丹下左膳 03 日光の巻 / 林不忘
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古河は、土井大炊頭、八万石、江戸より十六里でございます。
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狭い物置小屋に、一本蝋燭の灯が、筑紫の不知火とも燃えて、若侍の快談、爆笑……。
「筑紫の不知火も、さまで光らぬものじゃのう」
筑紫の名家、司馬家です。鎧、兜、刀剣など、代々伝わる武具だけでも
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「毎年、新茶の候になりますと、諸藩から茶壺を宇治の茶匠へつかわします。茶匠はなかなか権威のありますもので、おあずかり申した
宇治は茶どころ
ござりますれば、上位を与えられますのが、これが、宇治の茶匠の一つの権威とでも申しましょうか? イヤ、上様の
猿の茶壺も、柳生藩から毎年、その新茶を入れに宇治の茶匠へつかわされたものであろうかの?」
ませぬ。マ、それはそれといたしまして、サテ、宇治では、各大名の茶壺に新茶を詰め終わりますると、これなる蓋をい
わからぬことがたったひとつある。このこけ猿も、毎年宇治へ往復して新茶の詰めかえをしたものなら、中に古い地図などが
「新茶の封に宇治で貼りました奉書は、封切りの茶事で縁を切りますだけで、蓋の
といってしまえば、それだけのものだが、これを宇治の茶匠まで送りとどけて、茶を詰めてかえる道中が、たいへんなものでした。
壺の主のお大名と同じ格式をもって、宇治へ上下したものだという。一万石は一万石、十万石は十万石
こんどその、石川左近将監どのの茶壺が、宇治へのぼることになったについて、竹田が道中宰領として今江戸を
いう茶壺をかたっぱしから手にいれるだけだ。それには、宇治へ上下する茶壺道中をねらい……ウム! どの大名の壺にも、供
―すると、街道のむこうに見えてきたのが、宇治へのぼる途中のこの石川左近将監のお壺。
こうやって、宇治の茶匠のあいだを往来する大名の壺を、かたっぱしからおそっているうちには
宇治の茶匠からの帰り、茶のいっぱい詰まった壺を、例によってお駕籠
…の場合などは、これはからの壺を守って、宇治へ急ぐ途中でしたが、夕方、丸子の宿へかかろうとするとき、霧の
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うちに、美女二人を加えての一行七人、小山から小金井、下石橋、あれからかけて、やがてのことに大沢、今市と、おいおい日光
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「いえ、ひろってきたわけではないので。駒形の高麗屋敷の、とある横町を屑イ、屑イと流していますと、
なるほどわたしは江戸者だが、そのなんとか横町とか駒形なんかには、縁もゆかりもない方角ちがい、江戸というよりも在方に近い
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やがて神奈川、狩野川をはさんだ南北に細長い町。海に面した見はらしのいい場所に
で……やっと追いついたのが、この神奈川の腰かけ茶屋。
束のまま、裾をおろした若党儀作……彼は、神奈川の宿はずれで、名も知れない道中胡麻の蝿のために、大事の証拠
と、神奈川の街道筋で、ボンヤリ追憶にふけっているところへ出現したのが、鼓
「サア、……神奈川で顔が合って、のんきに東海道をのぼろうと、マア、話しあいがついて
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はまた、たいそう近いところで、便利でござるな。これが奥州の山奥とか、九州のはずれとかいうのだと、旅費もかかる。掘り出す
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をあらわさない眼……そうであろう、この人間の港、大江戸の水先案内ともいうべき奉行職を勤めることは、かれ忠相、人間として
大江戸は、人間の港なのだった。
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右に見えるのが三国一の富士の山、左は田子の浦だ。絶景だなア!」
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有名な水屋前の銅の鳥居も、この寛永寺の造築に、鋳物師椎名兵庫がつくったものであります。
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の旅芸人と見せかけて、でたらめの唄でもうたいながら、せめて箱根の手前ぐらいまで行ったのち、お藤のお天気のよいときに、江戸へ戻ろう
竹田の一行はすっかりいい気持で、箱根を越え、サテ、いまこの沼津へさしかかりました。水野出羽守様御領……。
