丹下左膳 02 こけ猿の巻 / 林不忘
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故郷の筑紫にちなんで不知火流と唱え、孤剣をもって斯界を征服した司馬先生も
筑紫の不知火が江戸に燃えたかと見える、司馬道場の同勢だ。
「おう、不知火が見える。筑紫の不知火が――」
「筑紫の不知火は、闇黒にあって初めて光るのじゃっ!」
筑紫の不知火は闇に光る――なんかと、ひどく乙なことを言って、
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「いや、今まで毎年、宇治の茶匠へあの壺をつかわして、あれにいっぱい新茶を詰めて、取り寄せておる
を詰めて、取り寄せておるのです。いつも新茶を取りに宇治へやった壺……厳重に封をして当方へ持ち帰り、御前において
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木母寺には梅若塚、長明寺門前の桜餅、三囲神社、今は、秋葉神社の火のような紅葉だ。白鬚、牛頭天殿、
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浅草の駒形を出まして、あれから下谷を突っ切って本郷へまいる途中、ちょうど三味線堀へ
のようなチョビ安、白刃の下をでるが早いか、駒形の通りをまっすぐにとんで、ふいっと横町へきれこんだ。
てナ、小梅あたりの半鐘が本所から川を越えてこの駒形へと、順にうつって来たものとみえやす」
駒形の大通りから、この高麗やしきの横町へきれこもうとしていた一人の屑屋。
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中国か、山陰か、甲州路か。それとも北海道? 満洲? ナニそんなところのはずはないが、江戸でないことだけは
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ねえんだ。まったく、伊賀か、大和か、それとも四国、九州のはてか、どこまで伸さなくっちゃならねえか、この壺をあけて
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た伊賀の若侍に占領されて、そこでは日夜、大江山の酒顛童子がひっ越して来たような、割れるがごとき物騒がしい生活。
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「神奈川、程ヶ谷のほうまで、迎いの者を出してありますから、源三郎様
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「なんだ、それは。へたな八丁堀の口真似か――ふむ。こけ猿の所在は、まったくこの丹下左膳が承知し
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、八代吉宗公に見いだされて、この生き馬の眼をぬく大江戸の奉行、南北にわかれて、二人ございますけれど、まあ現代で申せば警視総監と
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慶長五年九月十五日、東西二十万の大軍、美濃国不破郡関ヶ原に対陣した。ここまでは、どの歴史の本にも、書いて
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と下総の間を流れている……はるかに、富士と筑波を両方にひかえて。
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たもので、それも、白金町だからしろがね小町とか、相生町で相生小町などというのは、聞く耳もいいが、おはぐろ溝小町、
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つぎは赤坂。名物、青小縄、網、銭差し、田舎っくさいものばかり。
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な。拙者は、まだ暗いうちに家を出まして、四谷からあるいて来ましたので」
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左、松戸――。
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浅草の駒形を出まして、あれから下谷を突っ切って本郷へまいる途中、ちょうど三味線堀へさしかかっていました。
壺をとられました……といって、手ぶらで、本郷の道場へ顔出しできるわけのものではない。
「本郷の道場で、ヘエ」
に左膳を押しこんで、自分はわきを走りながら、まっしぐらに本郷へ……。
源三郎と――名人、名人を知る。すっかり仲よしになって本郷の道場をあとに、ブラリ、ブラリ歩きだしながら、左膳、
ておると? しからば、こけ猿の茶壺は、いまだ本郷の手へは渡っておらぬのだな?」
茶壺は、今もって行方知れず。植木屋に化けてひとり本郷の道場へ潜入して行った主君、源三郎の帰るまでに、なんとかし
、ゲ、玄心斎、すぐしたくをせい。これから即刻、本郷へ乗り込むのだ」
「しかし、若、本郷のほうの動静は、いかがでござりました」
本郷は妻恋坂のあたりは、老若男女の町内の者が群集して、押すな
後れをとらしたのだから、つづみの与吉は、このところ本郷に対して、ことごとく首尾のわるいことばかり。亡くなった老先生のお葬式があっ
本郷の道場へ助け太刀に頼まれていって、意外にも柳生の若様と
「柳生は必死でござります。本郷の司馬道場に、居坐り婿となっております弟源三郎を、江戸まで送って
「本郷の道場の峰丹波、および、お蓮と申す若後家の一派と――それより
それとも、源三郎とともに本郷の道場にいすわっている、同じ柳生の、安積玄心斎の手の内か?
、そう四人は、口ぐちにしらをきったが、本郷の道場の者と見破られた以上、このうえどじを踏まないようにと、
本郷は妻恋坂の坂下、通りのはるか向うから、粋な音じめの三味線の
草紅葉の広い野に、まばらな林が風に騒いで、本郷の道場を出た時は、秋晴れの日和であったのに、いつしか
「お蓮様が、いま本郷の道場においでにならぬことは、殿をはじめ、玄心斎殿、大八
、ほんとに、養生の要もありません。近いうちに本郷のほうに帰ろうかと、思っていたところでございますよ」
その、江戸は本郷、妻恋坂に。
入ってるか、一つ見てやれ――と与吉は、本郷への途中、壺を開きかけると、あ! いけねえ!
