根岸お行の松 因果塚の由来 / 三遊亭円朝 鈴木行三

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地名一覧

江戸

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お前とて若い身そら、是なり朽ちて仕舞うにも及ばない、江戸は広いところだから、今度の噂も知らないものが九分九厘あるよ

ほど呉れ人はあるがの、佐兵衞さんてえのは江戸の生れなんで、越前屋へ養子にへえッた方だから、生れ故郷が

た方だから、生れ故郷が恋しいッてえところでの、江戸から子供を貰って帰ろうと仰しゃるんだとさ、それにお内儀さんという

たって仕方がねえや、それじゃアお前売って歩きねえな、江戸は広えとこだ、買人があるかも知れねえ、子供やこども、子供は

と心配いたして、彼方此方へ縁談を頼んでおきますと、江戸は広いとこでげすから、お若が狸の伊之と怪しいことのあった

芝浜

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、伊之吉は片肌ぬぎかなんかで櫓を漕いで、セッセと芝浜の方へまいります。それも燈火がなくては水上の巡廻船に咎められる

道灌山

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になって居まして、其の外は田甫、其の向に道灌山が見える。折しも弥生の桜時、庭前の桜花は一円に咲揃い、そよ

横浜

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てはいけない、今夜の仕舞汽車で間にあうように、そして横浜まで落延びておいて、明朝一緒に往こう」

て愚痴をこぼすことも出来ないので、拠ろなく次の横浜行き九時十分まで待たねばなりません、待っているのは仕方が

も聞くことが出来ず、おい/\人は散り汽車の横浜さして行く音も幽になったから、思い切って停車場外へ出でますると、

箱根

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を巻ておるそうで、これは我が某将官の方に箱根でお目通りをいたしたとき直接に伺ったところでございます。これはお話

根岸

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さんの側を離れず夜通し居た私が、何うして根岸まで行ける訳がないじゃアありませぬか」

また腕車を急がせて根岸のはずれまで引返して来た。

主人「吉原と根岸では道程も僅だろう」

冗談も糞もあるもんか、え、おい、お前吉原から根岸まで道程は僅だぜ、何でえ、白ばっくれやアがって、人を

じけない心からお鳥目を呉れる婦人が多いので、根岸へ来れば相応に貰いがあるから、それで毎日此方へ遣って参るという

は極りましたから、それでは今夜と伊之助は分れて根岸を出てまいります。お若さんは今夜駈落を為ようというんですから、

注意に怠りはございません。さて伊之助でございますが、根岸を立出でましてから我が宿といたして居る、下谷山伏町の木賃宿上州屋に

と腐れ縁が結ばりまして、とんでもない事になるところを根岸の高根晋齋が家へ引取られましてから、病気で一歩も外へ

大阪

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ば結構な訳というもんで……、実はな、大阪の商人で越前屋佐兵衞さんてえのが、御夫婦連で江戸見物に来

あったら貰って帰りたいと探していなさるそうだよ、大阪で越佐さんと云っては大した御身代で在っしゃるんだからね、土地

晋「そら大阪の方で子供を貰おうと仰ゃる方な」

妹分で此のごろ突出された一人の娼妓は、これも大阪もので大家の娘でございましたが、家の没落に身を苦界に沈め

なさいまして、花里に親の名をお尋ねなさると、大阪で越前屋佐兵衞と申しましたが商業の失敗で零落いたし、親の為め

神奈川

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のころに里にやられていた家で、今じゃア神奈川の在にはいって百姓をしているんさ、まア兎も角もそこに落著い

