千葉夜行記 / 大町桂月
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市川との間は、桃幾んど連續せるが、八幡宮のあたりは途絶えたり。この祠の前、千葉街道に接して、凡そ二十間
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して盡くる所を知らず。富士山は霞にかくれ、鹿野山は淡く横はる。殊に海に近くして、洲渚漁村のさま、人を
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曰く、古き墓ならむと。又一説に曰く、此地行徳の入會地にて、八幡村民妄りに入るべかざるを以て、八幡不知
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。東京灣※茫として盡くる所を知らず。富士山は霞にかくれ、鹿野山は淡く横はる。殊に海に近くして、洲渚
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千葉夜行記
十口坊も、第一回の夜行に閉口したりけむ、千葉に向つて第二回の夜行を爲したる時は、來り會せざり
相會し、午後七時半を以て發足す。東京より千葉まで、十里と稱す。陽春四月、寒からず、暑からず、遠足に
いふに、走ることを止めて、殿軍と一所になり、千葉の町に入りて、定めたる旅店に著きしは、恰も午前四時
も、最早遠からず。裸男少年に向つて、『これから千葉まで走らずや』と云へば、『走らむ』といふ。さらばとて、
明かに見ゆる也。行手は唯※眞つくらにて、千葉の所謂『光』は見えざれども、最早遠からず。裸男少年に向
て、千葉第一の遊覽地、老松參差として、千葉の市街に俯す。東京灣※茫として盡くる所を知らず。
て猪鼻臺に上る。千葉氏代々の城址にして、千葉第一の遊覽地、老松參差として、千葉の市街に俯す。東京
。我等の爲に導をなして猪鼻臺に上る。千葉氏代々の城址にして、千葉第一の遊覽地、老松參差とし
に至りて演説す。師範學校の生徒も來り聽けり。千葉中學校の校長は海鹽欽衛といふ人也。我等の爲に導
ひと先づ解散す。更に幹部、其他の有志と共に千葉中學校に至りて演説す。師範學校の生徒も來り聽けり。千葉中
停車場までも、校長に送られて、千葉を辭す。雨至る。中山にて他の幹部の人々とも別れて、
が、八幡宮のあたりは途絶えたり。この祠の前、千葉街道に接して、凡そ二十間四方の竹藪あり。これ八幡の八幡不知とて
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門前に相會し、午後七時半を以て發足す。東京より千葉まで、十里と稱す。陽春四月、寒からず、暑からず、
遠方の火事の如し。されど火事には非ず。さすがは東京なり。滿都の電燈の光、七八里隔たりても、斯ばかり明かに
遊覽地、老松參差として、千葉の市街に俯す。東京灣※茫として盡くる所を知らず。富士山は霞にかくれ、