真景累ヶ淵 / 三遊亭円朝 鈴木行三

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根津

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只今の事ではありませんが、昔根津の七軒町に皆川宗悦と申す針医がございまして、この皆川宗悦が、ポツ/

と仰しゃいませんでは、私は斯ういう不自由な身体で根津から小日向まで、杖を引張って山坂を越して来るのでげすから、只出来

一緒に居りました、そうすると此処へ稽古に参ります根津の総門内の羽生屋と申す小間物屋の娘がその、私に何だか

江戸

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中々居られないから、故郷忘じがたく詫言をして帰ろうと江戸へ参って自分の屋敷へ来て見ると、改易と聞いて途方に暮れ、

新「ヘイ、私は江戸の者でございますが、御当地へ参りまして、此の大雨に雷鳴で、誠

だって己も泥足で駈込んだ、此方へ上りなさえ、江戸の者が在郷へ来ては泊る処に困る、宿を取るには水街道

清「此家な主人で、挨拶さっせえ、是は江戸の者だが雨が降って雷鳴に驚き泊めてくれと云うが、己が家

新「左様で、初めまして、私は江戸の者で、小商を致します新吉と申す不調法者、此地へ参りまし

甚「お前江戸から来るにゃア水街道から来たか、船でか」

街道へ行かなけりゃア泊る旅籠屋はねえ、まア宜いやナ、江戸子なれば懐かしいや、己も本郷菊坂生れで、無懶でぐずッかし

商でも仕ようと云うなら己が家て居に貰いてえ、江戸子てエ者は、田舎へ来て江戸子に遇うと、親類にでも

と、親類にでも逢った心持がして懐かしいから、江戸と云うと、肩書ばかりで、身寄でも親類でもねえが其処ア情合

憎まれて居るのよ、それがノ口をきくのが江戸子同士でなけりゃア何うしても話が合わねえ、己は兄弟も身寄

話が合わねえ、己は兄弟も身寄もねえし、江戸を喰詰めて帰れる訳でもねえから、己と兄弟分になってくんねえ

た、イエ何、あのよく似たこともあるもので、江戸にも此様事が有りましたから」

え些と遊びにお出でなさえ、嬢様お屋敷奉公に江戸へ行ってゝ、此の頃帰っても友達がねえで、話しても言葉が分ん

て居る。一体三藏と云う人は信実な人で、江戸の谷中七面前の下總屋と云う質屋の番頭奉公致して、事柄の解っ

は悪く云う奴もある私と斯う中好く、お前さんは江戸に奉公して江戸子同様と云うので、甚藏や悪い事はするナ

が来て居て、お前さん何処の者だと云ったら江戸の者だと云って、近処に居る者だがお墓参りして無尽鬮

と云ってな、小質を取って居る家の一人娘、江戸で屋敷奉公して十一二年も勤めたから、江戸子も同し事

江戸で屋敷奉公して十一二年も勤めたから、江戸子も同し事で、器量は滅法好い娘だ、宜いか、其のお嬢さん

な、男が好いたって田舎だから目に立つのだ、江戸へ行けば手前の様な面はいけえ事有らア、此様な田舎だから

ばならんと、初子だから母も心配致しまする。と江戸から早飛脚で、下谷大門町の伯父勘藏が九死一生で是非新吉に逢いたい

をくれましたから、暇を告げ出立を致しまして、江戸へ着いたのは丁度八月の十六日の事でございます。長屋の人

は百姓もしますが質屋もし、中々の身代、殊に江戸に奉公をした者で気の利いた者ですが、貴方は牢を破っ

食物ア江戸口で、お前塩の甘たっけえのを、江戸では斯う云う旨え物喰って居るからって、食物ア大変八釜しい、鰹節などを

妙な事が田舎には有るものだねえ、何かえ江戸の者で此方へ来たのかえ」

て、そんな事を仰しゃっては困りますねえ、新吉さんも江戸からのお馴染でございますから、私は此方へ参っても馴染も無いもん

は旦那に受出されて此処へ来て、お前とは江戸に居る時分から、まア心易いが、私の方で彼様事を云出し

でも行こうか、上州の方へ行こうか、それとも江戸へ帰ろうかと思う事も有るが、お前が此処に居る中は何うして

