行人 / 夏目漱石
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して、まず沼津から修善寺へ出て、それから山越に伊東の方へ下りようと云いました。小田原と国府津の後先さえ知らない兄さんに異存
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大阪へ下りるとすぐ彼を訪うたのには理由があった。自分はここへ
「じゃ大阪へ着き次第、そこへ電話をかければ君のいるかいないかは、すぐ
諏訪まで行って、それから引返して木曾を通った後、大阪へ出る計画であった。自分は東海道を一息に京都まで来て、そこで
て、そこで四五日用足かたがた逗留してから、同じ大阪の地を踏む考えであった。
ていた。すると岡田は高商を卒業して一人で大阪のある保険会社へ行ってしまった。地位は自分の父が周旋したのだ
た。そうして今度はお兼さんの手を引いて大阪へ下って行った。これも自分の父と母が口を利いて、話
東京の山の手を通り越した郊外を思い出させた。自分は突然大阪で会合しようと約束した友達の消息が気になり出した。自分はいきなり
顔を前へ出して「御気に入ったら、あなたも大阪へいらっしゃいませんか」と云った。自分は覚えず「ありがとう」と答えた
。それで真面目な顔をして、「どうも写真は大阪の方が東京より発達しているようですね」と云った。すると岡田
を許さなかったのである。自分はその間できるだけ一人で大阪を見て歩いた。すると町幅の狭いせいか、人間の運動が東京より
自分はこの手紙を出しっきりにして大阪を立退きたかった。岡田も母の返事の来るまで自分にいて貰う必要も
お兼さんに答える勇気を失った。三沢は三日前大阪に着いて二日ばかり寝たあげくとうとう病院に入ったのである。自分は
「君大阪へ着いたときはたくさん伴侶があったそうじゃないか」
であるにかかわらず久しぶりだからというので、皆な大阪で降りて三沢と共に飯を食ったのだそうである。
自分は今の岡田の電話が気になって、すぐ大阪を立つ話を持ち出す心持になれなかった。すると思いがけない三沢の方から「
なれなかった。すると思いがけない三沢の方から「君もう大阪は厭になったろう。僕のためにいて貰う必要はないから、どこか
彼はまた自分にいつまで大阪にいるつもりかと聞いた。彼は旅行を断念してから、自分の顔
「しかし君は大阪へ来たのが今度始めてじゃないか」と自分は三沢を責めた。
大阪へ着くとそのまま、友達といっしょに飲みに行ったどこかの茶屋で、
ちょうど彼の前に坐っていた「あの女」は、大阪言葉で彼に薬をやろうかと聞いた。彼はジェムか何かを五六
合うのだろうと説明した。三沢は、そうじゃない、大阪の看護婦は気位が高いから、芸者などを眼下に見て、始めから相手に
の返事も与えなかった。かえって反対に「いったい君はいつ大阪を立つつもりだ」と聞いた。
の上の狭い生活、――自分は単にそれらばかりで大阪にぐずついているのではなかった。詩人の好きな言語を借りて云えば
彼に病院を出ろと勧めた、彼は自分にいつまで大阪にいるのだと尋ねた。上部にあらわれた言葉のやりとりはただこれだけに
買物を頼まれたのを、新しい道伴ができたためつい大阪まで乗り越して、いまだに手を着けない金が余っていたのである。
兄は寝転びながら話をした。そうして口では大阪を知ってるような事を云った。けれどもよく聞いて見ると、知って
「いったいそれは大阪のどこなの」と嫂が聞いたが、兄は全く知らなかった。方角
「その時大阪で面白いと思ったのはただそれぎりだが、何だかそんな連想を持っ
、何だかそんな連想を持って来て見ると、いっこう大阪らしい気がしないね」
「まるで大阪を自慢していらっしゃるようよ。あなたの話を傍で聞いていると」
。兄は暑いので脳に応えるとか云って、早く大阪を立ち退く事を主張した。自分は固より賛成であった。
実際その頃の大阪は暑かった。ことに我々の泊っている宿屋は暑かった。庭が狭いの
大阪を立とうという兄の意見に賛成した自分は、有馬なら涼しくって兄の
彼は大阪の富が過去二十年間にどのくらい殖えて、これから十年立つとまたその
「大阪の富より君自身の富はどうだい」と兄が皮肉を云ったとき
、田舎めいた景色を賞し合った。実際窓外の眺めは大阪を今離れたばかりの自分達には一つの変化であった。ことに
