連環記 / 幸田露伴
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の官のおもて、催されて御所へ参入しかけた。衛門府というのが御門警衛の府であって、左右ある。其の左衛門の陣
書かれているが、其片隅とは何処の片隅か、衛門府の片隅でも有ろうか不明である。何にしろまごまごして弱りかえって度を
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子で、四歳の時につきものがしたように、叡山に上って学問をしよう、と云ったとか伝えられ、十歳から山へ
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は為うこと無しの借家住いで、長い間の朝夕を上東門の人の家に暮していた。それでも段々年をとっては、
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て事無きを得たという談がある。日本でも大安寺の勝業上人が水観を成じた時同じく石を投げ入れられて、これは
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かかる狂気じみたところのある僧であったから、三条の大きさいの宮の尼にならせ給わんとして、増賀を戒師と
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のが世の常である。定基は図らずも三河の赤坂の長の許の力寿という美しい女に出会った。長というのは
を手に入れた。力寿も身の果報である、赤坂の長の女が三河守に思いかしずかれるのであるから、誠実を以て
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寂心が三河国を経行したというのは、晩秋過参州薬王寺有感という短文が残っ
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それが今存している池亭記である。記には先ず京都東西の盛衰を叙して、四条以北、乾艮二方の繁栄は到底自分等
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したという堂寺などの有ることは聞かぬ。後の高尾の文覚だの、黄蘗の鉄眼だのは、仕事師であるが、寂
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よりたゞ住吉の松を祈りき」「頼みては久しくなりぬ住吉のまつ此度はしるしみせてよ」「かはらむと祈る命はをしからで
奉って、「千代経よとまだみどり児にありしよりたゞ住吉の松を祈りき」「頼みては久しくなりぬ住吉のまつ此度はしるしみせ
であるが、吾が子の挙周の病気の重かった時、住吉の神に、みてぐら奉って、「千代経よとまだみどり児にあり