業平文治漂流奇談 / 三遊亭円朝 鈴木行三
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の事でございます。文治が助けた田舎の人が、江戸へ来て文治に馳走をすると云うので浅草辺で馳走になって帰る
ながら橋を渡って来ると、向うから前橋竪町の商人が江戸へ商用で出て来て、其の晩亀戸の巴屋で友達と一緒に一
て、エー何とも重々恐れ入りやした、田舎者で始めて江戸へ参りやして、亀井戸へ参詣して巴屋で一杯傾けやした処が、
あの人は堅いからお前に助けられた恩を忘れず、江戸へ出さえすれば再度訪ねてくれます、殊に毎度手紙を贈ってくれて、
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忠「京の鴨川から来た人で、只今早稲田に居ります、早稲田の高田の馬場の下辺り
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申して誠に私も心配致します、オホヽヽヽヽ、貴方様は番町の殿様で」
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は浅草山の宿へ越したから、それを知らずに早稲田まで行くと空しくなる、これから貴公が往って勧めて早稲田まで行くと夜遅く
、たしなみの一本を差しまして、深編笠を冠って早稲田へ尋ねて行くと、鴨川壽仙は山の宿へ越したと云われて
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ない、此の次は来月二日であるかと云いながら、神楽坂まで来ると、車軸を流すようにざア/\と降出して雨の止む
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が、不思議の縁で昨年来よりして手前店請になって駒形へ店を出させました廉もございましたが、久しく音信もございません
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と返事をして台所の方から来たのは、本所の番場で森松と云う賭博兇状持で、畳の上では生きていられ
暖かな日ですから、昨夜の女に四十金恵もうと、本所松倉町の裏家住居小野庄左衞門の宅へ尋ねて参りました。此の庄左
友「へー、それはどうも有がとうございます、此の方は本所の剣術の先生かえ」
森「己は本所の番場の森松よ」
文「私は本所の業平橋にいる浪島文治郎と云う至って粗忽者、此の後とも御別懇に願い
長「はア、本所業平橋の浪島文治郎と仰ゃるのか、亥太郎の親父長藏と申します、
「何か土産を持って往きてえが何がいゝだろう、本所は酒がよくねえから鎌倉河岸の豐島屋で酒を半駄買って往こう」
う何うも、誠につまらねえ品でござえやすが、本所にはいゝ酒がねえと思って豐島屋のを一本持って来て、
一人で外出を致しませんでしたが、安永九年に本所五目の羅漢堂建立で栄螺堂が出来ました。只今では本所の割下水へ
の羅漢堂建立で栄螺堂が出来ました。只今では本所の割下水へ引けましたが、其の頃は大した立派な堂でございました。
士「本所の宅へ来て貰いたいのだが何うだね、多分の物は買わぬ
友「成程、本所北割下水大伴様、へえ明後日ではお遅うございましょうか」
友「へー、この二月月末、本所北割下水大伴蟠龍軒と云う剣術遣いの先生の舎弟の蟠作と云うものが
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私を女郎にしてしまうと云うから、仕方なしに私は吾妻橋から身を投げて死にますから、其の前に一目逢いたいから、お店を首尾
牛屋の雁木へ参りますと、暮の事でございますから吾妻橋の橋の上には提灯がチラリ/\見えます。
、己だけ死におくれたが、迚も此処じゃア死ねえから吾妻橋から飛込むから、今は退潮か上汐か知らないが、潮に逆らっても吾妻橋
て居り、月代を摺りこわしたなりでひょろ/\しながら吾妻橋まで来たが、昼ならどのくらい人が驚くか知れません。其の時まだ
己は死後れて死切れないから漸く堤へ上って、吾妻橋から飛込もうと思って来た処が、まだ人通りがあって飛こむ事もなら
来た事を知ったのだ、若し知らずに己が吾妻橋から飛こんで仕舞ったら手前は跡で此の方に身を任せて、線香一本
から、毎日々々雨が降っても風が吹いても吾妻橋を渡って参ります。或日の事文治郎は森松を使に出して独りで
お母様には上州前橋の松屋新兵衞が来て逢いたいから吾妻橋の海老屋で待っているとお母様に言ってくれと、こしらえ事ではあり
ます時も頓と無沙汰で越しました、然る処、昨夜吾妻橋を通り掛りますると、友之助が吾妻橋の中央より身を投げようと致す様子、狂気
た、然る処、昨夜吾妻橋を通り掛りますると、友之助が吾妻橋の中央より身を投げようと致す様子、狂気の如く相成って居ります故、
