してゐるより、早く東京へ歸つて其方の所置を付けた方がまだ實際的かも
宜道は斯んな話をして、暗に宗助が東京へ歸つてからも、全く此方を斷念しない樣にあらかじめ間接の注意を
「東京はまだ寒いでせう」と老師が云つた。「少しでも手掛りが
て安井の消息をそれとなく聞き糺して、もし彼がまだ東京にゐて、猶しば/\坂井と徃復がある樣なら、遠くの
。ありや全く蒙古向ですね。御前の樣な夷狄は東京にや調和しないから早く歸れつたら、私もさう思ふつて歸つて
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云ひながら座敷へ上つた。先刻郵便を出してから、神田を散歩して、電車を降りて家へ歸る迄、宗助の頭には
べき財産は、不幸にして、叔父の手腕で、すぐ神田の賑やかな表通りの家屋に變形した。さうして、まだ保險を
宗助は例刻に歸つて來た。神田の通りで、門並旗を立てゝ、もう暮の賣出しを始めた事
そのうち電車が神田へ來た。宗助は何時もの通り其所で乘り換えて家の方へ
が濟まなかつた。けれども今夜に限つて彼は神田で電車を降りた事も、牛肉屋へ上つた事も、無理に酒
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役所で同僚が、此間英吉利から來遊したキチナー元帥に、新橋の傍で逢つたと云ふ話を思ひ出して、あゝ云ふ人間になると、
夜汽車で新橋へ着いた時は、久し振りに叔父夫婦の顏を見たが、夫婦とも
御米は何う云ふものか、新橋へ着いた時、老人夫婦に紹介されたぎり、曾つて叔父の家
其翌日すぐ貰つて置いた紹介状を懷にして、新橋から汽車に乘つたのである。
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此間月島の工場へひよつくり小六が遣つて來て云ふには、自分の學資
心配で御座います。――夫でも此九月から、月島の工場の方へ出る事になりまして、まあ幸と此分で勉強
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頓と宗助の宅へは見えなかつた。宗助は固より麹町へ行く餘暇を有たなかつた。又夫丈の興味もなかつた。
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「銀座から日本橋通のだつて」
ゐた。小六は幸にして間もなく歸つた。日本橋から銀座へ出て夫から、水天宮の方へ廻つた所が、電車
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「銀座から日本橋通のだつて」
。小六は幸にして間もなく歸つた。日本橋から銀座へ出て夫から、水天宮の方へ廻つた所が、電車が込ん