憎まれて此の土地にいられまいから、元々の通り江戸へ帰して遣ってくれ、帰る時は必ず金を五十両付けて帰してくれ

者は密通でもしている様に思うが、彼は江戸からの親しい男で、左様な訳はない、親切な者で有る事は見抜い

有りません。他に行く処はなし、まア生れ故郷の江戸へ帰る様な事に成りますが、本当に夢の様な心持で、あゝ

をお貰え申し度が、何うか些と許り借金を返して江戸へでも帰りてえ了簡も有るのですが、何うか新吉誠に無理だ

金を上げようから、何うかそれで堅気になり、此方も江戸へ行って小世帯を持つから、お互に此の事は云わねえという

両埋めて有るのだから、それを百両ずつ分けて江戸へ持って行って、お互に悪事は云わねえ云いますめえと約束して

這入った人達も驚きましたが中には角力好で江戸の勇み肌の人も居りまして、

角力を見に来たので、お前が喧嘩に負けると江戸へ帰れねえ、冗談じゃアねえ剣術遣を踏殺せ」

鳥居は天神山に今にあります。場所をしまって花車は江戸へ帰らんければならんから、帰ってしまった後は惣次郎は怖くって

懐からも袂からも瓜が出たゞ何処の者か江戸らしい言葉だ」

隅「それはお前江戸で生れた者は江戸の結構は知っているから、江戸は見度いし懐かしい

隅「それはお前江戸で生れた者は江戸の結構は知っているから、江戸は見度いし懐かしいわね」

江戸で生れた者は江戸の結構は知っているから、江戸は見度いし懐かしいわね」

腰掛けで居るは富五郎心得ております、故郷は忘じ難し、江戸は懐かしゅうございましょう」

ば私は安心致すが、誰でも然うで私も早く江戸へ行き度いが、マアお隅さん私が少し道楽をして出まして

処を助けられ、斯の如く面倒を見て下すって、江戸へ帰る時は是々すると仰しゃって、実に有難い事で、江戸へ行って

帰る時は是々すると仰しゃって、実に有難い事で、江戸へ行っても御当家の御恩報じお家の為になる様心得ております

お為を思う処、旦那様は世間見ずの方、江戸へも余り入らしった事もない、殊にはあなた様は其の通り田舎気質

好し、立派な惜しい先生だ、此方に置くのは惜しい、江戸へ入らっしゃれば諸侯方が抱えます立派なお身の上」

まい、此処は腰掛だろう、故郷忘じ難かろう、私と一緒に江戸へ、というと、私も実は江戸へ行き度い、殊に江戸には

私と一緒に江戸へ、というと、私も実は江戸へ行き度い、殊に江戸には可なりの親類もあり、仮令名主でも百姓

というと、私も実は江戸へ行き度い、殊に江戸には可なりの親類もあり、仮令名主でも百姓の家へ縁付いたといわ

\云って姑の機嫌も取らなければならんから実は江戸へ行き度いというから、然うなれば何故一角先生の処へいかぬ、

などは皆弟子だから、彼処へ行って御新造になれば江戸へ行っても今井田流の大先生、彼処の御新造になれば結構だになぜ行か

というから、然うなれば私が行って話し、私も江戸へ帰る土産に剣道を覚えて帰り度い、よい師匠を頼もうと思ってい

ない、残念に心得ているが、打明話を致すが、江戸に親類どもゝある身の上、江戸へ帰るにも何か土産がないが、実

、打明話を致すが、江戸に親類どもゝある身の上、江戸へ帰るにも何か土産がないが、実は今まで道楽をして親類で

いなければ此の家にいても余計者だから私も江戸へ帰るという、江戸へ行くなれば一緒にというので、お隅を

にいても余計者だから私も江戸へ帰るという、江戸へ行くなれば一緒にというので、お隅を連れて来てずうっと貴方

、惣次郎の歿い後にお隅を無理に口説いて江戸へ連れて行って女房にしようという企を考え、やまで嚇して上手に

て来ないは不実だが、それとも知んねえか、江戸へでも帰った事かとお内儀さんあんたの事をば云って、ただ騒いで

ば余義ない用事が出来て上総へ行ったとか、江戸へ行ったとか、出鱈目を云っておれば取り附く島が無いから仕方が

がない。翌月の十月の声を聞くと、花車は江戸へ参らなければならぬから、花車重吉が暇乞に来て、

花「私はこれ/\で江戸へ参りますが、何事があっても手紙さえ下されば直に出て来て

と二人にいい聞かして、花車重吉は江戸へ帰りました。跡方は惣吉という取って十歳の子供とお隅に

