吹雪物語 ――夢と知性―― / 坂口安吾

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地名一覧

新潟市

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当時新潟市に疑紅社といふ幼推な洋画団体があつた。同人はすべて素人だつ

杉の木は至る所にある木だが、どういふわけか新潟市には育たない。そして男……元来新潟といふ町は遊び女の町であり

年は歴史に稀な大雪だつた。例年は雪のすくない新潟市だが、この年は目貫きの街に根雪がかたまる始末であつた。それ

金閣寺

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だといふがね。住めば都だ。行つてみれば金閣寺も蒲鉾小屋もまづまづ似たやうなものさ。ここのところは、あんた……

満洲

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代りに先づ入口で怒鳴つた。「若い男はみんな満洲へ送れ送れ。あとは俺が引受けたぞ。鉄砲でも幽霊でも、さあ

ないと澄江は思つた。むしろすげなく扱はれたら、さだめし満洲へ行きいいだらう。それが丁度ふさはしいと冷めたい笑ひを心に感じたほど

大阪

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他巳吉を大阪で新潟行きの汽車へ乗せ、そして澄江は満洲国へ行つたといふ。卓一

を食べたがね。なんとかいふ舶来のペアノ弾きを大阪で聴いたね。南の方もやつぱり冬はおんなじ寒ささ。つまるところ俺

佐渡

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「あの人が、女と心中のつもりで、佐渡へ渡らうとしたことがあつたのです。僕に会はず、新潟を素通り

のうねりがあるばかりだ。晴れた夏は海の向ふに佐渡が見え、粟島が見え、弥彦も見える。冬の小さな暗らい海には、

越後平野

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越後平野はその大半が水田で起伏ひとつないのである。森かげすら関東平野にくらべ

う。山間地方に限つたことではないのである。越後平野の至る所にかやうな屋根を見出すことができるのである。壁は荒壁の

宇治

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知れませんが、寺院建築は堕落してゐません。宇治の黄檗山万福寺はわづかに二百六十年の歴史しかない寺で、総本山のことです

長岡市

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伝記の主の二人のうち政治家の生家は長岡市からちよつと離れた片田舎にあつた。その家に泊りこんで伝記の資料を渉猟

北海道

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高梨は東京の人だと言ふ。するとまた、両親は北海道にゐるさうだが、それもよくは分らない、といふやうに、留守を

丹波

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たいところへついてくわ。奈良。高野山。伊勢。永平寺。丹波の篠山でも大江山でも」

信濃川

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神域をでると、信濃川の堤へでた。

ほど空々しく私を迎へてゐるやうだもの。万代橋も、信濃川も。――そして街も空も人も、みんなひどく貧弱に見えたわ。

店名とした。エスパニヤ軒がそれである。新潟港は信濃川の河口にあつた。大河津分水工事や港内の浚渫・護岸・突堤等の諸

桑名

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は見事な見得を切るのであつた。その手は大きに桑名の焼蛤といふものだ。そこで再び大きな舌をべろりとだして憎たらしげ

伊勢

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爺さんの行きたいところへついてくわ。奈良。高野山。伊勢。永平寺。丹波の篠山でも大江山でも」

青山

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文子に言つた。新潟で青山行きと言へば即ち新潟郊外青山なるところに所在する青山脳病院行きを意味し、東京ならば松沢行きといふこと

横浜

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そんな一日のことだつた。二人は横浜の海岸通りを歩いてゐた。

尾瀬

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数日、静かな山へ、旅行にでかけませんか。尾瀬か、野尻。すこし寒むすぎるかも知れないが、まだ雪は降らないで

関東平野

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大半が水田で起伏ひとつないのである。森かげすら関東平野にくらべたなら実に寥々たるものであつた。すべてがいま白皚々の雪

高野山

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。お爺さんの行きたいところへついてくわ。奈良。高野山。伊勢。永平寺。丹波の篠山でも大江山でも」

