花咲ける石 / 坂口安吾

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地名一覧

海蔵寺

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太助にまかせて、房吉は山へ戻った。そして追貝の海蔵寺と平川村の明覚院に道場を構え、星野作左衛門の娘をめとって定住し

上越国境

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群馬県の上越国境にちかい山間地帯を利根郡という。つまり利根川の上流だ。また一方は尾瀬沼

高崎

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流という高名な流派が行われている。その馬庭は高崎から二、三里の近在で、上州一円に門弟一万と称するほど流行し、

赤城山

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から尾瀬沼の方へ行く途中に追貝(オッカイ)という里がある。赤城山と武尊山にはさまれた山中の里であるが、この山中ではこの里が

勢多郡

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しての名を、藤井右門太という。天保元年、勢多郡で死んだが、年百六十八という。多分に伝説的で、神話化されて

、馬庭の高弟で新井鹿蔵という男、これは自宅が勢多郡で法神流流行のまっただなかに在るものだから、我慢ができなくなった。そこ

尾瀬沼

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を利根郡という。つまり利根川の上流だ。また一方は尾瀬沼の湿地帯にも連っている。

沼田から尾瀬沼の方へ行く途中に追貝(オッカイ)という里がある。赤城山と武尊山にはさまれ

江戸

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御家人だが剣では名のある使い手であった。ちかごろ江戸では田舎侍に腕の立つゴロツキが多くなって、吉原なぞでもとかく旗本は

伴五郎も江戸では剣で名のある男だ。それがこの有様であるから、房吉を

のある男だ。それがこの有様であるから、房吉を江戸へつれて行けば、どこの大道場の大将だって相手にならないことは

五郎の思うように田舎侍をぶん殴ってくれる見込みはないが、江戸へ連れだしさえすれば、そこにはまた手段もある。とにかく、なんとかし

そこにはまた手段もある。とにかく、なんとかして江戸へひッぱりだそうと考え、同志をつのって師匠の法神の方を

か、まことにただ神業と申すほかはない。房吉先生を江戸へお招きして旗本一同教えを乞いたいとの念願でござるが、若先生

法神も江戸へでるのは一興と思った。そこには諸国の名手が集まっているから

「よろしかろう。拙者もついでに江戸へでて一服いたすことにしよう」

二人が江戸へでてみると、まことに立派な道場だが「天下無敵法神流」と

ぬ。天下の旗本が習う剣術だから、天下無敵。この江戸に限ってただの法神流では旗本の顔がつぶれるから、まげて我慢ねがいたい

山男のことだから、こういわれると、こだわらない。なるほど江戸はそういうところかと至極アッサリ呑みこんでしまった。

。相手になる房吉は、事情を知らないから、さすがに江戸の剣客は研究熱心、勉強のハリアイがあると大いに喜んで、毎日せっせとぶん殴って

噂をきいて、江戸の剣客という剣客、腕に覚えの連中はあらかた他流試合に乗りこんだが、

ある。師の法神はこの結果に満足し、房吉を江戸において帰村した。

あるだろうと世間では噂していたほどですよ。江戸の剣術使いは負けた恨みでみんなが先生に一太刀ずつ浴びせたがっているそう

「それは物騒だな。江戸というところも案外なところだ。教えを乞うほどの大先生がいるかと思っ

「そうなさいまし。江戸のお弟子はダラシのないのばかりだから、私たち二人でけっこう務まりますから」

「その通りだ。江戸の剣術師範ならお前らで充分だな。それではよろしく頼むぞ」

。この山中では名代の富豪であるが、若い時に江戸へでて、浅草田原町に道場をひらく神道一心流の剣客山崎孫七郎につき

房吉が江戸を風靡して帰村したという評判が高く、伊之吉の存在なぞは益々太陽

。法神流なぞというのは山猿相手の田舎剣術だ。江戸は将軍家のお膝元。天下の剣客の雲集するところ。気のきいた名人上手が

は気がすまないが、オレ一人ではダメらしいから、江戸の大先生に御援助をたのもう」

試合を致さなかったが、彼に立ち向って勝った者は江戸にはおらぬ」

「余は江戸浅草に道場をひらく神道一心流の山崎孫七郎だ。門弟中沢伊之吉が大そう世話に

そこで江戸の奉行所に出訴し、再審の結果は山崎ら一味全員の有罪と決したが

この事件は江戸で大評判となったが、そのとき改めて話題となったのは房吉の剣

強さということだ。死んだ房吉の味方となって江戸の再審に尽力を惜しまなかったのは御家人の悪たれどもであったが、彼

赤坂

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ゲキをとばし無心を吹っかけ、金をあつめて、江戸木挽町と赤坂の二ヵ所に道場をつくった。そして、法神と房吉をまねいたので

房吉は木挽町と赤坂二ツの道場を掛け持ちし、主として御家人はじめ多くの門弟をとって

長崎

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人体あっての剣技であるから、その人体を究めるために長崎にでてオランダ医学を学び、遂には術を求めて支那に渡り、独得

金沢

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彼の名は楳本法神。金沢の人。人よんで今牛若という。十五にして富樫白生流

上野

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上野の軍兵が大挙上京したり、また都に敗戦して上野へ逃げて散ったりしている記録などがある。察するに、そういう一族

が土着していたところで、都に事があると上野の軍兵が大挙上京したり、また都に敗戦して上野へ逃げて散っ

、はじめて定住の気持を起した。そして山中尚武の地、上野を選んで住んだ。上州に土着しての名を、藤井右門太と

田原町

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の富豪であるが、若い時に江戸へでて、浅草田原町に道場をひらく神道一心流の剣客山崎孫七郎につき、免許皆伝をうけた

浅草

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名代の富豪であるが、若い時に江戸へでて、浅草田原町に道場をひらく神道一心流の剣客山崎孫七郎につき、免許皆伝を

「余は江戸浅草に道場をひらく神道一心流の山崎孫七郎だ。門弟中沢伊之吉が大そう世話に