馬鹿々々しい、ちょいと開けてくれさえすればあの汽車で神奈川まで一飛に往かれるもの、何ぼ規則があるからッて余まり酷い仕方、場内

は此処らにいなさらねばならぬ筈だに……こりゃ神奈川まで行って待っていなさるんだろうか、私が行先も知らないことは能く

は最うぐず/\して居られません、寧そ神奈川とやらまで行って、何うしてなりと宿屋へ泊ろうと決心されました

に何が怖しいッてこれほど怖ないものはございません。神奈川まで参って伊之助を待とうと決心を致されましたお若さんは、切符売場

決心を致されましたお若さんは、切符売場へ参り神奈川一枚と買っておりますと、悄々として遣って参った男がある

と申しますが神奈川行きの切符を買いましたから、件の男はます/\不審になります

男「お嬢さん只お一人で神奈川へ行っしゃるんでげすね、何うも変で、お嬢さん悪いことは申しませ

音が仕出して動き出しましたから、まア宜かった、まさか神奈川まで尾いては来まいと、胸なでおろしますものゝ、若しやと思って

致しましたが、そうなると直ぐ心配になって参るは神奈川へ着いてから何うしたら宜かろうか、好塩梅に伊之さんが待ってゝ

/\と遣って居りましたが、汽車は間もなく神奈川へ着きましたので、恟りして下車いたしたが、心当にして

若「はい、東京のものですが、訳あって此の神奈川へ参る途、品川の停車場で同伴にはぐれ難儀をしているところへ、悪者

に介抱して、段々と素性から何用あって深夜に神奈川へ来たと尋ねてくれるは、もう六十有余にもなる質朴の田舎爺で

、昨夜の仕舞い列車に乗りこんだらしいので、自分も兎に角神奈川へ参って探そうと汽車に乗り、停車場に着いて聞合して見れど、何

ないから、それにしても不思議だ、何うしてまア神奈川まで一人来なすったろうか知らん、大方己が前の汽車で来ていると思いこん

若「本当にそうでしょうねえ、神奈川へ行ったのも昨日今日のように思ってるが、二十年にもなるんだ

、こゝへ伴れてまいったは岩次と申し、この人と神奈川におりますうち産みました子で、岩次、これがかね/″\お前

両国

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儘戸外へ飛出して直に腕車に乗り、ガラ/\ガラ/\と両国元柳橋へ来まして、

下谷

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が、根岸を立出でましてから我が宿といたして居る、下谷山伏町の木賃宿上州屋にかえっても、雨降でげすから稼業にも出

様子に付けこんで目を放さない気味のわるい男は、下谷坂本あたりを彷徨いております勘太という奴。元は大工でげしたが

生きているに違いないからッて、尋ねてまいりましたは下谷の二長町でげすが、勝五郎の住っていた長屋は矢ッ張りございます

と申しながら不承不承請合いまして、下谷二長町からドン/\根岸へやってまいりました。高根晋齋は

深川

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がございますが、仲間うちでは芳太郎と云うものはない。深川の天神様で通っている男で頗る変人でげす。何事でも芸に

か晋齋の依頼を果そうと心懸けて居りまする。すると深川の森下に大芳と申して、大層巾のきく大工の棟梁がございます

しゅんは直ぐ弟子を勝五郎の家へ迎えにやる。勝五郎は深川へ来て話をきくと雀躍して喜び、伊之吉もまた大芳のとこ

売れてまいれば追々交際も殖る上、大芳棟梁もとより深川の変人、世間向へ顔を出すなどは大嫌いでございますから、養子の

根岸の寮で生みました双児、仕事師の勝五郎が世話で深川の大工の棟梁へ貰われてまいった伊之吉でございます。光陰は矢の

逃亡するとは怪しからん。伊之吉といえば勝五郎の世話で深川の大芳棟梁のとこへ養子にやったお若の双児であるなと

向島

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萌え出しまする弥生、世間では上野の花が咲いたの向島が芽ぐんで来たのと徐々騒がしくなって参りまする。何うもこの花の

上野

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、また来る春に草木も萌え出しまする弥生、世間では上野の花が咲いたの向島が芽ぐんで来たのと徐々騒がしくなって参り

の長官の家へ参り、それから久しゅう行かんによって上野浅草附近を散歩して」

東京

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をとって駈落と相談は付けたものゝ、たゞ暗雲に東京をつッ走ったとて何処へ落著こうという目的がなくてはなりませ

伊「いゝ処がありますぜ、東京から遠くはありませんがね、私が行って頼んだら情なくも断るまい

は何処に知ったものがいないとも限らないから、東京の土地をはやく離れてしまうがいゝわ」

伊「品川だって矢ッ張東京に違いはないが、こゝほどごた/\は仕ないから、直ぐ乗りかえる

若「はい、東京のものですが、訳あって此の神奈川へ参る途、品川の停車場で

の行方を探ることが出来ない、左様かと申して再び東京へ帰りましたところで、これとても何う探したら分ろうという目的が付きませ

齋が生きているうちに詫言せんと、久し振で東京へ出てまいり、まだ鳶頭の勝五郎も生きているに違いないからッて、

赤羽

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待っていることが出来ない。すると八時五十五分に赤羽行きの汽車が発車します報鈴がありますから、

新橋

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方を引はらい、お若と二人立出で、車に乗って新橋停車場へ着きました。調子のわるい時は悪いもので車が停車場に着く

をなで下して人心の付いた気がいたしました。新橋から品川と申せばホンの一丁場煙草一服の処で、巻莨めしあがって

廻って最う十一時に近くなる。今十五分すれば新橋から発車するのだが、この汽車が最終のもので、これに乗らね

、何うして好かとうろ/\して居りますと、新橋発十時の汽車はまた汽笛をならして通り越して仕舞う。余り停車場内を

遣って見まするが、何うも自由にならぬうちに、新橋発の汽車は品川へ着き、ぞろ/\と下車するもの乗車するもの

無性にあって堪るもんでございますか。さて品川停車場より新橋へ帰るつもりで参って見ると、パッタリ逢ったはお若さんでげす。

ないことをした、こんな事なら品川まで出掛けずに、新橋から一緒に乗るだッたにと、いろ/\と悔んでおりましたが

品川

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追かけて来ては仕様がないから、私はこの汽車で品川まで行こうかと思うんだが」