なかつた。「明智の光秀大謀叛だね。あんたが高野山へ片足かけると全山たちどころに鳴動を起すがね。いやはや人間に謀叛気は絶え

両国

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この港と朝鮮の羅津をつなぐ航路は、距離としては日満両国の最短にちかいもので、満洲警備の部隊が時折この港から船出してゐた。そ

新潟

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一九三×年のことである。新潟も変つた。雪国の気候の暗さは、真夏の明るい空の下

卓一は古川澄江と知りあつた。澄江も新潟をふるさとに持ち、ピアノの修業に没頭してゐた。人々は、二人

よかつたようだな。と卓一は思つた。俺が新潟へ流れてきたのは、自分を抛棄したつもりであつた。その

無論ですが、東京の本興行のひまをぬすんで、わざわざ新潟まで、僕を訪ねずにゐられなくなるときが、あるらしいのですね

です、と気の毒なほど悲しさうに言ふのでした。新潟に興行のあひだ、毎晩僕を訪ねてきて、頻りに二人だけの

はず、新潟を素通りして行くつもりだつたさうですが、新潟へ着いた日があいにくひどい吹雪の日で、船がでないのですね

としたことがあつたのです。僕に会はず、新潟を素通りして行くつもりだつたさうですが、新潟へ着いた日があいにく

たが、二人は古町通りへでた。古町通りは、新潟の銀座だ。然し冬の訪れの近い古町通りは、人も灯も、

新潟港も四五千噸の貨物船が埠頭へ横づけになるやうになり、紅毛碧眼の

、しぶきをあげるにすぎないやうな原始的な泳ぎがある。新潟では、これをその水音から命名して、ダッポンコといふのである。

そこから起きた名ださうな。ダッポンといふ擬音語は、新潟市民の忘れられない、親しみのこもつた方言だつた。恐らく最も素朴な泳法

卓一は、それを知らずに過したのだつた。新潟には、これに類した曖昧な地名が、ほかに二三あるやうだ。

「新潟へいらつしやること、野々宮さんからうかがつて、知つてまし

といふ倶楽部があつた。元来この市の最高学府は、新潟医科大学だつた。従而、そこの教授は、この土地の最高の知識人と

そのころ、新潟に、「候鳥」といふ倶楽部があつた。元来この市の最高学府は

――俺が新潟くんだりへ逃げのびて、生活の根を下さうとしたのは、こんな現実

終りであることが二人にわかりかけてゐた。汽車が新潟へ近づくと、野々宮は、もう一度山へ戻りたくなつたと言ひだした

次の停車場で、野々宮は降りた。もう新潟に近かつた。由子はプラットフォームへ降りて、野々宮の手を握りしめた。

然し汽車が新潟へ着くと、野々宮の困惑は蘇つた。どうしたら、いいかしら。彼

が、ひとつは平凡な政治家であり、ひとつは明治新潟の草分けをした医師であつた。調べてみると、彼等の残し

姿をくらましたことを知ると、彼女も子供をつれて新潟を立ち去つてゐた。実家に帰つてもゐなかつたのだ。

山形県とは言ひながら、県境に近いせゐもあつて、新潟の人達が自分達の温泉のやうに遊びに行きます。ちやうど初冬

護岸・突堤等の諸工事がまだ行はれない明治初年の新潟港は、時節によつては深さわづかに二三尺の惨めさで、吃水

をとつて店名とした。エスパニヤ軒がそれである。新潟港は信濃川の河口にあつた。大河津分水工事や港内の浚渫・護岸・

は遠い所ではなかつた。白根在である。白根町は新潟から信濃川に沿ふて三里足らず上つたところで、いはば隣りのやう

左門は翌日新潟へ帰ると、さつそく越後新報社へ電話をかけて、社の退け次第

「新潟なんて、けちだ。だいいち、暗いお天気だけでも、うんざりする」由子は

「春が訪れるころ、新潟を立ち去らう」病床で由子の心はほぼきまつてゐた。

