敵討札所の霊験 / 三遊亭円朝 鈴木行三

敵討札所の霊験のword cloud

地名一覧

根津

地名をクリックすると地図が表示されます

又「成程根津で増田屋と申すは大分名高いと聞くが、左様かえ増田屋で今の婦人

「根津へ行って遊んで御覧なさらんか、ちょうど桜時で惣門内を花魁の姿

永「お前は以前根津の増田屋の小増という女郎だね」

又「旦那此の婆はもと根津の増田屋で小澤と云った女郎でございます」

下谷に宿を取って居る時に、見物かた/″\根津へ往って引張られて登ったのが縁さねえ、処が此奴中々手管が

江戸

地名をクリックすると地図が表示されます

軒もある処で、良い船着の処じゃが、けれども江戸御府内にいた者は何処へ行っても自由の足りぬものじゃ、さぞ不自由

梅「そうでございますか、じゃア旦那江戸にいらっしゃいましたことが有るの」

彼の様に入れて置いたから知れやアせん、江戸と違って犬は居ず、埋めるはまア後でも宜い、お前は先

、又醤油が好いから甘いねえ、これでね旦那様、江戸の様な旨い味噌で造ったたれを打込んで、獣肉屋の様にぐつ/

永「どうも妙だのう、それじゃアお前何かえ、江戸の者かえ」

ねえ旦那様富山稲荷町の加賀屋平六と云う荒物御用で、江戸のお前さん下谷茅町の富山様のお屋敷がございますから、出雲様へ御機嫌

武士「はゝあ貴公何だね、言葉の様子では江戸御出生の様子だね」

厄介で、傳次と申す元は魚屋でございますが、江戸を喰詰めてこんな処へ這入って、山の中を歩き廻り、極りが悪くって

極りが悪くって成らねえが、金が出来ませんじゃア、江戸へ帰る事も出来ません身の上で」

は旅が出来ぬから、巡礼の姿に成って故郷の江戸へでも行こうと云う心かと思うが、それに就いても預かって居る

お暇を頂いて巡礼にお出しなすって下さい、私は江戸に兄が一人有りまして、今では音信不通、縁が切れては居り

も出来ませんけれども、私も身寄兄弟は無し、江戸に兄が一人有りますが、これも絶えて音信が無いから、今では

を頼んで…斯うという事に成りますれば、私は江戸の葛西に伯父さんが有るから、その伯父さんが達者で居れば、その人

繼「私は元は江戸の生れで、越中高岡へ引込んで、継母に育てられた身の上でございます…

すること丁度足掛三年目の二月の五日に江戸へ着致しましたが、是と云って外に頼る処もございませんから、先

ア無かっきアが、これア私の孫だよ、それ江戸へ縁付けて出来した娘だ……さア足い洗って上るが宜い」

行方を捜しました所が、更に心当りもなく、つい先達て江戸へ出て参りました、参って伯父の処に厄介になって居りまする中

段々見える様に相成ったから同じ死ぬなら故郷懐かしく、此の江戸へ立帰って、富川町に昨年世帯を持ち、相変らず按摩を致して居る内

河内

地名をクリックすると地図が表示されます

粉川寺、四番が和泉の槙の尾寺、五番が河内の藤井寺、六番が大和の壺坂、七番が岡寺、八番が長谷寺、

根津権現

地名をクリックすると地図が表示されます

大小に下駄穿きでがら/\やって来まして、ちょうど根津権現へ参詣して、惣門内を抜けて参りましたが、只今でも全盛で

本郷

地名をクリックすると地図が表示されます

の観音へ参詣を致して、彼れから下谷へ出まして本郷へ上り、それから白山へ出て、白山を流して御殿坂を下り、小石川

立山

地名をクリックすると地図が表示されます

に関所がございますから、あれから道を斜に切れて立山を北に見て、だん/″\といすの宮から大沓川へ掛って

和泉

地名をクリックすると地図が表示されます

番が同国紀三井寺、三番が同じく粉川寺、四番が和泉の槙の尾寺、五番が河内の藤井寺、六番が大和の壺坂、七

落合

地名をクリックすると地図が表示されます

又「婆さん今日は落合までいらっしゃるてえが仕方が無いのう、まア今夜はお泊りなさいな、この頃は

若し逃げに掛ったら、手前は此の細口から駈出して、落合の渡しへ知らせろ、此方は山手だから逃げる気遣いはない、えゝ心配するな