の利いた東京の下宿屋ぐらいなもので、品位からいうと大阪の旅館とはてんで比べ物にならなかった。時々大一座でもあった時に
急行で東京へ帰る事にきめていた。実はまだ大阪を中心として、見物かたがた歩くべき場所はたくさんあったけれども、母の
、母の気が進まず、兄の興味が乗らず、大阪で中継をする時間さえ惜んで、すぐ東京まで寝台で通そうと云うのが母
自分達は是非共翌日の朝の汽車で和歌山から大阪へ向けて立たなければならなかった。自分は母の命令で岡田の宅まで
変らなかった。汽車の内でも同じ事であった。大阪へ来てもなお続いていた。彼は見送りに出た岡田夫婦を捕まえ
自分達が大阪から帰ったとき朝貌はまだ咲いていた。しかし父の興味はもう朝
妙ににこにこしていますね」と云った。自分が大阪から帰るや否や、お貞さんは暑い下女室の隅に引込んで容易に顔
の隅に引込んで容易に顔を出さなかった。それが大阪から出したみんなの合併絵葉書の中へ、自分がお貞さん宛に「おめでとう」
の前後を顧慮しない調子で聞いた。これは自分が大阪から帰ってから、もう二度目もしくは三度目の質問であった。
相談に行った。その時自分は彼に、「君が大阪などで、ああ長く煩うから悪いんだ」と云った。彼は「君が
「大阪の岡田からお貞の結婚について、この間また問い合せが来たので、
近頃滅多に口を利かなかった。近頃というよりもむしろ大阪から帰って後という方が適当かも知れない。彼女は単独に自分の
思えなかった。高くて暑い空を、恐る恐る仰いで暮らした大阪の病院を憶い起すと、当時の彼と今の自分とは、ほとんど地を換え
は力めて兄の事を忘れようとした。するとふと大阪の病院で三沢から聞いた精神病の「娘さん」を聯想し始めた。
新夫婦と岡田は昼の汽車で、すぐ大阪へ向けて立った。自分は雨のプラットフォームの上で、二三日箱根あたりで
調子は、前に較べると少し変っていた。彼女は大阪以後、ことに自分が下宿して以後、自分の前でわざと嫂の批評を
下宿に帰ったら、大阪の岡田から来た一枚の絵端書が机の上に載せてあった。
の用事に過ぎなかった。三沢には全く会わなかった。大阪の岡田からは花の盛りに絵端書がまた一枚来た。前と同じ
自分は大阪の岡田から受取った手紙の中に、相応な位地があちらにあるから来ない
三沢は自分の矛盾を追窮した。自分には西洋も大阪も変化としてこの際大した相違もなかった。
聞いたのはその時の事でした。お貞さんは近頃大阪の方へ御嫁に行ったんだそうですから、兄さんはその宵に出逢っ
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射返した。木蔭から出たり隠れたりする屋根瓦の積み方も東京地方のものには珍らしかった。
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大阪を立とうという兄の意見に賛成した自分は、有馬なら涼しくって兄の頭によかろうと思った。自分はこの有名な温泉をまだ
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城の石垣の石は実に大きかった」とか、「天王寺の塔の上へ登って下を見たら眼が眩んだ」とか断片的の
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和歌山市を通り越して少し田舎道を走ると、電車はじき和歌の浦へ着いた。抜目
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いっしょに高野登りをやろう、もし時日が許すなら、伊勢から名古屋へ廻ろう、と取りきめた時、どっちも指定すべき場所をもたないので、
の知っているものも二三あった。三沢は彼らと名古屋からいっしょの汽車に乗ったのだが、いずれも馬関とか門司とか福岡
自分はこの詩に似たような眠が、駅夫の呼ぶ名古屋名古屋と云う声で、急に破られたのを今でも記憶している
はこの詩に似たような眠が、駅夫の呼ぶ名古屋名古屋と云う声で、急に破られたのを今でも記憶している。
「名古屋です」
の射さない停車場の光景を、雨のうちに眺めた。名古屋名古屋と呼ぶ声がまだ遠くの方で聞こえた。それからこつりこつりという足音
射さない停車場の光景を、雨のうちに眺めた。名古屋名古屋と呼ぶ声がまだ遠くの方で聞こえた。それからこつりこつりという足音が
