松の操美人の生埋 02 侠骨今に馨く賊胆猶お腥し / 三遊亭円朝

松の操美人の生埋のword cloud

地名一覧

江戸

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金森家の御納戸役にいたし、巴里の都が江戸の世界、カライの港が相州浦賀で、倫敦が上総の天神山、鉄道は朝船

って頼むのだよ、私も江戸屋のお直とって江戸に居た時分から半ちゃんとは古い馴染だし、何でも隠さずに

仕舞って早々お暇になりました、実に女だけは江戸に限ります」

感心な親切者と思って居ると、とう/\女は江戸の家を打棄って、態々斯んな田舎まで尋ねて来て、是非半治の

から、何うしても帰る事は出来ません、何うも江戸の姉さん達やお内儀さん達にも沢山意見されて、田舎へ行って

、私はとう/\勘当となって、仕方が無えから江戸へ往って小兼の処に足掛二年も燻ぶって居たが、彼奴

お前が命ばかりは助けて、何のようにも致して江戸へ帰す様にするからというのよ、そこで金を出す、私が受取る

て斯んな知らない土地へ来て耻ッかきな、今更江戸へも帰られず、お前に見捨られるよりは海へでも飛込んで死ぬ

、なんです、私は一体小兼という旦那も御存じの江戸の芳町の芸者ね、彼れと夫婦約束して女房にしようと思ったが、

思ったが、此の頃変に厭になって何うかして江戸へ帰そうと思って手段をしたが、小兼めぎゃア/\狂人の

鴨居山

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/\行ってやろうと、直ぐ馬の首を立直して鴨居山を下りまして宅へ帰ろうと思ったが、ふと胸に何か浮んで急

浄善寺

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なって、早くどうか嫁をと云うので、処が浄善寺へ私がお藤を連れて御法談を聞きに参った其の折に御覧なすっ

海「あれは西浦賀の浄善寺へ、粥河様が法談を聞きに行って、お藤さんを、見て貰い

東海道

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もどうも別にこれぞと云う大な仕事もなく、東海道金谷の寺で大妙寺と申すは法華宗の大寺で、これへ這入って

伊豆

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思うが、上総房州の内なれば宜いが事によったら伊豆の島辺りかも知れねえ、まだ/\それなれば旨えが」

川崎

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が、此処も客が一杯で彼れから右へ切れて、川崎へ掛る石橋の所、妻恋村へ出ようとする角に葭簀張が有って

も是非両方からお賽銭を取るので、旦那今日はずうっと川崎泊りでしょう、今夜は藤屋へ泊って半ちゃんに逢わして遣って下さい」

娘「いえあの今夜は川崎の本藤へ泊るからとのお話を聞きましたから、小兼も慥かそこ

、ひょっとお差支でも有るとお気の毒ですから、ちょっくり川崎まで行って参ります、それに雨は降るし日は暮るし、もうお客

へお通り掛りで、厭な人が後から附いて来て川崎まで道連になると申しますから、私はぎょっとして逃げようと思いますと、

お方が忘れ物をなすって、それをお届け申しましょうと川崎の藤屋まで参ります途中で、お金の入って有る物を只今の悪者が帯

ました。扨てお話は二つになりまして、川崎の本藤にては山三郎半治小かね馬作の四人が一つの座敷で

だと思い出すと、三年前の十月十二日の夜川崎の本藤の二階で、此の武士が百姓を嚇して…殊に己の金入を

の旦那様で、とんだ所で誠に、三年跡に川崎の本藤で侍に切られる所を助けて頂きました私は高沢町の米藏

鎌倉

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頃、それから多度村へ出てなだれを下りて往くと鎌倉へ出る、此方へ参れば倉富へ出る、鎌倉道の曲り角に井桁屋米藏と

巴里

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禮三という金森家の御納戸役にいたし、巴里の都が江戸の世界、カライの港が相州浦賀で、倫敦が上総の

金沢

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玄さんというお医者が御一緒で、事に依ると金沢へ廻るかも知れんと被仰いました、併し今晩はお帰りになり

