菊模様皿山奇談 / 三遊亭円朝 鈴木行三
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は非番のことだから、用達し旁々というので、根津の下屋敷を出まして、上野の広小路で買物をいたし、今山下の
いう若党を連れ、買物に出ると云って屋敷を立出で、根津の或る料理茶屋へ昇りましたが、其の頃は主家来のけじめが正しく、
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○「あ彼方へ逃げて……それから秩父へ出たんで」
宗「うん成程、秩父へ出て」
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男「私ア此処に懐中附木を持ってる、江戸見物に行った時に山下で買ったゞが、赤い長太郎玉が彼と一緒
んでございますが、漸々銭が無くなっちまいましたから、江戸へ帰っても借金はあり、と云って故郷忘じ難く、何うかして帰り
も達者になり、こんな山の中に居たくもない、江戸へ帰って出入町人の世話に成りたい、忠平の親父も案じているであろう
はなし、一人ではお屋敷へ帰ることも出来ず、江戸へ行ってもお屋敷近い処へ落着けない身の上になって、お前を私は
から、仮名で細かに書いて置きましたから、あなたが江戸へ入らっしゃいまして、春木町の私の家へ行って、親父にお会いなさいまし
でございますから、お気をお付けなすって、あなたは江戸へ入っしゃいまして親父の岩吉にお頼みなすって下さいまし」
ます。宿屋の親父は五平と云って、年五十九で、江戸を喰詰め、甲州あたりへ行って放蕩をやった人間でございます。忰は
から仕様がねえと云うのだ、これ、父はな、江戸の深川で生れて、腹一杯悪い事をして喰詰めっちまい、甲州
もって伺いますが、お死去りなすった此の死骸は、江戸へおいでなさるにしても、信州へお送りになるにしても、死骸
ますから、何かと世話のないように髪の毛だけでも江戸の親元へ参れば宜しゅうございますから、殊に当人は火葬でも土葬でも宜い
ぬ女のこと、どうか御出家様私を助けると思召し、江戸までお送り遊ばして下さいますれば、何の様にもお礼をいたしましょう、お
「それは気の毒なことで、それならば私と一緒に江戸まで行きなさるが宜い私は江戸には別に便る処もないが、谷中の
それならば私と一緒に江戸まで行きなさるが宜い私は江戸には別に便る処もないが、谷中の南泉寺へ寄って已前共に
帰参の叶う事もありましょう、御舎弟も春部殿も未だ江戸へはお出がない、仮令御家老に何んなお頼みがありましても
医「松島は日本三景の内でな、随分江戸のお方が見物に来られるが此のくらい景色の好い所はないと云って
侍「貴公らは江戸のものか、職人か」
人もあるだろう、何の話さ、大変だな、己ア江戸の者だ、谷中の久米野美作守様の屋敷へ出入の職人だったが、
が、何卒委しく尋ねて下さいまし、都合に寄っては又江戸へ帰るような事にもなろうと思いますから」
ん、図らず此処で聞くというは妙なことじゃ、江戸の、うん/\職人体の下屋敷へ出入る者、宜しい……えゝ御免ください」
宗「あゝ江戸のお方は何方で」
○「江戸の者は私で、奥州仙台や常陸の竜ヶ崎や何か集ってるんで、
宗「只今向座敷で聞いておった処が、その江戸に久米野殿の屋敷へ出入りをなさる職人というはあなた方か」
宗「あなた方は江戸は何処だ」
が、ほんの土産だ、是れは御新造が婆アが寒い時分に江戸へ出て来る時に着る半纏にでもしたら宜かろう、綿は其方に
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で、名を宗達と申し、十六才の時に京都の東福寺へまいり、修業をして段々行脚をして、美濃路辺へ廻って帰って
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ゝ見えます。此のお話は暫く措きまして、是から信濃国の上田在中の条に居ります、渡邊祖五郎と姉の娘お竹で、
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がないから、ま行きなさるが宜い、私は本庄宿の海禅寺へ寄って一寸玄道という者に会って、それから又美濃まで是非行きます
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僧「えゝ、左様さ先年美濃国から信州の福島在の知己の所へ参った時の事で、此の知己は
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医「松島は日本三景の内でな、随分江戸のお方が見物に来られるが
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ので、忠平と相談して中の条を出立し、追分沓掛軽井沢碓氷の峠も漸く越して、松枝の宿に泊りました、其の頃
木曾街道でも追分沓掛軽井沢などは最も寒い所で、誰やらの狂歌に、着て見れば綿
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色が真黒で、毛むくじゃらでございます。実に鍾馗さまか北海道のアイノ人が出たような様子で有ります。前次公は見たばかりで