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ました。私は行程を逆にして、まず沼津から修善寺へ出て、それから山越に伊東の方へ下りようと云いました。小田原と
引き返しました。そこで大仁行の汽車に乗り換えて、とうとう修善寺へ行きました。兄さんには始めからこの温泉が大変気に入っていた
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の間にか過ぎた。花は上野から向島、それから荒川という順序で、だんだん咲いていってだんだん散ってしまった。自分は一年
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ました。山と云っても小田原からすぐ行かれる所は箱根のほかにありません。私はこの通俗な温泉場へ、最も通俗でない兄さん
箱根を出る時兄さんは「二度とこんな所は御免だ」と云いました。
我々は前申した通り箱根を立ちました。そうして直にこの紅が谷の小別荘に入りまし
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二人はまたのそのそ東照宮の前まで来た。
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「それは分らないが、いずれ大徳寺か何か……」
父はそれで懸物の講釈を切り上げようとはしなかった。大徳寺がどうの、黄檗がどうのと、自分にはまるで興味のない事を説明
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早合点して封を裂いた。ところが案外にもそれは富士見町の雅楽稽古所からの案内状であった。「六月二日音楽演習相催し候
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しても自分と調和してくれなかった。自分はとうとう番町へ出かけて行った。直接兄に会うのが厭なので、二階へ
翌日番町へ行ったら、岡田一人のために宅中騒々しく賑っていた。兄もほか
は似合しからぬ佗びしい天気であった。いつもより早く起きて番町へ行って見ると、お貞さんの衣裳が八畳の間に取り散らしてあった
去った。自然の寒い課程がこう繰返されている間、番町の家はじっとして動かずにいた。その家の中にいる人と
ない主意は、自分にも好く呑み込めていた。自分が番町へ行ったとき、彼女は「二郎さんの下宿は高等下宿なんですってね
であったが、その後へ、「御無沙汰って云えば、あなた番町へもずいぶん御無沙汰ね」と付け加えて、ことさらに自分の顔を見た。
自分は全く番町へは遠ざかっていた。始めは宅の事が苦になって一週に
自分は明日にも番町へ行って、母からでもそっと彼ら二人の近況を聞かなければならない
ない苦しみを他に言わずに苦しんだ。その間思い切って番町へ出かけて行って、大体の様子を探るのがともかくも順序だとはしばしば
自分は番町と下宿と方角の岐れる所で、父に別れようとした。
自分は父に伴れられて、とうとう番町の門を潜った。
何の通知もなかった。自分は失望した。電話を番町へかけて聞き合せるのも厭になった。どうでもするが好いという気分
当日のぱっとした色彩が剥げて行くに連れて、番町の方が依然として重要な問題になって来た。自分はなまじい遠く
その日自分は下宿へ帰らずに、事務所からすぐ番町へ廻った。昨日まで恐れて近寄らなかったのに、兄の出立と聞くや
その晩番町を出たのは灯火が点いてまだ間もない宵の口であった。それで
厭になって来た。自分はとうとう逃げ出すようにして番町を出た。
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「じゃ明日は佐野を誘って宝塚へでも行きましょう」と岡田が云い出した。自分は岡田が自分のため
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高い地勢のお蔭で四方ともよく見晴らされた。ことに有名な紀三井寺を蓊欝した木立の中に遠く望む事ができた。その麓に入江らしく
彼らの見物して来た所は紀三井寺であった。玉津島明神の前を通りへ出て、そこから電車に乗ると
夕方になって自分はとうとう兄に引っ張られて紀三井寺へ行った。これは婦人連が昨日すでに参詣したというのを口実に
たけれども、よく一郎に聞いて見ると、何だか紀三井寺で約束した事があるとか云う話だから、残念だが仕方ない。やっぱり
