怪談牡丹灯籠 04 怪談牡丹灯籠 / 三遊亭円朝 鈴木行三

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根津

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ある位なものでございます。さて此の医者の知己で、根津の清水谷に田畑や貸長屋を持ち、その上りで生計を立てゝいる浪人の

ばかりで、陰々寂寞世間がしんとすると、いつもに変らず根津の清水の下から駒下駄の音高くカランコロン/\とするから、新三郎は心

、萩原様の所へは幽霊が百人来るとか、根津の清水では女の泣声がするなど、さま/″\の評判が立って

萩原新三郎様を殺したの、海音如来のお守を盗み出し、根津の清水の花壇の中へ埋めたなどゝ喋り立てるに、奉公人たちは何だか

お首に掛けてる金無垢の海音如来の御守を盗み出し、根津の清水の花壇に埋め、剰え萩原様を蹴殺して体よく跡を取繕い」

い欺込み、又海音如来の御守もまんまと首尾好く盗み出し、根津の清水の花壇の中へ埋めて置き、それから己が色々と法螺を吹い

これより伴藏は志丈と二人連れ立って江戸へ参り、根津の清水の花壇より海音如来の像を掘出す処から、悪事露顕の一埓は

月三日の夜二人は更けるを待ちまして忍び来り、根津の清水に埋めて置いた金無垢の海音如来の尊像を掘出し、伴藏は

江戸

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寛宝三年の四月十一日、まだ東京を江戸と申しました頃、湯島天神の社にて聖徳太子の御祭礼を致しまして、

伴「何うして江戸ではむずかしいから、何所か知らない田舎へ持って行って売るのだなア、

働き、剰さえ飯島を手に掛け、金銀衣類を奪い取り、江戸を立退き、越後の村上へ逃出しましたが、親元絶家して寄るべなきまゝ、

から出た人だから身寄もあるだろうが、私は江戸生れで、斯んな所へ引張られて来て、身寄親戚がないと思っ

伴「実は江戸へ仕入に行った時に、あの海音如来の金無垢のお守を持って来

療治をして直したいと思う所へ、此の節幸手に江戸から来ている名人の医者があるというから、それを呼ぼうと、人を

男「旦那只今帰りやした、江戸からお出でなすったお上手なお医者様だそうだがやっと願いやして御

志「実は私も人には云えねえが江戸を喰い詰め、医者もしていられねえから、猫の額のような家

あればツイ一杯呑む気になるようなものだから、江戸を喰い詰めて来たのだが、あの妻君はお達者かえ、イヤサお

ねえ身体だ、十一の時から狂い出して、脱け参りから江戸へ流れ、悪いという悪い事は二三の水出し、遣らずの最中、野天丁半

これより伴藏は志丈と二人連れ立って江戸へ参り、根津の清水の花壇より海音如来の像を掘出す処から、悪事露顕

分らず、早や主人の年囘にも当る事ゆえ、一度江戸へ立帰らんと思い立ち、日数を経て、八月三日江戸表へ着いた

孝「私は今日江戸へ着き、すぐに谷中の幡随院へ参詣をいたして来ましたが、明日は

にて売払い、多分の金子をもって山本志丈と二人にて江戸へ立退き、神田佐久間町の医師何某は志丈の懇意ですから、二人はこゝに身

、夫婦の合中を突ついて仕様がないから、十一の歳江戸の屋敷奉公にやった先は、水道端の三宅という旗下でな、其の

内にいるよ、私は此の間五郎三郎から小遣を貰い、江戸見物に出掛けて来て、未だこちらへ着いて間も無くお前に巡り逢って、

有り難うぞんじまする、図らずも母様のお蔭にて本懐を遂げ、江戸へ立帰り、主家再興の上私は相川の家を相続致しますれば、お母様を

しなければならない事があるが、お國やお前が江戸のお屋敷を出た時の始末を隠さずに云っておくんなさい」

母「いや/\そうおっしゃいますが、私は江戸へ参り、不思議と久し振りで逢いました者が有って、其の者から承わりまし

て此の家に再縁して参りましたが、此の度江戸で図らずも十九年ぶりにて忰の孝助に逢いましたが、実の親子

が、近い所だと駈出して帰って来ますから、いっそ江戸へ奉公に出した方が宜かろうと云って、江戸の屋敷奉公に出した所

、いっそ江戸へ奉公に出した方が宜かろうと云って、江戸の屋敷奉公に出した所が、善事は覚えねえで、密夫をこしらえて

事でそれが孝助の実母であるとよ、此の間母が江戸見物に行った時孝助に廻り逢い、悉しい様子を孝助から残らず母が

迫り、素より私は両人を逃がせば死ぬ覚悟、ホッ/\江戸で白翁堂に相て貰った時、お前は死相が出たから死ぬと

建仁寺

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と云われて傍の岸辺を見ますと、二重の建仁寺の垣に潜り門がありましたが、是は確に飯島の別荘と思い、