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好男子でありますが、此の菊は至って堅い性質ゆえ、常々神原や山路が来ては何か大藏と話をしては帰るのを、案じ
で余った肴を折へ詰めて先へ帰れ、己は神原の小屋に用があるから、手前先へ帰って、旦那さまは神原さまの
致して、余った下物を折に入れて、松蔭大藏は神原の小屋へ参り、此方は宜い心持に折を吊さげて自分の部屋へ帰っ
が毎度ある、伯父秋月は容易に油断をしないから、神原の方へ引込まれるような事もあるまいが、何の文だろう、何者の
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の寒さよ、丁度碓氷の山の麓で、片方は浅間山の裾になって、ピイーという雪風で、暑中にまいりましても砂を飛
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九里平馬、戸村九右衞門、秋元九兵衞其の他御城下に加賀から九谷焼を開店した九谷正助、菊橋九郎左衞門、年寄役村方で九の
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貯え金は所持している事で、漸く碓氷を越して軽井沢と申す宿へまいり、中島屋という宿屋へ宿を取りましたは、十一
木曾街道でも追分沓掛軽井沢などは最も寒い所で、誰やらの狂歌に、着て見れば綿がうすい
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して来ただアね、宿下りの時にア私は高崎まで行ってゝ留守で逢わなかったが、大くなったね、今年で十八だ
と驚いて直に其の晩の内此処を逃出して、夜通し高崎まで逃げたという。其様なに逃げなくとも宜しいのに。此方はお
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ん事で……確か梅三郎の乳母と云う者は信州の善光寺にいるという事を聞いたが、梅三郎に逢ったら少しは手掛りになる事
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大「拙者は根岸の日暮ヶ岡に居る、あの芋坂を下りた処に」
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を連れて、喜六という老僕に供をさせて、飛鳥山へまいりました。尤も花見ではない、初桜故余り人は出ません、
でも迷惑をいたそうから、表へ出て、広々した飛鳥山の上にて果合いに及ぼう」
出来んなら尚宜しい、さ出ろ、病身結構だ、広々した飛鳥山へ出て華々しく果合いをしなせえ、最う了簡罷りならん、篦棒め」
渡邊織江と申す者、今日仏参の帰途、是なる娘が飛鳥山の花を見たいと申すので連れまいり、図らず貴殿の御助力を得
有「何んだか飛鳥山でお前さんがお助けなすった粂野美作守の御家来の渡邊織江とかいう
織「先ず御機嫌宜しゅう、えゝ過日は図らずも飛鳥山で何とも御迷惑をかけ、彼の折はあゝいう場所でござって、
お受をして拝領の長家へ下りました。織江が飛鳥山で世話になった恩返しの心で、御不自由だろうから是もお持ちなさい、
、素より推挙致したのは渡邊でございますが、自分は飛鳥山で大藏に恩になって居りますから、片贔屓になるようで却って当人の
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持たして小梅の御中屋敷を立出で、吾妻橋を渡って田原町から東本願寺へ突当って右に曲り、それから裏手へまいり、反圃の海禅寺の前を通り
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×「奥州で」
左様で別に化物が出たという話もないが、奥州は不思議のあるところでな」
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曲「へえ、その何でごぜえます、王子の在にお寮があるので、その庵室見たような所の側の
楽に暮していた風流の隠居さんが有りまして、王子の在へ行って聞きゃア直に分るてえますから、実は其処は池の端
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た時分、どうも見掛けたような顔だ……手前は三崎の屋敷にいた事があったろうな」
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ます処を御覧なすったら宜かろうというので、大磯とか箱根とかへお出でが出来ますが、其の頃では然うはまいりません
を抱えようと仰しゃると、少しつんと遊ばしまして、私は箱根へ湯治に往きますとか何とか仰しゃいますが其の頃は固いもので、
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…どう致しまして、私は麻布十番の者でごぜえます、古河に伯父がごぜえまして、道具屋に奉公して居りましたが、つい道楽だ
