西洋人情話 英国孝子ジョージスミス之伝 / 三遊亭円朝 鈴木行三
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明治四五年の頃大分宿屋が出来ましたが、外神田松永町佐久間町あの辺には其の頃大きな宿屋の出来ましたことでございますが、其の中
て、春見丈助様は前橋様の御重役で、神田の佐久間町へ宿屋を出したと云うから、其処に泊っていて買え出しをすると
しも、慣れぬ事とて皆な仕損じ、七年前に佐久間町へ旅人宿を開きし折、これ重二郎殿、君の親御助右衞門
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訳でございやす、忘れもしやせん、私が道楽をして江戸を喰詰め前橋へまいって居って、棟梁の処から弁当を提げて、あなた
入れた田地家蔵は人に取られ、身代限りをして江戸へ来ても馴染がねえから、何をしても損をしたんだ
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つ、行平鍋が六つ、泥の鍋さ、是は八丁堀の神谷通りの角の瀬戸物屋で買うと廉いよ、四銭五厘ずつで
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竜動より三時間で往復の出来る処、日本で云えば横浜のような繁昌な港で、東京で申せば霊岸島鉄砲洲などの模様だ
助「横浜でも買出しをして、それから東京でも買出しをして、遅くもどう
て、唐物を買出しに来たゞが、馴染が少ないから横浜へ往って些とべい買出しをしべいと思って東京でも仕入れようと思って出
助「髪も湯も入りません、今横浜に安い物が有るから、今晩の中に往って居らなければならんから、
丈「それは宜いが、まア慌てちゃいけん、横浜あたりへ往って、あの狡猾世界でうか/\三千円の物を買えば
又「只今主人の申します通り、横浜は狡猾な人の多く居ります所だから、損をするのは極って居り
ございます、今夜の内に何うしても斯うしても横浜まで往かなければ成らぬ、売れてしまわぬ前に私が往けば安いという
一寸お出でになり、どう云う訳だか取急ぎ、横浜へ買出しに往くと云って、直ぐ往こうとなさるから、久振で逢って懐かしい
緩々お話もしたいと留めても聞入れず、振り切って横浜へいらしったが、それっ切り未だお宅へ帰らんかえ」
丈「一寸お出でにはなったが、取急ぎ横浜へ往くと云ってお帰りになった」
丈「今もいう通り直ぐに横浜へ往くと云って、お帰りなすったよ」
から、そとへ出て重二郎は文吉に別れ、親父が横浜へ往ったとの事ゆえ、横浜を残らず捜しましたが居りませんの
文吉に別れ、親父が横浜へ往ったとの事ゆえ、横浜を残らず捜しましたが居りませんので、また東京へ帰り、浅草、
持って唐物屋とか洋物屋とかを始めると云って横浜から東京へ買え出しに出たんだよ、ところが他に馴染の宿屋が
た所が、此方へ来た事は来たが、直ぐ横浜へ往ったが、未だ帰らねえかと云われ、忰も驚いて帰り、手
成程それは来ました、さア来ましたが、直に横浜へ往くと云うから、まア一晩泊ったら宜かろうと云ったが聞き入れず、直
は預かったに違いないが、清水殿が金を預けて横浜へ参り、年月を経っても取りに来ないところから、段々僕も微禄し
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時分の弐拾両はたいしたものだ、其の金を貰って草津へ往き、すっかり湯治をして帰りに沢渡へ廻り、身体を洗って帰って
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森は船中で一泊して、翌日は堺から栗橋、古河へ着いたのは昼の十二時頃で、古河の船渡へ荷を揚げて
車「なに失敬も何もあるものか、古河の船渡で車を雇うのに、値切もしずに佐野まで極め、其の
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、井生森は船中で一泊して、翌日は堺から栗橋、古河へ着いたのは昼の十二時頃で、古河の船渡へ荷を
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これから東京へ帰ったが、此の時節に成りやしたから大阪へ往ったり、又少とばかり知る者があって長崎の方へ往って、
其の年を送って、石川県へ往って三年ばかり経って大阪へまいった所、知ての通り芸子舞子の美人揃いだからたまらない、君
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たが居りませんので、また東京へ帰り、浅草、本郷と捜しましたが知れません。仕方がないから重二郎は前橋へ立帰りまし