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(例)梅田
梅田の停車場を下りるや否や自分は母からいいつけられた通り、すぐ俥を雇っ
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していっしょに高野登りをやろう、もし時日が許すなら、伊勢から名古屋へ廻ろう、と取りきめた時、どっちも指定すべき場所をもたないの
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なければならなくなりました。この客は東京のものか横浜のものか解りませんが、何でも言葉の使いようから判断すると、
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もっとも「大坂城の石垣の石は実に大きかった」とか、「天王寺の塔の上へ
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、大阪へ出る計画であった。自分は東海道を一息に京都まで来て、そこで四五日用足かたがた逗留してから、同じ大阪の
予定の時日を京都で費した自分は、友達の消息を一刻も早く耳にするため停車場を
病人の世話をそっちのけにするとか、不親切だとか、京都に男があって、その男から手紙が来たんで夢中なんだ
岐阜からわざわざ本願寺参りに京都まで出て来たついでに、夫婦共この病院に這入ったなり動かないの
よりよほど自由が利いた。その上母や親類のものから京都で買物を頼まれたのを、新しい道伴ができたためつい大阪まで乗り越し
て、無知識な自分を驚かした。地は去年の春京都の織屋が背負って来た時、白のまま三反ばかり用意に買って
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とか、もう少しするとあの山の下を突き貫いて、奈良へ電車が通うようになるんだとか、三沢は今誰かから聞い
た土の色を見せている暗がり峠を望んだ。ふと奈良へでも遊びに行って来ようかという気になった。
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か、普通彼らの着る白い着物がちっとも似合わなかった。岡山のもので、小さい時膿毒性とかで右の眼を悪くしたん
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に乗ったのだが、いずれも馬関とか門司とか福岡とかまで行く人であるにかかわらず久しぶりだからというので、皆
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の飯を旨そうに食った。そうして昨日はちょっと神戸まで行って来ましたなどと澄ましていた。
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岐阜からわざわざ本願寺参りに京都まで出て来たついでに、夫婦共この病院に
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自分達はその翌日の朝和歌山へ向けて立つはずになっていた。どうせいったんはここへ引返して来
「御前と直が二人で和歌山へ行って一晩泊ってくれれば好いんだ」
「じゃそれを明日やってくれ。あした昼いっしょに和歌山へ行って、昼のうちに返って来れば差支えないだろう」
片方を断った今更一方も否とは云いかねて、とうとう和歌山見物だけは引き受ける事にした。
あった。でき得るならどうか母の御供をして、和歌山行をやめたいと考えた。
「和歌山はやめにおしよ」
「直御前二郎に和歌山へ連れて行って貰うはずだったね」と兄が云った時、嫂
「御前本当に直と二人で和歌山へ行く気かい」
こんな風に引絡まった日には、とても嫂を連れて和歌山などへ行く気になれない、行ったところで肝心の用は弁じない、
た時、二人は電車を降りた。降りて始めて自分は和歌山へ始めて来た事を覚った。実はこの地を見物する口実の
和歌山へ着いた時、二人は電車を降りた。降りて始めて自分は和歌山へ
「あらあなたまだ和歌山を知らないの。それでいて妾を連れて来るなんて、ずいぶん呑気ね