ほうにえんえんたる帯のような、山つづきが眺められる。箱根から西で名の高い、宇津谷峠というのはこれだ。山のいきおいは
「箱根を越してしまやア、もうこっちのものよ。箱根からむこう、お江戸と
「箱根を越してしまやア、もうこっちのものよ。箱根からむこう、お江戸とのあいだにゃア、化け物はいねえからの」
この制度は、箱根、笛吹両関所に準じ、出入りとも手形割符を照らしあわせて、往来を改める。
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元和二年、家康が駿府に死ぬと、はじめ久能山に葬ったが、のちに移霊の議が起こって、この年の秋から翌年
言うようですが、あの杉並木は、慶安元年に駿河の久能山に葬った権現様を、御遺言で日光山に改葬し、東照宮を御造営
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「日光山から四十里のあいだは、御修覆ができあがるまで、住民の旅立ち、その他
「開山上人。諱は勝道。日光山の開祖でござって、姓は若田氏、同国芳賀郡のお生れですナ。今
に駿河の久能山に葬った権現様を、御遺言で日光山に改葬し、東照宮を御造営の折り、譜代外様を問わず、諸侯きそって
、在来の慣例というものがござりまするで――さよう、日光山から四十里のうち、女子十三歳から二十歳までの者は、木綿糸一か月
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「どうしてこの壺が、越前の手にはいりましたか、そこらの筋道は、なにとぞおたずねなきよう」
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平塚――大山阿夫利神社。その、三角形の大峰へ詣る白衣の道者がゾロゾロ杖をひく。
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方角ちがい、江戸というよりも在方に近い、ひどく不粋な四谷のはずれのものなのさ」
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かへ通ずる街道筋ならまた格別、ほとんど日光へ行くだけの日光街道、思うとおりに、母娘の人柱が網にかかってくれればよいけれどもなあ」
日光街道に、三組のふしぎな旅人が、それぞれ先を望んで点々として追うが
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安倍川を西に越えると、右のほうにえんえんたる帯のような、山つづきが
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こけ猿の茶壺は、とうに峰丹波の手におさめ、本郷の屋敷に安置してある……。
、壺を、源三郎とこけ猿ということにして、本郷の道場へ持って帰る。
あれが、本郷の有名な道場のお婿さんで、あんなきれいな――あんなきれいな奥様が
急病なんですが、お父さんのかかりつけのお医者様が、本郷の妻恋坂にいましてね、そこまでいそいで迎いに行きたいんです
本郷の司馬道場では、このごろこそだんだん、あの源三郎一味におされぎみに、わが
、一時にそのあとを追って、右側の軒下づたいに、本郷のほうへスッとんでゆく。
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の紛争じゃ。それくらいの取りしきりができんようで、この対馬の弟と言われるか、アッハッハッハッ」
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宇治道中の茶壺駕籠を、荒しに荒して、東海道に白い旋風が渦まくとまでの評判をたてた丹下左膳。
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葬った権現様を、御遺言で日光山に改葬し、東照宮を御造営の折り、譜代外様を問わず、諸侯きそっていろいろな寄進をなさ
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は成就したも同様じゃ。強いだけで知恵のたらぬ伊賀の暴れン坊、今ごろは、三方子川の水の冷たさをつくづく思い知った
「何を言うんです。剣で殺されるのなら、伊賀の暴れン坊も本望だろうけれど、お前達の中に誰一人、あの源様
「お蓮様は武士道の本義から、伊賀の源三に御同情なさっているだけのことだ。よけいな口をたたくもので
「伊賀のやつらは、あの子供をそのままにして行ってしまったとみえるな
だろうか。産みの父やおふくろの顔は知らず、遠い伊賀の国の生れだということだけをたよりに、こうして江戸へ出て――
「そこをまた土葬にするのじゃ。これでは、いかな伊賀の暴れン坊も、またかの丹下左膳といえども、二つの命
遠い伊賀の国の出生とだけで、そのわからぬ父母をたずねて、こうして江戸へ出
におぼれて、もう死んでいるには相違ないけれど……伊賀の暴れん坊と不死身の左膳のことだ、ことによると……。
