横浜 金時山 日本橋 蔵前 東京 銀座

その年の桜を見た後に永らく住み慣れた横浜の家を棄てて、一先づ自国へ帰ることに決つてゐたＨ氏

を寄切つて、向方の村道へ出るのであつた。金時山、足柄山、阿夫利山などゝいふ山々が澄み切つた空に晴々とそびえて

私は、その晩に私がその頃寄宿してゐた日本橋の雪子の家にＦを誘つた。雪子の家庭は、長女である雪子

といふので特にその時はあらゆる数々を批瀝して、蔵前の板間を打ち払つて飾りたてたのである。輸出商だから夜の

――皆な二階に集つてゐたので、蔵前の雛段の前には人影がなく、徒らに雪洞の灯が明るいだけだつ

、また二階へ上つて行つた。「あたしも、多分東京の桜は今年で当分の見収めになるかも知れないのよ。」

に早くつて！」光子は却つて不平さうだつた。「折角東京へ来てゐたつて、つまんないわ。活動位ひ見に行つたつて

――光子がＹと呼ぶ竹下といふ学生が借りてゐる東京郊外の借室だつた。竹下は私の義弟の友達で今年夏中私達

斯のやうに一刻も惜んでゐたが、何うしても東京へ行きたいと云つて駄々をこねる光子に負けると、ほんの二三日のつもり

自分の許に伴れて行く、さうとすると今はもう東京には自分達の寄辺は皆無である、何も彼もお任せするより他

百貨店の売子にでもならうかしら！　とか、いつか東京に家を借りるといふやうなことを云つてゐたがそれは何うなつ

絵を描いて来るだらうか？　とか、自分は東京に住みたいから一層百貨店の売子にでもならうかしら！　とか、いつ

「それ位ゐなら東京へ行かう。」と妻達は云ひ張つたが私は、この頃あの仕事

東京行！　東京行！　鈴を振りながら駅夫が呼ばはつてゐた。頻繁に到着する

東京行！　東京行！　鈴を振りながら駅夫が呼ばはつてゐた。

そのうちに東京行の時間が迫つて芝居見へ行く人達は慌てゝ出かけた。私は

家では昔から招ばれるのが例だつた。母が東京へ行つて留守なので、此方へ来たのか知らと私は思つた

「銀座へ行きませう。」と続けるのが竹下の癖になつてゐた。

銀座などへ出かけると私は、酔ふには違ひなかつた。酒飲みの知人

流連をしたり、港町の奇怪なホテルに出没したり、銀座へ出かけてカフエーを飲み歩いたりして来た面白さに胸を踊らせた

さん！」と何時の間にか私の姓を覚えた銀座裏の酒場の給仕女があつた。彼女は仲々美しい。そして私に同情

賞讚されると、烏頂天になれるではないか！　銀座のカフエーの夜もなつかしい、失恋を同情されて胸一杯になるのは