、もはや一刻の猶予はならぬと、急遽供をまとめて本郷の道場へ乗りこんできた……あられ小紋の裃に、威儀をただした正式
本郷の、道場へおしかけて、がんばりあいをつづけていたのだが、婿と
「本郷までやれ」
「本郷はどちらまでで?」
本郷は司馬道場の裏木戸を、ソッと排して、青い液体を流したような月光の
「アレだ。ちょっと本郷の妻恋坂へ走って、司馬道場のお嬢さんへこの手紙を渡してこい
「本郷の道場へ手紙を持って行けといったが、取消しだっ」
のが間違いとわかったら、お前その足でこの手紙を、本郷へとどけてくれナ」
この二人は、本郷の司馬家に押しかけ婿として、がんばっているはずの伊賀の暴れん坊にくっつい
あやしい。で、貴殿らお二人は、ここへくる途中、本郷の不知火道場へお立ちよりになりましたか」
すがたを求めてひかれるように江戸へ立ちかえったものの、本郷への道を思い出せずにあちこちさまよい歩いたあげく、やっと今たどりついたものらしい。
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へでもかせぎに行こうと、今し本所のほうから、吾妻橋の袂へさしかかっていた一梃の辻駕籠。
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ひがしはこの品川の本宿と、西は、琵琶湖畔の草津と、東海道の両端で、のぼり下りの荷を目方にかけて、きびしく調べたもの
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代々秩父の奥地に伝わり住む郷士の出で、豊臣の残党とかいう。それかさ
ごとく、ねぐらさだめぬ巷の侠豪、蒲生泰軒先生。秩父の郷士の出で、豊臣の残党だというから、幕府にとっては、
秩父の郷士の出で、豊臣の流れをくんでいるところから、徳川の世を
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見渡すかぎりの稲葉の海に、ところどころ百姓家の藁屋根が浮かんで、黒い低い雲から、さんざと落ちる
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梅若塚、長明寺門前の桜餅、三囲神社、今は、秋葉神社の火のような紅葉だ。白鬚、牛頭天殿、鯉、白魚……名物
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「対馬は剣術つかいじゃアねえか。人斬りはうまかろうが、金なぞあるめえ」
だけよいぞ……主水ッ! しっかりせい。予じゃ、対馬じゃ」
これはいかな! 柳生の里を遠く乗り越して、対馬とはまたいかい日本のはずれへ来おったものじゃが――おウッ! 殿
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「ところが、大あり、おおあり名古屋ですから、まあ、一度、申しつけてごらんなさい」
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いつか、金華山沖あいの斬り合いで、はるか暗い浪のあいだに、船板をいかだに組んで、左膳
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前へ愚楽老人が来て、着座した。東照宮のおことばになぞらえて、敬称はいっさい用いない。
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吾妻橋から木母寺まで、長い堤に、春ならば花見の客が雑踏し、梅屋敷の梅、
木母寺には梅若塚、長明寺門前の桜餅、三囲神社、今は、秋葉神社の
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(例)伊賀
伊賀の暴れん坊
「さわるまいぞえ手をだしゃ痛い、伊賀の暴れン坊と栗のいが」
なにしろ、名うての伊賀の国柳生道場の武骨ものが、同勢百五十三人、気のおけない若先生をとりまいて
十方不知火流の開祖、司馬老先生の道場が、この「伊賀のあばれん坊」の婿いりさきなのだ。
で、近く婚礼を――となって、伊賀の暴れん坊は、気が早い。さっそく気に入りの門弟をしたがえて、出かけて
で、腕の立つわかい連中の大一座、ガヤガヤワイワイと、伊賀の山猿の吐く酒気で、室内は、むっと蒸れている。
、主君源三郎のすがたを求めているのだが、肝腎の伊賀のあばれン坊、どこにもいない。
煽りをくらった手燭が一つ、ユラユラと揺れ立って、伊賀の若様の蒼白い顔を、照らし出す。
死ぬまで、せめて二、三日、なんとでもして伊賀の暴れん坊を江戸へ入れるな」という意味のことが書いてある。
と玄心斎の下知に、バラバラっと散って行く伊賀の若ざむらいども。
「さようですな。伊賀の柳生対馬あたりに――」
て行こうかという、上様の御下問に対して、伊賀の柳生へ――と愚楽が答えたから、吉宗公におかせられては
「地獄耳でさあ。じゃあ、伊賀に――」
「伊賀の柳生は、二万三千石の小禄――これはチト重荷じゃのう」
「伊賀の名代、おもてを上げい」
「まだ来んか。伊賀の――源三郎は、まだ江戸へ着かんか」
萩乃は、いま、まだ見ぬ伊賀の源三郎のうえに、想いを馳せているのだ。
伊賀のあばれン坊としてのすばらしい剣腕は、伝え聞いている――きっと見る
山猿が一匹、伊賀からやってくると思えばいい。自分はそのいけにえになるのか……と
、大事そうに抱えているのは、これが、あの、伊賀の暴れン坊の婿引出、柳生流伝来の茶壺こけ猿であろう。鬱金の
「だけど、伊賀の連中は、眼の色変えて毎日毎晩、品川から押し出して、江戸じゅう、
伊賀の国柳生の里の生れだとだけは、おさな心にぼんやり聞き知っているが、両親は
どうしてこの伊賀の暴れん坊が、当屋敷に?……などという疑問は、あとで、すこし
「斬る? 斬る? 伊賀のあばれン坊を誰が斬れる?」
剛愎そのものの丹波、伊賀の暴れん坊がこの屋敷に入りこんでいることを、さわらぬ神に祟りなしと、
きょうまで自分が鍛えに鍛えてきた不知火流も、伊賀の柳生流には刃が立たないのかと、つまり、名人のみが知る業
。左膳さまでなくちゃア納まりがつかねえ。相手は伊賀の暴れン坊、柳生源三郎……」
「何イ? 伊賀の柳生……?」
「誰でもいいじゃアねえか。おれア、伊賀の暴れン坊を斬ってみてえんだ。ヨウ、斬らせてくれ、斬ら
と言った瞬間、地を蹴って浮いた伊賀の暴れん坊、左膳の脇腹めがけて斬りこんだ一刀……ガッ! と音のし
、父のきめた歴とした良人が、いまにも伊賀から乗りこんでこようとしている……」
でも、伊賀の暴れん坊などと名のある、きっと毛むくじゃらの熊のような源三郎様と、あの
「うははははは、尊公に斬り落とさるる首は、生憎ながら伊賀の暴れン坊、持ち申さぬ。そ、それより、近いうちに拙者が、
さきごろ司馬道場の婿として上京して行った弟、伊賀の暴れン坊が、何かとんでもない問題を起こしたのだとばっかり思って
伊賀の暴れン坊、柳生源三郎の婿入り道中は、いまだ八ツ山下の本陣、鶴岡市郎
と思うと、たちまち出発――いつもながら、端倪すべからざる伊賀の暴れん坊の行動に、安積玄心斎をはじめ一同はあっけにとられて、
十五、六頭……どこで揃えたか、伊賀の暴れン坊の一行、騎馬で乗りこんで来た。
鏡のような、静かな顔に、蒼白い笑みをうかべた伊賀のあばれン坊、裃の肩を片ほうはずして、握り太の鞭を、群衆
と、伊賀の若様が馬上高く手をあげました。
伊賀のあばれん坊なんて、おそろしい綽名のある方、それは熊のような男にきまって
もの申す。生前お眼にかかる機会のなかったことを、伊賀の柳生源三郎、ふかく遺憾に存じまする。早くより品川に到着しておりました
聞けば、伊賀の生まれとかで、いつからか江戸に出て、親をさがしているの
内々は、伊賀の連中ということがわかっていますから、林念寺前の柳生の上屋敷
……日光御造営の日は刻々近づいてまいりますし、伊賀の奴ばらは気が気でないらしく、これは大きな騒ぎになって、お
「その金がのうては、伊賀も日光にさしつかえて、柳生藩そのものが自滅しても追いつかぬであろう。
伊賀の暴れん坊の一団は。
正当の権利者とばかり、かってきままの乱暴を働いている伊賀の連中、障子を破いて料理の通い口をこしらえるやら、見事な蒔絵の化粧箱
女中がだまりこむと、はるか離れた奥座敷で、伊賀の連中の騒ぐ声が手にとるように聞こえてくる。今夜も酒宴が始まっ
いえばお嬢さま、あの朝鮮唐津のお大切な水盤を、あの伊賀の山猿どもが持ち出して、まあ、なんにしていると思召す? さっき
声がするのは、たしかに、この壺捜索のために伊賀から江戸入りしている、柳生の隊長高大之進だ。
取ろうとする伊賀の一団が、お地蔵様か。
、まだ鍔競り合いの恰好のまま動かないんです。周囲の伊賀の連中は、このありさまに何事が起こったのかと、あっけにとられて
の茶壺を種に、司馬の道場へ加勢するか、あの伊賀の連中へ与するか、どっちにしろ、ここでぼろい儲けをしようとたくらんでいる
黒装束に黒の覆面の伊賀の連中、懸命に左膳をくいとめている一人、二人を残して、高大之進を
藤姐御の癇走った声も、耳にも入れない伊賀の連中……なんとか受け答えをすれば、お藤も、それに対して
伊賀の連中も真剣だ。
もう、完全に左膳を隅へ追いつめたのですから、伊賀っぽう、めっぽう気が荒いんです。
司馬の道場へ乗りこんでおる源三郎一味と、捜索の手助けに伊賀から出て来た高大之進の一団と……今夜まいったのは、この高
消極的な戦いだから、伊賀の暴れん坊、しびれをきらしてきた。畳を焼いて煖をとったり、みごと
源三郎を取り巻く伊賀の若侍たちも、拍子抜けがして――。
でも引っ返さなければならないかと、業腹でならなかった伊賀の暴れん坊は、この門之丞の一言に、たちまち眼をきらめかして、
「伊賀の若殿様ともあろうお方が、よく今まで、女や、丹波ごとき者ども
上に、柳生一刀流の刃が触れると思うから、単純な伊賀の暴れン坊、自然に上機嫌です。
この言葉に、伊賀の暴れン坊、ムッとしたらしく、
シイーンと静まり返った中から、やがて、伊賀の暴れン坊のふくみ笑いが……。
弁解のようにうめいた伊賀のあばれン坊、不破の関守の構えから、いきなり、身を躍らせると見せ
剣林のまんなかですから、八方に気をくばりつつ、伊賀の若様、片手の指をその刀身に触らせて調べてみると!