のなかに、そんな何百人、何千人の大人たち――伊賀の侍たちをはじめ、こわいお侍さんの大勢に、こんな生き死にの騒ぎをさ
「エヘヘヘヘ、とうとう伊賀のこけ猿が、大岡越前の入手するところとなりまして」
を図に認めて、これなる壺に納め、それとなく伊賀の柳生の手へ送りとどけますことに……」
あの、最初に婿入りの引出物として、伊賀の暴れん坊が柳生の郷から持ってきたあれも、果たして本当のこけ猿?
邸内の一角、尚兵館と名づけられた道場に、わざわざ伊賀から下向した壺探索の一隊を引きつれて寝とまりしている高大之進――イヤ
人間が血を流し、またそのために、いま、若き主君伊賀の源三郎は行方知れず……丹下左膳などという余計者まで飛び出して、まんじ巴の
をあとにした柳生家の若党儀作、たった一人で、伊賀の国をさして江戸を出はずれました。
、丹下の殿様も、酷えことをしたもので、あの伊賀の暴れん坊といっしょに、渋江の寮の焼け跡で穴埋めにされてしまった。
た部屋部屋にがんばっている安積玄心斎、谷大八等、伊賀から婿入り道中にくっついてきた連中です。
、芝生の小山やらをへだてて、はるかむこうの棟に、伊賀の連中がいすわっているのですが、しんとしずまりかえって、ウンともスンとも答え
というものだな。え、馬鹿を見たのはあの伊賀の暴れん坊だよ。婿の約束はぐれはまになる。こけ猿の茶壺は盗まれる
「おもしれえ。おれア伊賀の源三郎に、なんの恨みつらみもねえ痩せ浪人。だがナ、人間にゃア
源三郎は、同じ穴の虎だ。恩も恨みもねえ伊賀の暴れん坊だが、左膳を動かすのは、義と友情の二つあるだけ。
だが――何しろ、口をきかねえ野郎だから、あの伊賀の暴れん坊の胸のうちだけは、誰にもわからねえ」
伊賀の暴れン坊の面影は、今この、病む人の身辺に、わずかに残っ
に赤い。それよりもまごついたのは源三郎で、自分が伊賀の柳生源三郎ということは、知らしてない、どこの何者とも身分をつつんで
の悪い思いで萩乃様の前に残されたのは、伊賀の暴れん坊です。
が、こうして萩乃さまとさしむかいになってみると、伊賀の源三、てれることおびただしい。
と伊賀の暴れン坊、心にもないことを、例によってそんな殺し文句を吐く
「イヤ、そうたやすく死ぬ伊賀の暴れン坊ではござらぬ」
前を行く駕籠ひとつ――これはいうまでもなく伊賀藩主、柳生対馬守様。
伊賀の暴れン坊の兄。
言いようのない不覚をとった以上、伊賀へ帰れば、斬られる。といって、このままおめおめ江戸へ引っかえせば
ふと唄いだした与吉の、伊賀の暴れん坊の歌を、お藤が止めたときです。
伊賀からのぼって来た対馬守の一行が、ここに泊まっていると知った与吉
「さわるまいぞエ手を出しゃ痛い、伊賀の暴れん坊と栗のいが」
弟の伊賀の暴れん坊が、いささか軟派めいているのに反して、兄対馬守殿は、武骨
という考えが、伊賀の連中のあいだにだいぶ有力だったのだが、これには何か仔細あり
むこうの壮麗をきわめた一棟――源三郎の留守を守る伊賀の連中が、神輿をすえているのはここだ。
「ナニ? そうか。イヤそうだろうと思った。伊賀の暴れん坊とも言われるあの若君にかぎって、丹波などの奸計におちいるお方
に、義理ある娘萩乃の婿として乗り込んできた伊賀の暴れん坊に、お蓮様が横恋暴。道場も横領したいし、源三郎も
あのにくらしい、慕わしい伊賀の暴れん坊!
「同じ伊賀なれば、さだめし、チョビ安の両親を知る者も、ないとはかぎらぬ
「ホホウ、このお児は、伊賀の者か。ハッハッハッ、そう言えば、道理で、眉宇の間に、年少ながら
、辛辣なものですナ。これ、チョビ安どの……同じ伊賀の者と聞いて、なんだか急に、なつかしゅうなったワ」
に片頬を照らしだされたのを見ると、死んだはずの伊賀の暴れん坊ではござらぬか。さてはこいつ、迷ったなと……」
伊賀の暴れん坊……柳生源三郎の使者。
伊賀の源三郎に刃のたたないことは、誰よりも峰丹波が、いちばんよく知っ
早い話が、今この伊賀の若侍。
といてその二、三行の文字へ眼を走らせた伊賀の暴れん坊、
言葉は、主君源三郎へ向けられていた。ムックリ起き上がった伊賀の暴れん坊、ふところの両手を襟元にのぞかせて、頬づえのように顎をささえ
「わしは、たびたびその陰謀組を斬ってしまえと、伊賀から源三郎へ申し送ったはずじゃが、そのたびに、源三郎の返事はきまっておる
「あの伊賀の暴れん坊以上の腕ききが、そうたくさんあろうとは思われぬが、案に相違
丹波にとって、丹下左膳は伊賀の源三郎以上のにがて。
を土に落として、むこうの隅にガヤガヤたち騒いでいる伊賀の連中の中から、着流しに懐手をした源三郎が、例の蒼白い顔を
むろん名前は、日本国じゅう、いかずちのごとくとどろきわたっている伊賀の殿様だが、峰丹波、まだ眼通りを得たことがない。
てきた。箸にも棒にもかからぬ若殿様の伊賀の暴れん坊。
なんかと、あくまでも、伊賀の暴れん坊の兄貴ぶっています。
…押せども衝けども、たたけども、破りようのない伊賀の暴れん坊の刀法に、手も足も出ない丹波は、もしつぎの瞬間、
当の相手、伊賀の源三郎へ向かって?
