安吾の新日本地理 03 伊達政宗の城へ乗込む――仙台の巻―― / 坂口安吾
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捕鯨といえば南氷洋、プロ野球でオナジミの大洋漁業とか日本水産というところが大いに活躍している程度のことしか知らなかった。
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ひかえて、塩竈、石巻という二ツの市、気仙沼、女川、渡波などという漁港がある。ほかに、金華山にちかく、牡鹿半島の
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は早朝に魚市場へ散歩に行くのが習慣だったから、伊東の水揚げはずいぶん見たが、とても三陸の漁港とでは問題にならない。
たが、とても三陸の漁港とでは問題にならない。伊東の何倍もある大きな市場に忽ち魚の山ができて、とても、このへん
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漁場であるから、東海の漁船も、紀州の漁船も、四国の漁船も集ってくる。塩竈へ入港して魚を水揚げする漁船の七割
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で、彼自身の、独創というものはあまりないが、大阪の地に立って四方を見ると、ここに居城を選んだ彼の識見の
。ビワ湖に面した安土城(信長晩年の設計)と大阪の地とでは、雲泥の差があるね。安土の地はなお戦国的
ね。安土の地はなお戦国的な要点であるが、大阪は近代の首府に通じる要点だ。
、この魚は塩竈を素通りして、すぐ汽車で東京へ大阪へと運び去られる。水揚げの量は多くても、この市で加工されない
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、ここは同時に伊豆では屈指の漁港、焼津だの三崎についで相当の人口をもつ漁師街がある。私は去年は早朝に魚市場
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バスが一日にたッた一ッペン通るだけですよ。だから牡鹿半島の子供は、自動車というものになれていませんね。私たちのタクシーが
同じように東北の人だろうけれども、なんとなく違う。牡鹿半島のドン底まで来て、私たちはむしろ都会を見たのであった。
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だのというものにはなれないと悟ったらしい。せめて平泉の藤原氏のように奥州だけでも征服してその親分に、ただし平泉の
のように奥州だけでも征服してその親分に、ただし平泉のように身を亡さずに子孫代々そうありたい、というような心得に
に瑞巌寺をたて自分の廟所に予定したのも、平泉的でもあるし、信長の総見寺という御手本もある。しかし、瑞巌
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現在伊東市という温泉都市に住んでいるが、ここは同時に伊豆では屈指の漁港、焼津だの三崎についで相当の人口をもつ漁師街
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れている。秀吉が小田原の北条氏を攻めたとき、石垣山の頂上へ家康を案内して眼下に霞む関東平野を指し、
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と大阪の地とでは、雲泥の差があるね。安土の地はなお戦国的な要点であるが、大阪は近代の首府に通じる要点
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ある。ほかに、金華山にちかく、牡鹿半島の尖端に鮎川という鯨専門の漁港がある。
浜、大原、白浜と南下して、ついに南端の町、鮎川に至るまで、ちょうど伊豆半島を南下すると同じように、行くにしたがって明るく
私が牡鹿半島を南下したのは、鮎川という南端の漁港へ行くためだ。鮎川といったって鮎がとれるわけでは
たのは、鮎川という南端の漁港へ行くためだ。鮎川といったって鮎がとれるわけではありません。ここは鯨とりが専門の港
鯨というあたりが美味の由。私が捕鯨の町、鮎川へ行ってきます、というと、仙台の人たちは、クジラのサシミは
