運命 / 幸田露伴

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地名一覧

サマルカンド

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外に在る五年にして、永楽二年(1404)サマルカンドに還りぬ。カスチリヤの使と、支那の使とを引見したるは、即ち

沙河

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に帰す。大寧の都指揮卜万、松亭関を出で、沙河に駐まり、遵化を攻めんとす。兵十万と号し、勢やゝ振う。

九州

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識三才を綜ぶ、釈氏より起って元主を助け、九州を混一し、四海を併合す。元の天下を得る、もとより其の兵力に頼る

筑後

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、征西将軍の職を後村上帝の皇子良成王に譲り、筑後矢部に閑居し、読経礼仏を事として、兵政の務をば執りたまわ

居庸関

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薊州に走り、宋忠は開平より兵三万を率いて居庸関に至りしが、敢て進まずして、退いて懐来を保ちたり。

永慶寺

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二年冬、建文帝永慶寺に宿して詩を題して曰く、

大同

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称す。燕王は正月の酷寒に乗じて、蔚州を下し、大同を攻む。景隆師を出して之を救わんとすれば、燕王は速く

筑紫

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、後醍醐帝の皇子、延元三年、征西大将軍に任じ、筑紫を鎮撫す。菊池武光等之に従い、興国より正平に及び、勢威大に

松江

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万暦に至って墓碑祠堂成り、祭田及び嘯風亭等備わり、松江に求忠書院成るに及べり。世に在る正学先生の如くにして

し、万暦三十七年には二百余丁となりしこと、松江府の儒学の申文に見え、復姓を許されて、方氏また栄ゆるに