後の業平文治 / 三遊亭円朝 鈴木行三

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江戸

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さア江戸橋魚市の込合の真最中、まして物見高いのは江戸の習い、引廻しの見物山の如き中に裃着けたる立派な侍が、馬

と制して居ります処へ、江戸より送りの役人を始め地役人一同表の方へ駈付けてまいりました。

×「然し旦那、彼女め以前江戸にいる時分にゃア、同じ悪党仲間で随分助け合ったものですが、此の島へ

女「私は江戸の者で」

は褒美を出すてえ触が出ただ、すると此の頃江戸から武者修行だと云って来ていた二人の侍が、その親船へ乗込ん

町「えゝ其の先生と申すのは、まったく江戸のお方でございますか」

紋「言葉の様子では全く江戸のお方に相違ねえだ」

一人で手出しはならぬ、また蟠龍軒にあらずとも、江戸のお侍に此の今の姿を見られるのも心苦しい」

零落れ果てたる此の姿、誰方かは存じませぬが、江戸のお侍に会いますのは心苦しゅうございます、何卒お断り下さいまし」

眼には都の者としか見えぬ、拙者も元は江戸の者だ、難儀なことがあるならば何処までもお貢ぎ申そう、これ/

と静かに坐を占めまして、何方が江戸か分りませぬが、

た剣客者というは、面は素より知りませぬが、江戸の者といい、又大伴……万一敵ではないか知らん……たとえ

文「私は江戸の者でござります、故あって越後新潟へまいります途中、信州二居ヶ

船「おゝ合点だ、客人成仏さっせえ、それ/\江戸の客人危ねえぞ」

で、これを其の先頃当所で海賊を退治しやした江戸の剣術の先生が聞付けやしてな、美人だてえので態々逢いに往きや

て、さるお方の厄介になって居ります中に、江戸の侍が海賊を退治したという噂、幸い病気も癒りやしたから、

思っている内に、その手柄か何か知らねえが、江戸においでなさる御領主様がお抱えになるとか云う事で、先月末に

抱えになるとか云う事で、先月末に蟠龍軒めは江戸を指して出立しやした」

があると云うことを風の便りに聞きましたから、江戸に帰る途中、もしやと思って昨日から捜した甲斐あって、此処でお

くれえは当り前の事です、さア今からお支度なさいまし、江戸へお供を致しやしょう」

金子でお浪を請出し、そちは後からまいれ、礼は江戸で致すぞよ」

町「有難うございます、早くお浪さんを連れて江戸へお帰り下さいまし」

まして有難う存じます、何から申して宜しいやら、何うも江戸を経って後はさま/″\な難儀に逢いました」

たのでござりますが、行違いまして、又ぞろ江戸へ引返してまいるような事になりました、此の上は松平公の御家中

長岡

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文「然らば長岡か新潟辺かな」

老「先ず六日町から十六里、船に乗って長岡か新潟あたりへ持って往きましてな、それから着物は故買屋へ売り、

旅「はい、これから船で十六里、長岡へ着きまして、それから又船で十五里、信濃川を下って新潟へ着く

渋川

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と皆々腕を撫って居りまする。さて中山道高崎より渋川、金井、横堀、塚原、相俣より猿が原の関所を越えて永井の宿

伊豆村

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ありまして、島内は坪田村、阿古村、神着村、伊豆村、伊ヶ島村の五つに分れ、七寺院ありて、戸数千三百余、陣屋

本所

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てありまして、「右の者去んぬる六月十五日本所北割下水大伴蟠龍軒方へ忍び込み、同人舎弟を始め外四人の者を殺害

奉「本所業平橋当時浪人浪島文治郎、神田豊島町惣兵衞店亥太郎、本所松倉町源六店

業平橋当時浪人浪島文治郎、神田豊島町惣兵衞店亥太郎、本所松倉町源六店國藏、浪人浪島方同居森松、並に町役人、組合名主ども

奉「本所業平橋当時浪人浪島文治郎、去ぬる六月十五日の夜同所北割下水大伴蟠龍

支度をなし、江戸表をさして出立しまして、先ず本所業平を志して立花屋へまいりますと、何時か表は貸長屋になって

高崎

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と皆々腕を撫って居りまする。さて中山道高崎より渋川、金井、横堀、塚原、相俣より猿が原の関所を越えて永井

大阪

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二尺五寸ぐらいあります。只今考えて見ますと、大阪の博物館にあります、古風の独木舟のようなもので、何の木か

八丁堀

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が、誰が殺したのか一向分りませぬ。其の頃八丁堀の町与力小林藤十郎という人は、「これは多分蟠龍軒のためさん/