。さては、こけ猿の壺の真偽鑑定役に、はるばる伊賀の柳生の庄から引っぱり出されてきた奇跡的老齢者、あのお茶師の一風
のも、その、おいらの親を探す一件だ。同じ伊賀の柳生というからにゃア、何かあたりがありそうなものだのに、
その肝腎の一風宗匠は、伊賀から江戸までの旅にすっかり弱りはてて、今日明日にも眼をつぶろうという
身じたくを終わった伊賀の暴れん坊多勢をさわがすほどのことでもないとそっと縁から庭づたいに、大刀を
伊賀の柳生の者とだけ、いまだにその親にはめぐり会えず、かりに父と
このチョビ安なる者の親の探索を頼んだのじゃ。伊賀の者だということのみを頼りにナ――すると、それが知れた
たが、人を追ってすぐ日光へ出かけたと聞いた伊賀の暴れん坊、気の早いほうでは、人後に落ちません。司馬道場から引き連れ
かと思うと三人目には、伊賀の暴れん坊までが日光をさして、江戸を離れようとする。
とうとう顔を会わせた伊賀の暴れン坊と、峰丹波。
ニタっと笑って、そうつぶやいた伊賀の暴れん坊、いきなり、右の肩がグイとあがって、白い棒のような光
若侍三人、萩乃などあっけにとられているなかで、伊賀の暴れん坊の凜たる声。
と伊賀の暴れん坊は、大あくびをかみしめながら、さし出した血刀を部下の一人に、懐紙一
「おうイ! 伊賀の暴れん坊とやら、あんまり荒っぽいこたアしねえがいいぜ。それから丹下の殿様
はからずもここに、ふたたび顔を会わせた伊賀の暴れん坊と丹下左膳。
たい丹下左膳、もう濡れ燕の目釘にしめりをくれて、伊賀の暴れん坊とさきをあらそう。
したがえてきた部下三人に、すばやく耳うちをした伊賀の暴れん坊。
中へなだれこむだけで、左膳を斬るでもなく、また、伊賀の藩士たちとやいばを合わせるのでも、むろんない。
フーム、紫の……イヤしかし、まさか――だが、伊賀にゆかりと言うことには……」
を祝福しながら、煙のごとく消息を絶ったという、伊賀の暴れン坊とは惜しい未勝負のまま。
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で、便利でござるな。これが奥州の山奥とか、九州のはずれとかいうのだと、旅費もかかる。掘り出す人夫その他、第一
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姿を認めたのは与吉が六郷の川を渡って、川崎の宿へはいりかけたころだった。
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「何百年か後の世に、江戸の町がのびて、あの辺も町家つづきになり、地ならしでもすることが
国の生れだということだけをたよりに、こうして江戸へ出て――」
「こうして江戸へ出て、その父やおふくろを探していたが、なんの目鼻もつか
日本の世直しのためには、まずこの江戸の人心から改めねばならぬ。
とんがり長屋の路地口から左右にわかれて、漆よりも濃い江戸の闇へ消えさったのだが……。
とだけで、そのわからぬ父母をたずねて、こうして江戸へ出て、幼い身空で苦労していると聞いたチョビ安。
江戸に、こんな静かなところがあろうとは、お美夜ちゃんは、今まで知らなかった
お庭をわたる松風の音と、江戸の町々のどよめきとが、潮騒のように遠くかすかに聞こえてくる、ここは
ではどうして、弟の源三郎へなどくっつけて、この江戸の司馬十方斎へゆずろうとしたのであろう……解せぬ」
あり、末が気づかわれますところから、天下の人間道場たる江戸へ出して、広い世間を見せてやろうとの兄のはからいに相違ござりませぬ
家の若党儀作、たった一人で、伊賀の国をさして江戸を出はずれました。
これが、江戸の江戸らしいものと別れる最後。
これが、江戸の江戸らしいものと別れる最後。
出るとかって、フラッといなくなりましたよ。もう江戸にはいないと思いますがね」
ヤバイからだになって、一晩のうちに何十里と、江戸を離れてしまわなければならない必要にせまられるから、いやでも応でも
田舎娘ですが……その顔の美しさ! 着飾らして江戸の大通りを歩かせたら、振りかえらぬ人はないであろう。ことにその眼!
「それならば、なお心配で。江戸には、美しい娘さんが、たくさんいなさるとのこと――」
とか駒形なんかには、縁もゆかりもない方角ちがい、江戸というよりも在方に近い、ひどく不粋な四谷のはずれのものなのさ」
「江戸からの報告は、いまだに思わしくないことのみ。御在府の御家老田丸主水正
して、とまりを積んで東海道は大磯の宿を、一路江戸へ向かった。
いくら待っても江戸からは、こけ猿の茶壺のあたりがついたという色よい便りはすこしもない
「東海道は一本道じゃ。江戸のほうからまいる旅人に気をつけるようにと、先供によく申せよ。どう
が知らせる……というほどのことでもないが、江戸へ近づくにつれて、なんとかして壺の吉左右が知れそうなものだ
まで運ばれてきたのですが、何しろ希代の老齢、江戸へ着くまでからだがもてばいいけれど。
江戸へさえ出れば、なんとかなる……これが対馬守のはら。この、
をこすった儀作、めざす国もとの殿様が、先知らせもなく江戸へのぼって来る途中、もうここまでおいでになっているとは……知ら
伊賀へ帰れば、斬られる。といって、このままおめおめ江戸へ引っかえせば、やっぱり主人主水正が、ただはおくまい。
庭隅に、確かに埋ずめてあると申すことで、私が江戸を離れます日には、その場所に玉垣を結いめぐらし、人を近よらしめずに
「で? 主水正は、余に江戸へ出てまいれと、それでそちを迎いによこしたのか」
