丹下左膳 01 乾雲坤竜の巻 / 林不忘
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古河の町は、八万石土井大炊頭の藩で江戸から十六里。
その古河を今朝たって野木、間々田、小山、それから二里の長丁場でこの小金井。
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という古式の脚絆をはいているところ、今や出師の鹿島立ちとも見るべき仰々しさ。
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この雨の明け方を、弥生さまはおひとりで番町とやらへおかえりになるつもりであろうが、なんというお強い方であろう
、しょんぼりと瓦町の栄三郎の家を出て以来、弥生は番町の養家多門方へも帰らなければ、その後だれひとり姿を見たものもない
去らなかった。そういえば、いつか雨の晩に、番町から瓦町へつれ出してから、あの娘はいったいどうしているのだろう?
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笠間の入口でまたひとり。
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死にざまなそうな。だが、一人の業ではないらしい。青山、上野、札の辻、品川と一晩のうちに全然方角を異にし
そうして殿様はお艶さんを捜し出させ、左膳さまには青山の家をしらせてやってそこへあの人が飛びこんでゆけば、ね!
他は青山へ。
すぐさま瓦町へ走らせて投げこませるとともに、自らはただちに青山の家をさして引っ返したのだった。
丹下左膳がこの青山の弥生の住所を知ってかけ出したと見るや、弥生は一筆走らせて豆
に瓦町へしらせると同時に、自らも道を急いで青山へ引っかえし、森の一隅で瓦町へ寄って来る豆太郎を待ち二人で
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一万石内田主殿頭城下の町灯がチラチラと、さては香取、津の宮の家あかりまで点々として漁火のよう――。
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通客粋人が四畳半裡に浅酌低唱する、ここは辰巳の里。
たお艶ではなく江戸でも粋と意気の本場、辰巳の里は櫓下の夢八姐さん……夜の室内で見た時よりは
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当時美濃国に、刀鍛冶の名家として並ぶ者なき上手とうたわれたのが、和泉
あったらしいことだけは、ふるい昔の語りぐさのように、美濃国にいる刀鍛冶のあいだにいいつたえられてきたけれど、誰も、孫六の専用し
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森徹馬を頭に、二隊はただちに屋敷を出て、根津の田圃に提灯の火が蛍のように飛んだ。
「おう! あなた様は根津の道場の――」
あの根津の曙の里の故小野塚鉄斎先生の娘弥生に思われて、嫌っては
「いいえね、万事あの根津のお嬢さんのようにはいきませんてことさ」
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里で草加。それから越ヶ谷、粕壁、幸手で、ゆうべは栗橋の泊り。
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の化けの皮を一目で引ん剥いだ、御眼力、お若えが恐れ入谷の鬼子母神……へっへっへっなんでごわす? ま、そのお話てえのをザッ
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鈴鹿は曇る。
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御殿山。七十日目ごろさかん也。房総の遠霞海辺の佳景、最もよし。
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装束五人組と弥生豆太郎の住家のうえに、今や武蔵野の落日が血のいろを投げて、はるかの雑木ばやしに※唖と鳴きわたる
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、小髷で、鬢がうすいので、ちょっと見ると、八丁堀に地面をもらって裕福に暮らしている、町奉行支配の与力に似ているところ
「お前は、八丁堀か」
「これ! 金はここにある。この八丁堀のお役人が、あの男をとっちめて取り戻してくだすったのだ。礼はこの人
「おいッ! 源十ッ! 八丁堀が参った。また一つ、剣の舞いだぜ」
でかおだちはわかりません。が、うす鬢の小髷、八丁堀のお役人ふうでしたから、あっしが棟梁、お役人といいますと、棟梁はピタリ
「さよう。八丁堀、加役のたぐいであることは言うまでもあるまい」
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うらまで知りつくしたこんにちにいたるまで、忠相はなお、かつて伊勢の山田のおつるへ動きかけた淡い恋ごころを、人知れず、わが世
上には、よほど以前のことでございまするが、忠相が伊勢の山田奉行勤役中、殺生厳禁の二見ヶ浦へ網を入れました小俣村百姓
「本場……と申せば、伊勢か」
「へえ、へえ、伊勢の上ものでございます」
むかし伊勢の山田でも、忠相は泰軒を千代田の密偵に仕立てて手付きの者の
をあとに、ハラヨッ! とばかり、ドンドン東海道を飛ばして伊勢へ下りにかかった。
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右は、遠く荒天にそびえる筑波の山。
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飯野山の峰はずれに月は低く、星の降るような夜だった。
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柏木村。四谷の先、薬師堂まえ右衛門桜という。さかり同じころ也。
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おりからの闇黒にまぎれて、一つの黒い影が、中村城の不浄門から忍び出て城下を出はずれた。そのあくる日、お徒士組丹下左膳の名
て北東の海辺に覇を唱える相馬大膳亮殿の湯池鉄壁、中村城のそと構えである。
の太鼓が陽に流れて、ドゥン! ドーン! と中村城の樹間に反響しているとき。
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秩父の山ふところ、武田の残党として近郷にきこえた豪族のひとりが、あても
代々秩父の山狭に隠れ住む武田の残族蒲生泰軒。
軒で、とうとうここまで、北州の雄月輪一刀流と、秩父に伝わる自源流と、ふたたび刃を合わす機会もなくすぎて来たのだが
そこは秩父に残存する自源流をもっておのが剣技をつちかいきたった泰軒先生の
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こう、江戸じゃあナ、まあ聞きねえってことよ。金竜山浅草寺名代の黄粉餅、伝法院大榎下の桔梗屋安兵衛てんだが、いまじゃア所
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、なにしろこの暗夜、それに乾雲丸の切先鋭く、とうとう門前町の方角へ丹下の影を見失ってしまった。こう弁解らしくつけたしたかれの言葉
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射んと欲せばまず馬を射よ。あるいは曰く、敵は本能寺にありというわけで、源十郎はこのおふくろをちょろまかして、それからおいおいお艶