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んから、井生森は船中で一泊して、翌日は堺から栗橋、古河へ着いたのは昼の十二時頃で、古河の船渡へ
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床「両国の電信局かね」
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ます所へ、夕景に這入って来ました男は、矢張前橋侯の藩で極下役でございます、井生森又作という三十五歳に
ます。このナタンブノルを井生森又作と致しジョン、ハミールトンを前橋の重役で千二百石取りました春見丈助利秋という者にいたしてお話
は、彼国で蒸汽の船長でございます。これを上州前橋竪町の御用達で清水助右衞門と直してお話を致します。其の子
困り果てゝ居ります所へ入って来ましたのは、前橋竪町の御用達の清水助右衞門という豪家でございます。此の人も色々
丈「こう云う訳になって致方がない、前橋の方も尋ねたいと思って居たが、何分貧乏暇なしで御無沙汰に
何かすべいと思っていると、段々聞けば県庁が前橋へ引けるという評判だから、此所で取付かなければなんねいから、洋物
ですから旧弊頭は遣りません…おや、あなたは前橋の旦那ですねえ」
文「大辛抱でございます旦那どうもねえ、前橋にいる時には道楽をして、若い衆の中へ入って悪いことを
も売れますぜ、お遣りなさい結構でげすな、それに前橋へ県が引けると云うからそうなれば、福々ですぜ、宿屋は何処へ
と十月から十二月まで栄えて居りました。此方は前橋竪町の清水助右衞門の忰重二郎や女房は、助右衞門の帰り
重「ひえ、私は前橋竪町の清水助右衞門の忰でござりやすが、親父が十月国を
ますと、向うから来たのは廻りの髪結い文吉で、前橋にいた時分から馴染でございますから。
たが、見違えるように大きくお成んなすったねえ、私が前橋に居りやした時分には、大旦那には種々御厄介になりまして
捜しましたが知れません。仕方がないから重二郎は前橋へ立帰りました。お話跡へ戻りまして、井生森又作は清水
に知られまする程の富豪になりました。又一方は前橋の竪町で、清水助右衞門と云って名高い富豪でありましたが、
重「はい、私ア前橋の竪町の者でございまして、只今は御近辺に参って居りますが
「縁のない所からまいった訳ではありません、前橋竪町の清水助右衞門の忰重二郎が参ったとお云いなすって下さい
誠に久しく逢いません、私も此方へ転居して暫く前橋へも往きませんが、お変りはないかね、お父さんは七年前
ま「私も元は清水と申して、上州前橋で御用達をいたしました者の娘、如何に零落れ裏店に入っていまして
此の観音さまは見た事があるが、慥か持主は上州前橋の清水という御用達で、助右衞門様のであったが、何うし
てしまいましたが、今年で丁度十四年前、私が前橋にくすぶっていた時、清水の旦那には一通りならねえ御恩を戴い
気の毒な事だと云って、見舞に来て下すった、前橋にいた時分のお馴染だという事でございます」
いたし、仕手方を使う身分に成りましたから、前橋の方へ御機嫌伺いにまいりましょうと思って居りやす所へ、嬉しい一生懸命で
、忘れもしやせん、私が道楽をして江戸を喰詰め前橋へまいって居って、棟梁の処から弁当を提げて、あなたの処へ
他に馴染の宿屋がねえと云って、春見丈助様は前橋様の御重役で、神田の佐久間町へ宿屋を出したと云うから、
清「旦那え、私が前橋にくすぶって居りましたとき、清水さんの御厄介になりました、その
て来て、馴染の宿屋もねえ事ですから、元前橋で御重役をなすった貴方が、東京へ宿屋を出してお在なさるから
が彼は我実子にあらず、我剣道の師にて元前橋侯の御指南番たりし、荒木左膳と申す者の娘の子なり」
跡方は障りなく春見の身代は清水重二郎所有となり、前橋竪町の清水の家を起しましたゆえ、母は悦びて眼病も全快致し
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、東京までは帰って来たが、致方がないから下谷金杉の島田久左衞門という者の宅に居候の身の上、尊君に
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から大阪へ往ったり、又少とばかり知る者があって長崎の方へ往って、くすぶって居て、存じながら手紙も上げず、御無沙汰