は余計者で、却って御厄介になる許りでございますし、江戸には大小を帯す者も親類でもございますから、何卒江戸へ参り度

になって縁付く口も出来ましょうと思いまして、私は江戸へ帰りますから、どうか親子の縁を切って、旦那はいなくっても

隅「嫌ですねえ、江戸で生れた者がこんな処に這入って、実に夫婦の情でいました

て下さいな、此処に居たって仕方が有りません、江戸へ行けば親類は武士でございますから、相当な処へ縁付けて貰います、

馬鹿/\しゅうございますから、敵討はお止にして江戸へ帰ります」

が知っているから、さてお隅さん、此処なア母様ア江戸を見たこともなし、大生の八幡へも行ったことアなえという田舎

路銀を借りようと思って麹屋へ行って話をして、江戸へ行けば親類もありますから、江戸へ行きたいと思いますが、行くに

話をして、江戸へ行けば親類もありますから、江戸へ行きたいと思いますが、行くには少し身装も拵えて行きたいから、

、只一生楽に暮すというばかりじゃア仕様がないから、江戸へ行こうと思って、江戸には親類が有って大小を帯す身の上だから

いうばかりじゃア仕様がないから、江戸へ行こうと思って、江戸には親類が有って大小を帯す身の上だから、些とも早く頼んで身を

無理無体に縁切状を取って出て来ましたの、江戸へ行くにも、小遣がないもんだから、こんな真似をして身装も拵え

お前が旦那のいない所で私の手を掴まえて、江戸へ連れて行って女房にして遣ろう、うんといえば私が身の立つ

、うんといえば私が身の立つようにするが、江戸へ一緒に行って呉れぬかと云っておくれの事があったねえ、あれ

身として、酔ったまぎれで、女房になれ……江戸へ連れて行こうといったのは実に済まない……済まないが、心

ね、何時までもこんな姿をしていたくない……江戸へ知れては外聞が悪いからねえ……江戸へ行くったって親類は絶えて音信

ない……江戸へ知れては外聞が悪いからねえ……江戸へ行くったって親類は絶えて音信がないし、真実の兄弟もないから何だ

して私が稼いだのをお前に預けるから、私を江戸へ連れて行っておくれな」

たくないからね、どこまでも金の才覚をして早く江戸へ行こう、富五郎浪人はしていても、百や二百の金は直に

から、出したら借金を払ってお前と二人で、ねえ、江戸へ行こう、こいつが宜いじゃないか」

、烟に巻かれてしまわア、追掛けようといっても彼奴江戸へ出られる奴でないから大丈夫」

てもいられませんから、種々考えました処が、江戸には親類もありますから、何卒江戸へ参り度いと思いまして、故郷

ました処が、江戸には親類もありますから、何卒江戸へ参り度いと思いまして、故郷が懐かしいまゝ無理に離縁を取って出

つもくれませぬ、それ故少しは身形も拵えたり、江戸へ行くには土産でも持って行かなければなりませぬ、それには普通

稼いで苦しみ、金を貯めてなにかい身形を拵えて江戸へ行こうと云う訳か、どうも能く離縁が出たのう」

の至りで私通をし、金五郎に連れられて実家を逃出し江戸へ参り、本郷菊坂に世帯を持って居りましたが丁度あの午年の大火事の

、母親は年い老ってるが、此の人をつれて江戸へ往くべえと出て来る途で、小金原の観音堂で以てからに塩梅

宗「はい親父の時に奉公をしたもので、今江戸で花車という強いお相撲さんが有りますから。其の人を頼みます積りで」

ているからには同類も有ろうから、私とお前さんと江戸へ往って、花車関を頼もうと頓て多助と惣吉は江戸へ遣って参り

へ往って、花車関を頼もうと頓て多助と惣吉は江戸へ遣って参り、花車を便りて此の話を致して頼みました。此の

、全く兄姉の仇討に相違ないことが分り、花車は再び江戸へ引返し、惣吉は十六歳の時に名主役となり、惣右衞門の名

宇治

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ないから、水街道へ参って宿屋へ泊り、大生郷の宇治の里へ参って泊りなどして、惣右衞門が留守だと近々しけ込みます。

