松と藤芸妓の替紋 / 三遊亭円朝

松と藤芸妓の替紋のword cloud

地名一覧

駿府

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では深川六間堀へ蟄息致して居ましたが、駿府から親族の者が出て来まして、金策が出来、商法の目的を附け

に御無沙汰、一寸来なくちゃアならんのだけれども、駿府の方から親戚の者が出て来て居るもんだに依ってな何や

これから母も得心だから蠣殻町へ店を借受けまして、駿府から葉茶を引いて、慣れん事だが又慣れた者が附きまして、

奥州

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風流の道というものは長崎の果の先生でも、奥州の人とも手紙の遣り取りをして交際をするものだがね、久馬様は

王子

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庄「王子の茶園に往って送り込を頼んで来た、二三日中に送り込むだろうが

化物屋敷の簾のようにずた/\になって、王子の製紙場へ遣っても宜しいという結びだらけの細帯、焼穴だらけの

北海道

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久次郎に渡された………それより青森へ参って、北海道へ渡って、暫く函館地方に居ったが、時治まって横浜に出て参っ

長者町

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美「私は久振ですから長者町の福寿庵へ往っておらいさんに逢って、義理をして往きたいん

横浜

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処を免れ、よう/\の事で世界が鎮まってから横浜へ出てまいり、外国人と取引を致し、図らざる処の幸福を得ました

新「僕も少し頼まれた事が有ってその実は横浜まで買物に往かなければならんから、それでは明後日という事に極めましょう

へ渡って、暫く函館地方に居ったが、時治まって横浜に出て参って只今では聊か活計の道を立て……これから僕も

ところに一人の妹をらしゃめんにするとって、私を横浜に置去りにして、五十両の手金を持ってお逃げなすった事をお

ふみ「私はお前に置去りにされて、知らない横浜の富田屋さんの家に泣暮して居ましたよ、処へ富貴楼のお内儀さん

………後は妹一人で仕様が無え、今では横浜へ往って居りやすが、何うも身上を大きくするくらいの奴は無理な算段

いる訳にも往かねえで、今では子供を連れて横浜へ往ってますが旦那、冗談じゃア無え、あの時私ア拾った煙草入だ

三「へい誠に御無沙汰致しました、横浜にお出でなさる事は聞きましたが、何うも浜だから一寸お尋ね申す

笠森稲荷

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供をさせて、人力でどっとと降る中を谷中の笠森稲荷の手前の横町を曲って、上にも笠森稲荷というが有りますが、

谷中の笠森稲荷の手前の横町を曲って、上にも笠森稲荷というが有りますが、下の方が何か瘡毒の願が利くとか

琉球

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ございましたが、南部の藍の万筋の下へ、琉球の変り飛白の下著、まだ其の頃は余り兵児帯は締めません時分だから

会津藩

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芸妓が有りますが、あれは腹から芸人じゃア無い事は会津藩の斯々という者の娘でと、すっかりお前の身の上を明した処が、

処へ来ましたよ、他の芸妓と違ってお前は会津藩でも大禄を取った人の娘だから、よもや己を騙すような事は

本郷

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居るってえんで、何だか目が潰れてしまって、本郷の切通しを下りるにも三度とか四度とか転んだが、下へ

万世橋

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、天神の中坂下を突当って、妻恋坂を曲って万世橋から美土代町へ掛る道へ先廻りをして、藤川庄三郎は、妻恋坂下に一万

松山

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…何かえお前のお父さんは会津様の御家来で、松山久馬様と云って七百石取ったお方だろうね」