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召連れて婆の宅を尋ねてまいりました。彼の田端村から西の方へ深く切れてまいると、丁度東覚寺の裏手に当ります処
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処から又後へ少し戻って、細い横町を入ると、谷中の瑞林寺という法華寺があります、今三浦の屋敷へ程近い処まで来る
拝見にまいります。松蔭大藏の家来有助は姿を変え、谷中あたりの職人体に扮え、印半纏を着まして、日の暮々に屋敷
が宜い私は江戸には別に便る処もないが、谷中の南泉寺へ寄って已前共に行脚をした玄道という和尚がおるから
何の話さ、大変だな、己ア江戸の者だ、谷中の久米野美作守様の屋敷へ出入の職人だったが、其処に大変な悪人
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ものは、千万金にも替えがたく好い茶を飲ませるより福原辱なく飲む」
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て、腹一杯悪い事をして喰詰めっちまい、甲州へ行って、何うやら斯うやら金が出来る様になったが、詰り悪い足
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枚あります。今九枚残っているのが、肥後の熊本の本願寺支配の長峰山随正寺という寺の宝物になって居ります。
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の徒弟で、名を宗達と申し、十六才の時に京都の東福寺へまいり、修業をして段々行脚をして、美濃路辺へ廻っ
の国までお竹を送り届け、それより廻国を致し、遂に京都で大寺の住職となり、鴻の巣の若江は旅籠屋を親族に相続させ、
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×「私は奥州仙台」
鐵「へえ…仙台てえのは」
ねえ、何かありませんかな、お医者さまは奥州仙台だてえが、面白え怖ねえ化物が出たてえような事はありませ
○「江戸の者は私で、奥州仙台や常陸の竜ヶ崎や何か集ってるんで、へえ」
ような有様、今襖を開けて出て来ましたは仙台平の袴に黒の紋付でございます。其の頃だから半髪青額
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僧「えゝ、左様さ先年美濃国から信州の福島在の知己の所へ参った時の事で、此の知己は可なりの身代
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、八州が八方へ手配りをしたが、山越をして甲府へ入ったという噂で」
と申す者が私の弟を新町河原で欺討にして甲府へ逃げたと云う事でございますが、何卒委しく尋ねて下さいまし、都合
○「それからこ甲府へ逃げたんで」
宗「秩父越しをいたして甲府の方へ八州が追掛けたのか」
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○「へえ外神田金沢町で」
宗「うん外神田金沢町…名前は」
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鐵「へえ、下谷茅町二丁目で」
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、国家老を引出しましたのは市ヶ谷原町のお出入町人秋田屋清左衞門という者の別荘が橋場にあります。庭が結構で、
並んで、次の間にお客様のおいでを待って居ります。秋田屋清左衞門の番頭も、其の頃大名の御家老などが来ると家の
は悪才には長け弁も能し愛敬のある男で、秋田屋に頼んで十分の手当でございます。此の寮も大して広い家で
時は八月十四日のことで、橋場の秋田屋の寮へ国家老の福原數馬という人を招きまして何ぞ隙
如何にも閑地だから、斯ういう処は好いの、えゝ一寸秋田屋をこれへ」
大「えゝ御家老これが当家の主人秋田屋清左衞門と申します、年来お屋敷へお出入を致すもので、染々
數「はゝあ、秋田屋か」
數「あい、秋田屋か、成程、貴公は知らんが、貴公の親父の時分であった
で、一寸お酌を取りましても、武骨な松蔭や秋田屋がお酌をいたしましては、池田伊丹の銘酒も地酒程にも飲めん
此処にいると屋敷の話も出来んから、取急いで秋田屋芸者共を早く帰せ/\」
へ出せばそれで手前はお暇になったのだ…秋田屋の亭主気の毒だが此の庭で敵討を致させるから少し貸せ」
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来た、それからま何うするにも仕方がないから、奈良辺で稽古をして、此方へ出て来たので、是からが
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がねえと云うのだ、これ、父はな、江戸の深川で生れて、腹一杯悪い事をして喰詰めっちまい、甲州へ
いうので川口から立派な仕出しを入れて、其の頃の深川の芸者を二十人ばかり呼んで、格別の饗応になると云うのであり
でございます。裾模様が付いて居ります、紅かけ花色、深川鼠、路考茶などが流行りまして、金緞子の帯を締め、若い