でもあり役柄をも考えたから、大生郷の天神前の宇治の里という料理屋へ上り、此処の奥で一猪口遣っていると、間

のお手伝でもしようという浪人者を二人連れて、宇治の里の下座敷で一口遣っていると、奥に惣次郎がお隅を

というのでこそ/\と後にさがる。此の隙に宇治の里の亭主手代なども交る/\詫びますけれども一向に聞入れがあり

駈込んで、生鮭を三本も持って逃出す者もあり、宇治の里では驚きましたが、安田一角は二人の助けを頼みとして

東福寺

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へ往くのでごぜえやすが、手間がとれるから、鰭ヶ崎の東福寺泊りと云うのだが、幾らでもいゝから廉く遣るべえじゃアねえか」

するてえので、與助を供に伴れて、己が先刻東福寺まで送ってッたが、昔馴染だから二分くれるッて云ったが、有難うござ

観音寺

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解いて居る処へ、通り掛った者は、藤心村の観音寺の和尚道恩と申しまして年とって居りますが、村方では用いられる

百姓が二三人来て死骸と共に惣吉を藤心村の観音寺へ連れて来て、段々聞くと、便る処もない実に哀れの身の上で

を剃りこぼち、惣吉が宗觀と名を替えて観音寺に居る処から、はからずも敵の様子が知れると云うお長いお話。

に足を留る事に成りました。是は藤心村の観音寺という真言寺持でございまして、一切の事は観音寺で引受けて致し

寺という真言寺持でございまして、一切の事は観音寺で引受けて致しまする。村の取附にある観音堂で、霊験顕著というの

なる可愛らしい白色なお小僧さんで、名を宗觀と申して観音寺に居りまする、此の小坊主を案内して来ましたは音助という寺男で

掻切って相果てました。其の内村の者も参り、観音寺の和尚様も来て、何しろ捨ては置かれないと早速此の由を名主

まする因果塚で、此の血に染った鎌は藤心村の観音寺に納まりました。扨宗觀は敵の行方が知れた処から、還俗し

を頼み、敵討が仕度いと和尚に無理頼みをして観音寺を出立するという、是から敵討に成ります。

塚前村観音堂へ因果塚を建立致し、観音寺の和尚道恩が尽く此の因縁を説いて回向を致しましたから、村方の

ました。斯くて八月十八日施餓鬼祭を致しますと、観音寺の弟子宗觀が方丈の前へ参りまして、

僧「有難うございます、私は藤心村の観音寺の道恩というものです」

て参りました、多助や、私が御恩に成った観音寺の方丈様だよ」

青松院

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と、青松院の墓所で腹を切ろうとする処へ、墓参りに来たのは、谷中七

筑波山

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吹いて、顔へポツリと雨がかゝります。あの辺は筑波山から雲が出ますので、是からダラ/\と河原へ下りまして、

松戸

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と直に墓場から駈落をして、其の晩は遅いから松戸へ泊り、翌日宿屋を立って、あれから古賀崎の堤へかゝり、流山から

新「何だね、見捨てるの見捨てないのと、昨夜初めて松戸へ泊ったばかりで、見捨てるも何も無いじゃアないか、訝しく疑るね」

外にはお花と線香を持って居るばかり、それから松戸で一晩泊りましたから、些とばかり残って居ります」

二年七月廿一日の事でございまする。下総の松戸の傍に、戸ヶ崎村と申す処がございまして、其処に小僧弁天という

から定めて不自由だんべえ、彼処は生街道てえので、松戸へ通ン抜けるに余程近えから、夏になると魚ア車に打積んで

れ、漸々心附き、これからお賤の手を取って松戸へ出まして、松新という宿屋へ泊り、翌日雨の降る中を立出でて

人を害す様な事も度々になりまする。扨二人は松戸へ泊り、翌廿二日の朝立とうと致しますると、秋の空の変り

小日向

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ませんでは、私は斯ういう不自由な身体で根津から小日向まで、杖を引張って山坂を越して来るのでげすから、只出来ぬと