「触るまいぞえ手を出しゃ痛い、伊賀の暴れン坊と栗のいが」
伊賀の暴れん坊こと、柳生源三郎は、江戸から百十三里、剣術大名柳生対馬守の弟
結構な天下の名器だ。それを婿引出に守って、伊賀の源三郎、同勢をそろえて品川までやってきた。
「伊賀の柳生対馬守へ――小藩だが、だいぶ埋蔵しておりますようで」
、早いこと! グルッとそこらを一まわりして、伊賀の連中を晦いてから、ノホホンと元のところへ来てみると、与
このチョビ安という小僧は。伊賀の国は柳生の郷の生れとだけで、両親の顔も名も知らない、まったく
ところで――かんじんの萩乃は、伊賀の暴れン坊と唄にもあるくらいだから、強いばかりが能の、山猿
大御所対馬守との間に話のきまった、その弟伊賀の源三郎の江戸入りを、きょうかあすかと待って、死ぬにも死ねないでい
「おお嫌だ! 伊賀の山奥から、猿が一匹来ると思えばいい」
「触るまいぞえ手を出しゃ痛い、伊賀の暴れン坊と栗のいが」
これが、実は、伊賀の若様源三郎その人なんだ。
、もはや捨ててはおけない。峰丹波、今宵ここで、伊賀の暴れン坊に斬られて死ぬ気で、立ち向かいました。
これより先、伊賀の若殿に刃向かう者は、一人しかない。それは、もうひとりの源三郎が現われ
ところへ、しかも相手は、西国にさる者ありと聞いた伊賀の若様、柳生源三郎!
ちょうどこの日、妻恋坂では、伊賀の暴れン坊を待ちきれずに死んだ、司馬十方斎の葬儀。
入場切符みたいなもの――招かざる客、伊賀の暴れン坊は、こうしてどんどん焼香の場へとおってしまった。
壺を源三郎に持たしてよこしたあとで、日光おなおしが伊賀へ落ちて、とほうにくれている時、お茶師一風宗匠によって初めて
てある秘図によって、先祖のうずめた財産を掘りだし、伊賀の柳生は今までの貧乏を一時にけしとばして、たちまち、日本一の大金持
伊賀の暴れン坊が、一目も二目もおくくらいだから、まったく厄介なやつ
ことはできないのだ。なんと言っても、相手は伊賀の暴れン坊である。刀は絡められても、腕は絡められない。
たたみには深紅の池が溜って、みじめに変わりはてた伊賀の若様の姿が、展開されるだろう――。
伊賀の源三郎、どこへも行きはしない。
……大きくふところ手をして、ユッタリとした態度です。伊賀の暴れン坊、女にさわがれるのも無理はない。じつに、見せたい
血みどろの死骸を見おろした伊賀の若様、ちょっと歩をとめて、
に力に入れなくてもよろしい、このお蓮様、ほんとに伊賀の暴れン坊にまいっているんだ。
が加わって、大象をさえつなぐといわれる女髪一筋、伊賀の若様、起つに起てない。
「いや、これは伊賀の源三郎、あまりに野暮でござった。必ずともにあなたの女をお立て申す
「なにしろ相手は、名にしおう伊賀の暴れン坊じゃで、おのおの方、手抜かりなく――」
司馬家の重役が来て相当の応対をするどころか、伊賀の柳生源三郎など、そんな者は知らぬと、玄関番が剣もほろろに追いかえし
道場の一郭は、源三郎が引きつれてきた伊賀の若侍に占領されて、そこでは日夜、大江山の酒顛童子がひっ
、彼女は知らない。が、見れば、源三郎にくっついて伊賀から来ている青年剣士の一人。しかも、源三郎の右の腕のように、
の種です。わたしの迷惑は第二としても、伊賀の源三郎――いいえ! この司馬道場の主の臣を、こんなおろかしいことで
「は。源三郎殿が、伊賀より持ちきたったる――」
は、剣術はお手のものの連中だし、例の伊賀の暴れン坊とやらをはじめ、手ごわいやつがそろっておることだから……
ていいような、そんななまやさしいものじゃアねえんだ。まったく、伊賀か、大和か、それとも四国、九州のはてか、どこまで伸さなくっちゃ
そうなると、あの伊賀の暴れン坊、柳生源三郎との正面衝突は、まず、まぬかれぬところ……
どう考えてもおらア虫がすかねえ。なあおい、伊賀のあばれん坊ッ! おれの手にかかって生きのいい血をふくまで、後生
そうですよ。侍が一人焼け死んだそうで、それがあの伊賀の暴れン坊柳生源三郎てえ人だとさ。イヤモウたいそうな評判だと、いま
「伊賀の源三が焼け死んだと?」
「それもそうだナ。伊賀のあばれン坊ともあろうものが、いくら火にまかれても、そうやすやす
柳生一刀流の使い手では、一に藩主対馬守、二に伊賀の暴れん坊こと源三郎、三、安積玄心斎、四に高大之進といわれた、
の司馬家に押しかけ婿として、がんばっているはずの伊賀の暴れん坊にくっついて、この不知火道場に根拠をさだめ、別手にこけ猿を
死人をごらんになり、ウン、これはたしかに、綽名を伊賀の暴れん坊という、あの柳生源三郎様だと、そう鑑別をしておいででし
「ヘエ、伊賀の暴れん坊ともあろう者が、焼け死ぬなどとはなんたる不覚……そうもおっしゃいまし
「そうすると、やっぱり、伊賀の暴れん坊は死んじゃったんですねえ」
相模大進坊濡れ燕、伊賀の暴れん坊にとどめをさすか――?