栗橋

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みねはこれを機に、何分怖くて居られぬとて、栗橋在は伴藏の生れ故郷の事なれば、中仙道栗橋へ引越しました。

、栗橋在は伴藏の生れ故郷の事なれば、中仙道栗橋へ引越しました。

伴藏は悪事の露顕を恐れ、女房おみねと栗橋へ引越し、幽霊から貰った百両あれば先ずしめたと、懇意の馬方久藏

と奥州路を経囘りて下街道へ出て参り此の栗橋にて煩い付き、宿屋の亭主の情を受けて今の始末、素より悪性のお國

金をおくれ、私ゃア出て参りましょう、お前は此の栗橋から出た人だから身寄もあるだろうが、私は江戸生れで、斯

斬り掛けました。此の者は栗橋無宿の伴藏にて、栗橋の世帯を代物付にて売払い、多分の金子をもって山本志丈と二人にて

参りましたが、女の足の捗どらず、幸手、栗橋、古河、真間田、雀の宮を後になし、宇都宮へ着きましたは、

八幡山

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明神様の後山を越え、慈光寺の門前から付いて曲り、八幡山を抜けてなだれに下りると日光街道、それより鹿沼道へ一里半行けば、

が、宇都宮明神の後道にかゝりますと、昼さえ暗き八幡山、況て真夜中の事でございますから、二人は気味わる/\路の中

寺がありますから、其の寺を抜けて右へ往くと八幡山、それから十郎ヶ峯から鹿沼へ出ますから、貴方お早くおいでなさい、

牛込

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\と名前を飯島平太郎と書きおわり、自身番に届け置き、牛込のお邸へお帰りに成りまして、此の始末を、御親父飯島平左衞門様

新「ナニあれは牛込の飯島という旗下の娘で、訳あってこの節は谷中の三崎村へ

僧「あれは牛込の旗下飯島平左衞門様の娘で、先達て亡くなりまして、全体法住寺へ葬むる

相「己が忘れた、牛込の飯島様がお出でに成ったのかも知れない、煙草盆へ火を入れ

いましたに、縁有って昨年の三月五日、牛込軽子坂に住む飯島平左衞門とおっしゃる、お広敷番の頭をお勤めに

水道端の三宅という旗下でな、其の後奥様附で牛込の方へ行ったとばかりで後は手紙一本も寄越さぬくらい、実に

と云う人を連れて来ていうのには、私が牛込の或るお屋敷へ奥様附で行った所が、若気の至りに源次郎様と

四谷

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「へい只今まで方々奉公も致しました、先ず一番先に四谷の金物商へ参りましたが一年程居りまして駈出しました、それから

能登

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鼻の先に居ることも知らないで、越後の方から能登へかけ尋ねあぐんで帰ったとは、誠に残念な事でございますから、

小石川

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孝助は新五兵衞と同道にて水道端を立出で切支丹坂から小石川にかゝり、白山から団子坂を下りて谷中の新幡随院へ参り、玄関へかゝる

三崎

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は私とお嬢様と両人お邸を出まして、谷中の三崎へ参り、だいなしの家に這入って居りまして、私が手内職などをして

新「先生、そんなら是から三崎へ行って調べて来ましょう」

と家を立出で、三崎へ参りて、女暮しで斯ういう者はないかと段々尋ねましたが、

古河

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たが、女の足の捗どらず、幸手、栗橋、古河、真間田、雀の宮を後になし、宇都宮へ着きましたは、丁度九

湯灌

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になった。と着た浴衣は経帷子、使った行水は湯灌となる事とは、神ならぬ身の萩原新三郎は、誠に心持よく表

両国

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「ハヽ随分世間には不思議な事も有るものでねえ、何か両国の川の上に黒気でも立ったのか」

湯島天神

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四月十一日、まだ東京を江戸と申しました頃、湯島天神の社にて聖徳太子の御祭礼を致しまして、その時大層参詣の人が

新潟

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ゝき売って仕舞って、お前を一緒に連れて越後の新潟あたりへ身を隠し、もう一と花咲かせ巨かくやりてえと思うん

