粟田口霑笛竹(澤紫ゆかりの咲分) 02 粟田口霑笛竹(澤紫ゆかりの咲分) / 三遊亭円朝 鈴木行三

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地名一覧

湯島

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で、実は私の兄は鋏鍛冶をして江戸の湯島に居やしたが、離れてるから私も近しく往きもしねえけんど、其の兄

桐生

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正「新助どん誠に御無沙汰を致しました、実は桐生へ往きまして、一昨日帰りまして、新八松屋で聞いて驚きました

江戸

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を越えると直に向うが下矢切村でございますけれども、江戸へとては十六の時に来た切で、浅草の観音さまを其の時初めて

侍のことで商売のことは御存じも有りますめえが、江戸の商売と違えまして、田舎では商人の仲間に帳元と云うものが立っ

屋敷へは参られませんけれども、買出しかた/″\江戸へ参り、お出入の八百屋にでも頼んで、渡邊さまへ御手紙が届い

た、御両親は嘸御心配をなすったでしょう……ナニ江戸から勾引されたとえ」

の涙で別れを告げ、丈助勇助が附添いまして、江戸の田原町の小市の手から山口屋へ参って話をいたしまして、玉

しの「はい、村の者が江戸の大尽だか知んねえけんど、豪えもんだ、田舎には沢山ねえ法事だっけ

の姪で、実は私の兄は鋏鍛冶をして江戸の湯島に居やしたが、離れてるから私も近しく往きもしねえけんど、

足を揚げて老爺さんを蹴返しました、物見高いのは江戸の習いゆえ大勢人が立ちましたが、誰有って止める人も有りません

八十八箇所、卅三番へもお札を打ちまして、漸く江戸へ帰って参りましたが、何うか江戸の八十八箇所へもお札を打ちたい

まして、漸く江戸へ帰って参りましたが、何うか江戸の八十八箇所へもお札を打ちたいと存じ、方々廻り、此の白金の高野寺

てよう/\と四国を廻って、一年半ぶりで江戸へ帰って来て、此処で侍に殺されるところ、此方のお内儀さんに助け

実は一年半ばかり四国西国廻りをいたしまして、漸く江戸へ帰ってまいり、思い掛ないことで仙太郎親方のお助けを蒙りましたの

さんが枕橋から身を投げようとするところへ、此の人が江戸へ帰り、通りかゝってお嬢さんを助けたので」

手掛りもなく、少々気になることが有って、一先江戸へ立帰って、芝の上屋敷へまいって聞けば、親父はお暇になった

稻垣小三郎が江戸へ這入って来ましたのは、白髭の蟠竜軒にいる美惠比丘尼は何で

見て驚き、此奴小三郎だナ、成程眼が悪くなって江戸へ帰ったという話を此の間大野から聞いたが、何処に居るか様子が

小三郎であるが、永らく旅をいたして居たから頓と江戸の様子が分らんが、これに乳をくれた乳母が居ると聞きまして

四国

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居りまして日々修行をいたす身の上では有りませんが、四国の八十八箇所、卅三番へもお札を打ちまして、漸く江戸へ帰って

、観音さまへ無理な御願を掛けてよう/\と四国を廻って、一年半ぶりで江戸へ帰って来て、此処で侍に

重助「どう致しまして嘘はいけません、四国を歩きます時なぞに嘘を吐いては旅は出来ません」

仙「四国とは違わアな、お前が枕橋を通りかかって、お嬢さんを助けたことに

心得違いで、私は四国西国を歩いて来たが、四国には泥坊と云うものはございませんよ、お泥坊さんお聞きなさい、弘法

重助「さアお這入りなさい、四国ではねえ只泊めてくれるのに、修業者でも御へんどさん/\と

昔にお戒め置きなすったからでしょうが、私は今日は四国の者の積りで貴方の足を洗って上げましょうか」

の軒下で笛を吹いて居た修行者が有ったから、四国の心持でお泊め申し回向を願うと、仏壇に立かけて有った一節切

本郷

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、其の晩は泊って、翌朝小船で帰りましたが、本郷の宅では大騒ぎで、翌朝になると髪結の長次が斬殺されて居る

