幸徳秋水と僕 ――反逆児の悩みを語る―― / 木下尚江

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地名一覧

北海道

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差当り北海道の遊説を中止せねばならぬ。

信州へ行き、昨年は奥羽へ行き、今年はいさゝか大規模に北海道を廻る予定で、現に石川君の机の上には、同志達から打合せの

名古屋

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へ発表せねばならぬ。東京を振り出しに、西は名古屋、京都、大阪、東は仙台――せめてこれくらゐのところでは、一つ

或日、名古屋のお千代さんの姉さんが見えて、一通の手紙を僕の前へ置い

は場河原から市ヶ谷の監獄へ移つた。お千代さんが名古屋から出て来て、病弱な身で、差入物万端世話して居ると聞い

湯河原

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間もなく湯河原から、転地の通知が来た。僕は、新約全書と碧巌録とを、

武蔵野

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かういつて、風の寒い武蔵野の暮れ行く空を、茫然とながめて居た。翌日、多勢の友人同志に

横浜

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て居た。翌日、多勢の友人同志に見送られて、横浜を立つた。

四谷

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幸徳は予定より早く帰つて来た。四谷の小泉三申君の宅へ、彼を尋ねて行つて見ると、持つて

大阪

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、当時東洋のルソーと謳はれて居た中江兆民を、大阪に訪問した。その兆民先生のムサくるしい玄関で、彼は始めて幸徳を

た時、当時十七歳の幸徳も、師匠に同伴して大阪へ行つたものと思はれる。

ばならぬ。東京を振り出しに、西は名古屋、京都、大阪、東は仙台――せめてこれくらゐのところでは、一つ集会をやらね

両国

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、毎月講演会など開くことにした。三十六年の暮、日露両国の交渉が危機に迫つた時「非戦論」を発表したのも、この社会主義協会だ。

岡山

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石川が始めて故郷岡山を出て東京へ遊学の折、当時東洋のルソーと謳はれて居た

仙台

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東京を振り出しに、西は名古屋、京都、大阪、東は仙台――せめてこれくらゐのところでは、一つ集会をやらねばならぬ

、一の橋、二の橋、中の橋を渡り、仙台坂を上つて、日和下駄を響かせて、南部坂の家庭へ帰る。

京都

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せねばならぬ。東京を振り出しに、西は名古屋、京都、大阪、東は仙台――せめてこれくらゐのところでは、一つ集会

千葉

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「赤旗事件」で、堺君等が千葉の監獄へ送られたと聞くや、土佐に静養して居た幸徳は

東京

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たさうだ。明治二十年の冬、保安条例で兆民が東京を逐はれた時、当時十七歳の幸徳も、師匠に同伴して大阪

石川が始めて故郷岡山を出て東京へ遊学の折、当時東洋のルソーと謳はれて居た中江兆民を、

僕が東京へ出て「毎日新聞」へ入社したのは、石川のお蔭であつ

この埼玉における公娼反対の成功が、やがて東京における廃娼運動の勃興を促し、更に多方面へ大小幾多の波瀾を及ぼし

した上は、直ぐ世間へ発表せねばならぬ。東京を振り出しに、西は名古屋、京都、大阪、東は仙台――せめてこれ

嗚呼、当時の東京――

にまかせて書いた。――一刻も早く見せたくて、東京へ行つて郵便に出した。

大宮

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を肥やさうといふ魂胆だが、表面の理由は、日本鉄道会社大宮工場の如き、職工労働者の巣窟のために、風教衛生上、公娼設置の

早稲田の新教授安部磯雄君であつた。安部君も矢張り大宮へ行くのだ。

これを聞いた大宮工場の労働組合が、憤起して反対運動の声を挙げた。島田先生も

大宮では、かねて会場に借りて置いた劇場が、公娼派の圧迫で急

当時、砲兵工廠と大宮工場とは、労働運動の中心で、片山潜、高野房太郎などいふ指導者の名

上野

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も同行を勧められた。その朝、大雪の降る中を上野停車場へ行つた。先生と立ちながら話して居る人を見ると、中肉中背

神田

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円。幹事二名――片山君と僕。事務所は、神田仲猿楽町の僕の借宅。

日比谷

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隣の塩瀬で、よくあんころもちを買つて帰つた。日比谷へ出て、芝の山内を抜け、一の橋、二の橋、中

市ヶ谷

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裁判が確定して、三十八年の春の初、幸徳は市ヶ谷の監獄へ行つた。その朝、平民社へ行くと、丁度幸徳が書物

たのだ。四十三年六月一日、彼は場河原から市ヶ谷の監獄へ移つた。お千代さんが名古屋から出て来て、病弱な

が、遙々土佐から上京し、堺君に連れられて、市ヶ谷へ面会に行かれたと聞いた時、僕はツク/″\「母