古都 / 坂口安吾

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地名一覧

八ツ橋

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名物の数あるうちでも、八ツ橋は横綱であらう。聖護院八ツ橋は正真正銘の元祖なのだが、親爺はそこの長男で、然し、妾腹で

、朝から夜中まで箱づめにかゝり、ふるへる手に手当り次第八ツ橋を毀し、無理に箱にねぢこんでゐる。かういふ破目になつてみれ

祇園

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して、時々は酒をのみに出掛けもしたし、祇園のお茶屋へも行つた。さういふ店で、とりわけ厭がられもしなかつたの

宮川町

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は金輪際離れない。稲荷の山から東福寺へぬけ三十三間堂を通り宮川町から四条通り新京極へ現れてもまだ、離れない。こゝで僕は失敬するよ、

比叡

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が絶えない。それでも北側の窓からは、青々と比叡の山々が見えるのだ。だが、僕には、もう、一筋の光も

京都

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小説を持込み、そこで仕事をつゞけたりしてゐた。京都へ行かうと思つたのは、鵜殿の家で、ふと手を休めて

京都に住もうと思つたのは、京都といふ町に特に意味があるためではなかつた。東京にゐることが

京都に住もうと思つたのは、京都といふ町に特に意味があるためで

前を走る時、警戒の憲兵が物々しかつた。君が京都から帰る頃は、この辺の景色も全然変つてゐるだらう、と

、竹村書房から出版することになつてゐたので、京都行きを伝へるために電話をかけたが、不在であつた。その晩は

銭で、料理もそれに応じてゐる。この辺は、京都のゴミの溜りのやうなものであつて、新京極辺で働いてゐる酒場

伏見稲荷の近辺は、京都でも一番物価の安い所だ。伏見稲荷は稲荷の本家本元だから、

店で、とりわけ厭がられもしなかつたのだ。つまり、京都には僕のやうな貧書生が沢山をり、三分の二人前ぐらゐに

。だが、親爺は、聖護院八ツ橋の子供であつた。京都の名物の数あるうちでも、八ツ橋は横綱であらう。聖護院八ツ橋は正真正銘

常連がヘボだから、二度と来なくなつてしまふ。京都では、僕のやうな風体の者が絵師さん、つまり先生で、親爺

散歩といへば、古本屋で碁の本を探すだけで、京都中の碁の古本は、あらかた僕が買占めたやうなものだ。その代り

なかつたが、母親と※の主婦が手紙で打合せ、京都で勤め口を探すために、ていよく故郷を追ひ出されたのだ。

をノンビリするのは仕方がなかつた。彼は、まだ、京都で働きたくはなかつたのだ。故郷で今しばらく病を養つてゐた

日支事変が始つた。京都の師団も出征する。師団長も負傷した。親爺の生れが聖護院八ツ橋で

和歌山

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へやつてきた。主婦の姉の三男だかで、和歌山の人、二十六歳の洋服の職人だつた。

東京

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京都といふ町に特に意味があるためではなかつた。東京にゐることが、たゞ、やりきれなくなつたのだ。住みなれた下宿

弁当屋で僕はまる一年余暮した。その一年間、東京を着て出たまゝのドテラと、その下着の二枚の浴衣だけで

東京を捨てたとき胸に燃してゐた僕の光は、もう、なかつた

ノンビリさんで通用して、僕は姓名を全然知らない。東京で洋服の修業をしたが、病気で帰郷し、一年ぐらゐブラ/

品川

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。不覚にも、僕は、涙が流れた。大江は品川まで送つてくれた。

両国橋

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はらうといふわけで、尾崎さん夫妻が、大江と僕を両国橋の袂の猪を食はせる家へ案内してくれた。自動車が東京駅の