藤十郎殿は本所の名主の家へ出役いたし、また其の頃八丁堀にて捕者の名人と聞えたる手先二人は業平橋の料理屋にまいりました。

また集ってまいります。其の中に与力の家来は斯くと八丁堀へ知らせ、また一方は奉行所へ訴えますと、諸役人も驚いて早速駈

ないものでございます。此のお瀧と申します婦人はもと八丁堀の碁打阿部忠五郎という者の娘でございます。是にてお話が一寸

お世話どころではございません、一命をお助け下さいました八丁堀阿部忠五郎の娘お瀧でございます」

より知らせの来るのを待受けて居ります。そこら辺に八丁堀の同心がちら/\見えるは、余所ながら文治夫婦を警固して居るので

汝、無礼者」と刀に手をかける其の横合より、八丁堀の同心体の人、

甲「見ろ/\八丁堀が見張っているぞ、併し今日の花見は宜い日だったなア、雨が降

相生町

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やがて友之助と立花屋の主人を召捕って相生町の名主方へ引立てゝまいりました。玄関には予て待受けて居りました小林

下谷

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演じ、または雑誌にて御存じの業平文治は、安永の頃下谷御成街道の角に堀丹波守殿家来、三百八十石浪島文吾という者の忰

のもの、其の内で永く続きましたのが新皿屋敷、下谷義賊の隠家、かさねヶ淵の三種などでございます。それより素話に

前橋

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此処へ大橋の方から前橋の松屋新兵衞が駈付けてまいりましたが、人ごみで少しも歩けませ

新潟

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似寄の人物が、御城下に来りし由、多分越後新潟辺に居るであろうと思われます」