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人形のように、仙台堀から千鳥橋を渡って永代に近い相川町、お船手組の横丁へでたときだった。
「はい。深川の相川町、こちらから参りますと、永代を渡ってすぐの、お船手組お組やしき
の印で、いつかそら、銀町の棟梁伊兵衛親方が相川町で奪られたものだから、ここはなんとあっても、その鈴川てえお
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だ。なんという男冥利、一同こころひそかに弓矢八幡と出雲の神をいっしょに念じて、物凄い気合いをただよわせているのもむりではない
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駒形を行きつくして、浅草橋近くなったころは、与吉も追っ手も影を失って
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「明日は諏訪が勝ち抜いて、この乾雲丸をさすにきまっておる。ついでだが、
! 御老人は年歳は年齢だが、お手前をはじめ諏訪など、だいぶ手ききが揃っておると聞いたに、なななんたる不覚――」
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に入れるために剣鬼丹下左膳を江戸おもてへ潜入させた奥州中村の領主相馬大膳亮につかえ、お賄頭をつとめていた実直の士に
三間町の鍛冶屋富五郎、鍛冶富に頼まれて、奥州の御浪人和田宗右衛門とおっしゃる方を世話してこの三丁目の持店のひと
あっしが引き受けてこの書を栄三郎へ届け、すぐその足で奥州をさして発足いたしますから」
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柏木村。四谷の先、薬師堂まえ右衛門桜という。さかり同じころ也。
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宿つぎ人足を代えて早打ちみたよう――夜どおし揺られて箱根の峠にさしかかるあたりで明日の朝日を拝もうという早急さ。
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街道を加島、原町、小高、鷹野、中津、久満川、富岡……。
富岡より木戸。
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駕籠を拾って六郷の渡船場まで走らせ、川を越せば川崎、道中駕籠を宿つぎ人足を代えて早打ちみたよう――夜どおし揺られて箱根
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こっち側はお高札、むこうは青物市場で、お城と富士山の見える日本橋。
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常陸の水戸から府中土浦を経て江戸は新宿へ出ようというのだ。
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すっきりとした肩にさんさんたる陽あしを浴びて大股に雷門のほうへと徒歩ってゆく。
三々五々人の往来する蔵前の通りを、はるか駒形から雷門をさしていそぐ栄三郎の姿が、豆のようにぽっちりと見える。与吉を伝送
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名にし負う塩釜神社に近く、右手の沖は、鮎川のながれを受ける金華山。
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と鋭く叱りつけて、源十郎はそのまま、蔵宿の向う側森田町の露地へずんずんはいり込む。
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汐留の海である。
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常陸の水戸から府中土浦を経て江戸は新宿へ出ようというのだ。
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に、泊りを重ねてこの昼すぎちょうどさしかかったのが野州の小金井だ。
て野木、間々田、小山、それから二里の長丁場でこの小金井。
の城下を過ぎ、本街道をまっしぐらに来かかったのがこの小金井である。
小金井をたって下石橋、二里半の道で宇都宮……大通りを人馬にもま
もとんと勘考がつかねえんだが、ウヘエッ! ぶらりと小金井に来ていやしてねえ、それからズウッととんだお荷物のしょいづめでござい
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関本。勿来。小名浜。江名。草野。四ツ倉。竜田。夜の森。浪江。
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が蒼空へ向かって黄色い咽喉を張りあげると、大凸山と天竜川の取り組み。それへ教学院の荒法師や近所の仲間が飛び入りをして、割れる
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まだ眠りからさめぬ大江戸の朝は、うらかなしい氷雨が骨に染みて寒かった。
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真っ黒に塗りつぶされたような入江町の往来を、ふところ手に雪駄履きの源十郎が、形だけは八丁堀めかして、屈託
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またこれなる蟇は、江戸より東南、海路行程数十里、伊豆の出島十国峠の産にして……長虫は帯右衛門と名づけ、がまは岩
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また江戸絵と呼ばれるほどに江戸の名産となって広く京阪その他諸国にわたり、べに絵売りとて街上を売りあるくものもすくなくなかった。
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が願い立てになっておったが、些細な事件ながら、越前なんとなく気にかかってならぬ。いや、奉行の職義から申せば市井
越前はいささかまぶしそうに、
「越前、かつて人を罰したことはない。人の罪を罰する。いや、人を
、今さぞ満足に思い返しておるであろう……これよ、越前、こんにちをもって江戸おもて町奉行を申しつくる。吉宗の鑑識、いやなに、源蔵の
忠相の忠相、越前の越前たるゆえん、またこれをおいて他になかった。
忠相の忠相、越前の越前たるゆえん、またこれをおいて他になかった。
「越前……とは、かの南の奉行か?」
「そうよ! 越前に二つはあるまい!」
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御殿山。七十日目ごろさかん也。房総の遠霞海辺の佳景、最もよし。
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関の孫六と号した兼元も、この和泉の一家であった。
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江戸の五里手まえ、松戸の往還で再び一人。
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塩釜神社に近く、右手の沖は、鮎川のながれを受ける金華山。