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から、心勇んで其の死骸を担ぎ出し、荷足船に載せ、深川扇橋から猿田船の出る時分でございますから、此の船に載せて送る積り
があるが、彼の時死骸を荷足船で積出し、深川の扇橋から猿田船へ移し、上乗をして古河の船渡へ上り、人力車
と云って中々聞き入れません。此の婆は元は深川の泥水育ちのあば摺れもので、頭の真中が河童の皿のよう
又「お宅から船へ積んで深川扇橋へ持って往き、猿田船へ載せ、僕が上乗をして古河
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処、日本で云えば横浜のような繁昌な港で、東京で申せば霊岸島鉄砲洲などの模様だと申すことで、その世界に
大きに何も彼もぐれはまに相成って、致し方なく、東京までは帰って来たが、致方がないから下谷金杉の島田久左
助「横浜でも買出しをして、それから東京でも買出しをして、遅くもどうかまア十一月中頃までに帰ろうと
助「東京へは久しぶりで出てまいって、それに又様子が変りましたな、
ながら御無沙汰をしました、宜く出てお出でなすった、東京見物ですかえ」
少ないから横浜へ往って些とべい買出しをしべいと思って東京でも仕入れようと思って出て来た」
ので、今年十七歳になる重二郎が親父を案じて東京へ出てまいり、神田佐久間町の春見丈助の門口へ来ますと、二階に
た、此間お父さんが出ていらっしゃいやしたから、お前さんも東京を御見物に入らしったのでございやしょう」
横浜を残らず捜しましたが居りませんので、また東京へ帰り、浅草、本郷と捜しましたが知れません。仕方がないから
又「馬鹿を云え、東京から他県へ死人を持って来るものがあるかえ、白痴たことを云う
前に他県へ参って身を隠して居たが、今度東京へ出て参ったから、春見君に御面会いたしたいと心得て参った
よりも東京へ帰ったら、又どうかなろうと思い、早々東京へ来て、坂本二丁目の知己の許に同居していたが、君
に遣い果して仕方なく、知らん所へ何時まで居るよりも東京へ帰ったら、又どうかなろうと思い、早々東京へ来て、坂本二丁目
に心配して居りますのも、七年前に父が東京へ買出しに出ましたぎり、今だに帰りませず、音も沙汰もござい
ません、確かりしておいでなさい、旦那は七年前東京へお出でなされ、お帰りのないのに捜しもしなさらないのかね」
の御恩は死んでも忘れやせん、私アこれから東京へ帰ったが、此の時節に成りやしたから大阪へ往ったり、又少
清「えゝ御尤でございやす、あれだけの御身代が東京へ来て、裏家住いをなさろうとは夢にも私は存じやせんでし
唐物屋とか洋物屋とかを始めると云って横浜から東京へ買え出しに出たんだよ、ところが他に馴染の宿屋がねえ
死んでしまいますが、万一許嫁の内儀さんでも田舎から東京へ出て来てそれを女房になさるなら、それで宜しゅうございますから、
事ですから、元前橋で御重役をなすった貴方が、東京へ宿屋を出してお在なさるから、彼方へ行って金を預けて買出し
を始めるのに就いて高利を借り三千円の金を持って東京へ買出しに出て来て、馴染の宿屋もねえ事ですから、元
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助「大宮から歩いて参りまして草臥れましたから、どうかお湯を一杯戴きたい
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捜しましたが居りませんので、また東京へ帰り、浅草、本郷と捜しましたが知れません。仕方がないから重二郎は前橋
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ねい、己今でこそ車を引いてるが、元は大久保政五郎の親類で、駈出しの賭博打だが、漆原の嘉十と云った
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は引換え清水助右衞門の忰重二郎は、母諸共に千住へ引移りまして、掃部宿で少し許りの商法を開きました所が、
、お母と両人で手振編笠で仕方がねえから、千住へまいって小商いを始めましたが、お母が長々の眼病で、とうとう
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と云って、春見丈助様は前橋様の御重役で、神田の佐久間町へ宿屋を出したと云うから、其処に泊っていて買え
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だん/\と細くなりますゆえ、二人も不憫に思い、蔵前の座敷に有合う違棚の葡萄酒とコップを取出して、両人の前へ差出せ