正「えゝ本郷の春木町の、えゝ紀伊國屋の伊之助さまの、えゝ御別荘は慥か、えゝ、

松戸

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通りかゝったは荷足船で、彼の仙太郎等三人が松戸へ刀の詮議に往ったが、手掛りがなく空しく帰って参る船の胴中へ

を老っちまって仕様がねえだ、若え時分に一緒に松戸の樋の口へ通う時分にゃア一晩でも女郎買をしねえと気

春私が重三さんと安という駕籠舁を連れて、松戸へ刀の詮議に往った時に出会した侍なんで」

が、不思議な事には、仙太郎親方と忰と一緒に松戸へお刀の詮議にまいりますると、船の胴の間へ落ちたのはお父様の

九州

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少々心当りがあって、一年半ほど諸国を遍歴り、九州までまいったが、少しも刀の手掛りもなく、少々気になることが有っ

転買を致しましたところから、それがために若旦那は九州の方へまで往かっしゃるような事で、よう/\手に入りました、

東海道

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と原文に三嶋安という東海道喰い詰めの悪党ですからきゝません、いきなり息杖を押っ取り、左右からブーン

と思って居りまする内に、二日程経ちますと、東海道藤沢から稻垣小三郎より父小左衞門へ宛てた書面が届きましたゆえ、披いて

と云うのも聞かず、原文に三島安という東海道喰詰の悪党ゆえ、左右からつか/\と進み寄り、物をも云わず

た、実は私の身の上はこれ/\で、若旦那が東海道藤沢の莨屋から手紙を遣し、二百両のお金がなければ、粟田口國

音羽

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へ渡すを取上げ読んで見ると「寄る辺なき袖の白波打返し音羽の滝の音も愧かし」という返歌でございまするから、伽羅大尽は尚

脛に疵持ちゃ笹原を走れぬという比喩の通りで、音羽の親藤左衞門を殺した身の上、若し此の事が知れはせぬかと思う

次の間の方へ番頭新造を呼んで相談致しましたが、音羽の許へ来る客は有りますけれども、二回目の返った例がない

お菓子まで手当をされて斯んな嬉しいことはないが、音羽の身の上は何ういうものか聞きたいと云うから、花魁はお屋敷さんのお嬢

盲目に在って益ない金ゆえ、良人のために苦労する音羽にやりたい」

繋け、上へあがり、おしのゝ門口へ参りました、音羽は勝手を存じて居りまするから中へ這入り、

反故張り障子を明けて出て来たのは、小三郎に音羽の二人で、

汐留

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仙「なに、新橋の汐留の川岸から船が出ると、跡から芸者か丈助さん/\という声が

川崎

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此の重三郎の親父は梨子売を致す重助と申す者で、川崎在の羽根田村に身貧に暮して居りまするが、去年の暮から年の