海の癇癪を見納めに。新潟に別れを急ぐ冷めたさが、親しかつた。

へつもつたことには否みがたい記憶がある。今の新潟高等学校のあるあたりに、そのころ古い墓地があつた。このすてられた墓地

を松籟が渡つてゐたが、防砂林をまもることは新潟をまもることだと、小学校で常々教えられたものだつた。卓一の

が行けるのである。昔は夢想もできなかつた。新潟の砂丘は、太平洋沿岸の砂丘に比べて、高さがよほど違つて

新潟の海にはひとつの岩もないのである。海とそして砂の

が予測のしやうもなくなつてしまふ。文子と男は新潟を去り、行方を消してしまふかも知れぬ。噂のやうに男が

うど娘のころは、いはゆる鹿鳴館時代であつた。当時新潟に英学を主とした基督教の女塾があつた。英語の教科書は

高梨は新潟へ護送されるとそのまま留置されてしまひ、文子は一応の取調べが

新潟の生活に馴れてからは、卓一は古川澄江をもはや思ひだすこともない

やつぱり新京へ行つてしまふわ。私とても落付けないわ。新潟にゐられないの。ね。行かせてよ。私新京へ行つても

ジョーヌは田舎の中学校を放校されると、思ひきつて新潟へ飛びだしてきた。そのとき十七才だつた。すると異国人のカトリック僧侶

笹にくるむのである。野趣横溢のものだつた。新潟の端午の節句は一月おくれで、即ち普通の六月五日になるので

ある。そして家毎に団子とちまきを拵へる。どちらも新潟独特のもので団子も笹にくるむのである。野趣横溢のものだつ

はいはゆる花曇りで、青空の中にも靄がある。新潟の初夏の青空の中には靄がなかつた。それ自らが冬の終り

まるで落ち、そして流れるためにあるやうな暗らくまた荒涼たる新潟の航路は、たうてい澄江に堪えがたいものであつた。

新京へたつた。然し卓一には知らせなかつた。新潟から満洲航路の船もでるが、やうやく三千噸の小さなもので、乗りたがる

たとき、澄江は思ひきつて立ち上つた。もう一度こつそり新潟へ戻つて行かう。そして卓一に一眼会はふ。澄江は駅へ

「いちばん晩い汽車で新潟へ帰りたいの。あなたはこの土地の方なの」

澄江が人眼をさけながら新潟へ戻つてきたとき、街々は朔風の下でねむつてゐた

あるわ。海の色も青くてそして静かだわ。もう新潟になくなつた古めかしい洋館がたくさんあるの。倒れかかつた洋館のあひだ

けど、さうしたら橇に乗り換えて行きませうね。私新潟を出外れてしまへば……ひと思ひに橇に乗つて寒い寒い白い道を

まで自動車で行きませうね。私しつかり眼をつぶつて新潟の街を通りすぎてしまふの。うつかり眼をあけて街をみると大声

吉にも沁みわたるやうに思はれた。「私ね。新潟から汽車に乗るのが堪えられないのよ。新津まで自動車で行きませう

新潟を離れさしてよ。夕方のこないうちに、もう新潟へ戻れない遠い場所へ連れていつてよ。いまに絶望がくるぢやない

がはつきり分るのよ。早く苦しみを助けてよ。早く新潟を離れさしてよ。夕方のこないうちに、もう新潟へ戻れない遠い

新潟を離れなかつたら、私汽車の窓からだつて飛び降りて新潟へ帰りたくなつてしまふぢやないの。私もう一秒ごとに気違ひに

をたてると思つて。ひどいひどい。夕方がこないうちに新潟を離れなかつたら、私汽車の窓からだつて飛び降りて新潟へ帰りたくなつ

の帰る時間が近づくんですもの。そんなせつない時間に私が新潟をたてると思つて。ひどいひどい。夕方がこないうちに新潟を離れなかつ

せつない思ひをさせないでね。夕方にならないうちに新潟を離れてしまはなければ、私きつと気違ひになつてしまふわ」

ませう。私せつなくなつてしまふわ。お爺さん。私新潟を離れてしまへば気持がぐつと落付くのよ。そしてもう我儘も言

ものであるかの如く生きればいいのだ。そもそも卓一が新潟へくるとき、自分を最も無責任に放りだしたつもりだつた。そして自分を愚弄