普請も長く掛るし、それに今日は浦賀へ行くの、金沢へ行くのと誘われて、暇を欠くので、つい/\便りも

というものは実に凄いもので、幽に猿島烏帽子島金沢なども見えまする。此方は小松の並木で一本も外の樹はあり

大津

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はない、余儀ない義理で誘われて居るので、一寸大津辺まで行かなければならん、銚子屋と云う料理屋に集会して居るから

多分日本の内だから大丈夫だ、えー南走清水観音西北大津道横須賀道と、なんだ何処の国かと思った」

馬鹿気さてえなございませんねえ、有難うございます、ありがてえ、大津の銚子屋は直きだ、一町ばかりきゃアねえから銚子屋へ

からは急ぐ、何うも角うも断りようが無いから、今日大津の銚子屋で見合をして、お藤が得心の上は粥河様方

、お母さんも遣りたいと云うので、詰り極って、今日大津の銚子屋で結納を取換せ」

を駈出してどん/\谷通坂を駈下りまして、突然大津の銚子屋へ飛込んだが、丁度今結納を取替せを為ようとする所

という事を聞いて、驚きまして、宅を出て大津の銚子屋へ参ったが、もう間に合いません広間の方には粥河

引続きまして、山三郎は母と妹が先に大津の銚子屋に参って居て、此から見合に相成るという事を

をして居る中に灯火を点けます時分になると、大津の銚子屋から手紙で、小さな文箱の中に石井山三郎様粥河圖書と

以手紙申上候然れば先刻大津銚子屋に於て御面会の折柄何等の遺恨候てか満座の中

先刻大津の銚子屋にて御面談の儀に付御書状の趣き逐一承知仕候御

後から追掛けて来やアがって仕方がねえ、拠なく大津の銚子屋へ遁込んで見ると、まだ二三人も客が居るに彼奴が

熊本

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馬「日本は広いけれども鹿児島熊本ならまだしも、支那朝鮮などと来ては困りますねえ」

鹿児島

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馬「日本は広いけれども鹿児島熊本ならまだしも、支那朝鮮などと来ては困りますねえ」

馬「鹿児島ですか」

長崎

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宮「ハア何か、九州筋長崎へでも参るか」

白金台

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方は自然品格が違います。大分貯えも有りまして、白金台町へ地面を有ちまして、庭なども結構にして、有福に

で、主家は彼の通りの大変で、余儀なく只今は白金台町にお浪宅ではありますが、お貯えが有って、何一つ

扨てお話は二岐に分れ、白金台町に間口は彼れ是れ二十間許りで、生垣に成って居ります、門

浅草

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宮川で買おうと思ったら、彼店は高いから止めて、浅草茅町の松屋へ誂えて」

などでしますと大して誉る白馬で、同じ白馬でも浅草の寺内にある白馬は、彼は鮫と申して不具だから神仏へ

大崎

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馬「えらいねえ何うも、私は西浦賀の大崎の旦那に貰った御祝儀を、後生大事に紙入へ入れて置きましたが

浜町

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知れないように頭巾でも被ぶらせ、扮装を変え、浜町の灯台のところへあの御婦人は待たして置いて、貴方はお一人で

御届に及び陣屋へ知れましたから、それと云って浜町に居ります組屋敷の与力同心衆が出張致して、山の下に整然と

浦賀

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し、巴里の都が江戸の世界、カライの港が相州浦賀で、倫敦が上総の天神山、鉄道は朝船夕船に成っておりますだけ