繼「少々物を承わりとう存じますが、これから落合へまいりますには何う参りましたら宜うございますか」

繼「あの是から、落合へ行くには此方へ参って宜うございますか」

助の案内で、漸く往来まで這登りまして、これから落合の宿に泊ったのが山之助とお繼の始めての合宿で、

山之助お繼は其の晩遅く落合に泊り、翌朝になりまして落合を出立致して、大井といふ処へ出

お繼は其の晩遅く落合に泊り、翌朝になりまして落合を出立致して、大井といふ処へ出ました。これから大久手細久手

、太田の宿の加納屋という木賃宿に泊ります。ちょうど落合から是れまでは十二里余の道でございますが、只今とは違って開けぬ

浅間山

地名をクリックすると地図が表示されます

「えゝお抱えに成りましたと云うのは、宇陀の浅間山に北條彦五郎という泥坊が隠れていて、是は二十五人も手下の者が

就きましては凡そ二百人も人数が押出しました押出して浅間山を十分に取巻いて見た所が、北條彦五郎は岩穴の中に住んでいる、

から遂々水攻も無駄になって、何うしたら宜かろうと只浅間山を多勢で取巻いて居るだけじゃが、肝腎の彦五郎は裏穴から脱けて、相変らず

事まですっぱり白状に及んだから、よう/\の事で浅間山の盗賊を掃除したと云うので、是れから其の修行者は剣術も心得て居る

石山寺

地名をクリックすると地図が表示されます

の醍醐寺、十二番が近江の岩間寺、十三番が石山寺、十四番が大津の三井寺と段々打巡りまして、三十三番美濃の谷汲まで

大聖寺

地名をクリックすると地図が表示されます

が、荒物屋じゃア仕様がございません、それに今度金沢から大聖寺山中の温泉の方へ商いに行きたいと思いますのさ、就ては小間物を

永「うーん何じゃ、私は大聖寺の者じゃ」

又「大聖寺へえー、大聖寺じゃアありますまい、貴方がたは越中の高岡のお方でござい

又「大聖寺へえー、大聖寺じゃアありますまい、貴方がたは越中の高岡のお方でございましょうがな」

永「うゝんイヤ私は大聖寺の薬師堂の尼様のお供をして来た者じゃア、何で高岡の者

芦屋

地名をクリックすると地図が表示されます

も解け二月の月末に越後地へ掛って来ます。芦屋より平湯駅に出で、大峠を越し、信州松本に出まして、稲荷山より

神通川

地名をクリックすると地図が表示されます

掛って、飛騨の高山越をいたす心でございますから、神通川の川上の渡しを越える、その頃の渡し銭は僅か八文で、今から考える

夜通し無暗に逃げて、丁度大沓へ掛って来ますると、神通川の水音がどうーどっと聞える。山から雲が吹出しますと、ぱら/\/

大阪

地名をクリックすると地図が表示されます

山中の温泉場の方へ商いに往って、事に依ったら大阪へ廻って買出しを致たいからと云って、些とばかり宗慈寺様からね資本

土浦

地名をクリックすると地図が表示されます

の道が何よりもお好でなア、先年此の常陸の土浦の城内へお抱えに成りました者が有りまして、これは元修行者だ

ねえと云うので、己も行ける義理は無えからなア、土浦へ行って燻ぶって居たが、その中に瘡は吹出す、帰る事も出来

飯山

地名をクリックすると地図が表示されます

、信州水内郡白島村と申す処がございます。是は飯山の在で山家でございます。大滝村という処に不動様がありまして

て少々の賃銭を戴きます、はい宜く稼ぎますが、丁度飯山の御城下へまいり、お酒の美いのを買って参りましたが、お

越中国

地名をクリックすると地図が表示されます

の二十両の金は有るし、これを持って又市は越中国へ逐電いたしました。此方は翌朝になりましてもお帰りがないと云う

王子

地名をクリックすると地図が表示されます

まして、あちらの方はあの団子坂の方から染井や王子へ行く人で人通りも有りますし……それに店賃も安いと申すことで

小岩井

地名をクリックすると地図が表示されます

「え……彼れは叔父で……お繼、何か小岩井のお婆さんの処え行きてえから、お婆さんに己の詫言して

稲荷山