宇都宮

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は何とも云わないから、源次郎への義理に今は宇都宮の私の内にいるよ、私は此の間五郎三郎から小遣を貰い、江戸

たが、其の後私共は仔細有って越後を引払い、宇都宮の杉原町に来て、五郎三郎の名前で荒物屋の店を開いて、最早

孝「ではお國源次郎は宇都宮に居りますか、つい鼻の先に居ることも知らないで、越後の

をして上げようともサ、そんなら私は直にこれから宇都宮へ帰るから、お前は一緒にお出で、だがこゝに一つ困った

をきかず、知らない者の様にして置いて、宇都宮の杉原町へ往ったら供を先へ遣って置いて、そうして両人で

國と源次郎をお前に討たせたいものだのう、これから宇都宮へ行けば私がよき手引をして、屹度両人を討たせるから」

、丁度九日の日の暮々に相成りましたが、宇都宮の杉原町の手前まで参りますと、母おりゑは先ず下男を先へ帰し

、栗橋、古河、真間田、雀の宮を後になし、宇都宮へ着きましたは、丁度九日の日の暮々に相成りましたが

て餞別に上げようから、少しも早く逃げのびなさい、立退く道は宇都宮の明神様の後山を越え、慈光寺の門前から付いて曲り、八幡山を

、暇乞いもそこ/\に越後屋方を逃出しましたが、宇都宮明神の後道にかゝりますと、昼さえ暗き八幡山、況て真夜中の事

神妙にしろ、身ぐるみ脱いて置いて行け、手前達は大方宇都宮の女郎を連出した駈落者だろう」

で泥坊をやったが病付となり、此の間道はよく宇都宮の女郎を連れて、鹿沼の方へ駈落するものが時々あるので、

なし、何うしたら宜かろうかと考えながら、ぶら/\と宇都宮へ参りやして、雲助になり、何うやら斯うやらやっているうち、時

ず母が聞取り、手引をして我を打たせんと宇都宮へ連れては来たが、義理堅い女だから、亡父五兵衞の位牌

さて相川孝助は宇都宮池上町の角屋へ泊り、其の晩九ツの鐘の鳴るのを待ち掛け

切殺して二つの首を下げて、ひょろ/\と宇都宮へ帰って来ますと、往来の者は驚きました。生首を二つ

山形

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私の家は向うに見える紺の暖簾に越後屋と書き、山形に五の字を印したのが私の家だよ、あの先に板塀

奈良

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半あまり行けば鹿沼へ出ます、それより先は田沼道奈良村へ出る間道、人の目つまにかゝらぬ抜道、少しも早く逃げのびて

東京

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寛宝三年の四月十一日、まだ東京を江戸と申しました頃、湯島天神の社にて聖徳太子の御祭礼を致し

新橋

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ましたが一年程居りまして駈出しました、それから新橋の鍜冶屋へ参り、三月程過ぎて駈出し、又仲通りの絵草紙屋へ参り

神田

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と弁当の用意を致し、酒を吸筒へ詰込みまして、神田の昌平橋の船宿から漁夫を雇い乗出しましたれど、新三郎は釣はしたく

翁堂も薄気味悪くや思いけん、此処を引払って、神田旅籠町辺へ引越しました。伴藏おみねはこれを機に、何分怖く

あるから、明日昼飯を喰って、それから八ツ前後に神田の旅籠町へ行きなさい、其処に白翁堂勇齋という人相を見る親爺

孝「はい、有り難う存じます、神田の旅籠町でございますか、畏りました」

、小網町辺へ行って種々買物をしようと家を立ち出で、神田旅籠町へ差懸る、向うに白き幟に人相墨色白翁堂勇齋とある

大塚

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から、私は本当に怖いよ、私も放蕩を働き、大塚の親類へ預けられていたのを、当家の伯父さんのお蔭で家

な身体だ、尤も一旦放蕩をして勘当をされ、大塚の親類共へ預けられたから、左様思うも無理もないようだが、

て、源次郎は、剣術はからっ下手にて、放蕩を働き、大塚の親類に預けられる程な未熟不鍛錬な者なれども、飯島は此

上野

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だか外国人の譫語の様で訳がわからない。其の中上野の夜の八ツの鐘がボーンと忍ヶ岡の池に響き、向ヶ岡の清水

目白

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その中に八ツの鐘がボーンと鳴り響く。此の鐘は目白の鐘だから少々早めです。するとさらり/\と障子を明け、抜