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長「赤坂へお出なさるとえ」
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なり、安永九年二月の中旬に、文治郎の母が成田山へ参詣に参りますに就き、おかやと云う実の姪と清助と云う近所
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りまするが、お話変ってこれは十二月二十三日の事で、両国吉川町にお村と云う芸者がございましたが、その頃柳橋に芸者が七人ありま
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(例)以前下谷
に浪島文治郎と云う侠客がありました。此の人は以前下谷御成街道の堀丹波守様の御家来で、三百八十石頂戴した浪島文吾
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娘「はい、荒井町の秋田穗庵さんと云うお医者様に診て戴きましたが、真珠の入る
町「なアにそうじゃアございませんでした、秋田穗庵さまが入しったのでした」
のお心もお察し申して段々お尋ね申した処、秋田穗庵とか云う医者が真珠の入った薬なれば癒るが、それを
と、一軒置いて隣りの小野庄左衞門の所へ秋田穗庵が剣術遣いを連れて来て、
、和田原八十兵衞の利腕を後からむずと押え、片手に秋田穗庵が鉈のような恰好で真赤に錆びたる刀を振り上げた右の
と申しまする一刀流の剣術遣いの門弟和田原八十兵衞と、秋田穗庵という医者が参り、娘お町をくれろとの掛合になりまし
妙だ、少し折入って頼みたいことがある、今に秋田穗庵が来るから穗庵から細かいことを聞いて、彼の浪人者の
が、何処の医者に掛って居るかというと向うで秋田穗庵に掛ったという時蔑すのだ、彼は藪医者でいかぬ
者が眼が悪い、三年越しの眼病で居るから、秋田穗庵が薬をやって居る、そこへ貴公が往って向うが内職に
庄「はい、新井町の秋田穗庵という医者に診て貰いました」
有難うございます、お父さまのお目の治る吉瑞でございましょう、秋田という医者も良くないようでございます」
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と話をしながら橋を渡って来ると、向うから前橋竪町の商人が江戸へ商用で出て来て、其の晩亀戸の巴屋
、貴方の御尊名は何と仰しゃいますか、手前は上州前橋竪町松屋新兵衞と申しますが、貴方の今の働きは鎮守様かと
さんとやらに初めてお目に懸ったので、此の上州前橋の松屋新兵衞さんと云うお方と一緒に、今日上流で一杯飲ん
心配しても外に仕方がないから、お母様には上州前橋の松屋新兵衞が来て逢いたいから吾妻橋の海老屋で待っていると
思って居りました、お母さんの前は仕方がねえから、前橋の新兵衞さんが来て海老屋で一猪口始まって居りやすと云って
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、今牛込の蕎麦屋から出ましたのを見届けました、水戸殿の前を通って参ります」
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人は皆な能い芸者では無かったと申します。丁度深川の盛んな折でございます、その頃佐野川市松という役者が一と小間
も唄いまして、婀娜は深川と云うのは、其の頃深川は繁昌で芸妓が沢山居りました。夏向座敷へ出ます姿は絽で
勇みは神田と端歌の文句にも唄いまして、婀娜は深川と云うのは、其の頃深川は繁昌で芸妓が沢山居りました。夏向
の左官の亥太郎と申す者でございます。其の頃婀娜は深川、勇みは神田と端歌の文句にも唄いまして、婀娜は深川と云う
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が、江戸へ来て文治に馳走をすると云うので浅草辺で馳走になって帰る途中、チラリ/\と雪が降出しました
と引出して、今ではありませんが浅草見附の石垣の処へ連れて来て、
と文治郎の胸ぐらを取って浅草見附の処へとつゝゝゝゝと押して行きました。廿人力ある
、彼奴逃げるかと思って見て居りますと、亥太郎は浅草見附へ駈込みました。只今見附はございませんが、其の頃は立派な
世帯を持たせなければならんから、諸方を探すと、浅草駒形に小さい家だが明家がありましたから之れを借受け、造作を
、行き詰って文治の裏長屋へ引越し、毎日弁当をさげては浅草の田原町へ内職に参ります。留守は七十六歳になる喜代之助の老母
阿「あなたは本所にも浅草にもお出入があるに、態々銀座に、お出入を拵えるには及び
てひょこ/\出て行くだろう、処が鴨川壽仙は浅草山の宿へ越したから、それを知らずに早稲田まで行くと空しくなる
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竪町の商人が江戸へ商用で出て来て、其の晩亀戸の巴屋で友達と一緒に一杯飲んで、折を下げていた