「死んだ源三郎にしろ、生きている源三郎にしろ、伊賀の源三に会わねえうちは、おれは一歩もここをどかねえつもりだ」
チョビ安は左膳のうしろにせまり帯につかまって、とりまく伊賀の連中を、かわいい眼でにらみまわしている。
その、伊賀の暴れん坊源三郎、とうとう彼らの策に乗り、今は真っくろこげの死体と
いわれている。この馬は、源三郎の愛馬で、故郷伊賀からの途中も、駕籠でなければこの馬にまたがり、しじゅう親しんできたもの
「さわるまいぞえ手を出しゃ痛い……伊賀の源三さえいてくれたら、手前ッチも、もっと気が強かろうがなあ。にらみあい
その右手の伊賀の連中、タタタと二、三歩あとずさりする。
と彼は、不安気に見まもる伊賀の勢へ、チラと眼をやった。
伊賀の同勢も、ふしぎな思いでいっぱいだ。
という声は、伊賀の暴れん坊、柳生源三郎である。
。だが、おかげてこうして、死んだと思った伊賀の暴れん坊にめぐりあったのは、左膳、こんな安心したことはねえ。これも
「伊賀の暴れん坊と丹下左膳、この穴の底に同居住まいとは、気のきかねえ
しかし、子供ではどうしようもあるまいし、それに、伊賀の連中につかまりでもしては、チョビ安、手も足も出まい。
「ウム、その死骸を黒焦げにして伊賀の源三郎と見せかけようとしたのだな」
そして、耳のそばに、伊賀の暴れん坊のささやき。
のからだが、高々と源三郎をささえ上げる。両手を伸ばして伊賀の暴れん坊、
たいがいのことにはビクともせぬ伊賀の暴れん坊だけに、そのうちになんとかなるだろうと、泰然としてこの
伊賀の連中はどうしたろう!
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岡崎――本多中務大輔殿御城下。八丁味噌の本場で、なかなか大きな街。
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だ。まったく、伊賀か、大和か、それとも四国、九州のはてか、どこまで伸さなくっちゃならねえか、この壺をあけてみねえ
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江戸から百十三里、伊賀国柳生の里の城主、柳生対馬守の弟で同姓源三郎
て、泊まりかさねてここまで練ってきて、明朝は、江戸へはいろうというのだから、今夜は安着の前祝い……若殿源三郎から酒肴が
江戸は妻恋坂に、あの辺いったいの広大な地を領して、その豪富諸侯
二、三日、なんとでもして伊賀の暴れん坊を江戸へ入れるな」という意味のことが書いてある。
そのこけ猿の茶壺が、江戸を眼のまえにしたこの品川の泊りで、司馬道場の隠密つづみの与吉
。秋は、あれ見やしゃんせ海晏寺のもみじ……江戸の咽喉しながわに、この真夜中、ときならぬ提灯の灯が点々と飛んで、
ところが、江戸の政府も相当なもので、お庭番と称する将軍さまおじきじきの密偵が、
参覲交代で江戸に在勤中の大名は、自身で、国詰め中のものは、代りに江戸
大名旗下を多く弟子にとって、この大きな富を積み、江戸の不知火流として全国にきこえているのが、この司馬先生なのだっ
「まだ来んか。伊賀の――源三郎は、まだ江戸へ着かんか」
トロンと空気のよどんだ、江戸の夏の真昼。隣近所のびっしり立てこんだこの高麗やしきのまん中で、ひとり
「へえい! 江戸名物はチョビ安のところ天――盛りのいいのが身上だい」
たとみえて、こうしていつのまにか、ふたたび江戸へまぎれこみ、この橋の下に浮浪の生活をつづけていたのだ。
か、それさえ皆目知れない。どうして、こうして江戸に来ているのか……。
ないんだよ。ただ、あたいは、いつからともなく江戸にいるんだい」
と思うと、与吉は、このままわらじをはいて、遠く江戸をずらかりたかったが、そうもいかない。
いつの間にか、うす紫の江戸の宵だ。
筑紫の不知火が江戸に燃えたかと見える、司馬道場の同勢だ。
た息綱につかまってギイギイ躍るのも、もう夢心地――江戸から通しで、疲れきっているので。
から離れて、文居、藤堂佐渡守様、三万二千石、江戸より百六里。
で、やがて、柳生の里は、柳生対馬守御陣屋、江戸から百十三里です。
そのこけ猿の茶壺は、弟源三郎に持たせて、江戸へやってしまった!
に、司馬道場に婿入りする源三郎の引出ものとして、江戸へ持たしてやってしまった!
の話によりますと、まだ源三郎様の御一行は、江戸の入口品川にとどまっていらっしゃる模様で、それにつきましては、司馬道場のほう
! 一刻も早く同勢をすぐり、捜索隊を組織し、江戸おもてへ発足せしめられたい!」
拙者も、吾輩も、それがしも、みんながわれおくれじと江戸へ押し出す気組み。それじゃア柳生の里がからっぽになってしまう。
一、柳生一刀流の赴くところ、江戸中の瓦をはがし、屍山血河を築くとも、必ずともに壺を入手すべし
にさながら出陣のごとく、即夜、折りからの月明を踏んで江戸へ、江戸へ……。
のごとく、即夜、折りからの月明を踏んで江戸へ、江戸へ……。
深夜まで、入り代わり立ちかわり、隊をつくってこの品川から、江戸の町じゅうへ散らばって、さがし歩いて来たのだが――。
来る日も、くる日も、飽きずに照りつける江戸の夏だ。
坂の不知火銭といって、まあ、ちょっと大きく言えば、江戸名物のひとつになっていたんです。
江戸の群衆は乱暴です。
「ヤイヤイ、江戸あ大原っぱじゃアねえんだ。馬場とまちがえちゃア困るぜ」
十三里の、焼き芋の立ち売りをしたり……夏は、江戸名物と自ら銘うったところてんの呼び売り。
聞けば、伊賀の生まれとかで、いつからか江戸に出て、親をさがしているのだという。
江戸のもの音が、去った夏の夕べの蚊柱のように、かすかに耳にこもる
司馬道場に、居坐り婿となっております弟源三郎を、江戸まで送ってまいりました連中――これは、安積玄心斎なるものを頭と
国もとからも、一団の応援隊が入府いたしまして、目下江戸の町々に潜行いたしておる柳生の暴れ者は、おびただしい数でござります。それら
かな――洒落たことを言ったもので、まったく、江戸の残暑ときちゃア、読んで字のごとく残った暑さにしては
藩士だったのが、彫刻にいそしんで両刀を捨て、江戸に出て工人の群れに入り、ことに、馬の木彫に古今無双の名
、この、疑問のこけ猿の茶壺を中心に、いま、江戸の奥底に大いなる渦を捲き起こそうとしている事件について、夜のふけるまで
江戸のこどもの遊びに、「子を取ろ子とろ」というのがあった。
