思い出す事など / 夏目漱石
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学校を出た当時小石川のある寺に下宿をしていた事がある。そこの和尚は内職に
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をかねたものに過ぎなかった。出した局の名が本郷とあるのを見てこれは草平君を煩わしたものと知った。
たのは、草平君に関する報知であった。妻が本郷の親類で用を足した帰りとかに、水見舞のつもりで柳町の低い
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一つは横浜に嫁いだ妻の妹の運命に関した報知であった。手紙にはこう
、生死の程も分らず、如何とも致し方なく、横浜へは汽車不通にて参る事叶わず、電話は申込者多数にて一日を待たねば
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てあって、その末に会社の小使とかが徒歩で箱根まで探しに行ったあげく、幽霊のように哀れな姿をした彼女を伴れ
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どちらが西か、どれが伊東へ越す山で、どれが下田へ出る街道か、まるで知らずに帰ったのである。
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のつそつ夜明を待ち佗びたその当時を回顧すると、修禅寺の太鼓の音は、一種云うべからざる連想をもって、いつでも余の
修禅寺の太鼓はこの時にどんと鳴るのである。そうしてことさらに余を
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に行った。それからまた熊本に移った。熊本からまた倫敦に向った。和尚の云った通り西へ西へと赴いたのである。
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ばかりでいっこうに要領を得なかった。ただかけた局が名古屋とあるのでようやく判断がついた。ステトと云うのは、鈴木禎次と
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しながら、どちらが東で、どちらが西か、どれが伊東へ越す山で、どれが下田へ出る街道か、まるで知らずに帰ったの
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を祝す」と書いてあった。そうしてその差出人は満洲にいる中村是公であった。他の一通を開けて見ると、やはり
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によって、親戚のものに伴れられて、わざわざ砂深い小松原を引き上げて、修善寺まで見舞に来たのである。
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帰る日は立つ修善寺も雨、着く東京も雨であった。扶けられて汽車を下りるときわざわざ出迎え
。万居心よく整っていた。杉本副院長が再度修善寺へ診察に来た時、畳替をして待っていますと妻に云い置か
。玄耳君が驚ろいて森成さんに坂元君を添えてわざわざ修善寺まで寄こしてくれたのは、この報知が長距離電話で胃腸病院へ伝って、
修善寺が村の名で兼て寺の名であると云う事は、行かぬ前から
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駅員の助を藉りて、ようやくのことこの大男を無事に京都へ送り届けた事とは思うが、その時の不愉快はいまだに忘れない。
声でわずかにイエスと答えた。男は次にこれから京都へ行くにはどの汽車へ乗ったら好いか教えてくれと云った。はなはだ
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に来た。あるものは鹿児島から来た。あるものは山形から来た。またあるものは眼の前に逼る結婚を延期して来
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思いがけない知己や朋友が代る代る枕元に来た。あるものは鹿児島から来た。あるものは山形から来た。またあるものは眼の前
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た。父の死んだ電報を東京から受け取ったのは、熊本にいる頃の事であった。これで見ると、親の死目に逢え
余は松山に行った。それからまた熊本に移った。熊本からまた倫敦に向った。和尚の云った通り西へ西へと赴いた
