熱海線私語 / 牧野信一
地名一覧
小田原町
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の夢よりも深く長かつた。私たちは旧熱海線の小田原町に生れ、私の最も古い記憶に依ると、小田原ステーシヨンの広場のあたりが
真鶴
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熱海線が国府津駅から延長して真鶴まで達し、小田原は町を挙げて山車を繰り出し、連日の祝賀に酔ひ、
に酔ひ、また憐れなケイベンは風琴の蛇腹のやうに真鶴・熱海間と縮まつたのは大正十一年の暮であるが、いよ/
でも三円でも買手もなかつたといふ屋敷や、真鶴の田畑や、熱海の山林などが、一坪の価が百円、二百円
横浜
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つてゐる限りは何も残らなかつた。間もなく横浜からナタリーの一家などが遊びに来るようになつたりして、弥々私はお
土曜日の夕刻には、きまつて横浜からNが訪れた。彼女は私に従つて、日本語の練習を念願と
東京
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哩? 程度の距離であるが、生れて四十年、東京と小田原、小田原と熱海の他は滅多に汽車の旅を知らぬ蛙の
しかつたので、ごまかしたのでもあつた。私は東京の大学生にはなつてゐたが、アクの強い方言の田舎青年だつた。
いとまもなく、甲斐々々しい背広服をまとつて、東京へ出ると即座に新聞記者の職を求め、実にも華々しい活躍に寝食