「さっそく、明朝江戸を発足いたし……」
…はッはッは、いや、おれの片眼には、江戸じゅうの、イヤ、日本中の人間が、あの茶壺をねらっているように思わ
て、三人でさがしまわれば、広いようでもせまいのが江戸、どこからどう糸口がつかないものでもないよ」
「ではお言葉にあまえまして、江戸名物は尺取り虫踊り……」
「余は、江戸はくらい。遠乗りにはどの方面がよかろうかな?」
の一行が品川へ着いた時、駈け抜けて司馬の道場へ江戸入りの挨拶をしたのが、この門之丞。源三郎の側近にあって
伊賀の暴れん坊こと、柳生源三郎は、江戸から百十三里、剣術大名柳生対馬守の弟で、こいつがたいへんに腕のたつ
江戸へ婿入りすることになりまして、柳生家重代のこけ猿の茶壺、朝鮮渡来
えらい騒ぎ。波紋の石は、まずこの江戸の咽喉首、品川の夜に投ぜられて、広く大きく、八百八町へひろがって
その、江戸は本郷、妻恋坂に。
猿の茶壺は、弟源三郎の婿引出に持たしてやって江戸で行方不明……
さっそく、藩士の一隊が決死の勢いで、壺探索に江戸へ立ち向かう。
は作阿弥というたいへんな彫刻の名人で、当時故あって江戸の陋巷にかくれすまい、その娘、つまりお美夜ちゃんの母なる人は、腰元
柳生藩の人達は、江戸で二手に別れて、壺をはさみ撃ちにしようというのです。日光御造営に
江戸の地理は暗いといった自分に、墨堤へ――とすすめて、この方面
真夜中の江戸は、うそのようにヒッソリ閑としています。折りから満潮とみえまし
名物どころじゃアねえ。とんがり長屋の泰軒さまといえア、江戸の名物だ。モウ、とんがり長屋てえのを、泰軒長屋とかえてもいい
指示するところにしたがって、東西南北いずれにせよ、どっちみち明朝早く江戸を発足するのだから、もう当分、萩乃に会えない。
北海道? 満洲? ナニそんなところのはずはないが、江戸でないことだけはたしかです。
今それには、柳生一藩の生死浮沈がかかり、この江戸だけでも、何十人という人間が、眼の色かえてこの壺を、
半鐘の音は、大きく、小さく、明け方の江戸の空気をゆすぶって、静かな池へ投げた小石の波紋のように、ひたひた
くらをしてるんですよ。ジャンと鳴りゃ駈け出すのが、江戸の男だわさ」
「ワッショイワッショイ、火事と喧嘩ア江戸の花でえ」
チェッ! 火事は渋江村、ときやがら。こちとら小石川麻布は江戸じゃアねえと思っているんだ。しぶえ村とはおどろいたネ。おどろき桃
藩侯柳生対馬守は、まだお国もと柳生の庄にいる。江戸のほうを一手にきりもりしているのは、この田丸主水正老人である。
「毎日毎日あてどもなく、江戸の風にふかれて歩くだけで、どこをどう手繰っていけばよいやら…
まで聞かずに、おっ取り刀で屋敷をとびだした。眠る江戸の町々に、心も空、足も空、一散走りに、お蓮様の寮
月、埋宝の場処によっては二年、三年、江戸に別れをつげなくちゃあならねえ。発足前にとっくりと、源三郎の生死をたしかめ
うち乗り、他の者はそれにひきそって、朝ぼらけの江戸を斜かいにスッとんできたのだから、明けやらぬ町の人々はおどろいて
「こけ猿の壺をさがしもとめて、われらは毎日江戸の風雨にさらされておる始末。また源三郎さまは、婿入り先の司馬道場の
尚兵館の、あの高大之進の一派と呼応して、江戸の巷にこけ猿を物色しているのだ。
をくぐってぬけだし、主人のすがたを求めてひかれるように江戸へ立ちかえったものの、本郷への道を思い出せずにあちこちさまよい歩いたあげく、
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松平伊豆守七万石の御城下、豊川稲荷があって、盗難よけのお守りが出る。たいへんなにぎわい――。
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に、黒の小やなぎの半えり、唐繻子と媚茶博多の鯨仕立ての帯を、ずっこけに結んで立て膝した裾のあたりにちらつくの
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二十年目、二十年目に、日光東照宮の大修繕をやったものだった。
「このたびは、二十年目の日光東照宮御修営という、まことに千載一遇のはえある好機にあたり……」
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木母寺には梅若塚、長明寺門前の桜餅、三囲神社、今は、秋葉神社の火のような紅葉だ。
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まあどうしてこんなところへはいりこんで、なんてずうずうしい!――丹波っ、追っぱらっておしまい!」
もあるくらい。とにかく、お蓮さまの行くところには、かならず丹波がノッソリくっついて、いつも二人でコソコソやっている。
が、なにしろ、峰丹波ともあろう人。
の胴ッ腹へぶつかって撥ねかえったのを見ると、丹波、まっ青になった。
恐怖と混迷で、丹波の顔は汗だ。
、小柄が横にそれただけのことで、この傲岸な丹波が、どうしてこう急に恐れ入ったのだろう……何かこの植木屋、お
そして、丹波、抜からず茶壺を持ち出せと、すごい顔つきで厳命をくだしたものだが、し
机にむかって、何か書見をしていた丹波は、あわただしい与吉の出現に、ゆっくり振りかえった。
をざっと物語ると、ジッと眼をつぶって聴いていた丹波、
と丹波は、押っかぶせるように、
―イヤナニ、其方の知ったことではないが、この丹波、ちゃんと見ぬいておったぞ」
丹波は、またしずかに眼を閉じて、
いつのまにか、丹波は、顔いろを変えて、突ったっていた。
が知った以上、やむを得ん。わしが斬られよう。丹波の生命もまず、今宵限りであろう」
と丹波、大刀を左手に、廊下へ出た。
逃げも隠れもせぬ。ここに待っておるから、丹波に告げてこい……源三郎はそうは言ったが、よもやあの刀を帯びない
たが、よもやあの刀を帯びない植木屋すがたで、暢気に丹波の来るのを待ってはいまい――与吉はそう思って、丹波のあと
のを待ってはいまい――与吉はそう思って、丹波のあとからついていった。
剛愎そのものの丹波、伊賀の暴れん坊がこの屋敷に入りこんでいることを、さわらぬ神に祟りなし
丹波は、答えない。無言で、大刀に反りを打たせて、空気の湿った
丹波のあとから、与吉がそっとさっきの裏木戸のところへ来てみると!