の宅の新太の野郎なんざア、ハア放蕩べえぶって、川崎べえ往ってハア三日も四日も宅へ帰らねえで困るが、お前ん

方々捜し廻ってるが、解らねえから今日宅のお内儀さまが川崎の大師様へお参りながら此方へ寄るッてったから、いまに来れば分る

で、当今ならば新橋の停車場からピーと云えば直に川崎まで往かれますが、其の頃は誠に不都合な世の中で、川崎まで往くの

往かれますが、其の頃は誠に不都合な世の中で、川崎まで往くのに、女の足では一晩泊りでございます。小僧さんが

な騒ぎで、それに丁度政七も重三郎も厄年だから、川崎の大師さまへ参って護摩をあげて厄除をし、どうぞ一刻も早く重三の

をして居たいが、気が急くし、まだ是から川崎の大師さまへお参りに往くのが遅くなるから帰りましょう、遅くなったら新田屋

知らせる心得で、政七も厄年でございますから、厄除に川崎の大師へ参詣ながら参りましたのでございますが、娘を駕籠へ乗せて

小「ふーむ、娘を乗せた駕籠を、羽根田から川崎へ渡る渡口より北に当る梨畑の下で一寸見掛けたが、お前の娘の

小「お前は川崎の大師へ参詣して宿屋は何処へ泊る積りだ」

小「お前のお母さんは川崎の新田屋に参って居るから、心配なく私と一緒に往きなさい、私は

八幡宮

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、小左衞門は野掛装束になり、丈助を連れて八幡の八幡宮へ参詣をして、ブラ/\市川新田を帰り路になりましたが、菜の花

鎌倉

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に幾らも上手が有るよ、上の又七郎などが、鎌倉から小点から段々と大間へぶッ込んで往くとこなぞは実に魂消たもん

大阪

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ア、百両ぐれえ出るに違えねえ、都合二両有れば大阪へ往って何んな商法にでも取附けると、主人と知って主人を殺す

御嶽山

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……エヽ、あの娘や、何うしたんだねえ、御嶽山のお水を持っておいでよ、なにをグズ/\してるんだよ、

佐賀町

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なもので、佐賀町通りをひょろ/\参りまして、佐賀町川岸から仙台川岸を向うに見て、十間ばかり往くと、番頭は袴を

、今日高輪から乗合船で客を送り、深川へ上げて佐賀町の友達の処で用を達し、仙台河岸へ船をもやって一服喫ってる

/\担いで永代橋を渡って、仙台河岸の手前の佐賀町から河岸の方へ廻って往くと、若衆駕籠を下せ、大黒屋の床の間の側

ねえ、初手から小言をいわれに帰ったようなものだ、佐賀町河岸へ帰って見るとお前、その侍が長いのを抜きやアがって棒組

と云って仕方がねえからピョコ/\帰って来て、佐賀町から河岸へ廻って往くと、おいお爺さん、その侍が鼻の先へ

酔いが出て頓と歩かれませんようになり、漸く佐賀町の河岸まで参ると正体なくなりまして、地びたへ坐って仕舞い動きませんの

屠蘇だって沢山飲めば酔うからね、酷く酔っちまッて、佐賀町川岸で動けねえ処を怪しい侍にその刀をふんだくられちまッて、宅へ帰る

安さん其の刀を盗んだ侍は、昨夜のう己も佐賀町河岸で見たが、お前がソノ新橋から乗せたという頭巾を冠った

て仕舞い、常吉の手に合わないから、仕方なしに重三郎を佐賀町河岸へ置いたなりに宅へ知せに来たと云うから、政七も驚い

八丁堀

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彼の千蔭という歌詠みがございましたが、此の人は八丁堀の与力で、加藤と申す方でございまして、同じ与力に吉田という人

熊野

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にして、起請というのは己ア知んねえが、熊野の権現さまへ誓を立てると烏ウ三羽死ぬとかいう話を聞いてる

両国

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徳「これはちょっと驚きました、両国の花火で船と川ばかりで」

仙台

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佐賀町通りをひょろ/\参りまして、佐賀町川岸から仙台川岸を向うに見て、十間ばかり往くと、番頭は袴を穿き羽織

