塩原多助旅日記 / 三遊亭円朝
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怪談だが、お前何を知らないか、塩原多助といふ本所相生町二丁目の炭屋の怪談を」「知りませぬ」「さうかね、塩原
寺だといふことでございますといふ。それから直に本所を出て吾妻橋を渡つて、森下へ行つて捜すと、今の八軒寺町に
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の家へ草を生やさずに置くべきか、と云つて吾妻橋からドンブリと身を投げた。さうすると円朝さん、その死骸が何ういふ潮時
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やうな大きな身代になりたい、国の家が潰れたから江戸で稼いで、国の家を再興したいと思つて出て来たのだ
を山から伐り出すやうにしたり、ちやんと手筈を付けて江戸へ帰つて来ると、塩原多助が死んでゐた。さア大いに驚いて、早速
、此女は国から連れて来たのではない、江戸で持つた女か知れない、それは判然分らないが、何しろ薄情の女だ
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考へた。其の伝吉を呼んで、「時に私は今度下野から上州の方へ行くに就て、お前を供に連れて行かうと思ふが
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、預かつた覚えはないと云ふのは酷い奴だ、塩原の家へ草を生やさずに置くべきか、と云つて吾妻橋からドンブリと身
何ういふ潮時であつたか知らないが、流れ/\て塩原の前の桟橋へ着いたさうだ。それを店の小僧が見付けて、土左衛門
云ひ聞かして帰されたから、途方にくれて其の嫁が塩原の内井戸へ飛込んで幽霊に出るといふのが潰れ初めで、あの大きな家
だが、それは余程古いことだといふ。それでは塩原のことを委しく知つてゐる人がありませうかと云つて聞いたところ
はないが、世話番ぐらゐの人に聞くと、私は塩原の家へ出入をしてゐたが、細かいことは知りませぬといふ。
たが、細かいことは知りませぬといふ。それでは塩原の寺は何処でせうと聞いたところが、浅草の森下の――たしか
、塩原多助の墓は此方でございませうか、私は塩原の縁類の者でございますが、始めてまゐつたので墓は知りませぬ
二丁目の塩原多助の縁類のものでございますが、まだ塩原の墓も知らず、唯塩原のお寺は此方だといふことを聞伝へ
ものでございますが、まだ塩原の墓も知らず、唯塩原のお寺は此方だといふことを聞伝へて、今日お墓参りにまゐりまし
梅廼屋の団扇のあるのは何ういふ訳か、殊に塩原の墓にも梅廼屋の塔婆が立つて居りましたから、何か訳
「いえ檀家といふ訳ではありませぬが、長い間塩原の附届をしてゐる人は梅廼屋ほかありませぬ、それで此の
ございますか」それぢやア梅廼屋のお母に聞けば塩原の事は委しく分る。梅廼屋に聞くのは造作もない事だ。と
いや、改まつてお聞き申したいのだが、お前は塩原といふ炭問屋へ嫁になつた事が有るさうだ」「いゝえ、炭問屋は
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追剥が五人や六人出ても大丈夫でございます、富山の薬屋は風呂敷を前で本当に結んでは居りませぬ、追剥にで
どんな山の中でも行きます、私の生国は越中の富山で、反魂丹売ですから、荷物を脊負つて、まだ薬の広まらない
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、又参詣を致します」と云つて、それから直に浜町一丁目の花屋敷の相鉄といふ料理屋へ行つて、お膳を誂へ、
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は塩原の寺は何処でせうと聞いたところが、浅草の森下の――たしか東陽寺といふ禅宗寺だといふことでございます
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ませぬ。東京の内はうるさいから車に乗つて、千住掃部宿で車より下りて、是から上州沼田へ捜しに行きました。
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たが、何でも歩かなければ実地は履めませぬ。東京の内はうるさいから車に乗つて、千住掃部宿で車より下りて、