石井山三郎という侠客にして、此の石井山三郎は、相州浦賀郡東浦賀の新井町に※船問屋で名主役を勤めた人で、事実有りまし

沢山、御親切な方ですねえ、彼様に仰しゃって、浦賀の者だから手紙をよこせとまで仰しゃって有難い事ですねえ、まアお母さん少し

母「それでもお前、お宿は浦賀だと仰しゃったが」

人は助けて置きたいもので。山三郎、江戸屋半治は相州浦賀へ帰り、小兼馬作は芳町へ、彼の田舎者二人は共々連立って

に余りだと存じて居りました、もし彼の時相州浦賀の石井山三郎様と仰しゃるお方がお寄りになりましたろう」

兼「彼の方は浦賀で大した人で、さっぱりした気象のよい男達で、女などを誉め

思ったが誠に普請も長く掛るし、それに今日は浦賀へ行くの、金沢へ行くのと誘われて、暇を欠くので、

を出して、是非夜が更けるだろうが、事によると浦賀へ誘われると帰られないが明日の朝は屹度帰るよ」

でも米でも恵みまするので、それにその頃は浦賀に陣屋がありまして、組屋敷の役人が威張りまして町人百姓などを捉え

山三郎、それから致して此のおすみには、これも同じく浦賀の大ヶ谷町で廻船問屋で名主役を勤めていた吉崎宗右衞門

がございまして、浦賀奉行を立ておかれました。一体浦賀は漁猟場所で御承知の通り海浜の土地でありますが、町屋も多く、

たが、其の頃は浦賀に御番所がございまして、浦賀奉行を立ておかれました。一体浦賀は漁猟場所で御承知の通り海浜の

落胤ということを浦賀で聞きましたが、其の頃は浦賀に御番所がございまして、浦賀奉行を立ておかれました。一体浦賀

ました人で、此の人は旗下の落胤ということを浦賀で聞きましたが、其の頃は浦賀に御番所がございまして、浦賀

に裾を端折って、腕まくりをして、力があるから浦賀の方へ行こうとすると、雲足の早いこと、見る間に空一杯に

吉崎宗右衞門と云う名主役の娘おみわで、浦賀で評判の美人だから、はてな奥様が死んだと云って吉崎の娘を

山「成程、浦賀辺へ此の頃は大分盗賊が徘徊して、寺や何かへも強盗に

圖書が改心するようにして遣りたい、私が是から浦賀へ帰って役所へ訴えれば直ぐ番所の手を以て竹ヶ崎南山へ

あの、大急ぎで船を一艘仕立って呉れんか、一寸浦賀へ帰るから大急ぎで、風が悪いから其の積りで、食物や何かは

から南風に変って、彼是れ今の四時頃に漸く浦賀へ這入りました。山三郎は早くも船より上りまして新井町へ駈けつけて

様でござりまして、此の頃近辺に御寮が出来まして、浦賀へお出のときお藤さんを御覧で、どうか貰い度いということ

、届かんながら僕が媒妁役を仰せ付けられて、予てこの浦賀に於ても雷名轟く処の石井氏の妹御、願っても是れは

周「これは怪しからん事を仰しゃる、貴方は此の浦賀中で男達とか侠客とか人がお前様を尊敬する所の現在

を揚げる、風は悪いけれども忽ちに船は走りまして浦賀へ着致しまして、自宅へ帰って引出を開けて見ると、まだ遺書

実に私も喜んで居たのに、六年前の浦賀の祭に小兼と内約が出来たってとう/\彼方をお断り、

「いや、それに就いても種々話があるが、此の浦賀中で私の相談相手というはお前ばかりで、侠気を見込んでお頼み

があっても旦那の処へ駈けつけて往くのに、此の浦賀にお前さんが居ないと闇だよ、毎日役所のものが威張り廻って

、万一の事が貴方の身にあった日にゃア此の浦賀に相談する者は一人も無え、何事があっても旦那の処へ駈けつけ

なりたいという、お前も得心の上で田舎の此の浦賀くだりへ呼寄せながら、今更厭きた、家へ帰すに手がないとって、

「へゝえ一体彼はなんではございませんか、浦賀奉行に縁故があるとちらりっと聞きましたが、探索方でも致して

ア彼奴は滅法力がある、十八人力あると云いまさア、浦賀中で聞いて御覧なさい、剣術も随分上手で三十人位は一緒に掛っ

西浦賀に遺ってあります。是にて悪人平ぎまして、浦賀の町々が白浪の騒ぎも無く栄えましたも、皆山三郎が稀なる義侠