年ならずして余は松山に行った。それからまた熊本に移った。熊本からまた倫敦に向った。和尚の云った通り西へ
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一年ならずして余は松山に行った。それからまた熊本に移った。熊本からまた倫敦に向った
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、寝たまま東京へ戻って来ようとは思わなかった。東京へ戻ってもすぐ自分の家の門は潜らずに釣台に乗ったまま
も、転地先で再度の病に罹って、寝たまま東京へ戻って来ようとは思わなかった。東京へ戻ってもすぐ自分の家
帰る日は立つ修善寺も雨、着く東京も雨であった。扶けられて汽車を下りるときわざわざ出迎えてくれた人
十日ほど経って、また病院の用事ができて二度東京へ戻ったのは院長の葬式に列するためであったそうである。
後、森成さんが病院の用事だからと云って、ちょっと東京へ帰ったのは、生前に一度院長に会うためで、それから十
でと話をするまで、院長は余の病気の経過を東京にいて承知しているものと信じていた。そうして回復の
考えると余が無事に東京まで帰れたのは天幸である。こうなるのが当り前のように思うの
思い出す事など」は忘れるから思い出すのである。ようやく生き残って東京に帰った余は、病に因って纔かに享けえたこの長閑な心持
始めて読書欲の萌した頃、東京の玄耳君から小包で酔古堂剣掃と列仙伝を送ってくれた。
から馳けて来た東洋城が枕辺に立って、今日東京から医者と社員が来るはずになったと知らしてくれた時は全く救わ
いうものが出るようでは、今のうち安静にして東京に帰った方が好かろうと注告した。余は金盥の中を指し
に揺られもせず車に乗せられもせず、すうと東京へ帰って、胃腸病院の一室に這入って、そこに仰向けに倒れてい
東京を立つときから余は劇しく咽喉を痛めていた。いっしょに来るべきはず
にある母の病を見舞うべく、去る人と入れ代ってひとまず東京に帰った。殿下もそれからほどなく御立になった。そうして忘る
来るには、道路があまり打壊れ過ぎた。のみならず東京その物がすでに水に浸っていた。余はほとんど崖と共に崩れる
余の病気は帰るには余り劇し過ぎた。そうして東京の方から余のいる所まで来るには、道路があまり打壊れ過ぎた
覚めて、身体の置所がないほど苦い時には、東京と自分とを繋ぐ交通の縁が当分切れたその頃の状態を、多少
この楽い空想が、不便な事実となって現れ始めた。東京から来る郵便も新聞もことごとく後れ出した。たまたま着くものは墨がにじむほど
を何遍か繰返したくらい漠然した電話であった。東京の音信が雨と風と洪水の中に、悩んでいる余の眼に
抑えながら受信器を耳に着けた。茅ヶ崎の子供も無事、東京の家も無事という事だけが微かに分った。しかしその他は全く
入れ代りに、森成さんと雪鳥君と妻とが前後して東京から来てくれた。そうして裸連のいた部屋を借り切った。その
た頃、裸連は九人とも申し合せたように、どっと東京へ引き上げた。それと入れ代りに、森成さんと雪鳥君と妻とが前後
長い雨がようやく歇んで、東京への汽車がほぼ通ずるようになった頃、裸連は九人とも申し合せ
その日は東京から杉本さんが診察に来る手筈になっていた。雪鳥君が大仁まで
東京へ帰るや否や、――杉本さんはその朝すぐ東京へ帰った。もっとおりたいが忙がしいから失礼します、その代り手当は充分
杉本さんが東京へ帰るや否や、――杉本さんはその朝すぐ東京へ帰った。
杉本さんは東京へ帰るや否や、自分で電話を看護婦会へかけて、看護婦を二人
これは東京へ帰った以後の景色である。東京へ帰ったあともしばらくは、絶えず美くしい自然の画が、子供
これは東京へ帰った以後の景色である。東京へ帰ったあともしばらくは、絶え
子供はじきに東京へ帰った。一週間ほどしてから、彼らは各々に見舞状を書い
書いて、すぐ郵便で妻に出さした。子供は余が東京へ帰ってからも、平気で遊んでいる。修善寺の土産はもう壊して
森成さんがもう葛湯も厭きたろうと云って、わざわざ東京から米を取り寄せて重湯を作ってくれた時は、重湯を生れて始め
臨終の席には侍らなかった。父の死んだ電報を東京から受け取ったのは、熊本にいる頃の事であった。これで見る
余の十三四の時に死んだ。その時は同じ東京におりながら、つい臨終の席には侍らなかった。父の死んだ電報
もう動かしても大事なかろうと云う頃になって、東京から別に二人の医者を迎えてその意見を確めたら、今二週間の
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そこでことさらに気分を易えて、この間大磯で亡くなった大塚夫人の事を思い出しながら、夫人のために手向の句を作った。