さびしい――けれども、いい知れぬ平和な満足が、金華山洋上あらしの夜、弥生の死顔のうえにかがやいたのだった。
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、江戸で見つかったんだけれど、お情けの筋あって東海道へ放されたんだそうだが、こんどは引き売りてえ新手の詐偽を
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江戸は根津権現の裏、俗に曙の里といわれるところに、神変夢想流
いたします。竜は雲を招き、雲は竜を待つ、江戸広しといえども、近いうちに坤竜丸と丹下の首をお眼にかけ
この風のごとき浪士丹下左膳、じつは、江戸の東北七十六里、奥州中村六万石、相馬大膳亮殿の家臣が、主君の秘命
全国に手分けをして物色すると、いまその一腰は、江戸根津権現のうら曙の里の剣道指南小野塚鉄斎方に秘蔵されていると
小野塚鉄斎方に秘蔵されていると知られたから、江戸の留守居役をとおして金銀に糸目をつけずに交渉らせてみた
見得ばかりではなく、江戸の遊び人のつねとして、喧嘩の際にすばやくすべり落ちるように絹裏を張りこん
夜泣きの刀を手に入れるために剣鬼丹下左膳を江戸おもてへ潜入させた奥州中村の領主相馬大膳亮につかえ、お賄頭をつとめ
まみえて他家の新参になるものもあるまいと、それから江戸に立ちいで気易な浪人の境涯。浅草三間町の鍛冶屋富五郎、かじ富と
どこに? とせきこむ栄三郎の問いには、江戸の片隅とのみ答えて、源十郎声をおとした。
「さよう。まずそこらであろう……が、お藤が江戸におるとすれば、このたび喜左衛門店のお艶なる者が誘拐された
「いや、こりゃまさに禅師に一喝を食ったが、いくら江戸でも、左腕の辻斬りがそう何人もいて、みな気をそろえて辻斬りを
だから、八代吉宗公に見いだされた忠相が、江戸にでて南町奉行の顕職についたのちも、泰軒はこうして思い出し
ておるであろう……これよ、越前、こんにちをもって江戸おもて町奉行を申しつくる。吉宗の鑑識、いやなに、源蔵の礼ごころじゃ。このうえ
が一つ、はるか遠くにぽっかりと浮かんでいるのが、江戸の空であろう……栄三郎は刀をしまうと、こんどはぽつんと壁により
それがなんでもお刀探索密命を帯びてこうして江戸にひそんでいるとかと、いつかの夜のお居間のそとで立ち聞いた
ほれた弱味――でもあるまいが江戸の姐御だ。左膳を見あげたお藤が、ひとすじ血をひいた口もとを
わらじの先を示して、「ね、このとおり生れ故郷の江戸でさえあたしゃ旅にいるんだ。江戸お構え兇状持ち。いつお役人の眼に
このとおり生れ故郷の江戸でさえあたしゃ旅にいるんだ。江戸お構え兇状持ち。いつお役人の眼にとまっても、お墓まいりにきのう来まし
江戸の辻々に行人を斬りに。
のでございましょうか。ずいぶん遠うございますねえ。ここはもう江戸ではございますまい?」
「そうさ。江戸ではない。が、日本のうちだ。安心してついて来なさい。だいたい
て、ただじっとしていられなかった栄三郎が、明けから江戸の町をあるくつもりで千住街道を影とふたりづれで小塚原の刑場へまで来る
近く後日の再会を約すとそのまま傾く月かげに追われて江戸の方へと走り去ったのだった。
色を増した青い物の荷車が、清々しい香とともに江戸の市場へと後からあとから千住街道につづいていた。
江戸の町々を寒く濡らして、更けゆく夜とともに繁くなる雨脚……。
もどうやらくぐりぬけ得たらしい。が、ゆすり騙り博奕兇状で江戸お構えになっている自分の身に今さらのように気がついてみると
夜もすがらの雨に、ようやく明けてゆこうとする江戸の朝。
江戸の町では見かけない山駕籠ふうの粗末なつくりだが、陸尺は肩のそろっ
つにせんとするものであろうか?……とにかく、江戸の巷に疾風のごとき五梃駕籠が現われたのはこの時からで、あと
こんな冗談が言えるもんか。はばかりながら公事御用に明るくて江戸でも名代の口きき大家だ。南町のお奉行所は手前の家よりも心得て
越前守は、お役の暇を見てよくこうして江戸の巷を漫然と散策することを心がけてもいたし、また好んでも
侍は、南町の名奉行大岡越前守忠相ではなく、江戸の一市民にすぎないのだ。だから、向うから来て、自然と顔
「正直のところ、姐御がいらっしゃる間は、与吉も江戸を見限りはいたしません」
は気の毒だが、その夜にでも彼地をたって江戸へ急行してもらいたい。礼は後日のぞみ放題にとらせる」
江戸に、その冬はじめて雪の降った宵だった。
と、鉄瓶の湯がチインと松風の音をたてて、江戸の真ん中にいながら、奥まった露地のはずれだけに、まるで人里はなれた山家
父は早く禄を離れて江戸の陋巷にさまよい、またその父を失ってから母とも別れて、あらゆる浮き世
で手を合わせて表に毒づくあいそづかし……お艶も江戸の女であった。
江戸に、その冬はじめて雪の降った夜だった。
深夜の江戸を一刷けに押し包んで、雪はいつやむべしと見えなかった。
江戸お構えの身は思わぬときに捕吏の大群をうけて、お藤は第六天篠塚
てみると、もとより嫌いでないどころか、こうして危い江戸をも見捨て得ずに今日こんな苦労を重ねているのも、もとはといえ
してみると剣鬼と女妖、この広い江戸のどこにひそんでいるのだろう?
秘密の隠れ場所であった。いずこかはわからないが、江戸のなかには相違ない、そして誰ひとり知る者もない穴ぐらなのだから、
、夜泣きの刀を一対として、明け方にははや江戸をあとに、郷藩相馬中村をさして発足しようと意気ごんでいたの
流門下の遣手諏訪栄三郎が小の坤竜丸を佩して江戸市中に左膳を物色し、いくたの剣渦乱闘をへたのち――乾
雪の江戸に金いろの朝が来た。
は水が大事と申してな、京おもてでは加茂川、江戸では多摩川の水に限るようなことをいう向きがあるが、わしなぞ
また、ひいては江戸のおなごの心意気、浮き世の情道でもあると、こうかたく胸底に誓った
野良犬のごとく江戸のちまたに夜な夜なの夢をむすんだお艶を、諏訪栄三郎になりかわって、豪
古河の町は、八万石土井大炊頭の藩で江戸から十六里。
道中細見記をたどれば、江戸から中村まで七十八里とあるから、つづみの与の公、まだ前途遼遠という
の高いうちからどっかり腰をおろし茶店の老爺を相手に大いに江戸がっているところ。
寒かろうと内心おびえて来たにもかかわらず、今日なんかは江戸よりもよっぽどあたたかいくらい。
。これで名物のなんのとチャンチャラおかしいや。なア、江戸じゃあこんな団子は猫も食わねえんだよ」
「何をッ! 馬鹿にするねえ! えこう、江戸じゃあナ、まあ聞きねえってことよ。金竜山浅草寺名代の黄粉餅、伝法
瓦町の栄三郎様へも立ちよらずに、その日のうちに江戸をあとに北上の旅にのぼったのである。
が、住居を持たぬ泰軒先生は、江戸にいても四六時ちゅう旅をしているようなもの。したがってこうし
江戸から二里で千住。おなじく二里で草加。それから越ヶ谷、粕壁、幸手で
ふと一軒の茶店からしきりに江戸江戸と江戸を売りに来ているような声がするので、泰軒、
ふと一軒の茶店からしきりに江戸江戸と江戸を売りに来ているような声がするので、泰軒、何
ふと一軒の茶店からしきりに江戸江戸と江戸を売りに来ているような声がするので、泰軒、何ごころなく
声をかけたら即座に降参してすべてをぶちまけ、すぐに江戸へ引っ返すなり、ことによったらこのままどこへでも突っ走ってしまおうと思って
「先生! 先生はいつ江戸をおたちになったんで? たいそうおみ足が早うございますな」
見とどけて、かれが何十人かの剣団を案内して江戸へ戻る途中を擁し、ひさかた振りに根限り腕をふるって一大修羅場に死人の山
このところ江戸より六十六里なり。
へ着くという、その二本松の町へはいったのが、江戸を発足してから八日目の夕ぐれだった。
なに、知らねえことがあるものか。お前みてえなべっぴんは江戸にも珍しい」
「水……おなさけ、水を……! え、江戸の、タ、丹下左膳様からお使いに参ったものでござります。ど、
江戸へ出て以来無音の左膳から突如急使が到着したと聞いて何事?