とは、とバカバカしくて仕方がなかったのだが、さて鮎川でクジラの肉を食ってみると、決してクサイ物ではない。
鮎川の町を案内してくれたのは、鮎川町の警察署長さん。ここまでくる
我々は、そのシーズンでもないのに、たった二時間ほど鮎川の地にいただけで、一頭のクジラの水揚げにぶつかったのである
も、塩竈や石巻やその他の漁町村とちがって、鮎川は湾全体が整然として、湾をとりまく工場や民家も、けっして特別に
クジラ専門の鮎川には、近代的な大会社の資本がはいって漁法にも運営にも計画さ
。東北は精神的に一つの鎖国状態なんだね。鮎川へきてホッとするのは、その鎖国に、ここだけは通風孔があいてる
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気仙沼、女川、渡波などという漁港がある。ほかに、金華山にちかく、牡鹿半島の尖端に鮎川という鯨専門の漁港がある。
石巻、牡鹿半島、金華山。いかにも北の国に来たれりという思いですね。ところが、妙な
ありません。ここは鯨とりが専門の港なのです。金華山といえば鯨と思いつくのは常識ですが、その金華山沖の鯨を一手
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が、襖絵なんかは悲しいね。秀吉の遺した桃山芸術、智積院の襖絵だの三十三間堂の太閤塀などという豪放ケンランたるものの片鱗すらも見
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ようなケンラン豪快なものは、ここには見られない。中尊寺や失われた毛越寺の一流品的な性格も意図も見ることができない
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火事ドロ根性を忘れなかった。彼と好一対をなすのは九州福岡の黒田如水で、西と東でドサクサ狙いのいずれ劣らぬ田舎豪傑。夙に
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「イヤイヤ。背後に箱根の天嶮をひかえた小田原は戦争向きかも知れないが、すでに時世の城で
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仙台市の物産は仙台ミソと仙台平であるが、現在の生産高は微々たるもの
ものらしい。三十五六万も人口があり、おまけに仙台市に住みきれない勤め人などが周辺の町村に七八万もいるという人口をもち
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ね。秀吉の遺した桃山芸術、智積院の襖絵だの三十三間堂の太閤塀などという豪放ケンランたるものの片鱗すらも見られない。今は
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はある。政宗が仙台を開府したのは、大坂や江戸の開府よりも後のことだ。だが、大坂や江戸にくらべて、地点
江戸の開府よりも後のことだ。だが、大坂や江戸にくらべて、地点の選び方が田舎豪傑式であり、近代性が低いので
江戸の選定も家康の智恵ではなくて秀吉のすすめであったと云われて
が、すでに時世の城ではござらんな。二十里東方に江戸という太田道灌築城の地がござる。入海に面し、広大な沃野の中央に
生産地をもち、水陸の交通輸送の便に恵まれている江戸の地ほど、新時代の城下に適したものはござらん。ぜひここを居城
感動するから容態がそのために悪化したという。そして江戸で死んだのである。日本征服どころの話ではないのだ。青葉山
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も「ああ松島や松島や」ではありませんや。東海道の海では大謀網というものを仕掛けて魚をとるが、松島の海で
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、その金華山沖の鯨を一手に捕っているのが鮎川町です。皆さんは御存じかも知れませんが、私はこの地へくるまで
鮎川の町を案内してくれたのは、鮎川町の警察署長さん。ここまでくると、署長さんもノンキだね。バスが一日
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ひッこんで出てこなかったということだ。しかし仙台藩では長く芭蕉の功を忘れず、無人の芭蕉邸が火で焼けると藩
仙台藩の城下から追放した遊女屋はこの神様の真下、表参道の鳥居両側にズラリ