んでゐて、それが僕をはばむのですね。あいにく新潟は寺といへば殆んど真宗一点張りで、僕には皮肉な土地ですが、

仕方がないといふ気持が本能的に激しいのである。新潟にたつたひとつの土地生粋の諺がある。

感情を歌つた歌詞を伝えてゐる。次に掲げるものは新潟の代表的な盆唄である。

わけか新潟市には育たない。そして男……元来新潟といふ町は遊び女の町であり、女の威勢のいい土地だといふ

のみ思つたのだが、今になつて考へると、もう新潟を食ひつめてゐたのであらう。そして未練もなかつたのだらう。

れても怖くないと思ふやうになつてきたわ。新潟で人目に怯えながらじめじめ暮すぐらゐなら、ひと思ひに……怖いことや苦しい

踊り子は文子に言つた。新潟で青山行きと言へば即ち新潟郊外青山なるところに所在する青山脳病院行きを意味し、東京ならば松沢行き

だよ。遠からずさ」と踊り子は文子に言つた。新潟で青山行きと言へば即ち新潟郊外青山なるところに所在する青山脳病院行きを

を思ふと、現に彼の企ててゐる秘かな意志は単に新潟を去ることにしかすぎないが、せんじつめれば結局それも盗賊や殺人と同じ

心に新らたな医しあたはぬ激動を受けてゐた。新潟を去る――それは恐らく卓一のまことの意向にちがひない。茶のみ話

――新潟をすてる。……そこまですでに企らんでゐたのであらうか。左門は

――お前は新潟を去るつもりなのか。左門はそれを訊きそこなつてしまつたので

である。その時の惨めな自分を考へると、お前は新潟を去るつもりかと訊きたい気持も凋むやうに衰へるのだ。そしてもしそんな

ことの切迫もむしろ一応緩んだやうな始末であつた。新潟。それにこだはることすらも物憂い。東京。そして、あこがれ。庭につなが

。……その思ひがむしろ由子を落付かせた。そして新潟を立去ることの切迫もむしろ一応緩んだやうな始末であつた。新潟。

他巳吉を大阪で新潟行きの汽車へ乗せ、そして澄江は満洲国へ行つたといふ。卓一は

はせたりした田巻さんにしろ、異常でせう。新潟へ落ちのびてきた卓一さんだつて、きつと自棄まぢりに思ひきつて

てゐた。卓一と恰も偶然に前後して、由子も新潟を立ち去つてゐた。文子すら、故郷をすて、すでに消息を断つて

文子の新潟出奔は、小室林平と一緒であらうか。それに就いて語ることは、すでに

伝えられ、笑ひの種になつてゐた。卓一がまだ新潟にゐたころのことだ。深夜婦人の寝室へ忍びこんだといふ話だ

は常に言ひ言ひしたものだつた。すくなくとも、新潟にゐたころの卓一は、原始の姿と自然を憎み、一途に加工

富山

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「肚の黒い奴は富山の烏賊と、俺のうちの養子の野郎だ」と、彼は人々に

巴里

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ド・ネル※ルといふ男があつた。彼は今巴里にその名をとどめてゐる街頭で、街路樹に首をくくつて死んだ

神戸

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必ずしも最短時間ではないのである。澄江は汽車で神戸へまはり、賑やかな、そして華やかな道を通つて新京へ行くことに

他巳吉を連れて行かうと澄江は思つた。せめて神戸から船に乗るまで。船に乗れば気持はいくらか変るだらう。そして

そのあたりさ。いやはや、どうも。俺もとんだ若返りだ。神戸も見た。毎日いつぺん、きつねうどんを食べたがね。なんとか

奈良

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ないの。お爺さんの行きたいところへついてくわ。奈良。高野山。伊勢。永平寺。丹波の篠山でも大江山でも」