を反覆説明して、聞かせた上、是非今夜だけは和歌山へ泊れと忠告した。彼女の顔はむしろわれわれ二人の利害を標的に
望んでいた。自分は平生から(ことに二人でこの和歌山に来てから)体力や筋力において遥に優勢な位地に立ちつつ
自分は和歌山の宿の名を挙げて答えた。
自分達は是非共翌日の朝の汽車で和歌山から大阪へ向けて立たなければならなかった。自分は母の命令で岡田
自分は兄夫婦の仲がどうなる事かと思って和歌山から帰って来た。自分の予想ははたして外れなかった。自分は自然の
ほど、兄の頭が気にかかって来た。兄は和歌山行の汽車の中で、その女はたしかに三沢を思っているに違
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Hさんは庭の方を見ていた。その隅に秋田から家主が持って来て植えたという大きな蕗が五六本あった。
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お兼さんと話しているうちに、これなら岡田がわざわざ東京まで出て来て連れて行ってもしかるべきだという気になった
た。まばらに建てられた家屋や、それを取り巻く垣根が東京の山の手を通り越した郊外を思い出させた。自分は突然大阪で会合しようと
「君東京にいた時よりよほど快豁になったようですね。血色も大変好い
自分は東京を立つとき、母から、貞には無論異存これなくという返事を岡田
「佐野さん、あなたの写真の評判が東京で大変なんですって」
な顔をして、「どうも写真は大阪の方が東京より発達しているようですね」と云った。すると岡田が「浄瑠璃
の眼を射るように思われたり、家並が締りのない東京より整って好ましいように見えたり、河が幾筋もあってその河には
歩いた。すると町幅の狭いせいか、人間の運動が東京よりも溌溂と自分の眼を射るように思われたり、家並が締りの
も行かなかった。自分はこの二三日の間に、とうとう東京の母へ向けて佐野と会見を結了した旨の報告を書いた。
や様子がそう思わせるので、性質からいうと普通の東京ものよりずっと地味であった。外へ出る夫の懐中にすら、ある程度
旨を話して、「あまり動くと悪いそうだから寝台で東京まで直行する事にした」と告げた。自分はその突然なのに
「ここの払と東京へ帰る旅費ぐらいはどうかこうか持っているんだ。それだけなら何
の感があるんだからな。あの女は今夜僕の東京へ帰る事を知って、笑いながら御機嫌ようと云った。僕はその淋しい
自分が東京を立つ前に、母の持っていた、ある場末の地面が、新た
それ次第でプログラムの作り方もまたあるんですから。こっちは東京と違ってね、少し市を離れるといくらでも見物する所があるん
、「久しぶりに会うと、すぐこれだから敵わない。全く東京ものは口が悪い」と云った。
「それでもよく東京の言葉だけは忘れずにいるじゃありませんか」と兄がその後に
で二三日市外で二三日しめて一週間足らずで東京へ帰る予定で出て来たらしかった。
案内ばかりして歩けるほどの余裕は無論なかった。母も東京の宅の事が気にかかるように見えた。自分に云わせると、
ないというようにも取れた。結婚は年の暮に佐野が東京へ出て来る機会を待って、式を挙げるように相談が調った。
て行きたかった。もっとも彼に話をしさえすれば、東京へ帰ってからでも構わないとは思ったけれども、ああいう人の
射返した。木蔭から出たり隠れたりする屋根瓦の積み方も東京地方のものには珍らしかった。
の開いた広い座敷だったが、普請は気の利いた東京の下宿屋ぐらいなもので、品位からいうと大阪の旅館とはてんで比べ物に
でいたんですから、それだけなら受合いましょう。もうじき東京へ帰るでしょうから」
自分はなぜかそれが厭だった。東京へ帰ってゆっくり折を見ての事にしたいと思ったが、片方
「東京辺の安料理屋よりかえって好いくらいですね」と自分は柱の木口や床
鏡台に向いつつ何かやっていた。自分は仕方なしに東京の番地と嫂の名を書いて、わざと傍に一郎妻と認めた。
御免。海も御免。慾も得も要らないから、早く東京へ帰りたいよ」
が乗らず、大阪で中継をする時間さえ惜んで、すぐ東京まで寝台で通そうと云うのが母と兄の主張であった。
自分達はその明くる宵の急行で東京へ帰る事にきめていた。実はまだ大阪を中心として、
「まあ東京へ帰るまで待って下さい。東京へ帰るたって、あすの晩の急行だから、もう直です。その上で
「まあ東京へ帰るまで待って下さい。東京へ帰るたって、あすの晩の急行だから
