郷愁の詩人 与謝蕪村 / 萩原朔太郎
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を実証している。これに反して芭蕉は、好んで奥州や北国の暗い地方を旅行していた。芭蕉自身が、気質的に北国
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金福寺に芭蕉の墓を訪うた時の句である。蕪村は芭蕉を崇拝して
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の風景であり、光と色彩が強烈である。蕪村は関西の人であり、元来が南国人であるけれども、好んでまた南国の明るい
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、この句のイメージが表象している出所は、明らかに大阪のいろは骨牌であると思う。東京のいろは骨牌では、イが「犬も
イが「犬も歩けば棒にあたる」であるが、大阪の方では「鰯の頭も信心から」で、絵札には魚の骨
いる様が描いてある。筆者の私も子供の時、大阪の親戚(旧家の商店)で見たのを記憶している。或る元日の
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いう事実である。したがって彼の句には、どこか奈良朝時代の万葉歌境と共通するものがある。例えば春の句で
的」であるよりもむしろ「和歌的」であり、上古奈良朝時代の万葉集や、明治以来の新しい洋風の抒情詩などと、一脈共通する
明るい青春性に富んでいる。元来日本文化は、上古の奈良朝時代までは、海外雄飛の建国時代であったため、人心が自由で
秋の燈やゆかしき奈良の道具市
は、はや宵の燈火が淡く灯っているのである。奈良という侘しい古都に、薄暗い古道具屋の並んだ場末を考えるだけで寂しいの
秋の日の暮れかかる灯ともし頃、奈良の古都の街はずれに、骨董など売る道具市が立ち、店々の暗い軒に
を多分に持っていた。芭蕉の「菊の香や奈良には古き仏たち」と双絶する佳句であろう。
因に、こうした景趣の村は関西地方に多く、奈良、京都の近畿でよく見かける。関東附近の村は全体に荒寥として
あったのは、おそらく蕪村が万葉集を深く学んで、上古奈良朝時代の大陸的文化――それは唐を経てギリシアから伝来した
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、蕪村の貴族主義と容れなかった上に、彼自身が京都に住んでいたためと思われる。この句もやはり、そうした主観的
京都の夏祭、即ち祇園会である。夏の白昼の街路を、祭の鉾
京都に住んでいた蕪村は、他の一般的な俳人とちがって、こうし
、こうした景趣の村は関西地方に多く、奈良、京都の近畿でよく見かける。関東附近の村は全体に荒寥として、この
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いる出所は、明らかに大阪のいろは骨牌であると思う。東京のいろは骨牌では、イが「犬も歩けば棒にあたる」である
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秀れた技巧を見るべきである。島崎藤村氏の名詩「千曲川旅情の歌」と、どこか共通した詩情であって、もっと感覚的