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していたのだ。ところがこのテッペンの本丸跡に護国神社が出来ていたね。参拝の子供たちがさぞ悩まされたことだろうよ。軍人だ
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で中へはいって行きたいような気持にさせられる。横浜や神戸の洋物の骨董屋の店内へ、むろん店内へははいらないけど、並べて
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は山と平野の接点だ。眼下に平野を見下して、青葉山は天嶮だが、天嶮すぎらア。前面には広瀬川が城の三方を
て流れ、後は渓谷をへだてて嶮しい山つづきである。青葉山そのものは河床からまッすぐそびえたつ岩山で、石垣でくみたてる必要がない。テッペン
て、もはや天下に戦争なしという時世の到来である。青葉山のテッペンに天守閣を築かず、スキヤ造りの家を造って本丸にかえたり、石垣
のである。日本征服どころの話ではないのだ。青葉山築城以来その死に至るまで、一貫して必死に計っているのは伊達家
青葉山を降りてくるとき、お喋りしながら登ってくる十名ばかりの女学生とすれちがった
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た。信長の威風や逸話は事ごとに馬よりも速く奥州の山奥まで届いていたのだろう。彼の戦争ぶりやコンタンを見ると、
なれないと悟ったらしい。せめて平泉の藤原氏のように奥州だけでも征服してその親分に、ただし平泉のように身を亡さずに
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から、イワシがとれないと市全体が参るのだね。銚子もそうらしい。
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というような心得になったようだ。彼が生前に松島に瑞巌寺をたて自分の廟所に予定したのも、平泉的でもある
はいれない。塩竈は天然の良港で、前面には一群の松島が天然の防波堤の役を果しているし、水深も深く、目下一万トンの
松島の方は、昔ながらの名所だから却って人は低く評価しがちだが、
な観賞精神は現代に於ては稀薄だね。塩竈では松島の一ツの馬放島というところで海水浴場をひらいたら、大評判、大好評
塩竈は松島遊覧の出発点だ。あいにく冬期は観光船が欠航中であったが、一艘
を通らずに、馬放島の外側を通る。なるほど外海の松島は相当豪快だ。しかしいつまでたっても似たような島々を眺めて通る
海では大謀網というものを仕掛けて魚をとるが、松島の海では、それに似てはいるが、もっと手のこんだ八幡のヤブ
であった。所変れば品変るであるが、いかにも松島という大奥の局や女中のピクニックむきの風光に似合いの漁法であった。
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したが、全然ダメだ。当時(一六一六年)はすでに大坂城落城、とっくに秀頼は死んでましたよ。それも支倉は知らなかったか
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政宗も実は石巻の日和山に築城したかったのだという話がある。なるほど、ここは仙台
て北上川の河口を石巻にうつしたところを見ると、石巻を物産と運輸の要点と見ていたことは頷けるのである。政宗も
この県には三陸の漁場をひかえて、塩竈、石巻という二ツの市、気仙沼、女川、渡波などという漁港がある。ほか
石巻は北上川の河口が港だから、せいぜい五百トンぐらい。大きな船ははいれない
けれども、水揚げする魚の量は、魚だけが専門の石巻よりも多いのである。つまり塩竈港はそれほど大きな港なのである。
それでいて魚だけで持っている石巻の方が人口が一万ほど多く五万五千ぐらい、塩竈が四万五千ぐらいだそうだ。この
これに反して石巻へ入港するのは大部分が石巻の漁船だから、揚った魚はそッくり
石巻、牡鹿半島、金華山。いかにも北の国に来たれりという思いですね
ね。北は北なりに、南国があるのですよ。石巻から出発して渡波港、ここが牡鹿半島の南側のノドクビに当るところだ。
板をクギでうちつけてあるという古世代的な怪物。石巻のタクシーはこの二台しかないのである。往復に前後八時間ちかく自動車に
同じ三陸の漁場でも、塩竈や石巻やその他の漁町村とちがって、鮎川は湾全体が整然として、
