それから / 夏目漱石

それからのword cloud

地名一覧

小石川

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それから以後はなるべく小石川の方面へ立ち回らない事にして今夜に至ったのである。代助は竹早町

て、門野が代助から出した手紙の返事を聞きにわざわざ小石川まで遣って来た。

所に映っていた。代助は深い溜息を洩らして遂に小石川を南側へ降りた。

等覚寺

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の十八の秋であった。ある時二人は城下外の等覚寺という寺へ親の使に行った。これは藩主の菩提寺で、そこに

四条

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を着て、傘に雪を除けながら、足駄がけで、四条から三条へ帰った事がある。その時旅宿の二丁程手前で、突然

但馬

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翌日代助は但馬にいる友人から長い手紙を受取った。この友人は学校を卒業すると、すぐ

マニラ

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二人も卓を共にした。誠太郎に兄の部屋からマニラを一本取って来さして、それを吹かしながら、雑談をした。やがて

本郷

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本郷の通りまで来たが倦怠の感は依然として故の通りである。

始めた。――大抵は伝通院前から電車へ乗って本郷まで買物に出るんだが、人に聞いてみると、本郷の方は神楽坂

まで買物に出るんだが、人に聞いてみると、本郷の方は神楽坂に比べて、どうしても一割か二割物が高い

「だから、本郷からわざわざ遣って来たんだ。なに、金は借りなくても好い。―

出先も尋ねずに、すぐ引返して、電車へ乗って、本郷まで来て、本郷から又神田へ乗り換えて、そこで降りて、あるビヤー、

、すぐ引返して、電車へ乗って、本郷まで来て、本郷から又神田へ乗り換えて、そこで降りて、あるビヤー、ホールへ這入って、

。万一見失いでもしようものなら非常な事件になる。今本郷に現われた、今神田へ来たと、それからそれへと電話が掛って

食事を終るや否や、本郷から寺尾が来た。代助は門野の顔を見て暫らく考えていた。

北海道

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ざるある事情の為に余儀なくされて、これもまた北海道へ行ってしまった。三千代は何方かと云えば、今心細い境遇に居る。

の変化から起るのだろうと察した。そこである人が北海道から採って来たと云ってくれた鈴蘭の束を解いて、それを悉く

持って来た。書状は薄青い状袋へ這入っていた。北海道にいる父から三千代へ宛たものであった。三千代は状袋の中から

全く遣り損なってから、潔よく祖先の地を売り払って、北海道へ渡ったのである。その後の消息は、代助も今この手紙を見せられる

四谷

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宜しく」と頼んで外へ出た。角へ来て、四谷から歩く積りで、わざと、塩町行の電車に乗った。練兵場の横を

三条

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て、傘に雪を除けながら、足駄がけで、四条から三条へ帰った事がある。その時旅宿の二丁程手前で、突然後から

番町

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出したので、堀を横切って、招魂社の横から番町へ出た。そこをぐるぐる回って歩いているうちに、かく目的なしに歩い

こんな事をしているかと考え出す事がある。彼が番町を散歩しながら、何故散歩しつつあるかと疑ったのは正にこれである

伝通院

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に精神の困憊を感じていなかった。坂を上って伝通院の横へ出ると、細く高い烟突が、寺と寺の間から、汚ない

丸の内

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来て、其所から大根河岸を回って、鍛冶橋を丸の内へ志した。当もなく西の方へ歩きながら、これも簡便な旅行と

東京市

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神田へ来たと、それからそれへと電話が掛って東京市中大騒ぎである。新宿警察署では秋水一人の為に月々百円使っている

青山

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て帰った夜は、大分更けていた。彼は辛うじて青山の通りで、最後の電車を捕まえた位である。それにも拘わらず彼

の状態で宙に運んで行く有様が愉快であった。青山の家へ着く時分には、起きた頃とは違って、気色が余程晴々

「青山から御兄いさんが御見えになりました」と云った。代助は今直

「六時に立てる位な早起の男なら、今時分わざわざ青山から遣って来やしない」と云った。改めて用事を聞いてみると、

代助が青山に着いた時は、十一時五分前であったが、御客はまだ来

は、それぎり離れ離れになった。梅子は代助を誘って青山へ連れて行こうとしたが、代助は頭を抑えて応じなかった。

まだ何とも催促されないが、この二三日は又青山へ呼び出されそうな気がしてならなかった。代助は固より呼び出されるまで何

青山へ来て見ると、玄関に車が二台程あった。供待の車夫は

引き掛けて表へ出た。降る中を神楽坂下まで来て青山の宅へ電話を掛けた。明日此方から行く積りであるからと、機先を

に安からずなった。仕舞に思い切って、自分の方から青山へ出掛けて行った。兄は例の如く留守であった。嫂は代助を

「青山の御宅からですか」と叮嚀に眺めていたが、別に云う事

青山の宅からは何の消息もなかった。代助は固よりそれを予期してい

からは何の便もなかった。その中例月の通り、青山へ金を貰いに行くべき日が来た。代助の懐中は甚だ手薄になっ

牛込

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車に乗ってすぐ牛込へ帰って、それなり書斎へ這入って、仰向に倒れた。門野は一寸