頭巾を真深に冠り、どっしりした無紋の羽織を着、仙台平の袴を穿き、四分一拵えの小長い大小を差し、紺足袋で駕籠

が、横へ切れゝば宜いのに真直に往ったから仙台堀へ駈込んだが、暫くして浮み上り、がぶ/\遣ってる処

奴だ、サ、こゝへ来い、手当を遣ろう、向うの仙台侯のお長家下に二人ばかり頭巾を冠ってる奴が居るようだが

にかけたから、舁夫はもんどりを打ってドブりと仙台河岸へ落ると、傍に一艘の荷足船が繋いで居りまして

深川へ上げて佐賀町の友達の処で用を達し、仙台河岸へ船をもやって一服喫ってると、船の中へザブリと水

ッてんで、ヒョロ/\担いで永代橋を渡って、仙台河岸の手前の佐賀町から河岸の方へ廻って往くと、若衆駕籠を

なもんだ、詰らねえと思ってヒョロ/\帰って、仙台河岸へ廻ると、おい其の侍がスーッと長いのを鼻の先へ」

仙「あの侍は仙台河岸の侍に似てえるようだが、何うだろう」

あの頭巾をふんだくるから、汝遠くで面ア見てえて、仙台川岸の侍だったら、大きな声で其奴だアーと呶鳴れ、そうしたら己が

仙太郎が頭巾目深の怪しの侍に出逢いまして、どうも仙台河岸で見た侍に似て居るからと云うので、無法に喧嘩を

が出来んくらい貴い物で、一木三名と申しまして、仙台の柴舟、細川の初音に大内の白梅、此の一木三名を木履に作っ

奢始めは笠に下駄」という川柳が有りますが、仙台侯は伽羅の木履を穿いて吉原へおはこびになり、水戸さまは鼈甲

佐賀

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なもので、佐賀町通りをひょろ/\参りまして、佐賀町川岸から仙台川岸を向うに見て、十間ばかり往くと、番頭は

しながら漸く永代橋を担いで通った様なもので、佐賀町通りをひょろ/\参りまして、佐賀町川岸から仙台川岸を向うに

、今日高輪から乗合船で客を送り、深川へ上げて佐賀町の友達の処で用を達し、仙台河岸へ船をもやって一服

ねえ、初手から小言をいわれに帰ったようなものだ、佐賀町河岸へ帰って見るとお前、その侍が長いのを抜きやアがっ

/\担いで永代橋を渡って、仙台河岸の手前の佐賀町から河岸の方へ廻って往くと、若衆駕籠を下せ、大黒屋の床の間

と云って仕方がねえからピョコ/\帰って来て、佐賀町から河岸へ廻って往くと、おいお爺さん、その侍が鼻の

酔いが出て頓と歩かれませんようになり、漸く佐賀町の河岸まで参ると正体なくなりまして、地びたへ坐って仕舞い動きませ

屠蘇だって沢山飲めば酔うからね、酷く酔っちまッて、佐賀町川岸で動けねえ処を怪しい侍にその刀をふんだくられちまッて、宅

安さん其の刀を盗んだ侍は、昨夜のう己も佐賀町河岸で見たが、お前がソノ新橋から乗せたという頭巾を冠

て仕舞い、常吉の手に合わないから、仕方なしに重三郎を佐賀町河岸へ置いたなりに宅へ知せに来たと云うから、政七

長崎

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と、脱疽という病で、其の頃脱疽の療治などは長崎へ往かなければ見ることは出来んそうで。

千葉

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小「いや、是は国府の台で、千葉之介常胤舎弟國府五郎胤道の城跡であると申すを、此の国府の

水戸

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侯は伽羅の木履を穿いて吉原へおはこびになり、水戸さまは鼈甲の笠を冠ってお通いなされたと云いますが、伽羅

深川

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誠に安っぽいものでございます、只今でも何うかすると深川八幡の市で売って居りまするのは、殿さま、かみさま、さんじゃ