丹波の姿を見ると、独特の含み笑いをして、
四、五間の間隔をおいて、丹波は、ピタリと歩をとめた。
キラリ、丹波の手に、三尺ほどの白い細い光が立った。抜いたのだ。
、裏木戸の闇の溜まりに、身をひそめて、源三郎と丹波の姿を、じっと見つめているのである。
左膳は、口の中で何やら唸りながら、源三郎と丹波を交互に見くらべて、釘づけになっているのだ。二人は、左膳と与吉
丹波の口から、低い長い呻き声が流れ出たかと思うと……かれ丹波、まるで
から、低い長い呻き声が流れ出たかと思うと……かれ丹波、まるで朽ち木が倒れるように、うしろにのけぞって、ドサッ! 地ひびき打って仰向け
源三郎は、何ごともなかったように、その丹波のようすを見守っている。
ておったのだよ。全身すきだらけ……シシシ然るに丹波は、それがかえって怖ろしくて、ど、どうしても撃ちこみ得ずに、固く
、ははははは、じぶんで自分の気に負けて――タ丹波が斬りこんでまいったら、余は手もなく殺られておったかも知れぬ
と意識を失っている丹波に近づき、
つぶやきながら、倒れている丹波のそばへ行って、
源三郎は、丹波の大刀を平青眼、あおい長い顔に、いたずらげな眼を笑わせて、
与吉は、丹波について部屋へ行ったとみえて、そこらに見えなかった。源三郎が
に身をやつして、入りこんでいたことは、与吉は丹波に口止めされたので、一同にいってない。植木屋にしては、
無遠慮に縁側に腰かけて、微笑したあの顔。丹波の小柄をかわして、ニッとわらった不敵な眼もと……なんという涼しい殿
植木屋であの腕並みとは?……丹波はおどろいて、平伏して身もとを問うたが。
、霧のごとき毒気を吹きかけられてあの始末……イヤ、丹波、諸君に会わす顔もござらぬ」
て自分を倒したあの剣気、迫力!――そう思うと丹波は、乗りかけた船とはいえ、この容易ならぬ敵を向うにまわして
お蓮さまはこの丹波の話を、萩乃の部屋へ持って来て、
が、どこからともなく暴れこんできたんですって。丹波のはなしでは、それを相手どって、一手に防ぎとめているのが、まあ
けど、あの植木屋にまかせておけば、大丈夫ですとさ。丹波がそういっていますよ。丹波がアッとたおれたら、植木屋がとんでき
、大丈夫ですとさ。丹波がそういっていますよ。丹波がアッとたおれたら、植木屋がとんできて、御免といって丹波の手
とたおれたら、植木屋がとんできて、御免といって丹波の手から、刀を取って、その狼藉者に立ちむかったんですって」
丹波とお蓮様を首謀者に、道場乗っ取りの策動が行なわれているなどとは
丹波、仕方がないから、
ふしぎな美男の植木屋が問題の婿源三郎ということは、丹波が必死に押し隠して、だれにも知らせてないのです。
丹波が皆に話してあるところでは……。
。つぎは、どうやってあらわれてくるであろうかと、丹波、やすきこころもない。
丹波は一段と声を励まし、
丹波はそれを受け取っては、眼下の人の海をめがけて、自分の金じゃア
に、源三郎は馬上に腰を浮かして、やぐらのうえの丹波を見あげ、
丹波も、さる者。
丹波は悠々とやぐらを下りて、さっさと門内へ消えた。不知火銭は終わったが
丹波につぐ高弟、岩淵達之助と、等々力十内のふたりが、門ぎわに立ちあらわれました
いま丹波が最後に、源三郎をねらって三宝もろとも、はっしとばかり銭包みを投げ落とした瞬間―
にひっかけて、もじったもので、さっき柳生源三郎と名乗って丹波とのあいだに問答のあったのを聞いていますから、
で来たんだから、ただならない不審のようすで、丹波へ、
まったく、それは丹波のいうとおりで。
この、お蓮様の心中を知らない丹波は、気が気じゃアない。
丹波の苦笑の顔を、月に浮かれる夜烏の啼き声が、かすめる。
これが毎日続いてきたんですから、丹波も悲鳴をあげて、これが口癖になるわけ。
いいかけた丹波の言葉を、お蓮様は横から奪って、
ちょうど、庭の築山のかげで、お蓮様と丹波が話しこんでいる同じ時刻に、こうして女中の一人が、萩乃を慰めに
「あたしはねえ、源様、あの丹波などにそそのかされて、お前様にこの道場をゆずるまいと、いろいろ考えたこと
先生にかわって御成敗いたすところだが、まずまず堪忍……丹波とはちがい、さような手に乗る源三郎ではござらぬ」
、おれにはちゃんとわかっているぞ。道場へ帰ったら、丹波にそう言え。長屋にあります箱は、偽物でした、とナ」
「丹波とは、何者のことか」
渡り廊下でつづいた別棟に、お蓮様、丹波をはじめ道場の一派、われ関せず焉とばかり、ひっそり閑と暮らしているんです
のを、ちょっと聞きましたので。なんでもお蓮と丹波は、この先の渋江村とやらにまいっておるとのこと」
せぬ、いわば敵方の動静……それは、わしも、丹波とお蓮様がちかごろ道場におらぬらしいことは、聞き知っておったが、この
お蓮様と丹波が、腹心の者十数名を引き連れて、近頃、この向島を遠く出はずれた
だが、道場では、どこまでも、お蓮様も丹波も在宅のように装って、屋敷を明けていることはひた隠しにかくしている
丹波は、急の暴風雨に備える雨戸を、十内、達之助の二人にまかせてしめさ
て、今まで一心に堪えてまいったのだワ。お蓮と丹波が、あれなる寮にまいっておるというからには、もっけの幸い――
「このとおりじゃ、丹波ごとき……いわんや、爾余のとりまきども――」
きょうはいよいよ、邪魔だていたすお蓮様と丹波の上に、柳生一刀流の刃が触れると思うから、単純な伊賀の暴れン
お蓮様が尾のない狐なら、丹波はその上をゆく狸であろう。でも、それを承知で、こうして
丹波をはじめ十五人の道場のものどもが、いまだに顔を出さないのみか、
低い声を投げこみましたが――丹波、ビックリした。
源三郎の声が聞こえた秒間、しすましたりと、こなたは丹波を先頭に、ドッ! と唐紙を蹴倒して、雪崩こみました。
決して丹波が弱いんじゃない、源三郎が強過ぎるので。
丹波はそれなり壁ぎわへ飛びすさって、一刀を平青眼……。
つづみの与の公、この丹波の命をうけて供の人数へ紛れこみ、こけ猿の茶壺をかつぎだしたの
傲岸、丹波の顔は汗だ。そのうめき声を後に……触るまいぞえ手を出しゃ
、もうひとりの源三郎が現われねばならぬと――いう丹波の言葉に、与吉はふっと思いついて、こっそり屋敷を抜け出るが早いか、夜道
丹波と源三郎は、まだ二本の棒のように、向かいあって立ったままだ。
二本の棒のように、向かいあって立ったままだ。丹波は正眼、源三郎は無手。と! すっかり気おされて、精根がつきはてたもの
! すっかり気おされて、精根がつきはてたものか、峰丹波、朽ち木が倒れるように堂ッと地にのけぞってしまった。
源三郎は、意識を失った丹波の手から、その一刀をもぎとって、柳生流独特の下段の構え。
丹波の身体は、与吉が屋内へかつぎこんだ。
かってに寝泊りしているものと見なしている、お蓮さまと丹波の陰謀組と。
さんの家に隠されたと見た与吉の報告で、丹波の手からはなされた一隊の不知火流の門弟どもが、ある日、突如と
は、源三郎、知らなかった。ましてや今、お蓮様、丹波の一党、十五人ほどの腕達者が、ひそかにここへ来ていようと
と、丹波をはじめ一同は、いぶかりながらも、とにかく主筋となっているお蓮さまのお
悄然たる丹波の言葉も、誰の耳にもはいらないらしく、一同、刀をさげ、頭
丹波の一味はあっけにとられ、刀をさげて、遠巻きに立って眺めるのみ―
大八らは、計略をもって遠ざけた。ここまでは、丹波の一味にとって、すべて順調にはこんだのだが――。