石巻ときたら、港から町の中心まで、船員相手のキャバレーだのパンパン屋だ
いうのもある。私の泊った宿屋では、しきりに石巻の芸者をよぶことをすすめたが、冗談じゃない。そんな芸者は見なくッて
東北でも半島の先端にとりのこされた漁港でありながら、石巻のように悲しくみじめな暗さが少いのは、漁港全体の運営に近代性
東京の風が、日本の風が吹いている。仙台や石巻には、東京の風も日本の風も仙台的にゆがんで黒ずんで吹いてる
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伊達政宗の城へ乗込む――仙台の巻――
仙台は伊達政宗のひらいた城下町。その時までは原野であったそうだ。
には恵まれないが、陸路の要地ではある。政宗が仙台を開府したのは、大坂や江戸の開府よりも後のことだ。
まだ田舎豪傑の域をでず、精一パイ勘考して、仙台青葉山を選んだんじゃないかね。時まさに関ヶ原の年であり、
東北の中心地が石巻だと思いついたかも知れないが、仙台築城当時(一六〇〇年)はまだ田舎豪傑の域をでず、精一パイ勘考
一候補を許可されたので、志とちがって、仙台を城下にせざるを得なかったという説がある。真偽は当てに
第一候補地を否決するだろうと思い、第二候補の仙台青葉山を第一候補にあげて築城を願いでたら、意外にもアッサリと
したかったのだという話がある。なるほど、ここは仙台よりも水陸輸送の便があり、みのり豊かな北上平野を背後にひかえて
としては、それ相応の条件がそろっているね。仙台は山と平野の接点だ。眼下に平野を見下して、青葉山は天嶮だ
頃から仙台にはやって残った名物だそうだ。しかし、仙台生れの唄ではないようだ。まったく上方調である。上方の方へ
「さんさしぐれ」という唄が天正頃から仙台にはやって残った名物だそうだ。しかし、仙台生れの唄ではない
。私はそこへ案内された。なぜなら、そこに仙台一の「さんさしぐれ」の唄い手がいるからである。
の遊女高尾事件を起して隠居謹慎し、その時以来、仙台から遊女屋を追放して塩竈へうつしたのだそうだ。ムダなことを
新潟で地域的には東北と通じないこともないから、仙台弁をきいても、だいたい判断できるだろうと思って旅立ったのである。
で階下の帳場へ呼びかけて話をしている。これが仙台弁のききはじめだったが、全然わからないね。私も言葉が商売の
いる唄い手だそうだ。座敷を一足でると、はりさけるような仙台弁で階下の帳場へ呼びかけて話をしている。これが仙台弁の
さしぐれ」を彼女も一生唄い通しているのである。仙台へ遊ぶ人は五軒茶屋でミッちゃんのすさまじい気魄のこもッた唄いッぷり
私が仙台で一番印象に残ったのは、この、「さんさしぐれ」の唄い手の
ひッこんで出てこなかったということだ。しかし仙台藩では長く芭蕉の功を忘れず、無人の芭蕉邸が火で焼ける
仙台は奥の細道の地であるから、仙台の目貫きの通りの芭蕉の辻というのはそのインネンの地かと
仙台は奥の細道の地であるから、仙台の目貫きの通りの芭蕉の
仙台市の物産は仙台ミソと仙台平であるが、現在の生産高は微々たるものらしい。三十五六
仙台市の物産は仙台ミソと仙台平であるが、現在の生産高は微々たるものらしい。三
で汚いけれども、相当な明るい街に復興しつつある。仙台には火事が多く、強風の吹く季節の風の方向も一定してい
戦火でやける前の仙台の街は知らないが、戦後の仙台は新しい大通りを新設し、現在は工事中で汚いけれども、相当な明るい街
戦火でやける前の仙台の街は知らないが、戦後の仙台は新しい大通りを新設し、現在は
とにかく仙台が強風季節の火事にこりて、大通りを新設したのは利巧なこと
の鳥居両側にズラリとあるのだが、高尾を斬った仙台の殿様の虚無的な皮肉なのだか、敬神の思想によるのか、
仙台藩の城下から追放した遊女屋はこの神様の真下、表参道の鳥居両側
一ツの石でできたようなところだそうだね。仙台から塩竈、石の巻、塩竈神社の例の石段でも、石の巻
捕鯨の町、鮎川へ行ってきます、というと、仙台の人たちは、クジラのサシミはうまいですよ、という。バカにし
私たちは大洋漁業へ行った。仙台からここまで、行く先々、会社も人間も、東北の人々と、東北の
。仙台や石巻には、東京の風も日本の風も仙台的にゆがんで黒ずんで吹いてるだけさ。政宗という田舎豪傑の目の
素直に東京の風が、日本の風が吹いている。仙台や石巻には、東京の風も日本の風も仙台的にゆがんで黒ずん
運営に近代性があるせいだろうね。鮎川の明るさは仙台に比較しても云えることだ。東北は精神的に一つの鎖国状態な