「お初にお眼にかかりやす。エ、手前ことは江戸は浅草花川戸、じゃアなかった、その、駒形のつづみの与吉――ッてより皆
「キキキ貴様が、あ……案内して江戸へ戻るというのか」
の好きな者を、さ、さ、三十人ほどつれて江戸へくだってはくれぬかの? 仔細はいけばわかる。ア、あの、
で、その者とともに三十名、夜あけを待って早々江戸へ向かってもらいたいのじゃ。よいか、しかと承引したな」
の町の尽きるところ、月輪一刀流月輪軍之助の道場では、江戸へつかわすふしぎな人選の儀が行なわれているのだった。
その後江戸に出て大名、小名に弟子多かったが、三年たって諸岡一羽が死ぬ
助、兎角を討ちとるために籤を引き、小熊が当たって江戸へのぼる。泥之助は国にとどまり、時日を移さず鹿島明神に詣でて
しがごとし。いまも、辺鄙にはなお残れるにや、江戸にはこの流名きこゆることなし……とあるとおりに、月輪軍之助の祖月輪将監
が、なんのために腕を扼して江戸へ押し出すのか?
、またじぶん達もそれに加勢して、話に聞いた江戸で、この殺刀の陣を敷かなければならないのか?――かんじんの
口をきくたびに意思の疎通を欠く恐れがあるし、江戸では見かけたこともない厳つい浅黄うらばかりがワイワイくっついているので、小突か
の発足とあって、わらじを合わす者、まだ一寸も江戸へ近づかないうちから、刀を引っこ抜いてエイッ! ヤッ! と振り試みるもの
、帰途の旅は安穏しごくというものだ――身拵えは江戸へはいる前にでもよッく話してなおしてもらおう。それまではこの田舎者
いまでさえこうだから、江戸に近づくにつれてその気恥ずかしさは思いやられる。どっちへ転んでも情けねえ役目を
常陸の水戸から府中土浦を経て江戸は新宿へ出ようというのだ。
「なんじは、これなる町人を江戸おもてよりつけ参った者に相違あるまいッ!」
広野へ泰軒をひきだし、また自分たちも一歩でも江戸に近よろうと、軍之助の指揮のもとに、一同、突如刀を納めてバラバラバラッ!
一同、突如刀を納めてバラバラバラッ! と雪崩をうって江戸の方角へ駈けおりてゆく。
助川、江戸まで、四十一里半。本陣鰯屋の広土間。
だからこそ、江戸でも、警戒厳重な奉行忠相の屋敷へさえ、風のように昼夜をわかた
敗けをとりながら、こうしてそれでも歩は一歩と江戸へ近づく相馬中村の剣群月輪の勢、路傍の小祠にいこって頭数を検する
を受けて歩行困難を訴えるもの三人……目的地とする江戸との間にまだ四十里の山河をへだてているにすでにこの減勢とは、
軍之助が風雨に狩られ余数をあつめて、水戸街道を江戸の方へ走りつつあるとき、泰軒は、岸の小陰から衣類とともに
四人、鞍川の二と本文がはじまって、かくして江戸へ着くまでに。
江戸の五里手まえ、松戸の往還で再び一人。
江戸の西隅、青山摩利支天大太神楽興行……とあって、これが大へんな
作物を害し人畜をおびやかしたる大蛇。またこれなる蟇は、江戸より東南、海路行程数十里、伊豆の出島十国峠の産にして……長虫
満たしたかの大姐御櫛まきのお藤、目下は、江戸おかまえの身にお上の眼がはげしく光っているので、しようことなしに
江戸の通客粋人が四畳半裡に浅酌低唱する、ここは辰巳の里。
て栄三郎を離れて来たお艶、泰軒に守られて江戸のちまたをさまよい歩いたのち、泰軒は彼女を、もったいなくも大岡越前様
陋屋にぐるぐる巻きでつっかぶっていたお艶ではなく江戸でも粋と意気の本場、辰巳の里は櫓下の夢八姐さん……
いって世に行われ、また江戸絵と呼ばれるほどに江戸の名産となって広く京阪その他諸国にわたり、べに絵売りとて街上を
ともに愛玩されたが、明和二年にいたって、江戸の版木師金六という者、唐の色刷りを模して版木に見当をつけること
その当時江戸の名物べに絵売りなるものの風俗をみるに……。
てすべてを物語ったのち、相馬藩月輪一刀流の剣軍が江戸へはいって、いま本所の化物屋敷に根城を置いているから、近く左膳を
てきて、毎日、はでなつくりに木箱を背負っては江戸の町々を徘徊し、乾雲の眼を避けながらその動静を探っている。
に出る美形を見物しようというので、近くはもとより、江戸のあちこちから集まって来る老若男女の群れが自然と行列をつくって切れもなく流れ動い
た羽織芸者――水のしたたりそうな、スッキリとした江戸好みに、群集中の女同士さては男までが眼顔で知らせ合って、振り返り、
「同じ江戸にいながら、母として娘の所在も生活も知らねえとは、おさ
そうだ。一つ五十金を路用にして、当分江戸をずらかることにしよう?
美濃の産、仔細あって郷国を出て、こうして江戸に、関の孫六の夜泣きの大小を一つ合わして手に収めんと身
そして、その命を奉じて、今江戸おもてに砂塵をまきたてているのが、独眼隻腕の剣妖丹下左膳……
中より筋骨のすぐれし者をえらんで駕籠屋に仕立て、ただちに江戸おもてへ馳せつけ参ったのでござるが、その時はすでに御存じのとおり、かの丹下
をつけたのがくしまき。彼女は、数年前、江戸おかまいになる先から、そっと祠内の根太をはがし根気よく地下を掘りさげて
て仇敵さえとってしまえば、あたしもやばい身体ですからしばらく江戸の足を抜いて、どこか遠くへ長いわらじをはくつもりでおりますのさ
浮かぶと彼はガラリと調子が変わった。左膳が、この江戸の遊び人ふうの言葉になる時、それは彼が満身の剣気に呼びさまされて
徒士の身をもって直接秘命を帯び、こうして江戸に出て来たのち、幾多の修羅場をはじめ逆袈裟がけの辻斬りによって
江戸の夕ぐれはむらさきに、悩ましい晩春の夜のおとずれを報じている。
「目をつぶって、江戸をおとせ――と申すか」
、なかなかに追いつけない。三頭の馬が砂ほこりを上げて江戸の町を突っきり、ついにいきどまって浜辺へ出た。
ある。黙っておってもやるだけのことはやるよ。江戸の始末はわしに任せておいて、どこまでもあの船を追ってゆくが
二艘の船は、こうして江戸を船出したのだった。
血筆帳の旅で江戸へ出たとき、かれらのうち誰がこんにちのさびしさを思ったものが
江戸を出て九日目の夕ぐれだった。
六月のなかばの江戸である。
藤次郎も、留守中の弟栄三郎に勘当を許し、栄三郎は江戸へ帰りしだい、和田家へ入夫してお艶と正式に夫婦となり、おさ
に両替屋の触帳から足がついてナ、その鍛冶屋を江戸へ送ってしらべてみるてえと、なんとかてエ婆さんが鈴川源十郎の
「そうよそうよ! 櫛まきのお藤と言ってナ、江戸お構えだったのが、江戸で見つかったんだけれど、お情けの筋あっ
のお藤と言ってナ、江戸お構えだったのが、江戸で見つかったんだけれど、お情けの筋あって東海道へ放されたんだ
「アアそうよ。鍛冶富はかかりあいだが、みんな江戸へ送られてナ、きょうはいよいよ本所の鈴川様へ御用十手が飛びこんだの
江戸の祭りは、そのまま夜に入る。
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寝てばかりいて、床のなかから豆腐屋を呼んだり金山寺を値切ったり……いまではこの家、瓦町長屋の一名物となって
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愛宕山の太郎坊、夜な夜なわがもとに忍んで極意秘術を授けるといい広め、そこで名づけた
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江戸は根津権現の裏、俗に曙の里といわれるところに、神変夢想流の町道場を
に手分けをして物色すると、いまその一腰は、江戸根津権現のうら曙の里の剣道指南小野塚鉄斎方に秘蔵されていると知られ
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本所の化物屋敷と呼ばれるこの家に今宵とぐろをまいている連中は、元小
出府と同時に、本所法恩寺前の鈴川源十郎方に身をよせた左膳は、日夜ひそかに鉄斎道場
川向うは、本所の空。
本所の化物屋敷鈴川の家には、午さがりながら暗い冷気が鬱して、人家の
自分が逃げたためにもしやお母さんに疑いがかかって、本所の屋敷であの源十郎の殿様にいじめられていはせぬかと思うと、
ていった栄三郎は、じつはいまごろは泰軒としめし合わせて本所の鈴川の屋敷へ斬りこんでいる時分なのだ!