ころがりでて、とほうもない方向へ走りだし、いまこの丹波の一党に加担するようになったのは、あの十方斎先生のお葬式
之丞。あのお蓮様の寮へ案内したのも、丹波らとはかって、あの隣室のひそひそ話を玄心斎、大八に聞かせたの
こんなにおもっているのに、それも、継母やあのいやらしい丹波から、じゃまの手がはいって、いまだに、祝言のさかずきごとさえあるじゃなし
このあいだから丹波の一味をつれて、葛西領渋江の、まろうど大権現の寮へ、出養生
夜が明けたら、客人大権現の寮の、お蓮様と丹波のもとからしらせがあって、何ごとも分明いたすはず。それよりも萩乃さま、
「丹波が、かの橋下の掘立小屋より、破れ鍋をかわりに置いて盗みださせたの
にある間にそっとすりかえたのです。それとも知らず丹波の一味は、あの、私の作った偽物の箱包みを、後生大事に持っ
相違ねえ。お前は見事、それにかかったわけだが、丹波のやったこの仕事を、おれの相手の伊賀侍が知るはずはねえのだ
「卑怯なのは丹波とお蓮だ。剣の厄も、お蓮の女難も、源三郎見事にくぐり抜けたが
「丹波の計じゃ。宵のうちに余をとりまいて、亡き者にしようとした
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宿役人の杞憂は、現実となった。春は御殿山のさくら。秋は、あれ見やしゃんせ海晏寺のもみじ……江戸の咽喉
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根岸の植留が、司馬道場へ入れる人工をあつめていると聞きだして、身
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何か賞めるとなると、よく両国の花火にひっかけて、もじったもので、さっき柳生源三郎と名乗って丹波と
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浅草の駒形を出まして、あれから下谷を突っ切って本郷へまいる途中、ちょうど三味線堀へさしかかっていました。
だから、下谷御徒町の青石横町に住む、お坊主頭の自宅なんかには、各大名の羽織
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つぎが、長野、山田、藤堂氏の領上野、島ヶ原、大川原と、夜は夜で肩
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は、世を忌み嫌ってのいつわりの姿で、以前は加州金沢の藩士だったのが、彫刻にいそしんで両刀を捨て、江戸に出
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いいかげんそこらまで行ったら、このすこし先の道が、水戸街道と出会うあたりから、もとへ引っ返すつもり……。
、源兵衛橋を渡った向うに、黒々と押し黙る木々は、水戸様の同じくお下屋敷。夜眼にも白い海鼠塀が、何町という
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一、伊達どの――五つ、および仙台味噌十荷。
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水たまりに、星がうつっている。いつもなら、爪紅さした品川女郎衆の、素あしなまめかしいよい闇だけれど。
ひがしはこの品川の本宿と、西は、琵琶湖畔の草津と、東海道の両端で、のぼり下り
東海道を押してきて、あした江戸入りしようと、今夜この品川に泊まっているのだから、警戒の宿場役人ども、事なかれ主義でびくびく
。さてこそ、何ごともなく夜が明けますようにと、品川ぜんたいがヒッソリしているわけ。たいへんなお客さまをおあずかりしたものだ。
チェッ! してやられたか。遠くは行くまい。品川じゅうに手分けしてさがせっ!」
こけ猿の茶壺が、江戸を眼のまえにしたこの品川の泊りで、司馬道場の隠密つづみの与吉に、みごと盗みだされたのだっ
柳生の弟子ども、口々にわめきながら、水も洩らさじと品川の町ぜんたいを右往左往する。首を送りこむ役は、門之丞にくだって
道場をまかせぬうちは、行くところへも行けぬ。もはや品川あたりに、さしかかっておるような気がしてならぬが、テモ遅いこと
「品川から、なんとかいって来た?」
一行に、荷かつぎ人足としてまぎれこみ、ああして品川の泊りで、うまく大名物こけ猿の茶壺を盗み出したこの与吉。いままで
けど、伊賀の連中は、眼の色変えて毎日毎晩、品川から押し出して、江戸じゅう、そいつを探してるというじゃないか。もう、
その御大層もない茶壺を、あの品川へ着いた夜の酒宴に、三島から狙ってきたこのおいらに、見ごと
つかないでどういたします。あれこそは、峰の殿様、品川に足どめを食ってるはずの源三郎で……」
「一同を品川に残して、そっと当方へ単身入りこんだものであろうが、はてさて、いい度胸
つゆ知らぬ司馬先生――めざす源三郎が、とっくのむかしに品川まで来て、供のもの一同はそこで足留めを食い、源三郎だけが姿
もの思いに沈んで、うなだれた源三郎は、それから品川へ帰って行く――。
よりますと、まだ源三郎様の御一行は、江戸の入口品川にとどまっていらっしゃる模様で、それにつきましては、司馬道場のほうと、
「ナニ? 源三郎は、まだ品川にうろうろいたしておると? しからば、こけ猿の茶壺は、いまだ本郷
品川や袖にうち越す花の浪……とは、菊舎尼の
、早朝から深夜まで、入り代わり立ちかわり、隊をつくってこの品川から、江戸の町じゅうへ散らばって、さがし歩いて来たのだが――
品川のお茶屋は、どこへ行っても伊賀訛りでいっぱいです。そいつが揃って
を、伊賀の柳生源三郎、ふかく遺憾に存じまする。早くより品川に到着しておりましたが、獅子身中の虫ともいいつべき、当
源三郎の一行が品川へ着いた時、駈け抜けて司馬の道場へ江戸入りの挨拶をしたの
を婿引出に守って、伊賀の源三郎、同勢をそろえて品川までやってきた。
えらい騒ぎ。波紋の石は、まずこの江戸の咽喉首、品川の夜に投ぜられて、広く大きく、八百八町へひろがっていく。
が、師範代峰丹波とぐるになって、今いい気に品川まで乗りこんできている源三郎を、なんとかしてしりぞけ、道場をぶんどろう
なくなりになるまで、婿引出をぬすみ隠して、源三郎めを品川へとどめておけ」
一同、品川で足どめを食った形。あの辺の青楼やなんかは、イヤもう、
えぶほとぼりの冷めたころだから、あっしアこれから、品川であの柳生源三郎の一行から盗みだしたこの壺を、妻恋坂の峰丹波
源ちゃん、品川まで来たのはいいが、婿引出のこけ猿の茶壺を失って、
供の連中は品川を根城に、眼の色変えてこけ猿の行方を、探索している
一方、品川の旅宿へ立ち帰った源三郎は。
「さ、渡されい。その壺は、品川の泊りにおいて拙者が紛失いたしたるもの。正当の所有者は、いうまで
剣もほろろに追いかえしたと火のように激昂して品川の本陣へ立ち帰り、復命したものだったが……。
最初、源三郎の一行が、江戸入りをして品川へ着いた夜、命を奉じて一人駈け抜けて、妻恋坂の道場へ
壺はお前さん、前にあのつづみの与の公が、品川の柳生源三郎の泊りとかから、引っさらって来た壺じゃアないか。そんな
「品川の泊りにて、若君源三郎様が紛失なされたこけ猿の茶壺、ちかごろやっと