からよいではないか。ここはもう程ヶ谷じゃ。江戸はつい眼と鼻のあいだ……江戸へ近づけば、日光へも近うなる…
程ヶ谷じゃ。江戸はつい眼と鼻のあいだ……江戸へ近づけば、日光へも近うなる……」
入れたのを、長い袂へほうりこんだお藤、思いきりよく江戸をあとにした。
儀作からうばったこの壺をぶらさげて、ほどあいを見はからって江戸へ帰ろうという心。
江戸では、峰の殿様が待っていらっしゃる。
が、しかし、これからすぐ江戸へ……とお藤姐御に言ってみたところで、おいソレと引っ
ぐらいまで行ったのち、お藤のお天気のよいときに、江戸へ戻ろうとすすめても、遅くはない。
…あいつは、壺を取られて面目なく、泣くなく、江戸に帰りやがったに相違ねえ。
にせのびをして、じッと戸外を見守っている人影……江戸へかえったとばかり思っていた若党儀作ではないか。殿の御前
「宗匠に借問す。こけ猿と称する偽物、江戸に数多く現われおる由、ほんものを見わくる目印、これなきものにや」
江戸のこけ猿騒動に、なんらかの点でこの女が、重大な関係を
「江戸からか?」
になったについて、竹田が道中宰領として今江戸を出発するところ。
江戸へ着いた柳生対馬守一行。麻布林念寺前の上やしきで、出迎えた在府の
「御承知のとおり、江戸から日光への往復の諸駅、通路、橋等の修理の儀は、公領
「で、日光造営奉行が、拙者ときまりましてから、江戸にいる家老に申しつけて、日光を中心にした四十里の地方と、江戸
申しつけて、日光を中心にした四十里の地方と、江戸からの道中筋、駅馬などを残らず吟味させましたところが」
、なんと勘ちがいしてかしきりになめまわしているのも、江戸の町らしいひとつの情景。
なつかしい江戸のたそがれどき。
「ウム、彼なれば早耳地獄耳、江戸の屋根の下の出来ごとは、一から十まで心得ているにふしぎはない。
いま泰軒の言ったとおり、江戸の大空に明鏡をかけたように、大小の事々物々、大岡様の眼を
だそうじゃが、父も母もわからぬもの。こうして江戸へまいって、幼い身空で世の浪風にもまれておるのも、その
てどこかへ連れ出したら、どんなに喜ぶことだろう。このおなじ江戸に住みながら、往き来はおろか、たよりひとつしなかった罪を、お父様にとっくり
でも泣くがよい! はぶりのよいときは、同じ江戸におりながら鼻ひとつ引っかけるでなし、今になって――どうだ、お蓮
家来どもあまた、源三郎様にお供申し上げて、正式にこの江戸の道場にのりこみましたにかかわらず――」
長い行列が、いま浮世絵のように通っているのは、江戸は麻布の上屋敷を発して来たお作事奉行、柳生対馬守様、つづく一行
対馬守のお供をして、この日光の現場へ向け、江戸を発足したのでした。
とする尚兵館の連中、これらは、まだ、まだ江戸の上屋敷に残されていて、一緒に日光に来ているのではあり
暑かった江戸の一日も終わって、この貧しいとんがり長屋にも、自然はすこしの偏頗もなく
には縁台が出て、将棋、雑談、蚊やり――なつかしい江戸生活の一ページ。
トンガリ長屋とは名のみ、ニコニコ長屋になってしまって、江戸名物がひとつ減ったわけだが。
江戸から泊りを重ねて、もう日光までは眼と鼻のあいだ。ここまで来るあいだ
まだこれは、この日光へ発足前、江戸の上屋敷にいる時分だったので、さっそく作阿弥を厩の前へ連れて行き
「江戸から、当山内の作阿弥という者をたずねてまいった者です。どうぞ、作阿弥
江戸を離れると、いたるところにお化けが出る――ということを聞いたけれど、
は、朝夕夢のこけ猿を追って、流れ流れてふたたび江戸へ……。
江を渉り、もとの路をたずぬ。何年も江戸を明けたわけではないけれど、しきりに、そんな気がしてならない。
「おい左膳、こうして手ぶらで江戸へけえってきたところをみると、おめえも、よっぽど里ごころがついたの
何か使える、見どころがある……と、腰元として江戸まで連れて来、上屋敷に置くことになった柳生対馬守は。
してお駕籠で上野の権現様へおまいりして、はるか江戸から、このたびの日光御造営がつつがなく終わるように祈念を凝らすだけがわたしの
その肝腎の一風宗匠は、伊賀から江戸までの旅にすっかり弱りはてて、今日明日にも眼をつぶろうというとき、
のお地蔵さん」の唄をうたって、親を探しに江戸へ出てきたのですが。
ほのぼの明けに江戸を出はずれた、蒲生泰軒とチョビ安の二人。
たように、旅の装束をととのえつつ、紫いろのあけぼのの江戸をあとに……。
江戸から二里で千住、また二里で草加、同じく二里の丁場で、越ヶ谷
こやつ、いつ江戸へまい戻ったものか、若党儀作の壺のあとを追って、せっかくうばったの
と三人目には、伊賀の暴れん坊までが日光をさして、江戸を離れようとする。
「マア、やっと……江戸を出てから今まで、ほんとうに気が気ではございませんでした。で
古河は、土井大炊頭、八万石、江戸より十六里でございます。
いいぜ。それから丹下の殿様、お藤の姐御、また江戸でお眼にかかることもありやしょう。泰軒先生が言いやしたヨ。君子
のはやいのが、このつづみの与吉の性得。もうドンドン江戸のほうへ引っかえしかけて、はやその姿は、わらじの蹴あげる土煙に
安公だよ! 泰軒小父ちゃんもいっしょだよ。江戸からお前をたずねて来たんだ。あけてくんねえ」
泰軒だけは、一人ぽっちの大道せましと、江戸へ江戸へと、一同帰りの旅路に。
泰軒だけは、一人ぽっちの大道せましと、江戸へ江戸へと、一同帰りの旅路に。
江戸へはいるすこし手前で、お藤の手を振りきった左膳は、萩乃と源三郎を