京都

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にお爺さんを大事にするわ。お爺さんもう一度京都のお寺詣がしたいつて言つてたぢやないの。お爺さん

東京

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強かつた。三人はダンスホールへもぐりこんだ。これも亦東京と同じことだ。廻転する光の色が踊りにつれて変化する。違

「東京で何をして暮してきたのだ。お前もやつぱり穴熊の一族か

だ。なんて新鮮な眼付だらう、と卓一は思つた。東京へ脱ぎすててきた耽溺の日々もただ退屈でしかなかつた。旅も

も虚弱であつたが、神経衰弱の気味ださうな。東京に彼の赴任を待つてゐる新らたな仕事があるのだが、恋の

の大きな仕事は、東京の大新聞が、するのです。東京の大新聞が地方に販路をひらいて以来、どれだけ仕事をしてみ

が、精一杯の仕事ですね。そのほかの大きな仕事は、東京の大新聞が、するのです。東京の大新聞が地方に販路をひらい

が走つてゐる。人も自動車も動いてゐるが、東京の生き生きとした賑ひには、たうてい比ぶべくもない凋落の

旅興行でこの町の近くまで来たときは無論ですが、東京の本興行のひまをぬすんで、わざわざ新潟まで、僕を訪ねずにゐ

女は、なほも、冷淡に言葉をつづけた。「東京からお帰りでしたら、墓の下のやうでせう」

の話をきりだしてみる手筈であつた。妻君の実家は東京にあつた。

彼がまだ東京にゐた頃だつた。友達の若い哲学者と卓一が、ある酒場の同じ

なのだと卓一は思はずにゐられなかつた。東京へ残してきたくされ縁の二三の女。卓一にうらみを懐いてゐるで

の記事をにらんで、欠伸をしつづける男があつた。東京の新聞社風景を見馴れた眼には、まるで銀行にでもゐるやうな

に新聞が読めるやうになつたのですが、まもなく東京へ帰つた喜楽から手紙がきて、新聞紙を二つにちよん切る手段

訊ねてみると、どういふ所か知らないが、高梨は東京の人だと言ふ。するとまた、両親は北海道にゐるさうだが、

東京へ出発したまま帰つてこないのだといふ。東京は高梨のどういふ関係の土地であるかと訊ねてみると、どういふ

通り、まつたく無駄足にすぎなかつた。高梨は大晦日に東京へ出発したまま帰つてこないのだといふ。東京は高梨のどう

「東京へ引越しませうか」と由子は病床から母に言つた。「そして私

、うんざりする」由子は再び病床から母に叫んだ。「東京へ行きませう。喫茶店でも開かうか。それとも平々凡々に、

「東京へ引越さうと思ふのよ」と由子は卓一に言つた。「気候の

「いつごろ東京へ越すのかね?」

卓一の様が、再び軽い苛立ちを由子に与えた。突然東京へ越してしまふと言ひだすなんて、まるで卓一を愛し疲れた挙句の果の

。東京へ行くべき金も持たなかつた。親しい友は東京へ去り、訪ねる人はこの町になかつた。憩ふべき部屋すらもない

さらに幾夜か泣き明かしたのち、一夜飄然と家をぬけでた。東京へ行くべき金も持たなかつた。親しい友は東京へ去り、訪ねる人

たが、東都へ遊学することは許るさなかつた。東京へ行けないための悲しさから毎日を泣きあかしてゐる娘を見て、人生

東京へ行つてしまふわといふ由子の言葉と、同じやうな言葉である。

卓一がはじめて澄江を知つたころ、四年前、それは東京の話であるが、そのころ澄江に恋人があつた。澄江は男と

の教師達で、絵に身を立てる野心もなかつた。東京の展覧会に出品しやうといふ考へを仲間の一人がもらしただけでも

野心もない人々の労作が数千点も集まるのである。東京から人気の高い数名の画家が招かれて審査に当るわけであるが

まだ東京にゐたころの思ひ出。四年前だ。はじめて卓一を知り、そして恋

ありますわね。みんな東京にあこがれてゐますの。私東京から逆に流れてきたんですの。旅館なんかにゐますと、村

ない人達も年に二三人はありますわね。みんな東京にあこがれてゐますの。私東京から逆に流れてきたんですの