日の話でございます。紀伊國屋伊之助の許嫁の娘は、深川万年町に岡本政七という諸侯方のお目利をする小道具屋で、

爺「いや親方大層遅く、今夜は深川へお泊りのような話だったが」

止まねえのよ、今日高輪から乗合船で客を送り、深川へ上げて佐賀町の友達の処で用を達し、仙台河岸へ船を

爺さん、頭巾を冠った侍が来て、おい若衆深川の木場までやれ、へい畏りました、駕籠賃はいくら遣ろう、御如才は

仙「あれか、一人は深川の万年町の刀屋の番頭さんだ」

は、お高祖頭巾を冠り、ふッくりと綿の這入りし深川鼠三ツ紋の羽織に、藍の子もち縞の小袖の両褄を高く取っ

塩梅が悪くなり、看病人は誰が宜かろうというと、深川の刀屋のお嬢さんは許嫁だからと云うので、これが看病人に

雪「深川の方の者でございます」

桂さん、アノ一寸和尚様に告げてお呉れな、深川の方の娘さんじゃそうだが、十八九に成る方で、因縁

妙「お師匠はん何んひゃか深川辺の者やとひゅうて、十八九になる娘で御座えまふ

の手掛りも有ろうかと、仲間の小道具屋を廻り、また深川八幡へ心願を掛けまして、頻りと刀の行方を詮索致して居りまする

、本所に出まして、二ツ目の橋を渡り、深川の万年町へ参り、岡本政七に面会しようと云うので万年町差して参り

も着ようと深川の芸者が残らず羽織を着たから、深川の芸妓を羽織衆/\と称えるような事になりましたので、

おゝ嬉しいこと、吉田さん私が着よう、私も着ようと深川の芸者が残らず羽織を着たから、深川の芸妓を羽織衆/\

弾かれたが、百枚の羽織の遣り場がないから、深川の芸者に残らず着て貰いたい、恥を掻いて間が悪いから吉田

が仲の町へ行渡って居りまして仕方がないから、深川へ往って、さて斯う/\いうわけで弾かれたが、百枚の

居りまする。其の頃評判の遊女屋山口七郎右衞門の仮宅は深川仲町で、大した繁昌でございます。仮宅の時には好い花魁を買えること

類焼したために、深川に仮宅が出来ましたから、深川の賑いは実に大したことで、小さい女郎屋は馬道山谷辺の船宿の

と申します。此の火事で吉原が類焼したために、深川に仮宅が出来ましたから、深川の賑いは実に大したことで、小さい

が気兼がなくって宜かろうと云うので、方々探すと、深川扇町に明家が有りましたから、此家へ小三郎を移らせ、雇い女

宜いんで、私は伊皿子台町じゃア有りませんよ、深川万年町の先でございます」

中に居る目の悪いお客と云うは即ち稻垣小三郎で、深川扇町に居りまするが、山口屋の抱え遊女音羽というものは、浅草田原町

小「やっぱり深川の内で中木場を越えて四つ程橋を渡ると直に往かれます

田舎もんだからハアさっぱり分らねえで帰って来やしたが、深川へ仮宅が出来たってえから、ちょっくらお尋ね申すべえと思ってる内に、

新橋

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お爺さん、今日のう寅の野郎と己と二人で新橋に客待をしてえると、え、おい駕籠に乗る人担ぐ人と

のう己も佐賀町河岸で見たが、お前がソノ新橋から乗せたという頭巾を冠った侍だ」

、鼠甲斐絹の女脚半をかける世の中で、当今ならば新橋の停車場からピーと云えば直に川崎まで往かれますが、其の頃は

仙「なに、新橋の汐留の川岸から船が出ると、跡から芸者か丈助さん/\と

日本橋

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のは本当に外聞の悪りいくれえのもので、吉原でも日本橋でも何処の川通りだって、荷足の仙太と云やア随分名代の無

堀切

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ございますから、伊兵衞という固い番頭を附けて、伊之助を堀切の別荘に押込めて置きましたが、今まで遊んだ子息さんが押込められて