よ婆さんのほうは、じぶんと富五郎が請人にたって本所法恩寺橋まえの五百石お旗本鈴川源十郎様方へ下女にあげ、娘のお
た喜左衛門は、自分で外出のしたくをして、すぐに本所の鈴川様のお屋敷へ行こうと、鍛冶屋富五郎をうながしてそとへ出た。
、また大岡に会ったと外ながら慇懃に小腰をかがめる。本所の鈴川方へ行く途中とみえる。これを見ると忠相は、さては誰か
のいたずらがはずむ、車座に勝負を争う――ばくちだ。本所の化物屋敷としてわる御家人旗本のあいだに知られていたのがこの
本所の化物屋敷へ捕吏のむれが殺到するとすぐ、むらむらと胸中にわいて来
、鈴川の殿様に二つはないでございませんか。本所の法恩寺まえのお旗本――」
のことば……お艶ッ! 貴様、なんだな、先日本所の屋敷に幽閉されおった際に――」
貴様! なんだな、先日本所の屋敷に幽閉されおった際に――と語尾をにごした栄三郎の言
本所の化物屋敷に出入して、万緑叢中紅一点、悪旗本や御家人くずれと車座に
本所へ通ずる別の道を、これは乾雲をひっつかんだ諏訪栄三郎が、おなじく鈴川
が、奥州浪人丹下左膳の罪科、本所法恩寺橋まえ五百石取り小普請入りの旗本鈴川源十郎方の百鬼昼行ぶりはさること
ふと蒲生泰軒のあたまに閃めいたのは、いつか本所の化物屋敷に自分と栄三郎が斬りこみをかけた時突如として現れた
泰軒は泰軒でまた胸に一物を蔵している。本所の鈴川方から誰かが中村へ援軍を呼びに旅立ったと聞いてその使者
「本所のお屋敷に?」
期して瓦町に栄三郎方を突襲すべく宵のうちから本所の化物屋敷を出て、この料亭に酒汲みかわし、もうだいぶ時刻も移った
代とを〆めて五十になる。それを持ってイソイソと本所の鈴川様おやしきを立ち出たのだった。
本所を出て、あれから浅草へ歩を向ける。
源十郎はいらだった。本所からここまで急ぎに急いで駈けつけたのに、そういう女はおりません。
弥生のいどころが知れて本所の化物屋敷からここまで息せききって急いで来た左膳である。
このごろ毎日のように豆太郎をつれて、本所の化物屋敷を見張っている小野塚伊織の弥生、きょうもさっき、源十郎方の荒れ庭
「そうよ。だがナ、この祭礼の日に、本所へお捕方が向かったっていうじゃねえか」
「へえい! 本所のどこへ?」
あいだが、みんな江戸へ送られてナ、きょうはいよいよ本所の鈴川様へ御用十手が飛びこんだのだ」
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人通りのない、両国広小路である。
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んほどに驚いたが、なあに、この先まだ道は長え。宇都宮へへえるまえにでもどこかできれいにまいてやろうと決心を固め
それが、陽うららかな宇都宮街道を、先が急げば後もいそぎ、緩急停発ともに不即不離の
小金井をたって下石橋、二里半の道で宇都宮……大通りを人馬にもまれて素どおり。
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て、奥州本街道から横にはずれて相馬へ出ようとする福島の町ででも器用にずらかってやることにしようと。
……で、これからあと四つの宿場で福島へ着くという、その二本松の町へはいったのが、江戸を発足し
、根子町の四宿を突破して、朝には、福島からいよいよ相馬街道へ折れるつもり――用意万端ととのえて、そっと部屋を忍び出ようと
寂然たる天地のあいだを福島の城下まで五里十七丁。
食わせてから、五里の山道をひた走りに明け方には福島に出て、そこから東へ切れて舟地の町で三春川を渡り
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のを我慢して無言のまま、先に立って今度は水戸街道を加島、原町、小高、鷹野、中津、久満川、富岡……。
かえりは、道をかえて水戸街道。
常陸の水戸から府中土浦を経て江戸は新宿へ出ようというのだ。
三人を失って二十八人、それでも与吉を案内に水戸街道の宿々に泊りを重ねて、きょうの夕刻、こうしてたどり着いたの
足にまかせて、眠っている中納言様の御城下常陸の水戸を過ぎ、やがて利根川に注ぐ支流鞍川の渓谷へさしかかったころから……
先に、軍之助が風雨に狩られ余数をあつめて、水戸街道を江戸の方へ走りつつあるとき、泰軒は、岸の小陰から
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甲府生れの豆太郎は、怖ろしい片輪のうえに性来手裏剣に妙を得て、
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が、五十両に魂を失って操り人形のように、仙台堀から千鳥橋を渡って永代に近い相川町、お船手組の横丁へでた
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世に関の七流というのは、善定兼吉、奈良太郎兼常、徳永兼宣、三阿弥兼高、得印兼久、良兼母、室屋兼任
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町から五間堀へと、糸に引かれるようにフラフラと深川の地へはいっていった。