の年にくにを出たんですもの。思ひだすのは東京にゐたころのことですわ。それだつてもう。近頃はもう毎日呑気

。この土地ではどうせできない相談だけど、ひと思ひに東京へでも行つて……」

高梨もこのまま東京へ逃げやうかと言ひだしてゐた。その言葉をきいた当時は、

、逃げたい心に弾みをつける道具のために、今こそ東京へ逃げませうとあの人に言ひたい思ひがせつないのだ。あの人を

心がきまるものなら、これほど言ひたいことはなかつた。東京へ行きたいのだつた。いや何よりもこの家を逃げたいのだ

「私も東京へついてくわ」文子は何度も高梨に言はうと思つた。言ひさへすれ

「私ひと思ひに東京へ行つてしまひたいのよ。東京へたつたひとり投げだされても怖くないと思ふやうになつてきたわ

「私ひと思ひに東京へ行つてしまひたいのよ。東京へたつたひとり投げだされても怖くない

新潟郊外青山なるところに所在する青山脳病院行きを意味し、東京ならば松沢行きといふことになるのである。然しその風景の点に

た。――そして東京へ逃げるにしても、ひとまづ東京へ落付くまでは小室林平に限つたことではないけれども、とにかく一人

欲したまことのものかも知れなかつた。――そして東京へ逃げるにしても、ひとまづ東京へ落付くまでは小室林平に限

にか暮される。むしろそこまで追ひつめられて、否応なしに東京へ逃げなければならないやうな羽目になるのが、実は文子の最も

てしまふだけだと文子は心に決めたのである。東京へ行きさへすれば、きつとどうにか暮される。むしろそこまで追ひつめ

れたのですが、やつぱりなんでございますか、近々東京へお帰りのつもりでせうか」

でございますが、適当な方があつたら仕事を引渡して東京へもどりたい御希望といふ……私共も話だけはうかがつて

で何を考へ何を言ひだすか知れませぬが、だいいち東京へ戻つたところで生活の道もないでせうから、さう簡単にこの

にも馴れ土地にもなぢむところですから、ここで東京へ戻られては惜しいことだと思ひましてな。まつたくなんで

ただ冷酷な実行が残されてゐるだけなのである。東京へ戻るとさしづめ生活に困るだらうといふやうな常識的な打算によつてつまづく

それを訊くとどういふことになるだらう。ええ東京へ戻らうと思つてゐますよ。卓一は当り前だといふ顔をし

そのころ由子は東京行きを断念しやうとしかけてゐた。その事情に立ち入るほど親密な友情

であつた。新潟。それにこだはることすらも物憂い。東京。そして、あこがれ。庭につながれた山羊だつて、山のあこがれは知

時もはや澄江の名と不離のものであつたのだ。東京の二人の恋が風の便りで由子にひびいてゐたのである。

、偶然にも知つたのである。ひと思ひに、東京へ走らうかと、かりそめに思ひついたのが病みつきだつた。すでにその

は梅若万三郎や、喜多六平太にあこがれてゐたのだ。東京へ行きさへすれば、彼等の演技に接しうる日時と場所を、偶然

ひとつ東京へ走つてやらう。彼は心をきめてゐた。そして名人の至芸

ことはりもせず、同僚にすら一語も語らず、東京行きの列車に乗り込んでしまつてゐた。――その木村重吉に、入場券

上野

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と喜楽は笑つてゐたのです。女を乗せた上野行きの急行列車を見送ると、早速ここへ駈けつけてきたのですが、僕

銀座

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、二人は古町通りへでた。古町通りは、新潟の銀座だ。然し冬の訪れの近い古町通りは、人も灯も、もとより多い

目白

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は女生徒を率ひ、学校を東都へ移した。こんにちの目白の女子大学が即ちこれだ。我国の女子最高学府の最も初期の卒業生の