と云って堀切村に別荘がございますから、伊兵衞という固い番頭を附けて、伊之助を

をして居ります。とフト耳に這入ったのは、堀切の別荘に伊之助さんが押込められて窮命して居ると聞きましたから、

引取って貰わなければならねえのだが、伊之さんも堀切の寮で窮命してえるというから、私も案じられて、焦れて

己ア矢切村でハア小畠の一段も持ってるものが、堀切くんだりまで強請騙りには参りませんよ、そんな人情の解らねえ事をいっ

正「若旦那の堀切に入らっしゃる事を些とも知りませんでしたが、一昨日帰って間もなく

正「詰らねえ洒落を云ってはいけねえ、若旦那は堀切へ押込めにおなりでも、お宅がお宅だから何うかなりそうなものです

徳「堀切へ押込められたという若旦那は、紀伊國屋の若旦那かえ」

て、其処へスタ/\コラ/\を始めたゆえに堀切へ押込められた処が、心持がわるいもんだから塩梅が悪くなり、看病

た。若草は鬢髪を逆立て、片膝を立て、怨めしそうに堀切の方を延上って見詰めた時の凄いこと、実に生ながらの幽霊

菓子折を持って、其の頃のことだから小舟で見舞に堀切の別荘へ来ましたが、幇間なぞというと、極堅気の宅で

と申して、堅い気象の主人でございますから、忰を堀切の別荘へ押込めて、窮命させて置きましたので、花魁の方

も成りましたものを、そんなことは心得ませんで、堀切の別荘を預かって居ります伊兵衞と申すものが、叔母さんのおいでの

、若草の位牌を脊負って安兵衞の跡に従いて堀切の別荘へ参りました。安兵衞は直に宅へ連れ込もうかと思い

矢切に帰られねえ訳が有って、些とも帰らねえが、堀切の傍の八ツ橋畠に知ってる人が有って、其処え寝泊りするてえ

早々南のお役所へ突き出してしまい、仙太郎は船に乗って堀切の傍の八ツ橋畠へ遣ってまいり、だん/\様子を聞きましたが

と是れから二手に分れて八橋周馬は堀切の八ツ橋畠へ帰り、山田藤六は蟠竜軒へ躡けてまいりました。

は八橋周馬と名を変えて、田地や山を買い、堀切の傍の別荘に居て、金貸しをしているが、その大野惣兵

見えるように相成ったが、その八橋周馬とか申して堀切村に居る奴は、全く仇敵の大野惣兵衞に相違ないか、又

て心配して居りました、お話二つに分れて堀切の別荘に居る紀伊國屋の伊之助は、病気全快してブラ/\遊んで

ってえ言いますから、若旦那はお目が利いてゝ、大概堀切に居らっしゃると思いやしたから、一緒に連れて来たんで、三百

浅草

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も、江戸へとては十六の時に来た切で、浅草の観音さまを其の時初めて拝んだという人で、供に附いて来

娘「はい、私は浅草田原町のものでございます」

小「うむ/\浅草の田原町で」

、江戸においでの事は知らなかった……ナニ浅草の田原町へ町道場を出して……彼の、フン、あのくらいの腕前の

も果て、翌延享三年二月二十九日の晩に、浅草馬道から出火いたし、吉原へ飛火がしました。或は飛火がしたの

に居りまするが、山口屋の抱え遊女音羽というものは、浅草田原町に町道場を出して居た石川という剣術遣いの娘だが、

田原町

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娘「はい、私は浅草田原町のものでございます」

小「うむ/\浅草の田原町で」

においでの事は知らなかった……ナニ浅草の田原町へ町道場を出して……彼の、フン、あのくらいの腕前の人は

旦那さまのためには替えられません、左様なら手前が田原町に居りました時に、裏に居た女衒の小市という男を

で別れを告げ、丈助勇助が附添いまして、江戸の田原町の小市の手から山口屋へ参って話をいたしまして、玉を見せる

居りまするが、山口屋の抱え遊女音羽というものは、浅草田原町に町道場を出して居た石川という剣術遣いの娘だが、許嫁の

鐘ヶ淵

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と云いながらだん/″\山手へ附いてまいりますると、鐘ヶ淵という処に出まする。

