名人長二 / 三遊亭円朝 鈴木行三
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に怪我の功名と申すものかと存じます。文政の頃江戸の東両国大徳院前に清兵衛と申す指物の名人がござりました。是は
京都で指物の名人と呼ばれた利齋の一番弟子で、江戸にまいって一時に名を揚げ、箱清といえば誰知らぬ者もない
贅沢と云やア雉子の打たてだの、山鳩や鵯は江戸じゃア喰えねえ、此間のア旨かったろう」
婆「江戸から来ちゃア不自由な処だってねえ」
さんの背中の穴の話になるんだが、此の前江戸から来た何とか云った落語家のように、こけえらで一節休むんだ
、疵の痛みが癒ったを幸い、十一月の初旬に江戸へ立帰りました。さて長二はお母が貧乏の中で洒ぎ洗濯や針仕事を
長「元は田舎の百姓で私の少さい時江戸へ出て来て、荒物屋を始めると火事で焼けて、間もなく親父が
長「へい、云えというなら云いますが、此の広い江戸で清兵衞と云やア知らねえ者のねえ指物師の名人だが、それア二十
、身持放埓のため、親の勘当を受け、二十歳の時江戸に来て、ある鍼医の家の玄関番に住込み、少しばかり鍼術を覚えたの
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でもなりそうで、甚く痛むと云いますから、相州の湯河原へ湯治にやろうと思いますが、病人を一人遣る訳にもいきませんから
助「湯河原は打撲と金瘡には能いというから、緩り湯治をなさるが宜い、就ては
湯河原の温泉は、相州足柄下郡宮上村と申す処にございまして、当今は土肥
宮下の方は戸数八十余、人口五百七十ばかり、宮上村は湯河原のことで、此の方は戸数三十余、人口二百七十ばかりで、田畑が少のうございます
長「そんなら己は此の湯河原へ棄てられた者だというのかえ」
婆「何を困るか知んねいが、湯河原じゃア知らねい者は無いだけんどね、私イ一番よく知ってるという
兼「ムヽそれじゃア兄いは此の湯河原の温泉のお蔭で助かったのだな」
から二十九年前の事です、私を温泉のある相州の湯河原の山ん中へ打棄ったんです、只打棄るのア世間に
が、お母さんは本当のお母さんだ……お母さん、何故私を湯河原へ棄てたんです」
た処、去年の十一月職人の兼松と共に相州の湯河原で湯治中、温泉宿へ手伝に来た婆さんから自分は棄児であって
ため、紀州の高野山へ供養塔を建立し、また相州足柄郡湯河原の向山の墓地にも、養父母のため墓碑を建てゝ手厚く供養をいたしました
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縁故により、お柳の菩提を葬うため、紀州の高野山へ供養塔を建立し、また相州足柄郡湯河原の向山の墓地にも、養父母の
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へ執成し、柳に※諛い、体よく暇を取って、入谷へ世帯を持ち、幸兵衞を同居いたさせ置き、柳と密会を致させ
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諸病に効能があると申します。西は西山、東は上野山、南は向山、北は藤木山という山で囲まれている山間の村
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たが、何を申すも急所の深手、諸行無常と告渡る浅草寺の鐘の音を冥府へ苞に敢なくも、其の儘息は絶えにけりと
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岩村玄石を縛りあげて厳重に取調べますと、此の者は越中国射水郡高岡の町医の忰で、身持放埓のため、親の勘当を受け、
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、慥か御新造が十九の時で、四月の二十日に奥州へ行くと云って暇乞にまいりました人に、旦那様が塩釜様のお
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着ていたから、何という物だと聞いたら、八幡黒の半纒革だと云ったっけ」
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たのだとも云って、判然はしませんが、谷中の天竜院の和尚の話に、何故か幸兵衞が度々来て、長二
いたしました。墓は孝徳院長譽義秀居士と題して、谷中の天竜寺に残ってございます。
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怪我の功名と申すものかと存じます。文政の頃江戸の東両国大徳院前に清兵衛と申す指物の名人がござりました。是は京都で指物の名人
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前に清兵衛と申す指物の名人がござりました。是は京都で指物の名人と呼ばれた利齋の一番弟子で、江戸にまいって一時
処、親方はお心掛が潔白で、指物にかけては京都の利齋当地の清兵衛親方にも優るという評判を聞及びましたから、此の
長「京都へ行って利齋の弟子になる積りで、家をしまったのです」
長「さア、それだから京都へ修業に行くのだ、親方より上手な師匠を取る気だ」
長「嘘を吐いたッて仕方がねえ、私が京都で修業をして名人になッたって、己の弟子だと云わねえ
、指が二本とも長いというところで長二としよう、京都の利齋親方の指も此の通りだから、此の小僧も仕立てようで後に
慥か二十日正月の日でございました、急な御用で京都へお出でになりましたから、御新造が御自分でお連れなされたの