夏絽を着ましても皆肌襦袢を着ませんで、深川の芸者ばかりは素肌へ着たのでございます。裾模様が付いて居ります
。荻江喜三郎の弟子だというので、皆美々しく着飾って深川の芸者は只今の芸者と違いまして、長箱で入りましたもので
致しますに、丁度宜しい月の上りを見せるという趣向。深川へ申付けました芸者は、極頭だった処の福吉、おかね、小
で、甚だ御無礼ではございますが、お目通りへ其の深川の芸者どもを呼寄せることに致します」
なく、お叱りを受けるかは存じませんが、亭主が深川の芸者を呼び置きましたと申すことで、一寸お酌を取りまして
數「おゝ成程その噂は聞いている、深川には大分美人も居り、芸の好いものも居るという事だが、
。数々料理が並ぶ。引続いて出て来ましたのは深川の別嬪でございます。
とお座付が済み、後は深川の端唄で賑かにやる大分興に入った様子、御家老も六十近いお
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もなく、彼の皿だけは下ってまいります。自分は蔵前の六畳の座敷に居って、其処に膳棚道具棚がありますから、
居て、夜は其の方の部屋へまいって寝るのみで、蔵前の道具係の所などへ参る身の上でない其の方が何うして割った」
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大したお供ではございませんが、權六がお供をして上野の袴腰を通りかゝりました時に、明和三年正月も過ぎて二月
し旁々というので、根津の下屋敷を出まして、上野の広小路で買物をいたし、今山下の袴腰の方へ掛ろうとする
の海禅寺の前を通りまして山崎町へ出まして、上野の山内を抜け、谷中門へ出て、直ぐ左へ曲って是から只今
人の引込むまでと有助は身を潜めて居りますと、上野の丑刻の鐘がボーン/\と聞える、そっと脱出して四辺を見廻す
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子持縞の布子を着て、無地小倉の帯を締め、千住の河原の煙草入を提げ、不粋の打扮のようだが、もと江戸
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梅「あゝ幸い非番ゆえ浅草へでもまいろうかと思う」
のお中屋敷へまいる道だけでも覚えようと存じて、浅草から小梅の方へまいろうと存じまして、実は頼合せてまいりました
自分は御前を下り、小梅のお屋敷を出ますと、浅草寺の亥刻の鐘が聞えます。全体此の日は船上忠平も供を
門前で非業な死を遂げました、屍骸を引取って、浅草の田島山誓願寺へ内葬を致しました。其の時検使に立ちまし
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から居りましたのはお秋という側室で、これは駒込白山に住む山路宗庵と申す町医の娘を奥方から勧めて進ぜられた
家来船上忠助という者の妹お菊というて、もと駒込片町に居り、当時本郷春木町にいる木具屋岩吉の娘がありました。
と思っていました。すると九月十日に、駒込白山前に小金屋源兵衞という飴屋があります、若様のお少さい
小畠で取上げたものを些とべえ売りに参ります、白山の駒込の市場へ参って、彼処で自分の物を広げるだけの場所を借りれば
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提灯を持たして小梅の御中屋敷を立出で、吾妻橋を渡って田原町から東本願寺へ突当って右に曲り、それから裏手へまいり、反圃の海禅寺
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になって居ります処までまいりました。御案内の通り大宮から鴻の巣までの道程は六里ばかりでございます。此処まで来ると若江は
はないと、駕籠をよして互に手を引合い、漸々大宮の宿を離れて、桶川を通り過ぎ、鴻の巣の手前の左は桑畠で、
と駕籠で大宮までまいりますと、もう人に顔を見られても気遣いはないと、
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秋「あ、田端辺からまいる老婆か、久しく来んで居ったが、何ぞ買ってやっ
秋「六十八、左様か、アハヽヽヽいやどうも達者だな田端だっけな」
婆「はい、田端でごぜえます」
召連れて婆の宅を尋ねてまいりました。彼の田端村から西の方へ深く切れてまいると、丁度東覚寺の裏手に当り
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も相談をいたし、国家老を引出しましたのは市ヶ谷原町のお出入町人秋田屋清左衞門という者の別荘が橋場にあります
もございませんで、此の辺は誠にどうも……市ヶ谷から此処へ出張りますことで、好い道具や何かは皆此方の蔵へ
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見るのが至極宜しい、これは妙だ、此の辺は一体隅田川の流れで……あれに見ゆるのは橋場の渡しの向うかえ、如何に
「えゝ道具は麁末でござるが、主人が心入れで、自ら隅田川の水底の水を汲上げ、砂漉にかけ、水を柔かにして好い