地名をクリックすると地図が表示されます

に出で、大峠を越し、信州松本に出まして、稲荷山より野尻、夫より越後の国関川へ出て、高田を横に見て、

高田藩

地名をクリックすると地図が表示されます

から先高田へ来ましたのは、水司又市は以前高田藩でございますから、若しも隠れて居りはせぬかと、高田中を歩き

鳥居峠

地名をクリックすると地図が表示されます

は成ぬと思って言葉を懸けません、其の晩は鳥居峠を越して宮之越に泊りましたが、丁度八里余の道程でござい

地名をクリックすると地図が表示されます

行けば道順なれども、富山へ行くまでには追分から堺に関所がございますから、あれから道を斜に切れて立山を北に見

両国

地名をクリックすると地図が表示されます

郎は傳助と云う下男を連れて、小津軽の屋敷へ行って、両国を渡って帰り、御徒町へ掛ると、

から、途中で足い労れるから蕎麦ア食うべえと思って、両国まで来て蕎麦ア食ったから腹がくちい、構って下さるな…七兵衞さん、私参

金沢

地名をクリックすると地図が表示されます

ば山中の温泉場へ行って、商いに少し利があれば金沢で物を買って来る、大きい方の商いは今までに覚えが有りますの

売れますが、荒物屋じゃア仕様がございません、それに今度金沢から大聖寺山中の温泉の方へ商いに行きたいと思いますのさ、

梅「お父様はあのお商いも隙だから、あの金沢から山中の温泉場の方へ商いに往って、事に依ったら大阪へ廻っ

富山

地名をクリックすると地図が表示されます

た。これから富山へ掛って行けば道順なれども、富山へ行くまでには追分から堺に関所がございますから、あれから道を

、その文庫をひっ脊負って、せっせと逃出しました。これから富山へ掛って行けば道順なれども、富山へ行くまでには追分から堺

加賀屋平六と云う荒物御用で、江戸のお前さん下谷茅町の富山様のお屋敷がございますから、出雲様へ御機嫌伺いに参りまして、

又「いゝえ私はねえ旦那様富山稲荷町の加賀屋平六と云う荒物御用で、江戸のお前さん下谷茅町の富山

の此処に居る事を知らぬかえ、此の飛騨へは富山の方の者が滅多に来ないから知らぬのじゃなア」

永「じゃア富山の稲荷町で良い商人で有ったろうが、女房子はお前の此処に居る

、ぼんやり聞いて居りましたが、妙な事で、去年富山の薬屋、それお前さん反魂丹を売る清兵衞さんと云う人が家へ

参ったのは、越中富山の反魂丹を売る薬屋さん、富山の薬屋さんは風呂敷包を脊負うのに結目を堅く縛りませんで、

下りになりまして峠を下って参ったのは、越中富山の反魂丹を売る薬屋さん、富山の薬屋さんは風呂敷包を脊負うのに

下谷

地名をクリックすると地図が表示されます

がございますから、出雲様へ御機嫌伺いに参りまして、下谷に宿を取って居る時に、見物かた/″\根津へ往って引張ら

稲荷町の加賀屋平六と云う荒物御用で、江戸のお前さん下谷茅町の富山様のお屋敷がございますから、出雲様へ御機嫌伺いに参り

がねえから女房も置去にしましたが、これは下谷の上野町に居りますが、音信もしませんので、向うでも

でございます、浅草の観音へ参詣を致して、彼れから下谷へ出まして本郷へ上り、それから白山へ出て、白山を流して

には立派な棟梁となり、正太郎左官と云われて、下谷茅町の横町池の端へ出ようと云う処に、つい十一二年前まで家

福島

地名をクリックすると地図が表示されます

て言葉を掛けません。これから皆様御案内の通り福島を離れまして、彼の名高い寝覚の里を後に致し、馬籠に掛っ

ば、此方が向側と云う廻り合せで、両側を流しながら遂々福島を越して、須原という処に泊りましたが、宮之越から此処

新潟

地名をクリックすると地図が表示されます

が有りません。だん/\尋ねて新潟へ参ると、新潟は御承知の通り人出入りの多い処でございますから、だん/\諸方を

が、頓と手掛りが有りません。だん/\尋ねて新潟へ参ると、新潟は御承知の通り人出入りの多い処でございますから、

大津

地名をクリックすると地図が表示されます