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だけのユーモアでも、元禄の赤穂の殿様にあったら、泉岳寺は名所ならず、浪花節は種に困ったろう。
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ここは、浅草駒形、高麗屋敷の櫛まきお藤のかくれ家です。縁起棚の下に、さっき
浅草の駒形を出まして、あれから下谷を突っ切って本郷へまいる途中、ちょうど
た。あれからまっすぐにお蔵前へ出たチョビ安は、浅草のほうへいちもくさんに走って、まもなく行きついたのが吾妻橋のたもと。
を青眼に構えて、微動だにしない。あれから与吉が浅草へ往復するあいだ、ずいぶんたったのに、まださっきのまんまだ。
道場へはしばらく顔出しもできない始末で、例によって浅草駒形、高麗屋敷の尺取り横町、櫛巻きお藤の家にくすぶっていたの
ない。真夜中近く、両側の家がピッタリ大戸をおろした、浅草材木町の通りを、駒形のほうへと、追いつ追われつして
丹下左膳が、つい近くの、浅草の橋の下に小屋を結んでいることは、与吉はまだ、お藤姐
浅草は駒形の兄哥、つづみの与吉とともに、彼の仲間の大姐御
当時、浅草の竜泉寺のとんがり長屋、羅宇屋の作爺さんの隣家に住んでいるが
この、名所図会にない浅草名所とんがり長屋に。
寝ぼけた半鐘じゃアねえか。畜生め、葛西領の火事に浅草の兄イが駈けだすなんざアいい図でおす」
さきへ走る子供に追いついて、二人で浅草のほうへ一散に……。
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たが、追うほうもよく追った。あれからまっすぐにお蔵前へ出たチョビ安は、浅草のほうへいちもくさんに走って、まもなく
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つぎが、長野、山田、藤堂氏の領上野、島ヶ原、大川原と、夜は夜で肩をかえ、江戸発足以来一泊
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いうのだが――中には、欲をかいて、千住だの板橋だのと、遠くから来ているものもある。
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「いや、わたしは神田ですが、昨夜から、これ、このとおり、筵を持ってきて、御
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橋上に立った姿……思いきや、街の豪傑、蒲生泰軒ではないか!
をくらってどこにでも寝てしまう巷の侠豪、蒲生泰軒です。
その泰軒蒲生先生――見ると、相変わらず片手に貧乏徳利をブラ下げ、片手に、竹を
今の矢文の主は、この蒲生泰軒――と知って、左膳二度ビックリ、だが、負けずに
まだ、このほかに、巷の豪、蒲生泰軒先生まで、これは何かしら自分一人の考えから、ああして壺
ずいと土間へはいりこんできたのは、あの、風来坊の蒲生泰軒先生。
作阿弥と、蒲生泰軒とは、初対面から二人の間に強くひき合い、結びつける、眼に
奴ばら」しばらく間。「三つ、あの得体の知れぬ蒲生泰軒。四つ、どうやら公儀の手も、動いておるようにも
ひょうひょうと風のごとく、ねぐらさだめぬ巷の侠豪、蒲生泰軒先生。秩父の郷士の出で、豊臣の残党だというから、
現われ、なんの事件にでも首を突っこむのが、この蒲生泰軒だが、いったいどういうわけでこの先生が、このこけ猿の壺を
おどろく侍どもをしりめにかけて、押し入って来た蒲生泰軒は、この日からこのとんがり長屋にお神輿をすえることになった。
あの羅宇直しの作爺さんの家に、蒲生泰軒というたいへんものが、ころげこんでいるんです。
、徳川の世を白眼ににらんでいる巷の侠豪、蒲生泰軒居士。
見て、この老人の素姓を看破したのは、この蒲生泰軒だった。
につむじまがりか、さもなければ卑屈な人間が多いけれど、この蒲生泰軒先生のように、とてもほがらかに世の中をすねちゃった人物は、ちょっと
捨てるべき利念も、気がねも、はじめから持ちあわせない蒲生泰軒。
一升徳利を枕に、いつも巷に昼寝する蒲生泰軒、その海草のような胸毛に、春は花吹雪、夏は青嵐、
この蒲生泰軒は。
に明治維新の絢爛たる覇業をよぶところのもので、一蒲生泰軒自身、大日本精神の一粒の砂のようなあらわれであったと
世の中から何ものをも得ようと思っていない蒲生泰軒居士、ほんとに、愚楽老人なんか、ただのかわいそうな不具者と
。大岡様を通じてだいぶ前から相識になっているこの蒲生泰軒を、愚楽は、学問なら、腹なら、まず当今第一の
まず、南の奉行大岡越前と、この、街の小父さん蒲生泰軒と、いずれも、兄たりがたく弟たりがたし……この二人よりない
「蒲生泰軒の矢文で、おれはなんでも知っておる。片眼でも、
「ナニ? 蒲生泰軒! 矢文?」
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だから、下谷御徒町の青石横町に住む、お坊主頭の自宅なんかには、各大名の羽織が
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白鬚、牛頭天殿、鯉、白魚……名物ずくめのこの向島のあたりは、数寄者、通人の別荘でいっぱいだ。庵とか、亭と
思い合わせてみると、きょうこの向島方面へ遠乗りにでかけようと言いだしたのも、この門之丞。それから
が、腹心の者十数名を引き連れて、近頃、この向島を遠く出はずれた渋江村の寮に、それとなく身をひそめて何事か
ここは、向島を行きつくした、客人大権現の森蔭、お蓮さまの寮です。こんなところ
今なら、コンクリートの遊歩道路に、向島へいそぐ深夜の自動車がびゅんびゅんうなって、すぐ前はモダンな公園……
源三郎が急に思いたって、向島から葛飾のほうへと遠乗りにでかけ、門之丞の案内で、不安ながら
麻布から向島のはずれまで、たいへんな道のりです。
つつ、先駆の五十嵐鉄十郎の馬は、いっさん走りに向島を駈けぬけて、やがて葛飾へはいり、客人大権現の森かげなる司馬寮の
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菖蒲で名高い堀切も、今は時候はずれ。
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桜田門外の、江戸南町奉行大岡越前守忠相のお役宅だ。
だから、桜田門外、奉行官邸の塀を乗りこえて、ぶらりはいってくるのも、先生一流
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ウインクは、なにも、クララ・ボウあたりからつたわって、銀座の舗道でだけやるものと限ったわけじゃアない。
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西北から、大きな緑の帯のような隅田川が、武蔵と下総の間を流れている……はるかに、富士
君懐しと都鳥……幾夜かここに隅田川。
と、内容は、左膳の計略で壺にはあらで、隅田川の水に洗われたまるい河原の石……いずれをいずれと白真弓と
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をぬけて、関屋の里まで行き着いた主従四人は、綾瀬川の橋のたもとにたちどまって、