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ドロ根性を忘れなかった。彼と好一対をなすのは九州福岡の黒田如水で、西と東でドサクサ狙いのいずれ劣らぬ田舎豪傑。夙に
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たということは、要するに、貿易をはじめたらここを長崎式の指定港にするツモリだったのだろうね。ヘンピな半島を選んだ
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私も言葉が商売の文士であるし、生れは雪国の新潟で地域的には東北と通じないこともないから、仙台弁をきいて
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それを食いながら、そのとき、すぐ思った。私がむかし京都伏見の天下に稀れな安食堂の二階に下宿してゴロゴロしてい
は同じものさ。アメリカ人がよろこぶわけだよ。拙者なぞは京都にゴロゴロしていた一年半というもの、ひでえ貧乏ぐらしだと思っ
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へはいって行きたいような気持にさせられる。横浜や神戸の洋物の骨董屋の店内へ、むろん店内へははいらないけど、並べておき
道路にも石という石がみんな牡鹿半島の石さ。神戸のミカゲへ行くと、塀といわず道といわず石という石が
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三代目の綱宗が例の吉原の遊女高尾事件を起して隠居謹慎し、その時以来、仙台から遊女屋を追放して
の真下、表参道の鳥居両側にズラリとあるのだが、高尾を斬った仙台の殿様の虚無的な皮肉なのだか、敬神の思想に
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したがって、この魚は塩竈を素通りして、すぐ汽車で東京へ大阪へと運び去られる。水揚げの量は多くても、この市で加工
にいろいろの加工品があるものだとは知らなかった。みんな東京へ送りだされているそうだが、私は百貨店の食料品部などを訪問する
。旅館から駅まで七百メートル、歩いて十分の距離、東京なら百円もしないね。二百五十円である。窓を板でクギづけ
、日本の風が吹いている。仙台や石巻には、東京の風も日本の風も仙台的にゆがんで黒ずんで吹いてるだけさ。
だけは通風孔があいてるからだろう。鮎川には素直に東京の風が、日本の風が吹いている。仙台や石巻には、東京
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藩の城下から追放した遊女屋はこの神様の真下、表参道の鳥居両側にズラリとあるのだが、高尾を斬った仙台の殿様の
様自体が手びろく営業しているように、この神様の表参道入口には遊女屋が神恩を蒙って営業し、裏参道入口にはサフラン
。だから参詣人は殆んど表参道を登りやしない。もっとも表参道は木戸番が遊女屋でもあるがね。この急坂が二百十何段の石段に
絶壁のアイノコぐらいの急坂ですよ。だから参詣人は殆んど表参道を登りやしない。もっとも表参道は木戸番が遊女屋でもあるがね。この
天下無類の荒れミコシで、まず表参道を走り降りる。ところがこの表参道というのが目のくらむ急坂なのだ。私は六十五度ぐらいと云い
だそうだ。このミコシが天下無類の荒れミコシで、まず表参道を走り降りる。ところがこの表参道というのが目のくらむ急坂なのだ。
。そのミコシが検事と判事に担がれてヒューと一気に表参道の急坂を駈け降りたとさ。アレヨと見るまに、後向きでヒューと上
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の肉には散々悩まされた記憶が忘れがたいのだ。銀座へんの食堂へ行列して洋食を食う。ビフテキだのコロッケだのと云う
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「先日、署長会議で上京しましたが、日比谷の交叉点で、ゴーストップの信号をまちがえて、こッぴどく叱られまし
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ノリのシビが盛大に突ッたッてるのは東京湾だけかと思ったら、塩竈から松島めぐりの観光船の道中がノリシビのなか