雲州

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水で冷して上げよう、蜜柑も二つ買って来たが雲州のいゝのだからむいて上げよう、袋をたべてはいけないから只露を吸っ

牛込

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思うのだが、又出て行くのはおっくうだから、牛込の方へ行って由兵衞さんの処へも顔を出したいし、それ

たりするから、泊り掛で五六軒遣って来ようと思う、牛込は少し面倒で、今から行っちゃア遅いから明日行く事にしようと思うが

岡田郡

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音「え岡田郡か……岡田郡羽生村という処だ」

聖天山

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も食方の付く様にといって、実は根本の聖天山の手水鉢の根に金が埋めて有るから、それを以てと言付けて有るの

と言付けて有るのだ、えゝ二百両あると思いねえ、聖天山の左の手水鉢の側に二百両埋めて有るのだから、それを百両

と有合の鋤を担いで是から二十丁もある根本の聖天山へ上って見ると、四辺は森々と樹木が茂って居り、裏手は絹川の

ないと見えるな、うんそう/\、此方へ来な、聖天山の裏手に清水の湧く処がある、社の裏手で崖の中段にちょろ/

を隠そうが為に、土手の甚藏を欺いて根本の聖天山の谷へ突落し、上から大石を突転がしましたから、もう甚

されたものである、と私への話し、さては聖天山へ連れ出して殺した甚藏は矢張お賤の為には血統の兄であっ

三峰山

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馬「じゃア彼のもと三峰山のお堂のあった処だね、よくまア彼様な処にいるねえ、

秋葉

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仕舞うと、根津七軒町の喜連川様のお屋敷の手前に、秋葉の原があって、その原の側に自身番がござります。それから附いて

小石川

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なく眠る様にして臨終致しました。それからはまず小石川の菩提所へ野辺送りをして、長く居たいが養子の身の上殊には女房は

吾妻橋

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たから、兎も角も此の者を尋ねて見ようと思い、吾妻橋を渡って、松倉町へ行きます。菅の深い三度笠を冠りまして、

丹波

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そりゃア真黒に面を塗って頬冠をしてナ、丹波の国から生獲りましたと云う荒熊の様な妙な面になって往きゃア仮令

奥州

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て逐電いたしましたが、さて行く処がないから、遥々奥州の仙台へ参り、仙台様のお抱になって居る、剣客者黒坂一齋と

もう二三年も経ったから知れやしまいと思って、又奥州仙台から、江戸表へ出て来たのは、十一月の丁度二十日で

源氏山

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ましたから、自分も一層相撲に成ろうと、其の頃の源氏山という年寄の弟子となったが、是より花車が来たといえば土地

では二段目の中央まで来ているから、師匠の源氏山も出したがりませんのを、義に依てお暇を下さいまし、前に

のでございますからと、義に依っての頼みに、源氏山も得心して芽出度出立いたし、日を経て彼の五助街道へ掛り

筑波

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でしょうねえ、雷鳴には実に驚きまして、此地は筑波近いので雷鳴は酷うございますね」

古河

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尼「いえ私の産れは下総の古河の土井さまの藩中の娘で、親父は百二十石の高を戴いた柴田勘六

谷中

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で三藏と云うは、何かえ、それは前に谷中七面前の下總屋へ番頭奉公した三藏ではないか」

仙台

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、市ヶ谷に一刀流の剣術の先生がありまして、後に仙台侯の御抱えになりました黒坂一齋と云う先生の処に、内弟子