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ぬから、兎も角も早く様子が聞きたいと云うので、向島の牛屋の雁木から上り、船を帰して、是から二人で其の頃流行り
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、開けない野蛮の世の中には流行ましたもので、神田の十二人の勇は皆十二支を其の名前に付けて十二支の刺青をいたし
で、立派を尽しましたものでございます。又勇みは神田にありまして皆腕力があります、ワン力と云うから犬の力か
と申す者でございます。其の頃婀娜は深川、勇みは神田と端歌の文句にも唄いまして、婀娜は深川と云うのは、其の
参りまして、帰り掛に大喧嘩の出来る、一人の相手は神田豊島町の左官の亥太郎と申す者でございます。其の頃婀娜は深川、勇み
これ己の名前目を聞いて肝っ玉を天上へ飛ばせるな、神田豊島町の左官の亥太郎だ、己を知らねえかい」
頃の十両は大した金です。森松を供に連れて神田豊島町二丁目へ参り、大坂屋と云う粉屋の裏へ入り、
と見下す、処が人の来る様子がございませんから、神田の方から人が来て認められては適わぬと思いまして、二
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挺、鎗が十本ぐらい立て並べてありまして、此処は市ヶ谷長円寺谷の中根大隅守様御出役になり、袴を付けた役人がずーっと
忠「時に先生、申し兼ましたが、市ヶ谷の親類の者に子供が両人あって、亭主が暫らく煩うて、別に
蟠「金を早く持って帰らんでは市ヶ谷の親類の方はどうする」
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と女房の云いなり次第になり、遂に文治郎に無沙汰で銀座三丁目へ引越しましたが、後に文治郎が無名国へ漂流するのも
たしか旦那様御存じでございましょう、もと駒形にいて今は銀座に店を出している袋物屋だそうです、彼処へ出入中に金の
は気詰りだから、他へ越せ/\と云うので、銀座三丁目へ引越したのは二月の二十一日でございます。店開きを致し
あなたは本所にも浅草にもお出入があるに、態々銀座に、お出入を拵えるには及びますまい」
そこは外見で女房の跡を追掛けるようでいかぬから、銀座へ泊って翌日行くと種々跡に取込があり、親類の客があるし
、此の二月貴方に一言のお話もしませんで銀座三丁目へ越し、つい敷居が高くなり御無沙汰になりましたが、是れも
た廉もございましたが、久しく音信もございません、銀座へ越します時も頓と無沙汰で越しました、然る処、昨夜吾妻橋を
遣ったに、汝友之助に意地をつけ、文治郎に無沙汰で銀座三丁目へ引越し、剰え蟠龍軒の襟元に付き心中までしようと思った友之助
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て文治の裏長屋へ引越し、毎日弁当をさげては浅草の田原町へ内職に参ります。留守は七十六歳になる喜代之助の老母とおあさと
の為に文治郎命を捨てゝ致しました、あなたは毎日田原町へお内職においでになって御存じあるまいが、あなたのお留守中
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右京様の御家来藤原喜代之助で、若気の至りに品川のあけびしのおあさと云う女郎に溺り、御主人のお手許金を
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から貴公が往って勧めて早稲田まで行くと夜遅くなり、お茶の水辺りへ来ると、九ツになる、其処へ私が待合せて真二つ
此の竹次郎がお茶の水の二番河岸へ参りますと、其の頃お茶の水はピッタリ人が通りません。
たのは篠崎竹次郎という門弟でございます。此の竹次郎がお茶の水の二番河岸へ参りますと、其の頃お茶の水はピッタリ人が通りません
さア此方へ来な、誰も居らぬが、これは先達てお茶の水で小野を殺害致して計らず手に入った脇差だが、彦四郎貞宗だ
、口が多うございますから、打敲きをされゝばお茶の水の事や何か喋れば貴方の御迷惑になろうと思います」
は金家の作、目貫は三羽千鳥、是は彼のお茶の水で失ったる彦四郎貞宗ではないか、中身はと抜いて見ると紛う方
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わんまでもなく鄙にも知られ都鳥の其の名に高く隅田川月雪花の三つに遊ぶ圓朝ぬしが人情かしら有為転変の世の態を
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文治郎と亥太郎の見附前の大喧嘩は嘘らしい話ですが、神田川の近江屋と云う道具屋の家に見附前の喧嘩の詫証文と、鉄拵え