だと云ったのだ、二分の草鞋がありゃア、京都へ二三度行って帰ることが出来る」
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漸々に幸兵衛が龜甲屋お柳方へ入夫になる時、下谷稲荷町の美濃屋茂二作と其の女房お由が媒妁同様に周旋をしたと
奉行「下谷稲荷町徳平店茂二作、並に妻由、其の他名主、代組合の者残ら
鰻屋へ立寄り、大屋徳平に夕飯をふるまい、徳平に別れて下谷稲荷町の宅へ戻りましたのは夕七時半過で、空はどんより
家の玄関番に住込み、少しばかり鍼術を覚えたので、下谷金杉村に看板をかけ、幇間半分に諸家へ出入をいたして居るうち、
浅草鳥越片町龜甲屋手代萬助、本所元町與兵衛店恒太郎、下谷稲荷町徳平店茂二作並に妻由、越中国高岡無宿玄石、其の外町役人組合
奉「下谷稲荷町茂二作家主徳平、並に浅草鳥越片町龜甲屋差配簑七、其の方斯様なる
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の十一月五日に八十三歳で歿しました。墓は深川亀住町閻魔堂地中の不動院に遺って、戒名を參清自空信士と申します
事でございました。其の年の四月から五月まで深川に成田の不動尊のお開帳があって、大層賑いました。其のお開帳
九日の夕方長二の宅へ立寄りました。丁度兼松は深川六間堀に居る伯母の病気見舞に行き、雇婆さんは自分の用達に
の地蔵橋の國廣の打った鑿と、浅草田圃の吉廣、深川の田安前の政鍜冶の打った二挺の鉋の研上げたのを
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丁稚に言付けて、長二を呼びにやりました。其の頃蔵前の坂倉屋と申しては贅沢を極めて、金銭を湯水のように使い
不器用長二の話を、其の頃浅草蔵前に住居いたしました坂倉屋助七と申す大家の主人が聞きまして、面白い
拵えてもらう物があるから直に来ておくんなさい、蔵前には幾軒も坂倉屋があるから一緒にまいりましょうと云ったんで
三「私ですか、私は仰しゃった通り、蔵前の坂倉屋だが、拵えてもらう物があるから直に来ておくん
たのでございましょうが、奉行は予て邸へ出入をする蔵前の坂倉屋の主人から、長二の身持の善き事と伎倆の非凡なる
の矢筈絣の振袖で出てまいりましたのは、浅草蔵前の坂倉屋助七の娘お島で、当お邸へ奉公に上り、名
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不器用長二の話を、其の頃浅草蔵前に住居いたしました坂倉屋助七と申す大家の主人が聞きまして、
お願い申します、お暇というはございますまいけれど、自然浅草辺へお出での節はお立寄り下さい」
和「まア少しお待ちなさい、今のお方は浅草鳥越の龜甲屋幸兵衛様というて私の一檀家じゃ、なか/\の
使っているうち、何時か夫婦となり、四五年前に浅草鳥越へ引移って来たとも云い、又先の亭主の存生中から
たが、何を申すも急所の深手、諸行無常と告渡る浅草寺の鐘の音を冥府へ苞に敢なくも、其の儘息は絶えに
呼ばれました神田の地蔵橋の國廣の打った鑿と、浅草田圃の吉廣、深川の田安前の政鍜冶の打った二挺の鉋の
奉「浅草鳥越片町幸兵衛手代萬助、本所元町與兵衛店恒太郎、訴訟人長二郎並びに家主
紫の矢筈絣の振袖で出てまいりましたのは、浅草蔵前の坂倉屋助七の娘お島で、当お邸へ奉公に上り、
奉行「訴人長二郎、浅草鳥越片町龜甲屋手代萬助、本所元町與兵衛店恒太郎、下谷稲荷町徳平店茂二
奉「下谷稲荷町茂二作家主徳平、並に浅草鳥越片町龜甲屋差配簑七、其の方斯様なる悪人どもが自分の差配中に住居
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諸病に効能があると申します。西は西山、東は上野山、南は向山、北は藤木山という山で囲まれている山間
湯屋(加藤廣吉)藤屋(加藤文左衛門)藤田屋(加藤林平)上野屋(渡邊定吉)伊豆屋(八龜藤吉)などで、当今は伊藤周造
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ねえ、何でも己が五歳の時田舎から出て、神田の三河町へ荒物店を出すと間もなく、寛政九年の二月だ
、行灯の前で其の頃鍜冶の名人と呼ばれました神田の地蔵橋の國廣の打った鑿と、浅草田圃の吉廣、深川の田安前
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に幸兵衛が龜甲屋お柳方へ入夫になる時、下谷稲荷町の美濃屋茂二作と其の女房お由が媒妁同様に周旋をしたということ
奉行「下谷稲荷町徳平店茂二作、並に妻由、其の他名主、代組合の者残らず
へ立寄り、大屋徳平に夕飯をふるまい、徳平に別れて下谷稲荷町の宅へ戻りましたのは夕七時半過で、空はどんより曇って
鳥越片町龜甲屋手代萬助、本所元町與兵衛店恒太郎、下谷稲荷町徳平店茂二作並に妻由、越中国高岡無宿玄石、其の外町役人組合の
奉「下谷稲荷町茂二作家主徳平、並に浅草鳥越片町龜甲屋差配簑七、其の方斯様なる悪人
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ましたが、御新造のお乳が出ませんので、八王子のお家へ頼んで里におやんなさいましたが、間も無く歿った
奉「その小児を八王子へ遣る時、誰がまいった、親半右衛門でも連れてまいったか」
茂「へい八王子の千人同心だと申す事でございますが、家が死絶えて、
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老中青山下野守様、阿部備中守様、水野出羽守様、大久保加賀守様と御評議の上、時の将軍家齊公へ長二郎の罪科御