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で、蒔絵が円斎、拝殿、玉垣、唐門、護摩堂、神楽殿、神輿舎、廻廊、輪蔵、水屋、厩、御共所……等、それぞれ持ち場
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のうちで、ひときわ熱烈なひとりの情にほだされて、河内の禁野の里に嫁したのです。
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と丹波は、ニヤニヤ笑いながら一同へ、
と思うから、丹波は上機嫌だが、その壺が早くもあの門之丞によって盗み出され、
さては、真っ赤に染めあがった丹波の笑顔。
丹波とお蓮様は、悲しみの顔をつくって、殊勝げに、これからショボショボと
と丹波へ笑いかけ、
言葉を残して、丹波の一行はそのまま、さながら悲しみの行列のように、底深い夜の道へ
手も足も出ない与吉。それでもまあどうやら丹波の御機嫌を取りなおして、妻恋坂道場の供待ち部屋にごろっちゃらしながら毎日、
主君の仇敵は、同じ邸内のこの丹波とお蓮様の一味とわかっているはずなのに。
かと、日夜刀の目釘を湿し、用心をおこたらなかった丹波の一党も、何日過ぎてもなんのこともないので、だんだん気が
「何度も言うようじゃが、寝覚めが悪いねえ、丹波」
眼も口も、人の倍ほどもある大柄な丹波の顔に、すごい微笑がみなぎって、
丹波もしばらく無言。ジットそのようすをみつめていたが、やがて、ズイと双膝を
丹波は……。
だがお蓮様よりは、道場のほうがありがたいのが、丹波の本心です。しかし、それも、故先生の後釜に、お蓮様のもとへ
丹波も懸命です。
、十分この道場には未練があるし、それに、もともと丹波はきらいではないのですから、二言と否は申しません。
穴埋めの宰領をつとめた男。小腰をかがめて、ツツツウと丹波の横手へ進み、皆のほうを向いて、懐中から何やら書き物を取り出しまし
ときには、傲岸奸略、人を人とも思わない丹波も、ア、ア、アと言ったきり、咽喉がひきつりました。
一同は立ちすくんでいます……すわっているのは、丹波だけ。
押しつけるように、ソロリソロリと自分の前へせまってくるから、丹波、仰天した。
起つと同時に、パッとはねた裃の片袖、そいつが丹波の背中に、やっこ凧のようにヒラヒラして、まるで城中刃傷の型……
つあるだけ。おれは源三郎になりかわって、すまねえが、丹波の首をもらいに来たのだよ」
が、さっきの丹波の命令で、道場の出口入口、厳重に戸じまりをしてしまったから、オイソレ
「何もおどろくことはねえ。まさかおめえさんまで、あの丹波などといっしょになって、源三郎はもう死んだものと思っていたわけじゃア
、おめえもよく働いてくれたが、残念だったなア、丹波をうちもらしたのは」
自分としては、もう妻という建て前で、それで丹波とお蓮様一党に対してがんばってきたのですが、こうして萩乃
さまを、今になって筋もなくしりぞけるのみか、あの丹波が継母うえと心をあわせて、司馬の家を乗り取ろうとしているなんてなん
。余の恩人であるのみならず、聞けば今宵、まさに丹波の手に渡らんとした道場を、邪魔だてしてすくってくれた
たが、朝になってようすをうかがうと、お蓮様や丹波は、何事もなかったかのようにヒッソリとしている。
た。伊賀の暴れん坊とも言われるあの若君にかぎって、丹波などの奸計におちいるお方ではないのだ。それはめでたい、めでたい。すぐさま
丹波もお蓮様も、柳生源三郎などはどうでもいいのだった。それよりも
「丹波と申しあわせて、何度か殺そうとしたけれど、そのたびに自分は、命乞いを
丹波の剣幕におどろき恐れて、お蓮様は一歩一歩、一隅へ下がりながら、ふと思っ
が、そうでもないらしく、丹波は大刀を握りしめたまま、じっとお蓮さまをみつめて、
やっと丹波は納得したらしく、ふしぎそうに首をかしげると同時に、グット刀をおし
丹波はお蓮様に従って、長い渡り廊下を道場のほうへ。
思わず低声につぶやいて、横手に立っていた丹波の袖を、そっと引いたのでした。
ハッハッとあえぐ丹波の息づかいを、お蓮様は耳に近く聞いたのだった。
「丹波! 礼をするぞ。きっとそのうちに、挨拶するからなナ」
丹波の出ようひとつ、源三郎の合図ひとつで、一気に斬りかかろうと、隠れて
と丹波のひとり言。峰丹波の腕組み。丹波の思案投げ首です。
と丹波のひとり言。峰丹波の腕組み。丹波の思案投げ首です。
と丹波のひとり言。峰丹波の腕組み。丹波の思案投げ首です。
かくて、丹波を中心に、生残り組のこの大評定となったのです。
ギョロリと大きな眼を向けた丹波、この眼で、腰元などにはひどくおどしがきくので。
丹波は思案に眼をつぶって、
丹波もさびしそうな顔をしたが、気がついたように、大声に、
不知火の門弟一同、さっと丹波の顔へ眼を集めた、指揮を求めるように。
読み終わった丹波は、サッと変わった顔色を一同にけどられまいと、じっとうつむいて考えこむふり
心配気な顔、顔、顔が、前後左右から、丹波をとりまく。
変な負け惜しみだ。丹波は、そう謎のようなことを口ずさんだが、その心中は悲壮の極です
と丹波は、おののく手をふって、誰にともなく命じた。
「ウフッ、今ごろは丹波のやつめ、さぞ青くなっておることであろう」
「では、どうしても丹波をお斬りになりますの?」
やっぱり丹波を斬るのか、ときいた萩乃の言葉に、源三郎は無精ッたらしく首
「丹波から返事が来たぞ」