横浜

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れたり、倶楽部に行ったり、新橋に人を送ったり、横浜に人を迎えたり、大磯へ御機嫌伺いに行ったり、朝から晩まで多勢の

。その外、向う島の花はもう駄目になった、横浜にある外国船の船底に大蛇が飼ってあった、誰が鉄道で轢かれ

に、作り上げられたとは肯わなかった。明治の初年に横浜へ移住奨励のため、政府が移住者に土地を与えた事がある。その時

谷中

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菅沼の家は谷中の清水町で、庭のない代りに、縁側へ出ると、上野の森の古い

神楽坂

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神楽坂へかかると、寂りとした路が左右の二階家に挟まれて

なに帰ってしまったと云う訳でもないんです。一寸神楽坂に買物があるから、それを済まして又来るからって、云われるもんですから

んだが、人に聞いてみると、本郷の方は神楽坂に比べて、どうしても一割か二割物が高いと云うので

、又アンニュイに襲われたと悟って、帰りだした。神楽坂へかかると、ある商店で大きな蓄音器を吹かしていた。その音が甚しく金属性

、護謨の合羽を引き掛けて表へ出た。降る中を神楽坂下まで来て青山の宅へ電話を掛けた。明日此方から行く積りである

晩には門野を連れて、神楽坂の縁日へ出掛けて、秋草を二鉢三鉢買って来て、露の下りる

この前暑い盛りに、神楽坂へ買物に出た序に、代助の所へ寄った明日の朝、三千代は

赤坂

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彼はその晩を赤坂のある待合で暮らした。其所で面白い話を聞いた。ある若くて美

青山の墓地

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である。子供の時、親爺の使嗾で、夜中にわざわざ青山の墓地まで出掛けた事がある。気味のわるいのを我慢して一時間も居

京都

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この手紙が着いたら来てくれろと書いて、あとには京都の花がまだ早かったの、急行列車が一杯で窮屈だったなどという閑

た。この養子に子供が二人あって、男の方は京都へ出て同志社へ這入た。其所を卒業してから、長らく亜米利加に

三年の後兄は京都で浪士に殺された。四年目に天下が明治となった。又

伯父が京都で殺された時は、頭巾を着た人間にどやどやと、旅宿へ踏み込ま

一つ出ていて、中に置いた湯呑には、京都の浅井黙語の模様画が染め付けてあった。からんとした広い座敷

友人は国へ帰ってから、約一年ばかりして、京都在のある財産家から嫁を貰った。それは無論親の云い付であっ

令嬢は京都で教育を受けた。音楽は、始めは琴を習ったが、後に

それもそうだと云った。梅子は令嬢の教育地が京都だから、ああなんじゃないかと推察した。兄は東京だって

神戸

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てから、長らく亜米利加に居ったそうだが、今では神戸で実業に従事して、相当の資産家になっている。女の方は

愚弟だと紹介した。それから代助には、これが神戸の高木さんだと云って引合した。金縁の紳士は、若い女を

の圏外に出た。誠吾は、何の苦もなく、神戸の宿屋から、楠公神社やら、手当り次第に話題を開拓して行った。

「どうですこの汽車で、神戸まで遊びに行きませんか」と勧めた。代助はただ難有うと

岐阜

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勿体ない位な容色だが、何処で買ったものか、岐阜出来の絵日傘を得意に差していた。

広島

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た逸話を代助に吹聴した。その時、大倉組は広島で、軍隊用の食料品として、何百頭かの牛を陸軍に納める

神保町

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、と薄墨の走り書の簡単極るもので、表に裏神保町の宿屋の名と平岡常次郎という差出人の姓名が、表と同じ乱暴さ

なっているか、代助は殆んど知らない。代助の方から神保町の宿を訪ねた事が二返あるが、一度は留守であった。

東京

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端書と郵便を持って来た。端書は、今日二時東京着、ただちに表面へ投宿、取敢えず御報、明日午前会いたし、と薄墨