毛綱でこれを引揚げようとしたが揚らなかったという、鐘ヶ淵と唱える処だ、或は豊島刑部左衞門秀鏡の陣鐘にして、船橋

小「オヽ見覚えがある、これはその鐘ヶ淵といい、これは鐘掛の松と申して、里見在城の折には

が深く立ってはッきり見分りませんから、彼の侍が鐘ヶ淵の水面を覗き込む、途端に安国山総寧寺の夕勤めの鐘の音

不意を打たれたから堪りません、逆トンボウを打って鐘ヶ淵へドブーンと陥りましたが、落ちながらも剣術の上手な人ゆえ油断が

も稻垣を怨んで居りまする。これを遺恨に只今稻垣を鐘ヶ淵から突落しましたが、小左衞門の死骸が市川へ落入ったか

見て、懐から小菊を取出し、大刀の血を拭って鐘ヶ淵へ投げ込み、ピタリと鍔鳴りをさせて鞘に収め、悠々と安国山

ことはお解りにはなりますまいが、旦那さまは鴻の台の鐘ヶ淵から何者とも知れず突き落されて、川の中へ落入りました」

其の小左衞門さまというお方が、昨日悪者のために鐘ヶ淵から突き落されてしまい、段々死骸を探したが今に知れないの」

鴻の台へ参りましたところ、何者とも知れず旦那さまは鐘ヶ淵へ突落され、其の儘死骸は知れず、お嬢さまが乳母を便りたいと

奴にでも欺されて突き落されたものか、鴻の台の鐘ヶ淵から逆トンボウを打って血みどり血がいになってお落ちなすって、お

せた手筈をしたのも皆んな己、それから鴻の台の鐘ヶ淵から小左衞門さまを突落させた手引もおれがしたのだから

白金台

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まで斯う遣っても置かれないと云うので、直ぐに白金台町の高野寺へ頼み、仙太郎の縁類の積りにして葬式も立派に

向島

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でも成ろうと心を決し不図家出を致しましたが、向島の白髭の傍に蟠竜軒という尼寺がございます、是へ駈込んで参り

とおろ/\泣きながら蟠竜軒を出て、向島の土手伝いに帰って参りますと、ポツリ/\と雨が顔へ当り

貰ったり、お伺を立てたりして居ります。其の頃向島の白髭に蟠竜軒という尼寺がございまして、それに美惠比丘尼という

茶屋から番傘を借り、山田が差かけ、渡を越えて向島の土手へかゝってまいりますると、向うから破れ切った編笠を冠り、細竹

、所持の田畠を残らず人に譲り、恭太郎を連れて向島へ参りまして、白髭の蟠竜軒の美惠比丘尼の弟子になり、恭太郎諸共

品川

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かぢ「お前さん何んですね、そんな事をいうと品川の女郎衆が笑いますよ」

が高く成りますから、斯んなものにからかわずに、早く品川へでも往らしって、顔を見せて、あの娘を悦ばしてお

麹町

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といって、又鎌倉河岸に十四五軒あって、麹町にもあり、方々に散ばって居たのを、今の吉原へ一

蔵前

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…宜うございます私は死にます/\、私は蔵前の売卜者に占て貰っても、お伺いをしても寿命が短かい

永代橋

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定まらんので、小僧が心配を致し、介抱しながら漸く永代橋を担いで通った様なもので、佐賀町通りをひょろ/\参りまし

と船を漕出し、永代橋を越して御浜沖へ出て、あれから田町の雁木へ船を繋け

遣れ、へえ畏まりましたッてんで、ヒョロ/\担いで永代橋を渡って、仙台河岸の手前の佐賀町から河岸の方へ廻って往く

にゃア、己あフーッてって這ッちまった、あの長え永代橋を四ン這に這って向うまで渡って、箱崎の鐵爺さんの屋台店

、恟りして、どんと腰が抜けちまッて、あの長え永代橋を這い続けに這って逃げたくれえだからね」

綾瀬川

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また子供も然ういうことになるも皆約束事だろうと思い、綾瀬川の渡口へ庵室を作り、念仏を唱えながら礫を拾って山のように

、これは堪らんと思い、刀を持ったなりドブリと綾瀬川へ飛び込むと、葮葦の繁った処に一艘船が繋いで居りました