「コレ、これを見るがよい。丹波め、すっかり臆病神にとりつかれたとみえて、立ちあいの判定がなければことわる
張り合いをつづけてきたのでございますが、明日こそは丹波を斬って、源三郎様が道場の当主にお直りになろうという瀬戸際……
つもりなのが、殿がお顔をお出しなされば、丹波はギャフンとなって、しかたなしに、明日の朝源三郎様に斬られて死にます
望みどおり丹波よりも、源三郎よりも、一段上の大剣士が、審判に立つから……
今となっても、丹波は、あきらめがつきかねる。
丹波にとって、丹下左膳は伊賀の源三郎以上のにがて。
源三郎が、まじめくさった顔で、丹波に紹介わせた。
ギョッとすると同時に、丹波はくずれるように、土に小膝をつきかけた。
「丹波とやら、マ、マ、立つがよい。今は、正式に眼どおりさし許して
が、固唾をのんでひかえているのですから、ここは丹波、いやでも死に花を咲かすよりほかない。
丹波はその新しい眼で、この柳生対馬守――家老の田丸主水正が殿様の
主水正が殿様の役を買って出ている偽物とは丹波をはじめ不知火組は、それこそ誰不知矣――のようすを、じっと見なおしまし
丹波、横眼を走らせて、ひそかに、立ちあいの柳生対馬守――では
丹波のものものしい構えに対して、源三郎は心憎いほど落ちついている。口の中で、
のない伊賀の暴れん坊の刀法に、手も足も出ない丹波は、もしつぎの瞬間、源三郎が動きを起こせば、まず、その一刀は
とうめきざま! 血迷ったか丹波、突然その釣瓶落しを振りかぶるが早いか、それこそ、秋の日ならぬ秋
これが唯一の逃げ路と、丹波は一生懸命、
「柳生対馬守に、この丹波の刀が受け止められぬはずはない。失礼ながら打ちこみますぞ、対馬守様!
大声に叫びながら、丹波は一心に主水正へ斬ってかかる。
丹波はこれで、一時のがれに命を拾おうという気だから、
と丹波は、白扇をひらいて、自分をあおいだ。
がわりに真剣勝負に立ちあったばっかりに、すんでのことで峰丹波の一刀を浴びるところだった田丸主水正、今は騎馬で、この行列に
ひそかに道場を出奔して、行方不明になったものの、丹波はいまだに、その邸内の別棟に頑張って、いっかな動きそうにない。
で、あの田丸主水正を兄対馬守に仕立て、ひと思いに丹波を斬ってしまおうとしたところが、あのとおりに狂言がばれて、丹波の
しまおうとしたところが、あのとおりに狂言がばれて、丹波の首は一日のばしに、まだつながっているというわけ。
例によって安請合い、おおいに丹波の前にいい顔をしておいて、それからずっとこのトンガリ長屋を夜と
を足を宙に、妻恋坂の道場へかけもどり、まだ丹波が寝ている部屋の外まではいりこんだ与の公、
、急に日光へ向かって発足した。ついては、丹波に萩乃を守って、あとから追いつくようにという伝言だったと、もっともらしい
三人は、何も知らぬ萩乃を中に、右に丹波、左に与の公。
足をとめて、キッと顔を見合わせた丹波の横を、萩乃はすり抜けるように、源三郎へかけ寄って、
に気が気ではございませんでした。でも、丹波と和睦をされたとのこと、これからは道場も平穏、こんなうれしいこと
をきかれて、この狂言が割れてはたまらぬと、丹波は急いで、
それは丹波も同じことで、白刃をつつんだ笑顔のうちに談笑しながら、一行七人
道しるべの立っている四つの角――丹波にとっては、知らず、生命の辻。
刻々に細る息であえぎながら、丹波の指先は虫のようにおののいて、いたずらに帯刀の柄をはうが、もう
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「武蔵国――アア、どうしたらよいか。このとおり虫が食っておってあとは
本の杉が見えて、捨て石があって……これが武蔵国のどことも知れぬとは、もはや探索の手も切れたも同然」
は、この壺だけを頼りにしておりますのに、武蔵国とだけでは、まるで雲をつかむような話。こうなると、剣にかけ
――その下に、一行の文字が走っていて、武蔵国江戸麻布林念寺前柳生藩上屋敷。
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川越の殿様なら、お芋でも植えそうなものだが……。
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のそばを過ぎて、渓流にかかった橋を渡ると、小倉山の高原。
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おります。おなじみの広重の絵を見ましても、玉川、たるやなどとありますとおり。
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の不動尊の御木像も、あるはずじゃが、あれは、寂光寺の宝物でござったかナ?」
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と言う人がある。もっとも、亜米利加の二十世紀急行、倫敦巴里間の金矢列車、倫敦エディンバラ間の「飛ぶ蘇格蘭人」……これ
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干瓢と釣り天井で有名な宇都宮の町もうち過ぎ、あれからかけて、徳次郎、中徳次郎、大沢、今市
、鹿沼街道は三里十五町、文挟の先まで――宇都宮街道、会津街道は、おのおの二里十六町、まさに天下の偉観です。
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「出雲国松江の大橋をかけるとき、人柱を立てることになったが、誰もみずからすすん