高木はもう死んで、養子の代になっていた。東京へ出て仕官の方法でも講じたらと思って色々勧めてみたが

。又五六年してから、誠之進は両親を国元から東京へ呼び寄せた。そうして妻を迎えて、得という一字名に

は椅子に腰を掛けたまま、新らしく二度の世帯を東京に持つ、夫婦の未来を考えた。平岡は三年前新橋で分れた

三千代は東京を出て一年目に産をした。生れた子供はじき死んだ

その用事の何であるかを悟った。実は平岡が東京へ着いた時から、いつかこの問題に出逢う事だろうと思って、半

一口を是非片付けなくてはならないのだそうである。東京へ着いたら一週間うちに、どうでもすると云う堅い約束をして

が、此方の方をどうかしないと困るのよ。東京で運動する方に響いて来るんだから」

にも同じ様な窮屈な家が建てられていた。東京市の貧弱なる膨脹に付け込んで、最低度の資本家が、なけなしの元手を

今日の東京市、ことに場末の東京市には、至る所にこの種の家が散点している、のみならず

今日の東京市、ことに場末の東京市には、至る所にこの種の家が散点

思えば、株でも遣るより外に仕様がなかろう。この頃東京に出来る立派な家はみんな株屋が拵えるんだって云うじゃないか」

悪い事実を、双方共に腹の中で心得ている。東京へ着いた翌日、三年振りで邂逅した二人は、その時既に、

この菅沼は東京近県のもので、学生になった二年目の春、修業の為と

云えば、今心細い境遇に居る。どうかして、この東京に落付いていられる様にして遣りたい気がする。代助はもう

結婚して間もなく二人は東京を去った。国に居た父は思わざるある事情の為に余儀なく

もし厳重に、それからそれへと、手を延ばしたら、東京は一時殆んど無警察の有様に陥るかも知れないそうである。代助は

一年ばかりの間は、もう一返親父を説き付けて、東京へ出る出ると云って、うるさい程手紙を寄こしたが、この頃は漸く断念

学校を卒業すると、すぐ国へ帰ったぎり、今日までついぞ東京へ出た事のない男であった。当人は無論山の中で暮す

は父の別荘に行く積りであった。然し、これは東京から襲われる点に於て、牛込に居ると大した変りはないと思った

行った。立つ前にもう一遍様子を見て、それから東京を出ようと云う気が起った。グラッドストーンは今夜中に始末を付けて、

から、ああなんじゃないかと推察した。兄は東京だって、御前みた様なのばかりはいないと云った。この時

と変っているのは明かであった。代助は夫婦が東京へ帰った当時既にそれを見抜いた。それから以後改まって両人の腹の

活計にくい事や、親類も縁者もなくて心細い事や、東京の方へ出たいが都合はつくまいかと云う事や、――凡て

神田へ来たと、それからそれへと電話が掛って東京市中大騒ぎである。新宿警察署では秋水一人の為に月々百円使っ

「君が東京へ来たてに、僕は君から説法されたね。何か遣れって

「だって、東京へ来立だったんですもの。じき已めてしまったわ」

代助は一段声を潜めた。そうして、平岡夫婦が東京へ来てから以来、自分と三千代との関係がどんな変化を受けて、

新橋

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詰になった。代助は、出立の当時、新夫婦を新橋の停車場に送って、愉快そうに、直帰って来給えと平岡の手を

に持つ、夫婦の未来を考えた。平岡は三年前新橋で分れた時とは、もう大分変っている。彼の経歴は処世の

翌日朝早く門野は荷車を三台雇って、新橋の停車場まで平岡の荷物を受取りに行った。実は疾うから着いてい

に出たり、午餐に呼ばれたり、倶楽部に行ったり、新橋に人を送ったり、横浜に人を迎えたり、大磯へ御機嫌伺いに行っ

来た。朗かに風の往来を渡る午後であった。新橋の勧工場を一回して、広い通りをぶらぶらと京橋の方へ下った。

てから、代助は又父の命令で、高木の出立を新橋まで見送った。その日は眠い所を無理に早く起されて、寐足ら

上野

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が、暗い中を真直に渡っている上を、たった一人上野の森まで来て、そうして電燈に照らされた花の中に這入っ

の清水町で、庭のない代りに、縁側へ出ると、上野の森の古い杉が高く見えた。それがまた、錆た鉄の様

はただ御辞儀をしただけで引込んでしまった。代助は上野の森を評して帰って来た。二返行っても、三返行っ

「二人で、夜上野を抜けて谷中へ下りる時だった。雨上りで谷中の下は道が悪かっ

神田

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神田へ来たが、平岡の旅宿へ寄る気はしなかった。けれども二人

て、電車へ乗って、本郷まで来て、本郷から又神田へ乗り換えて、そこで降りて、あるビヤー、ホールへ這入って、麦酒を

ものなら非常な事件になる。今本郷に現われた、今神田へ来たと、それからそれへと電話が掛って東京市中大騒ぎで

はわざと新聞社宛でそれを出したからである。帰りに神田へ廻って、買いつけの古本屋に、売払いたい不用の書物があるから、見

御茶の水

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と云う気を起した。神楽坂から外濠線へ乗って、御茶の水まで来るうちに気が変って、森川町にいる寺尾という同窓の友達

浅草

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玉乗りの稽古をしたがっているが、それは、全くこの間浅草の奥山へ一所に連れて行った結果である。あの一図な所は

銀座

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に若くはないと極めた。代助は電車に乗って、銀座まで来た。朗かに風の往来を渡る午後であった。新橋の勧工場

しかめて店を出た。紙包を腋の下に抱えたまま、銀座の外れまで遣って来て、其所から大根河岸を回って、鍛冶橋

新宿

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からそれへと電話が掛って東京市中大騒ぎである。新宿警察署では秋水一人の為に月々百円使っている。同じ仲間の飴屋

飯田橋

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帰りには、暑さが余り酷かったので、電車で飯田橋へ回って、それから揚場を筋違に毘沙門前へ出た。

飯田橋へ来て電車に乗った。電車は真直に走り出した。代助は車

京橋

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た。新橋の勧工場を一回して、広い通りをぶらぶらと京橋の方へ下った。その時代助の眼には、向う側の家が、