伊達の素足に、意地と張りを立て通す深川名物羽織芸者……とはいえ、この境涯へお艶が身を
場所は、永代橋へ出ようとする深川相川町のうら、お船手組屋敷の横で、昼でも小暗い通行人のまばら
見せようか。まず年若、稀れなる美女、世に申す羽織、深川の芸妓ふうのつくりであろうがな?」
棟梁伊兵衛なる者に預け、伊兵衛は又あずけにお艶を深川の置屋まつ川へ自分の娘として一枚証文の芸者に入れた
「はい。深川の相川町、こちらから参りますと、永代を渡ってすぐの、お船手組
や身のこなしまで、彼女はもう五分の隙もない深川羽織衆になりすまして、これでは、識った者で往来ですれ違っても
「見ろ! きゃつら両人、いよいよ深川へはいりおるぞ! さ、すこし急ごう」
三月二十一日より四月十五日まで深川八幡のお山びらき。
山開きの夜の人出も散りそめた深川八幡の境内である。
ところはお山開きの賑いも去った深川富ヶ岡八幡の境内。
をよせて、今はまたお艶が夢八と名乗って深川のまつ川から羽織に出ている事実をつきとめている唯一の人間……
、お艶さんはいま、まつ川の夢八という名で深川から芸者に出ているから、会いたいならすぐにもあわせてあげよう――
弥生のこころは、いつしか先夜、豆太郎とともに深川のお山びらきに左膳月輪を襲った時に、瓦町からつけていった
…、母屋の殿様がゾッコンうちこんでいなさる女っこが、深川で芸者に出ているてエこたあ、誰がなんといおうと、お天道
一は深川へ。
、泰軒はまた眼顔でそれを引きうけて、彼はただちに深川の松川へ駈けつけてお艶を救うことになり、義によって栄三郎は
いった……しかし、貴様にお艶のいどころを深川のまつ川とふきこんだ本人はだれなのか貴公、まだそれをいわん
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、浅草鳥越に屋敷のある三百俵蔵前取りの御書院番、大久保藤次郎の弟で当年二十八歳、母方の姓をとって早くから諏訪と名乗っ
を見なければ立っていかないのだが、栄三郎の兄大久保藤次郎は、若いが嗜みのいい人で、かつて蔵宿から三文も借りた
大久保藤次郎家用人白木重兵衛が、その日、用があって蔵宿両口屋へ立ちよる
諏訪栄三郎の兄、大久保藤次郎である。
「よろしい! だが、大久保氏、さっき赤の他人といわれたことをお忘れあるまいな、赤
道場に鳴らした神変夢想流の剣士諏訪栄三郎または御書院番大久保藤次郎実弟と生まれた諏訪栄三郎――どうしてこれが恥じないでいられよう
いるのだが、同じく大岡様のおことばで、鳥越の大久保藤次郎も、留守中の弟栄三郎に勘当を許し、栄三郎は江戸へ帰りしだい
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栄三郎は、浅草鳥越に屋敷のある三百俵蔵前取りの御書院番、大久保藤次郎の弟で当年二十八歳、母方の姓をとっ
蔵前の大通りには、家々の前にほこりおさえの打ち水がにおって、瑠璃色に
いまも現に、蔵前中の札差し泣かせ、本所法恩寺の鈴川源十郎が、自分で乗りこんで来
三々五々人の往来する蔵前の通りを、はるか駒形から雷門をさしていそぐ栄三郎の姿が、豆の
仕儀。これが尋常の兄じゃ弟じゃならば、当方は蔵前取りで貴殿は地方だ。ゆくゆくお役出でもすれば第一にあれ
首をひねった泰軒、即座に思い起こしたのは去秋お蔵前正覚寺門まえにおける白昼の出来ごと!
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栄三郎は、浅草鳥越に屋敷のある三百俵蔵前取りの御書院番、大久保藤次郎の弟で当年
与吉がお藤を送って、浅草の家へ帰って行くと、しばらくして、寝ころんでいた源十郎が、
浅草三社前。
まいと、それから江戸に立ちいで気易な浪人の境涯。浅草三間町の鍛冶屋富五郎、かじ富という、これがいささかの知人でいろいろ
てまもないのに、当り矢のお艶といえばもう浅草で知らないものはない。
「殿様、あれが浅草名代の当り矢のお艶でございますよ――まあきれいですことねえ!
与吉は、ただちに本所法恩寺橋へ宙を飛んで、いま浅草三社まえのかけ茶屋当り矢に坤竜丸が来ていると丹下左膳へ
「さきほど役所で見ると、浅草田原町三丁目の家主喜左衛門というのから店子のお艶、さよう、三社まえ
それからこっち、お藤は浅草の自宅へも帰されずに、離室からは毎日のように左膳の怒号
栄三郎様は、浅草三社まえとかの女と懇になさっている。と、それとなく
日向の町を歩いているだけで、言いかえれば、この、浅草の歳の市をひやかしてゆく、でっぷりとふとった上品なお侍は、南町の
ところもあろうに浅草の市なぞへおみ足が向こうとは思わなかった!
。てえのが、姐御も知ってのとおり、わたしも浅草じゃあ駒形のつづみとかってちったあ知られた顔だから、おまけにあの
「はい、わたくしは浅草田原町三丁目の家主喜左衛門と申す者、またこれなるは三間町の鍛冶屋富五郎と
これは、あの大岡越前守忠相が浅草の歳の市にあらわれて、栄三郎へあてた左膳の書面を手に入れた数
をして、なんとかして栄三郎を突きとめたいと、浅草歳の市をぶらついていると、折りよく栄三郎の姿を見かけて手紙を押しこんだ
浅草のお藤の隠れ家?