「詳い事は追って東京で聞くとして、ただ一言だけ要領を聞いておこうか」
「実はお前にも話したい事があるんだが。東京へでも帰ったらいずれまたゆっくりね」
自分達はかくして東京へ帰ったのである。
繰返していうが、我々はこうして東京へ帰ったのである。
東京の宅は平生の通り別にこれと云って変った様子もなかった。
説明する必要がなくなったような気がした。母が東京へ帰ってからゆっくり話そうと云ったむずかしそうな事件も母の口から容易
東京へ帰ってから自分はこんな光景をしばしば目撃した。父もそこには
が偶然運命の手引で不意に会った。会ったのは東京の真中であった。しかも有楽座で名人会とか美音会とかの
吸いたい。しかし新しい空気を吸わしてくれる所は、この広い東京に一カ所もない」
に不平な顔もせず佐野といっしょに雨の汽車で東京を離れてしまった。彼女の腹の中も日常彼女の繰り返しつつ慣れ抜い
安価に彩られていた。自分は職業柄、さも仰山らしく東京の真中に立っているこの粗末な建築を、情ない眼つきで見た。
Hさんと兄がいっしょの汽車で東京を去ったのは、自分が三沢の所へ出かけてから、一週間と
もっている小さい別荘です。所有主は八月にならないと東京を離れる事がむずかしいので、その前ならいつでも君方に用立てて
実ははなはだ見苦しい手狭なもので、構えからいうと、ちょうど東京の場末にある四五十円の安官吏の住居です。しかし田舎だけに邸内の
と云ったところで作物の批評などではありません。東京を立つ前に、取りつけの外国雑誌の封を切って、ちょっと眼を通し
客を我慢しなければならなくなりました。この客は東京のものか横浜のものか解りませんが、何でも言葉の使いよう
至るまでの兄さんを、これでできるだけ委しく書いたつもりです。東京を立ったのはつい昨日のようですが、指を折るともう十日
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。所にも似ず無風流な装置には違ないが、浅草にもまだない新しさが、昨日から自分の注意を惹いていた。
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の教育こそ施してないようだったけれども、何でも銀座辺のある商会へ這入って独立し得るだけの収入を得ているらしかった
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自分は下宿へ移ってからも有楽町の事務所へ例の通り毎日通っていた。自分をそこへ周旋して
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、氷を裂くような汽車の中から身を顫わして新橋の停車場に下りた。彼は迎えに出た自分の顔を見て、
「いいえやっぱり新橋から……」
する事に相談をきめていました。ところがその朝新橋へ駆けつける俥の上で、ふと私の考えが変りました。いかに平凡な
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なかった。自分は父と共に下宿の門を出て上野へ向う途々も、今に彼の口から何か本当の用事が出るに
その日自分は父に伴れられて上野の表慶館を見た。今まで彼に随いてそういう所へ行った事
ところが今日はあいにく一郎が留守だがね。御父さんが上野の披露会の事を忘れていたのが悪かったけれども」
を聞いた。自分は彼がその招待に応じたか、上野へ出かけたか、はたして留守であるかさえ知らなかった。自分は自分の
を出る時はかれこれ五時に近かったが、兄はまだ上野から帰らなかった。父は久しぶりだから飯でも食って彼に会って
四月はいつの間にか過ぎた。花は上野から向島、それから荒川という順序で、だんだん咲いていってだんだん散って
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四月はいつの間にか過ぎた。花は上野から向島、それから荒川という順序で、だんだん咲いていってだんだん散ってしまった
四月はいつの間にか過ぎた。花は上野から向島、それから荒川という順序で、だんだん咲いていってだんだん散ってしまった。
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吃驚したわ、誰かと思ったら、二郎さん。今京橋から御帰り?」