硝子戸の中 / 夏目漱石

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地名一覧

本所

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そのうちで最も猛烈に彼の攻撃を受けたのは、本所辺から来る十歳ばかりになる角兵衛獅子の子であった。この子はいつで

四谷

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我楽多といっしょに、小さい笊の中に入れられて、毎晩四谷の大通りの夜店に曝されていたのである。それをある晩私の

青山

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積夜具をしてやったりしたのだそうである。青山に田地があって、そこから上って来る米だけでも、家のものが

牛込

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浅草から牛込へ遷された私は、生れた家へ帰ったとは気がつかずに

まだ私の頭に残っている。それだのに浅草から牛込へ移された当時の私は、なぜか非常に嬉しかった。そうしてその

甲州

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寺の名を教わって帰って行ったこの女は、わざわざ甲州から出て来たのであるが、元柳橋の芸者をしている頃、

神楽坂

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とかを通り抜けなければならなかった。買物らしい買物はたいてい神楽坂まで出る例になっていたので、そうした必要に馴らされた私

名古屋

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この小包と前後して、名古屋から茶の缶が私宛で届いた。しかし誰が何のために送った

江戸

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この町は江戸と云った昔には、多分存在していなかったものらしい。江戸が東京

た昔には、多分存在していなかったものらしい。江戸が東京に改まった時か、それともずっと後になってからか、年代

樺太

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た。それも秋田から横手に遷されて、今では樺太の校長をしているのである。

「人間も樺太まで行けば、もう行く先はなかろうな」と私が調戯うと、彼は

た。私はちょっと立ち留まって考えた上、「なるほど方角は樺太の方が確なようだ」と云いながら、また指定された入口の方

今戸

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へ出た船は、流を溯って吾妻橋を通り抜けて、今戸の有明楼の傍に着けたものだという。姉達はそこから上って

行願寺

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御盛でしたがね。それから後でしたっけか、行願寺の寺内へ御引越なすったのは」

喜久井町

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今私の住んでいる近所に喜久井町という町がある。これは私の生れた所だから、ほかの人より

の夏目という名をつけた。不幸にしてこれは喜久井町ほど有名にならずに、ただの坂として残っている。しかしこの間

秋田

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て帰るとすぐまた内地の中学校長になった。それも秋田から横手に遷されて、今では樺太の校長をしているので

京都

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だ縄暖簾がかかっていて門口を流れる下水の水が京都へでも行ったように綺麗だった。その豆腐屋について曲ると

東京

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私は返す事はたやすいが、その手数が面倒だから、東京まで取りに来れば返してやると云ってやりたくなった。けれども坂越

には、多分存在していなかったものらしい。江戸が東京に改まった時か、それともずっと後になってからか、年代は

私が早稲田に帰って来たのは、東京を出てから何年ぶりになるだろう。私は今の住居に移る前

年歯上の男であったらしい。こんな習慣の行なわれない東京で育った彼は、はたしてその文をどう始末したものだろう。兄は

浅草

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。電車も俥もない時分に、高田の馬場の下から浅草の観音様の先まで朝早く行き着こうと云うのだから、たいていの事で

浅草から牛込へ遷された私は、生れた家へ帰ったとは気が

記憶がまだ私の頭に残っている。それだのに浅草から牛込へ移された当時の私は、なぜか非常に嬉しかった。そう

、みごとに粉砕されてしまって見ると、私はわざわざ浅草まで行く必要がなかったのだと、自分を考えない訳に行かなかった

御茶の水

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に充ちた心をもって、のろのろ砲兵工厰の前から御茶の水を通り越して柳橋まで漕がれつつ行っただろうと想像する。しかも彼らの

大塚

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。私は微笑に伴なうその挨拶とともに、相手が、大塚楠緒さんであった事に、始めて気がついた。

品川

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益さんはその時何でも芝の外れか、または品川近くに世帯を持って、一人暮しの呑気な生活を営んでいたらしいの

銀座

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、この喜いちゃんの御父さんというのは、昔し銀座の役人か何かをしていた時、贋金を造ったとかいう

日本橋

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私は小供の時分よく日本橋の瀬戸物町にある伊勢本という寄席へ講釈を聴きに行った。今の三越