こう、江戸じゃあナ、まあ聞きねえってことよ。金竜山浅草寺名代の黄粉餅、伝法院大榎下の桔梗屋安兵衛てんだが、いま
なんかと頼まれもしない浅草もちの広告に力こぶをいれて、一人弁舌をふるっていると、
初にお眼にかかりやす。エ、手前ことは江戸は浅草花川戸、じゃアなかった、その、駒形のつづみの与吉――ッてより皆さん
いる鍛冶屋をなだめすかしておいて、そのまに身を抜いて浅草へ走るのが、唯一の道であると彼女は考えているのだった
本所を出て、あれから浅草へ歩を向ける。
じまいに小僧の吉公をどなりつけたまま五十両をふところに浅草瓦町とは違う方角へ、逃げるがごとく、足早に消えていった。
浅草瓦町の露地の奥、諏訪栄三郎の家に、ちょうど栄三郎と食客の泰軒
両の金を源十郎から受け取り、その掛合い方を頼みに、浅草三間町の鍛冶屋富五郎のところへ、出かけたところが、同じくお艶に
「なんでも、東海道三島の宿で、浅草三間町の鍛冶屋富五郎てエ野郎が飯盛の女を買って金をやっ
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それが町角へ消えてから小半刻もたったか。麹町三番町、百五十石小普請入りの旗本土屋多門方の表門を、ドンドンと乱打する
、師の望みにそむくものではない。あの夜、泣く泣く麹町の親戚土屋多門方へ引き取られて行った弥生に、かれはかたい使命を
格にひきとって、何かと親身に世話をしている麹町三番町の旗本土屋多門であった。
麹町三番町の屋敷まちには、炊ぎのけむりが鬱蒼たる樹立ちにからん
麹町三番町――土屋多門の屋敷の一間。
嫉性鬼女のお節介に、この雨のなかを、こうして麹町くんだりからわざわざ恋がたきをつれ出してきたお藤、御苦労にもおもてに立っ
ございます?……存じております! 戌亥の方。麹町でございましょう? えええ、あのお嬢さんはあなたにとってお主筋に
服装かたちこそ変わっているが、まぎれもないあの、いまの麹町三番町土屋多門の養女となっている、行方不明のはずの弥生では
麹町永田馬場の日吉山王、江城の産土神として氏子もっとも多く、六月十五
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使いが荒いとこぼして暇を取っていった。あれは田原町三丁目の家主喜左衛門と鍛冶屋富五郎鍛冶富というのを請人にして雇い入れ
と親切に世話をしてくれるから、このものの口ききで田原町三丁目喜左衛門の店に寺小屋を開いて、ほそぼそながらもその日のけむりを立てる
それも時世時節でしかたがないとあきらめたお艶は、田原町の喜左衛門からこうして毎日三社前に通っているのである。
「さきほど役所で見ると、浅草田原町三丁目の家主喜左衛門というのから店子のお艶、さよう、三社まえの
あさくさ田原町三丁目家主喜左衛門の住居である。
はるかむこうに、さっき田原町を出て来た家主喜左衛門と鍛冶富、また大岡に会ったと外ながら
あさくさ田原町の家主喜左衛門と鍛冶屋富五郎との口ききでおさよが鈴川源十郎方へ住みこんだ
あさくさ田原町三丁目の家主喜左衛門と三間町の鍛冶富――おさよの請人がふたりそろっ
「はい、わたくしは浅草田原町三丁目の家主喜左衛門と申す者、またこれなるは三間町の鍛冶屋富五郎といい
いる女をチラと見るが早いか、いつぞやそれが田原町二丁目の家主喜左衛門から尋ね方を願い出ている当り矢のお艶という女
槌の手を休めてヒョイと戸口の方を見やると、田原町の家主喜左衛門といっしょにいろいろ面倒を見てやった、奥州相馬の御浪人
なすったかい?」低声になって、「俺ア毎度田原町とも、それからうちのおしんともお前のうわさをしているよ。あんな
母娘ふたりは、あさくさ田原町三丁目喜左衛門の家に厄介になっているのだが、同じく大岡様のお
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「蒲生泰軒と申す」
岸のふち、舟板を手にのっそりと構える蒲生泰軒に押し並んで、諏訪栄三郎は、もうこころ静かに武蔵太郎安国の鞘
か二手に別れて、板一枚で一団を引き受けている蒲生泰軒、伸び上がり、闇をすかして、群らがり立つ頭越しに声をかける。
「蒲生か――泰軒であろう、そこにいるのは」
この夜更けに庭からの訪客はなるほど蒲生泰軒をおいてあり得なかった。
野飼いの奇傑蒲生泰軒は、その面前にどっかと大あぐらを組むと、ぐいと手を伸ばし
とでも言いたい、三界無宿、天下の乞食先生蒲生泰軒。
て、これだけのしたい三昧……巷の一快豪蒲生泰軒とはそも何者?
いえ、自源流ではまず日本広しといえどもかく申す蒲生泰軒の右に出る者はあるまいて」
代々秩父の山狭に隠れ住む武田の残族蒲生泰軒。
金も命も女もいらぬ蒲生泰軒――眼中人なく世なくわれなく、まことに淡々として水
たのか、いつのまにやらごろりと横になった蒲生泰軒、徳利に頭をのせてはや軽い寝息を聞かせている。
男女ふたりの影がならんでいそぐ――当り矢のお艶と蒲生泰軒。
お艶にはないしょで、今夜不意討ちに乗りこんだ諏訪栄三郎と蒲生泰軒である、来る途中で、獲物代りに道ばたの棒杭を抜いた泰
が、豪快蒲生泰軒、深くみずからの剣技にたのむところあるもののごとく、地を蹴って
の修羅場を経てその上達もことのほか早く、おまけに蒲生泰軒という鬼に金棒までついているので、左膳の乾雲、
、がらりと格子があいて、ひさしぶりに天下の乞食先生蒲生泰軒のだみ声だ。
かれが唯一の助太刀快侠蒲生泰軒先生は、栄三郎に苦しい愛想づかしをして瓦町の家を出た
道具だたみの前の切炉をへだてて、あるじの忠相と蒲生泰軒が対座していた。
いつも深夜に庭から来る蒲生泰軒、きょうも垣を越えて忍んで来たのかと思うとそう
を自ら叱って、栄三郎が出ていったあと、来合わせた蒲生泰軒にすべてを打ち明け、今後の身の振り方を頼んだのだった
のお艶と、磊落に笑いながら胸中にもらい泣きを禁じ得ない蒲生泰軒先生と――。
そこで、考えあぐんだのち、はたと思いついたのが蒲生泰軒のこころの友、今をときめく江戸町奉行大岡越前守忠相――。
「サ、蒲生! この黒い石と白い石――相慕い、互いに呼びあう運命
「蒲生!」と低い声だが、忠相の調子は冷徹氷のようなひびきに
たであろう……人を観るには人を要す。これ蒲生泰軒は切実にこう感じて、こころの底からなる恭敬の念にうた
思わず固くなった巷の豪蒲生泰軒。
「いかがいたした蒲生。貴公、戦わずして旗をまく気か……さあ、来い
とかくこの奉行のつとめは厄介なものじゃよ、ははははは、蒲生、察してくれ」
蒲生泰軒、この世に生をうけはじめて、人のまえに頭をさげた
はっははは、おっと! これも碁の戦法! な、蒲生、だからわしはとうの昔からすべてを知っておる、何からなにまで
きょう風のように乗りこんで来た心友蒲生泰軒、そのかげに隠れるようについている女をチラと見るが早い
ふと蒲生泰軒のあたまに閃めいたのは、いつか本所の化物屋敷に自分と
「なあ、蒲生!」
という忠相の言葉に、蒲生泰軒はキッとなって盤をにらんだ。
「蒲生! 忘れ物……」
「これ、蒲生! 何やらここに落ちておるぞ」
その亡者のような与の公と、お閻魔さまの蒲生泰軒とが、ぶらりぶらりと野中の一本道を雁行していくのだ
、覆面火事装束の一団の出現、坤竜の諏訪栄三郎に蒲生泰軒という思わぬ助けがついていて、おまけに左膳が顎を
名を轟かせている江戸南町奉行の大岡越前が、敵方蒲生泰軒との親交から坤竜丸の側にそれとなく庇護と便宜をあたえ
街道とはすっかり方角が違うから、二本松に残して来た蒲生泰軒に出会する心配はまずあるまい。また仮りに行き会ったところで、
思いきや! 泰軒蒲生先生の出現!