二三年も経ったから知れやしまいと思って、又奥州仙台から、江戸表へ出て来たのは、十一月の丁度二十日で

、さて行く処がないから、遥々奥州の仙台へ参り、仙台様のお抱になって居る、剣客者黒坂一齋と云う、元剣術の

いたしましたが、さて行く処がないから、遥々奥州の仙台へ参り、仙台様のお抱になって居る、剣客者黒坂一齋と云う

花「逃げも隠れもしねえ、長崎へ逃げようと仙台へ逃げようと花車重吉駈落は出来ぬから卑怯な事はしねえが、茲

下谷

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が手伝いに参りますが、ふと手伝いに来た男は、下谷大門町に烟草屋を致して居る勘藏と云う人の甥、新吉と

初子だから母も心配致しまする。と江戸から早飛脚で、下谷大門町の伯父勘藏が九死一生で是非新吉に逢いたいと云うので

さんばかり、ちょうどお前が三歳の時だが、私が下谷大門町へ連れて来て貰い乳して丹精して育てたのさ、手前

と間もなくお家改易になったから、私が抱いて下谷大門町へ立退いて育てたのだが、お家改易の時お熊という

長崎

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花「逃げも隠れもしねえ、長崎へ逃げようと仙台へ逃げようと花車重吉駈落は出来ぬから卑怯な事はし

高松

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、天草の戦でも、兵糧責では敵わぬから、高松の水責と雖も彼も兵糧責、天草でも駒木根八兵衞、鷲塚

深川

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と云って、中働の女を置きました。是は深川網打場の者でお熊と云う、年二十九歳で、美女ではない

ないから産落した女の児を連れて、お熊は深川の網打場へ引込み、門番の勘藏は新左衞門の若様新吉と云う

たがね、屋敷は潰れたから、仕方がねえので深川へ引取、跡は御家督もねえお前さんばかり、ちょうどお前が三歳

作「深川の櫓下に居たって、名前はおしずさんと云って如才ねえ女子よ、

、私は誠にお見違れ申しましたよ、慥か深川櫓下の紅葉屋へ貸本を脊負ってお出でなすった新吉さんでは有りませ

仰しゃるの、そう、お気の毒様出来ません、私どもは深川に居ります時にも随分銭貰いは来ましたが、一分遣れば

ないが、本当に見違えて仕舞ったよ、十三年後に深川の櫓下の花屋へ置去にして往かれた娘のお賤だよ

賤「お前さんにも話をした深川櫓下の花屋の、それね……お前さんの様な親子の情合のない

て、また其処をかけ出して出るような事に成って、深川相川町の島屋と云う船宿を頼み、亭主は船頭をし、私は

お屋敷が直に改易に成ってしまい、仕様がないから深川櫓下の花屋へ此の娘を頼んで芸妓に出して、私の喰い物に

で惣右衞門というお方でしたが、お賤を深川から見受けして別に家を持たせ楽に暮させてお置きなすった

日暮里

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知れず、大屋さんが親切に世話を致しまして、谷中日暮里の青雲寺へ野辺送りを致しました。これが怪談の発端でござります。

市ヶ谷

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て居るお屋敷、手が足りないからと云うので、市ヶ谷に一刀流の剣術の先生がありまして、後に仙台侯の御抱えに

浅草

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て、これが女太夫のおこよと云う者を見初め、浅草竜泉寺前の梶井主膳と云う売卜者を頼み、其の家を里方にいたして

たのは、十一月の丁度二十日でございます。先ず浅草の観音様へ参って礼拝を致し、是から何処へ行うか、何うし

上野

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新「番頭さんがそう仰しゃいますから、上野町の越後屋さんの久七どんに流れの相談を致しまして、帰りにお

新宿

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新「何卒亀有まで遣って、亀有の渡を越して新宿泊りとしますから、四ツ木通りへ出る方が近いから、吾妻橋を渡って

千住

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で遣ってくんねえ、小塚ッ原などへ来て仕様がねえ、千住へでも泊るから本宿まで遣っておくれ」

が、乗出してちょうど門跡前へ来たら、雨が降るから千住へ行って泊るからと仰しゃるので、それから此方へ参りました」

だ、と身の毛だちて、気味悪く思いますから、是より千住へ参って一晩泊り、翌日早々下総へ帰る。新吉の顔を見ると

神田

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の蔭に、蛇形の単物に紺献上の帯を神田に結び、結城平の半合羽を着、傍の方に振分の小包を