伊「品川だって矢ッ張東京に違いはないが、こゝほどごた/\は

、まるで芋の子を洗うような大騒ぎでげす。その上品川へ下りるものは吾勝に急ぎまするので、お若と伊之助は到頭はぐれて

て在っしゃるお方は一本を吸いきらぬ間に、品川々々と駅夫の声をきくぐらいでげすから、一瞬間に汽車は着きまし

で下して人心の付いた気がいたしました。新橋から品川と申せばホンの一丁場煙草一服の処で、巻莨めしあがって在っしゃる

に乗後れるのなら、別段心配する事もございません、品川には宿屋もございますことでげすから、泊る分のことゝ安心がし

、何うも自由にならぬうちに、新橋発の汽車は品川へ着き、ぞろ/\と下車するもの乗車するものでごた/\

火事が矢鱈無性にあって堪るもんでございますか。さて品川停車場より新橋へ帰るつもりで参って見ると、パッタリ逢ったはお若さ

悔んでおりました。今夜も懶けものの癖として品川へ素見にまいり、元より恵比寿講をいたす気で某楼へ登りましたは宵の口

品川の停車場でお若が怪しい様子に付けこんで目を放さない気味のわるい

のものですが、訳あって此の神奈川へ参る途、品川の停車場で同伴にはぐれ難儀をしているところへ、悪者に尾けられまし

親切にいたしてくれまする。さて、伊之助でございますが、品川の火事騒ぎでお若にはぐれ、いろ/\と尋ねましたが薩張り知れ

な、可愛そうでならないことをした、こんな事なら品川まで出掛けずに、新橋から一緒に乗るだッたにと、いろ/\と

のよって起ることゝ相成るのでございます。こゝに品川の貸座敷に和国楼と申すのがございまして大層流行ります。娼妓も二

るそうにございます。娼妓のうちで身請の多くあるは品川だと申しますも、畢竟軍艦の旦那に馴染を重ねるからのことかと

ますまい。それでげすから軍艦が碇泊したというと品川はグッと景気づいてまいる。殊に貸座敷などは一番に賑しくなるんで、

げすから、其の全盛は思いやられます。軍艦が碇泊すると品川の宿は豊年でございます。皆様御存知のとおり海上にあって毎日事務

も思っていませんから、ふらり内弟子のものと共に品川へ参り、名指で登楼って見ますと、成程なか/\の全盛で

え事なんかはありません。左様斯ういたしておるうち、品川の噂がちら/\耳に這入り、玉和国楼の花里という花魁の

八「阿魔アッて品川の奴か」

から朋友喧嘩が起るというようなさわぎ。伊之吉も凝って品川通いを始めますると、花里の方でも頻りと呼ぶ。呼ばれますから

愉快を尽されましたときに出たのが花里で、品川では軍艦の方が大のお花客でげすから、花里もその頃

お乗こみにならぬ前、磐城と申す軍艦にお在あそばし品川に碇泊なされまする折、和国楼で一夜の愉快を尽されましたとき

、先ず横須賀湾に碇泊になりますと直ぐ休暇をとって品川へお繰出しとなり、和国楼へおいでになって、身請の下談

と言葉残して芳野が吐く一条の黒煙をおき土産に品川を出帆されました。此方の花里でございます。元々好いた男と

、指図のごとく一艘の小舟を借りまして、宵の口から品川の海辺に出で汐を見ますと、丁度高潮まわりで段々と汐のさし

主水の差金で身請を諾しますと直ぐ、伊之吉の許へ品川から使い屋が飛んでまいった。此のごろは二階を堰かれている

に燈火をいれて平気で漕いでまいりました。いまは品川も遥かあとになりましたから、ホッと息をつき、

だから辛抱しておいでよ、ちょいと首を出して御覧、品川はあんなに遠くなったから、此処まで来れば大丈夫鉄の鞋だ、己

でおりますから、何うしても手懸りが付きません。品川警察へ呼出されてお調べに相成ったこともございますが、伊之吉の

から、それ/″\の手続きも致さねばならぬ、品川警察へ逃亡のお届けをいたし、若しや伊之吉のところへ参って

遣った伊之吉が、母のお若がいる家の前で品川の貸座敷の若いもの等においこまれ、己の家へ来るというも因縁

をおきゝに成りますと、引立られようと致した男女は品川の和国楼から逃亡した花里と伊之吉でございます。晋齋老人は眉

新宿

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乙「歩行新宿の裏から出しアがッたんだ、今貸座敷を嘗てアがるんだ」

浅草

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長官の家へ参り、それから久しゅう行かんによって上野浅草附近を散歩して」

千住

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、綾瀬川へ身を投げて心中した。死骸が翌朝千住大橋際へ漂着いたしました。

綾瀬川

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、この両人はその夜のうち窃に根岸を脱出し、綾瀬川へ身を投げて心中した。死骸が翌朝千住大橋際へ漂着いたしまし