大賢大愚、まことに小児のごとき蒲生泰軒であった。
流祖自源坊の剣風をわが物としきっている侠勇蒲生先生、とっさに付け入ると香わせて、誘い掛け声――。
……とは言い条、自源流とよりはむしろ蒲生流といったほうが当たっているくらい、流祖自源坊の剣風を
ている時に限って、姿を見せないのがほととぎすと蒲生泰軒で、とうとうここまで、北州の雄月輪一刀流と、秩父に伝わる
しめ十四名を血載した帳面を懐中に、巷勇蒲生泰軒がひさしぶりに帰府した夕べ、十七人に減じられた月輪組
こうして、着く早々何度となく蒸し返された蒲生泰軒のうわさ……随所随所に出没して悩まされた血筆帳の
に、徳川家を快しとしない武田残党の流士蒲生泰軒、燭台の灯かげにいささかくすぐったそうな顔をなでていると、何
金につまっての斬り奪り沙汰――誰じゃナ? 蒲生心当りはないか」
、唯一の助太刀、同時に今は友であり師である蒲生泰軒先生であった。
蒲生泰軒……。
と、うそぶいた蒲生泰軒。貧乏徳利を片手にさげて半ば眼をつぶり、身体ここにあっ
意外も意外! 蒲生泰軒だ!
引きあけた源十郎、そこに、思いきや一番の苦手、蒲生泰軒がとぐろを巻いているこのありさまに、ハッとすると同時、居合の
生えたように突ったちあがった二人の人物……諏訪栄三郎に蒲生泰軒。
すっかり身じたくをした諏訪栄三郎に蒲生泰軒、ともに、あんどんの薄光を受けて青くよどむ秋水を持して
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「――あの櫛まきのお藤と申す女、かれはもと品川の遊女で、のち木挽町の芝居守田勘弥座の出方の妻となった
の業ではないらしい。青山、上野、札の辻、品川と一晩のうちに全然方角を異にして現われおる。そのため、
大井村。七十五日ごろさかん也。品川のさき、来福寺、西光寺二カ所あり。
持ってちょっと帰って来ましたが、先生はじめ一同は、品川に駕籠をとめて待っております。では伊織さん確かにお渡しし
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な。だが、一人の業ではないらしい。青山、上野、札の辻、品川と一晩のうちに全然方角を異にして
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千住竹の塚。
あかつきの薄光とともに心に浮かんだのが、この千住竹の塚に住むお兼母子のことであった。
栄三郎が生まれたとき、母の乳の出がわるくて千住の農婦お兼を乳母として屋敷へ入れた。お兼には孫七
冬近い閑寂な日、栄三郎は、千住竹の塚、孫七の家の二階にすわって、ながいこと無心に夜泣き
走って、末はかすむように消えているのだ……千住の里へ。
おっしゃってくださいましよ。あの、栄三郎様は、ほんとにその千住の竹の塚とやらにおいでになるのでございますか」
られなかった栄三郎が、明けから江戸の町をあるくつもりで千住街道を影とふたりづれで小塚原の刑場へまで来ると――。
てむちゅうで駈け出したお艶が、泰軒とつれだって千住をさして急いだ途中。
しながらきくと、なるほど泰軒のいうとおり、栄三郎は今まで千住竹の塚の乳兄弟孫七方にころがりこんでいたものと知れて、
、清々しい香とともに江戸の市場へと後からあとから千住街道につづいていた。
江戸から二里で千住。おなじく二里で草加。それから越ヶ谷、粕壁、幸手で、ゆうべは栗橋
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「七五三は人が出ましたろう。神田明神なぞ――」
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浅草橋からお蔵まえ、駒形並木、かみなり門の往来東西に五丁ほどのあいだ
駒形を行きつくして、浅草橋近くなったころは、与吉も追っ手も影を失って、栄三郎もはじめてあきらめ
「いや、ほかでもないが、ただいま、浅草橋の番所へ女手の書状を投げこんだ者があって、その文面によると
人浪人丹下左膳の所在を訴状にしてポン! と浅草橋詰の自身番へほうりこんだ。文字は女手だが訴人のところへ鈴川源十郎と
浅草橋の中ほどに歩みをとどめて何心なく欄干に凭って下をのぞいた弥生で
ほどなく浅草橋の上で弥生のはいて出た足の物が発見され、当然弥生
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江戸から二里で千住。おなじく二里で草加。それから越ヶ谷、粕壁、幸手で、ゆうべは栗橋の泊り。
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常陸の水戸から府中土浦を経て江戸は新宿へ出ようというのだ。
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そのとき屋敷の手入れに呼ばせてあった出入りの棟梁、日本橋銀町の大工伊兵衛のことだった。
新助が走って、日本橋銀町へ知らせると、帰りを案じていた伊兵衛の女房が若い者
途中何やかやと話し合いながら呉服橋から蔵屋敷を通って日本橋へ出た泰軒とお艶。
お高札、むこうは青物市場で、お城と富士山の見える日本橋。
お艶と泰軒が大岡様のもとにかち合って、そして日本橋で別れた、その日の夕刻である。
日本橋銀町伊兵衛棟梁の家の前で、お艶はべに絵売りの栄三郎
を過ぎ、茅場町お旅所にて奉幣のことあり、それより日本橋通町すじ、姫御門を抜けて霞ヶ関お山に還御也。隔年、丑卯
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目黒の行人坂。
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鬱憤をはらそうとはかり、ついに北条家の検使を受け、江戸両国橋で小熊と兎角立ち会い、小熊、根岸兎角を橋上から川へ押しおとして宿志を
なし霊験ことのほかあらたかだったわけでもあるまいが、両国橋の果し合いでは確かに岩間小熊が勝ったのだけれど、その仕合いの
…この太刀跡、かの明暦三年丁酉正月の大火に両国橋が焼けおちるまで、たしかに残っていたそうである。
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夜来の雨に水量ました神田川の流れ。
さてはついに飛びおりて神田川の藻屑と消えたか!
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銀拵えの大小をグイとうしろに落として、小謡を口に小名木川の橋を過ぎながら、ふと思いついたのが麻布我善坊の伯父隈井九郎右衛門のこと
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場所は、永代橋へ出ようとする深川相川町のうら、お船手組屋敷の横で、昼で
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そと海に出て、九十九里浜。