坑夫 / 夏目漱石

坑夫のword cloud

地名一覧

牛込

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だんだん多くなる。町並がしだいに立派になる。しまいには牛込の神楽坂くらいな繁昌する所へ出た。ここいらの店付や人の様子

茨城

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で歩くのが愉快になって来た。もっともこの男は茨城か何かの田舎もので、鼻から逃げる妙な発音をする。芋の事

の長蔵さんなどは威風堂々たるものである。のみならず茨城の田舎を突っ走ったのみで、いまだかつて東京の地を踏んだことがない。

に忘れられない。小僧が雲から出たり這入ったりする。茨城の毛布が赤くなったり白くなったりする。長蔵さんの、どてらが、わずか五六

神楽坂

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なる。町並がしだいに立派になる。しまいには牛込の神楽坂くらいな繁昌する所へ出た。ここいらの店付や人の様子や、

浅間

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いたせいかも知れない。華厳の瀑にしても浅間の噴火口にしても道程はまだだいぶあるくらいは知らぬ間に感じてい

青山の墓地

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ものはある。自分などがこの小僧の年輩の頃は夜青山の墓地を抜けるのがいささか苦になったものだ。なかなかえらいと感心している

下谷

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と云う音がする。カンテラの灯で照らして見ると、下谷辺の溝渠が溢れたように、薄鼠になってだぶだぶしている。

長崎

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変りはなかった。ただ安さんの兄さんが高等官になって長崎にいると云う事を聞いて、大いに感動した。安さんの身に

東京

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東京を立ったのは昨夕の九時頃で、夜通しむちゃくちゃに北の方へ

からは、もうどうあっても家へ戻る了簡はない。東京にさえ居り切れない身体だ。たとい田舎でも落ちつく気はない。休むと

東京を立った昨夜の九時から、こう諦はつけてはいるが、さて

は届かない。まるで娑婆が違う。そのくせ暖かな朗かな東京は、依然として眼先にありありと写っている。おういと日蔭から

で行くような気がする。振り返ると日の照っている東京はもう代が違っている。手を出しても足を伸ばしても、

して見たが別にどきんともしなかった。今まで東京にいた時分いっその事と無分別を起しかけた事もたびたびあるが、

昨夕東京を立ってから、まだ人間に口を利いた事がない。人から言葉

、てんで頭の中にはない。今ないばかりじゃない、東京にいて親の厄介になってる時分からなかった。どころじゃない儲主義

。ここいらの店付や人の様子や、衣服は全く東京と同じ事であった。長蔵さんのようなのはほとんど見当らない。自分

「東京です」

を眺めた時、あれが西の方だと思った。東京を出て北へ北へと走ったつもりだが、汽車から降りて見る

自分は昨夕東京を出て、千住の大橋まで来て、袷の尻を端折ったなり、

見出した。――もっとも人格はこの際少しおかしい。いやしくも東京を出奔して坑夫にまでなり下がるものが人格を云々するのは変挺な

。のみならず茨城の田舎を突っ走ったのみで、いまだかつて東京の地を踏んだことがない。そうして、赤い毛布が妙に臭い

た有様を回顧すると、おかしいばかりじゃない、嬉しい。もっとも東京の芋屋のように奇麗じゃなかった。ほとんど名状しがたいくらいに真黒に

ものがだいぶんあるんだと云う事に気がついた。東京にいるときは、目眩いほど人が動いていても、動きながら、みんな

ように取扱う男とは、どうしても受取れない。全く東京辺で朝晩出逢う、万事を心得た苦労人の顔である。

の雨で濡れている。洋袴下は穿いていない。東京の五月もこの山の奥へ来るとまるで二月か三月の気候

知れないが、自分は何にも口答えをしなかった。もともと東京生れだから、この際何とか受けるくらいは心得ていたんだろう。

「僕は東京です」

だ。帰ろうたって、帰れなくなる。だから今のうちに東京へ帰って新聞配達をしろ。書生はとても一月と辛抱は出来ないよ

も向かず声を掛けた。その時自分は何となく東京の車夫を思い出して苦しいうちにもおかしかった。が初さんはそれとも

「東京です」

は、浮世の日が烈し過ぎて困る自分には――東京にも田舎にもおり終せない自分には――煩悶の解熱剤を頓服

は日本の損だ。だから早く帰るがよかろう。東京なら東京へ帰るさ。そうして正当な――君に適当な――日本の

なるのは日本の損だ。だから早く帰るがよかろう。東京なら東京へ帰るさ。そうして正当な――君に適当な――

「だが東京へは帰るだろうね」

絞か何にかの三尺を締めて立っている。まるで東京の馬丁のような服装である。これには少し驚いた。安さんも

「なるほど東京を走ったまんまの服装だね。おれも昔はそう云う着物を着た

いい。華厳の瀑などへ行くのは面倒になった。東京へ帰る? 何の必要があって帰る。どうせ二三度咳をせくうち

この帳附を五箇月間無事に勤めた。そうして東京へ帰った。――自分が坑夫についての経験はこれだけである

で、菓子を買っては子供にやった。しかしその後東京へ帰ろうと思ってからは断然やめにした。自分はこの帳附を

千住

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自分は昨夕東京を出て、千住の大橋まで来て、袷の尻を端折ったなり、松原へかかっても

、天下広しといえども、自分だけであろうくらいで、千住から尻を端折って歩き出した。だから心細さも人一倍であっ