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このたびの御造営に壁を受け持って、京都稲荷山からはるばる上ってきた伊助という左官頭の妹で、お蓮様づき
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泰軒てエ親爺かい。お初に……わっしゃア深川の古石場に巣をくってる銅義ってえ半チク野郎だがネ。ひとつ
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浅草竜泉寺、お江戸名所はトンガリ長屋。
浅草竜泉寺の横町からかけつけた、トンガリ長屋の住民ども、破れ半纏のお爺さん
「あのね、あたいね、浅草のとんがり長屋から来たの」
の与の公が、よくこんな服装をして、駒形から浅草のあたりをおしまわっていたものですが、今のチョビ安、まるであの
横町を遠ざかる。そして、夕陽のカッと射す角を曲がって、浅草のほうへ消えてゆくのを、町の人々はまだ立ちどまって、見送って
ってに――と言わぬばかり、どんどん歩を早めて、浅草竜泉寺の方角へ。
「ナ、なんでも、浅草竜泉寺の――?」
「コラッ! 気をたしかに持てッ! その浅草竜泉寺の――?」
上屋敷の者をその場へ残し、サッと風のように浅草の方角をさしてかけだしました。
その、おなじみの浅草竜泉寺のトンガリ長屋。
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まるで、この人事相談が蒲生泰軒の職業のようになってしまったが、むろん代金をとるわけで
こけ猿の茶壺を片手に、蒲生泰軒、考えこんでいると、それに眼をつけたチョビ安、頓狂声
そのトンガリ長屋なら、おまえをここへ使いによこした人は蒲生泰軒……泰軒小父ちゃんであろう」
、このトンガリ長屋の王様とあおがれている、巷の隠者蒲生泰軒先生だ。
聞く蒲生泰軒の眼が、チカリと光った。
上り框に仁王立ちになった蒲生泰軒は、左右の手に、チョビ安とお美夜ちゃんの頭をなで
が、妙ちきりんな生活をこの家に送っている……蒲生泰軒とチョビ安兄哥と。
ほのぼの明けに江戸を出はずれた、蒲生泰軒とチョビ安の二人。
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なく辻々を曲がり、町々をへて、やがて来かかったのは桜田門の木戸。
桜田門外の、南町奉行大岡越前守の役宅は、奥の書院に、まだポーッ
この重い壺の箱をしょって、遠い桜田門とやらの、こわいお奉行様のお宅まで行くように……と
桜田門なんて、まるで唐天竺のような気がする。
人にきききき、やっとのことで桜田門という辺まで来てみると、まっ暗な中に大きなお屋敷がズラリと
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人の泰軒先生が、いま眼の色を変えて、向島のほうへすっとんでいらしった」
深夜の町を、このわめき声が、はるか向島のほうへとスッ飛んでゆく。
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品川から大森の海辺へかけては、海苔をつけるための粗朶が、ズーッと垣根
第一日は、品川松岡屋が定宿。
品川から十三番目の宿場ですな。
品川宿から江戸入りした左膳は一直線に八百八町を横ぎろうと、今しさし
うまく品川の宿舎から、こけ猿の壺を盗み出したのに、途中でそれをうばっ
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朝七つ時に神田連雀町の石川様の屋敷を、御門あきとともに出発した一行
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て、大磯から小田原へはいると、いわゆる箱根手前、ここは大久保加賀守の御領で、問屋役人から酒肴が出る。
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八百八町を横ぎろうと、今しさしかかったのが、この上野山下の三枚橋です。
左膳の一眼に、ぽつりと映ったのは、正面、上野の山をおりてこっちへやってくる一丁のお駕籠です。
を見ることと、毎晩夜中に、こうしてお駕籠で上野の権現様へおまいりして、はるか江戸から、このたびの日光御造営が
が、一風宗匠の代参の婦中を駕籠に乗せまして、上野よりの帰途、三枚橋において白衣の狼藉者に出あい、ただいま加勢
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江戸から二里で千住、また二里で草加、同じく二里の丁場で、越ヶ谷、粕壁――。
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江戸から二里で千住、また二里で草加、同じく二里の丁場で、越ヶ谷、粕壁――
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藤沢――境川にまたがって、大富、大坂の両町。遊行寺は一遍上人の四世呑海
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「いえね、いつか泰軒小父ちゃんに言いつかって、桜田御門外の大岡様のお屋敷へ、お壺を届けに行ったとき、何