娘を身請して、好いた男と添わしてやって松山という暖簾でも掛けさせて、何処かへ別家を出して遣りたいの

なった事もあるてえので、美代ちゃんを身請して松山とか久馬様とかいう暖簾を掛けさせ度いッてんで、何も

で知って居るから、身請をして妹分にして、松山の姓を立てさせて遣り度いって今話があったばかりなんです

十九ケ年振りで真実の妹に遇い何うか身請をして松山の家を立てさせて、思う男の藤川庄三郎に添わしてやりたいと

と云いさま、此方も元は会津の藩中松山久次郎…聊か腕に覚が有りまするから、庄三郎の片手を抑えた

身請を致すのではござらん、美代吉の真実の兄で松山久次郎と申す者でござるぞ」

庄「へい、なに松山…――美代吉の兄とはそれは又何ういう訳」

た故に、何うぞ美代吉を身請致して別家を為し、松山の名跡を立てさせたい、殊には貴方様と何うか御相談の上

でございます……その短冊から段々問い合せますると、松山久馬の娘である、父も兄も相果て、母が病中斯様な処

が今御徒町一丁目の十六番地へ葉茶屋を出しました、松山園とかいう暖簾を出して、亭主の方が坊ちゃん育ちの善い人

男で、車を拵えて、余り遠くも有りません御徒町松山園に参り、台所から、

ませんが、お高も余程頂戴致した様子………松山久馬の次男の久次郎と申す者だとよく私に申しました」

美「あらまア、まア何うも、あら松山さんていの、あらまア一寸三八さん旦那は私の兄さんだよ、何うも

\感心だ、実に年は往かないが、是は矢張松山さんのお胤だけ有って、私ア聞いて居てぽろりと来ました

後々は我が財産は松山の御子達へ引渡し候処実証なり松山の家名は二人の子供を以て跡目相続を頼み入り候妻お久は年若故

立たず自害致し相果て候我等なき後々は我が財産は松山の御子達へ引渡し候処実証なり松山の家名は二人の子供を以て

を身受致夫婦と相成候それ故に苗字を取て松山園と号け居りしが昨夜親子の困難を見殊に助太刀の頼み人は知ら

に差し上げ候間是にて妹お久を身請して女房となし松山の家を立てさせくれと今際の頼み其の場は遁れ去り其の金五百円にて

待受して新助殿を殺害致し候其の時新助殿始めて松山の次男なる事を打明し十九ケ年の年月を経て妹お久に巡り合い身請

という。おふみが死去の後に子供等が引続きまして松山の家を立てまする。御徒町の腹切と人の噂を聞きまして、愚作

長崎

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俳諧が好きであったが、風流の道というものは長崎の果の先生でも、奥州の人とも手紙の遣り取りをして交際を

青森

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短冊を此の久次郎に渡された………それより青森へ参って、北海道へ渡って、暫く函館地方に居ったが、時治まっ

下谷

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ますと、検屍事済になって死骸を引取りまして、下谷の広徳寺に野辺送りをする事に成りましたが、誰が殺したか

は僕ア道楽てえものは今迄仕た事はねえが、下谷へ来てから誘われて一度遊んだのが病付で、其の後は

で、先松源と鳥八十、大茂へまいりまして、又下谷の芸妓ではお稻に小〆、小竹、小ゑつ、おみき………

深川

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、娼妓の身請はよく有りますけれども、芸妓の身請は深川ばかりで、町芸妓の身請という事は余り昔は無かったものでござい

。所へ来ましたのは藤川庄三郎で、此の頃では深川六間堀へ蟄息致して居ましたが、駿府から親族の者が出

庄「なにね深川の方の知己の処に蟄息して居たが、遠州の親族の者

ア誠に御無沙汰をしましたが、少し訳が有って深川の方に引込んでいたので、存じながら御無沙汰になりましたが、

上野

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耳付の帽子が其の頃流行ったものゆえ、これを冠り上野の広小路を通り掛ると、大茂の家から出て来ましたのは、

久馬様はおなくなりになって、惣領のお兄いさまは上野の戦争で討死をなすったということを聞いたが、お母さんは未だ御

かも旦那はよく御存じですが、私は母と一緒に上野の先の箕の輪という処へ参りましたは、前々勤めてい

庄「お前のお母さんのお墓参りをして、帰りに上野の彰義隊のお墓参りをして、それから奧州屋さんのお墓参り

よりぶら/\遊歩を致して母の墓参りをして、上野を抜けて広小路へ参り、万円山広徳寺に来て奧州屋新助の

東京

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致し、図らざる処の幸福を得ました処から、まだ東京は開けません時分故、洋物店を神田美土代町へ開きましたが、大層繁昌

富貴楼の御夫婦が御親切になすって下さったが、東京に親戚も有りますから、それを力に上りますると、昨年の九月

浅草

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を見た処が古銅の置物というわけでもなし、浅草の中見世で買って来たお多福の人形が飾って有り、唐戸を開ける

神田

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下女「あの神田の美土代町まで幾許だえ」

向島

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堅い妓でございましたけれども、お前さんに誘い出されて向島くんだりへ往ってさ、二晩や三晩家を明けた事も有ります

日本橋

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……へい何方で、日本橋の方へお帰りですか、日本橋なれば、私も彼方の方へ帰るんですが何方なんですか、

安くお幾許でも宜いんですが……へい何方で、日本橋の方へお帰りですか、日本橋なれば、私も彼方の方へ帰る

駒込

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狭い横町をずうッと抜けると田圃に出て、向うがすうっと駒込の方の山手に続き微かに未だ藪蕎麦の灯火が残っている。田圃道

庄「なゝゝなんだ、あアあのなんだ、こゝ駒込の富士前の方から帰って来たら、青物市場の処を通ると、

成るお豐という子に手を引かれて居ります。駒込片町の安泊に居りまして、切通しの坂を下りてよう/\此処

いうまア何ですか、お寒うございましたろう、何処から、駒込から、いやそれは大変でした、さゝ此方へお出でなすって火鉢の

な訳、何処と云って頼る処もございませんから、駒込片町の三春屋と申す安泊りに居りまする」

三「何うしたって仕ねえって、驚いたね何うも、駒込の安泊に居るってえんで、何だか目が潰れてしまって、

新橋

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は恐ろしいもんで、何うも大したもので、是から柳橋と新橋と吉原へまいりましょう」

御徒町

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、越して新らしく此の頃建った家を借りて、それが今御徒町一丁目の十六番地へ葉茶屋を出しました、松山園とかいう暖簾を

な男で、車を拵えて、余り遠くも有りません御徒町松山園に参り、台所から、

後に子供等が引続きまして松山の家を立てまする。御徒町の腹切と人の噂を聞きまして、愚作なれど一冊のお話

八王子

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茶の黒ぽい縞の布子に縞の前掛に、帯は八王子博多を締めて、商人然としている。かた/\の方は南部

永田町

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一番上手なお医者さんに診てお貰いなさい、おゝ永田町の伊藤方成先生が、私はあの方に御贔屓になった事が