番が近江の岩間寺、十三番が石山寺、十四番が大津の三井寺と段々打巡りまして、三十三番美濃の谷汲まで打納めまする。

奈良

地名をクリックすると地図が表示されます

壺坂、七番が岡寺、八番が長谷寺、九番が奈良の南円堂、十番が山城宇治の三室、十一番が上の醍醐

水戸

地名をクリックすると地図が表示されます

に歩き、沢山な金を奪い取るので、何うもこりゃア水戸笠間辺までも暴すから助けて置いては成らぬと云うので、

深川

地名をクリックすると地図が表示されます

(例)深川元町

一席申し上げます、是は寛政十一年に、深川元町猿子橋際で、巡礼が仇を討ちましたお話で、年十八に

十三になり奉公をすると云うので、それからまア深川の菓子屋へ奉公に行ってるだ」

百「それで何だ、深川の猿子橋の側の田月という大い菓子屋の家に奉公をしてるだ

の中へ脇差を仕込み、是を小脇に抱え込んで飛出し、深川富川町の按摩の家へ、山之助お繼が飛込みまして、愈々猿子橋

婆アの留るのも聞入れずに見相を変え、振払って深川富川町へ駈出します。すると暫く経って帰ったのは伯父の文吉でござい

が家へ来ての話に、敵の水司又市が深川の富川町で按摩取に成ってると云う事を話したゞ、するとお前

て伯父の処に厄介になって居りまする中に、この深川富川町に水司又市という人が有って、元は榊原様の家来で

捜し出して親の敵を討たせんければ成らぬと、深川の富川町へお繼を連れて参り、これから山平の手許に置いて剣術

へ曲りますと、水司又市は一人になりまして、深川の元町へ掛って来たから最う我慢は出来ません。先へ通り抜ける

上野

地名をクリックすると地図が表示されます

に奉公を致して居りましたおきんと云う女中が、上野町に団子屋をして居るので、此の家の二階で山平と

から女房も置去にしましたが、これは下谷の上野町に居りますが、音信もしませんので、向うでも諦らめ

照「本当にねえ、だがお前は矢張あの上野町に居るのかえ」

きん「はい上野町に居りましたが、彼の近辺は家がごちゃ/\して居

御徒町

地名をクリックすると地図が表示されます

、小津軽の屋敷へ行って、両国を渡って帰り、御徒町へ掛ると、

稲荷町

地名をクリックすると地図が表示されます

又「いゝえ私はねえ旦那様富山稲荷町の加賀屋平六と云う荒物御用で、江戸のお前さん下谷茅町の富山様の

永「じゃア富山の稲荷町で良い商人で有ったろうが、女房子はお前の此処に居る事を知ら

浅草

地名をクリックすると地図が表示されます

、猶更睦じく両人は毎日葛西の小岩井村を出て、浅草の観音へ参詣を致して、是から江戸市中を流して歩るきます

日々々朝は早く巡礼の姿で家を出まして、浅草の観音へ参詣を致し、市中に立って御詠歌を唄っては報謝を

所が、ちょうど十月の十五日の日でございます、浅草の観音へ参詣を致して、彼れから下谷へ出まして本郷へ上り、

小川町

地名をクリックすると地図が表示されます

久「今は小川町の上屋敷に居ります」

外に二人都合三人連の侍が通用門を出まして小川町へかゝるから、顔を隠しては居るが、ひょっとしたら彼れが又市

彼れから壱岐殿坂の下へ出て参り、水道橋を渡って小川町へ来て、土屋様の下屋敷の長屋下を御詠歌を唄って、ひょっとし

水道橋

地名をクリックすると地図が表示されます

出まして、彼れから壱岐殿坂の下へ出て参り、水道橋を渡って小川町へ来て、土屋様の下屋敷の長屋下を御詠歌を

蔵前

地名をクリックすると地図が表示されます

ますると、また一人の侍は挨拶をいたして別れ、御船蔵前へ掛って六間堀の方へ曲りますと、水司又市は一人に

浜町

地名をクリックすると地図が表示されます

侍が一人居りまするから、段々見え隠れに付いて参ると、浜町へ出まして、彼れから大橋を渡りますると、また一人の侍は挨拶

京橋

地名をクリックすると地図が表示されます

成りたいと云うから、それじゃア成んなさいと云うので、京橋の因幡町の左官の長八と云う家へ奉公に遣っただ、左官でも