猪狼の外人の来る処じゃア無えや、これから貴様を新潟あたりへばらすのだぞ」

文「然らば長岡か新潟辺かな」

「先ず六日町から十六里、船に乗って長岡か新潟あたりへ持って往きましてな、それから着物は故買屋へ売り、女

「あゝ左様かね、その女あ泥坊に勾引されて新潟へ売られてしまいましたよ」

旅「先月十日頃、新潟で遊んだ女です」

旅「まア重に新潟へ捌くそうで、何しろ新潟は広いから、一寸気が付きませんからな」

旅「まア重に新潟へ捌くそうで、何しろ新潟は広いから、一寸気が付きませんから

丙「此の間新潟の者の話に、海賊の大将が沖にいて、その子分達が

文「成程、これから新潟へ往くには船で往く方が便利でしょうな」

まして、それから又船で十五里、信濃川を下って新潟へ着くのでございます」

と翌日は意を決して新潟へ往く支度をして居ります。御案内でもございましょうが、十六里

さて文治は漸く新潟に着きまして、古手町秋田屋清六方へ泊り、早速主人を呼びまし

居りやして、大抵の事は知って居りやすが、まア新潟には無えようでございますね、尤も海岸は広うござんすから、確とお

から、余程南へ流されて来たに違えねえ、何しろ新潟の河岸を離れてから昼夜三日目、事に依ったら唐まで流され

文「成程、分った、新潟を出る時に怪しい奴と思わぬでもないが、それ程の奴と

な心掛じゃ、時に吉とやら、そちの親方という新潟の沖にて親船に乗って居る奴は何という名で何処の国の

入らぬ女は寄って群って勝手にした其の上に、新潟の廓へ売飛ばすという寸法で、悪事に悪事を重ねる中、去年の秋

吉「私も根からの海賊じゃアござんせぬ、新潟在の堅気の舟乗でござんしたが、友達の勧めに従って不図

明けるのを待った上、命限りに助けを得て、新潟沖の親船に賊窟を構えたる敵大伴蟠龍軒、秋田穗庵の両人

文「いや、見す/\蟠龍軒似寄の者が、新潟の沖なる親船に忍んで居ると聞きながら、武士と生れて一太刀怨み

熊女が書いたというので土地では大評判、新潟あたりへ聞えることもござります。一日名主紋左衞門が寺へやってまいり

船の側に来る船は矢鱈に鉄砲を撃掛けたり、新潟あたりの旅人を欺しちゃア親船に連れだって、素ッ裸体に剥ぎ取って、海

紋「先ず話をしねえば分らねえだ、此の間中新潟の沖に親船が居りやしたが、それが海賊だという事でな

船「何処ッて大変な処だ、己ア新潟通いの船頭だが、昨日の難風で、さしもの大船も南の方へ

ともお礼の申そうようもございませぬ、こゝは越後の新潟近所でございましょうな」

船「どうして/\、これから新潟までは何百里という海路、三日や五日で往かれるもんじゃアねえ

文「新潟通いの船とあれば、定めし此の船は新潟へまいるのでございましょうな」

文「新潟通いの船とあれば、定めし此の船は新潟へまいるのでございましょうな

船「へえ、新潟へ往く船でがす、見受けるところお前様はお武家様のようだが、

出会い追い往く中、女房を見失い、彼方此方と尋ねますと、新潟沖に大船があって、其の船に海賊が……」

文「私は江戸の者でござります、故あって越後新潟へまいります途中、信州二居ヶ峰、中の峠にて山賊に出会い追い

ほど喜びました、此の上の御親切に何うか私を新潟までお連れ下さいまし、此の御恩は死すとも忘れませぬ」

下さいまして有難う存じます、只今貴所方より此の船は新潟行と承わって、恟りするほど喜びました、此の上の御親切に何う

居った無人島へ来りしゆえ、辛うじて其の舟に乗込み、一度新潟沖に着いたし、女房の在所を尋ねようと思って小舟を乗出したところ

その大船に居るであろうと人々のいうにまかせ、取急ぎ新潟へまいりまして、旅宿にて船の様子を尋ねて居ると、こう/\

を出して礼をいたし、日を経て無事に新潟沖へ着船いたしまして、伝馬で陸へ上り、一同無事を祝して別れ

秋田

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さて文治は漸く新潟に着きまして、古手町秋田屋清六方へ泊り、早速主人を呼びまして、

「えッ、あの相宿の飛脚から……やアしまった、秋田屋の印の重箱だから、腹の減ったまぎれに油断して喰った

弁当は流してしまい、旦那の持って居なさる弁当箱には秋田屋の印がござんすから、二日二夜さの飢じさに浮か

吉「あゝ苦しい、いゝゝゝ今一人は確か秋田……」

新潟沖の親船に賊窟を構えたる敵大伴蟠龍軒、秋田穗庵の両人、やわか討たずに置くべきか、此の日本に神あらば

殺して再び其の跡を受継ぎしは大伴蟠龍軒、医者は秋田と聞くからは、こりゃ滅多には死なれぬわい、何処の島か

銀座

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小「京橋銀座三丁目紀伊國屋友之助、業平橋立花屋源太郎、町役人」

なき友之助ですから、はて不思議と捨札を見ると、「京橋銀座三丁目当時無宿友之助二十三歳」と記してありまして、「右の者

て有りませんが、これは不思議な品で、私が銀座の店に居りました時、手掛けた事のある品物でございますぜ」

友「もし棟梁、その煙草入は私が銀座の店で蟠龍軒に売った品、御新造の敵は確かに蟠龍軒で

蔵前

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森「へえ、藤原様のおいでの少し前、いつもは蔵前の不動様へまいるんですが、今夜は御門が締りましたそうで

神田

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奉「本所業平橋当時浪人浪島文治郎、神田豊島町惣兵衞店亥太郎、本所松倉町源六店國藏、浪人浪島方同居

日本橋

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見納めかと萎れ返らぬ者はありませぬ。其の昔罪人は日本橋を中央として、東国の者ならば小塚原へ、西国の者ならば

浅草

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國「私ア一向存じやせんが、女房のお浪が浅草の茶屋にいる頃から宜く知って居りまして」

にも十人力と噂のある左官の亥太郎、只今でも浅草代地の左官某が保存して居るそうですが、亥太郎が常に用いまし

向島

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、只今では表長屋を人に貸しまして、忰は向島の武藏屋へ番頭と料理人兼帯で頼まれて往って居ります、旦那様

日二日と過ぎます内にはや三月の花見時、向島の引ける頃、混雑の人を掻退け/\一人の婦人が立花屋へ

女「はい私は向島の權三郎方から」

女「はい、向島の權三郎というお家に下女奉公を致して居ります、旦那様が島

のござりました文治事、来る十四日夕申刻頃、向島に於て舅の敵大伴蟠龍軒を討ちます」

で、往来の人は立止りますくらい、文治は遥か離れて向島より知らせの来るのを待受けて居ります。そこら辺に八丁堀の同心が

から、文治とは好一対の美夫婦であります。頃は向島の花見時、一方口の枕橋近辺に其れとなく見張って居りますので

の両人を駕籠に乗せて奉行所へ引立てました。花時の向島、敵討があると云うので土手の上は浪を打ちますよう、どや

お茶の水

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卑怯なことを云うな、過ぐる年三十日の夜、お茶の水にて小野庄左衞門を切殺し、定宗の小刀を奪い取りし覚えがあろう、

覚えが有ろう、この友之助が其方へ売った煙草入、お茶の水の人殺しの時、亥太郎さんに取られたであろう、さア何うじゃ、えゝ

京橋

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小「京橋銀座三丁目紀伊國屋友之助、業平橋立花屋源太郎、町役人」

方なき友之助ですから、はて不思議と捨札を見ると、「京橋銀座三丁目当時無宿友之助二十三歳」と記してありまして、「右の