悲しい新宿 / 萩原朔太郎

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悲しい新宿

へ移つてから、新宿へ出る機會が多くなつた。新宿を初めて見た時、田圃の中に建設された、一夜作りの大都

世田谷へ移つてから、新宿へ出る機會が多くなつた。新宿を初めて見た時、田圃の中

がした。そしてこの侘しい印象は、ネオンサインの輝く今の新宿にも、不思議に依然として殘されて居るのである。

歌の主人公が、灯ともし頃に羽織をきて、新宿の宿場を漂泊して居るやうな氣がした。そしてこの侘しい印象は

も非近代的な所はなからう。昔私が子供の時、新宿は街道筋の宿場であつて、白く埃つぽい田舍の街路が續

まで田舍臭く薄ぎたない。新宿ほどにも人出が多くて、新宿ほどにも非近代的な所はなからう。昔私が子供の時、新宿は

が行列して居る。歩いてる人間まで田舍臭く薄ぎたない。新宿ほどにも人出が多くて、新宿ほどにも非近代的な所はなからう。

たがつて、だんだんかうした新宿が嫌ひになつた。新宿の數多いビルヂングは、何かの張子細工のやうに見えるし、アスハルトの

だが慣れるにしたがつて、だんだんかうした新宿が嫌ひになつた。新宿の數多いビルヂングは、何かの張子細工の

も飮まずに出てしまつた。あのビルヂングの林立する新宿の町々に、かうした多くの人物が生棲してゐることを考へ、

皆が一緒に歎息したことは、昔の馬グソ臭い新宿情趣が、近代文明の爲に次第に廢滅して行くといふことだつた

○等の百貨店を燒打ちして、すべての高層建築を新宿から一掃しろと主張して居る。それから最後の結論として、皆

新宿の或る居酒屋で、商人たちの話を聞いて悲しくなつた。皆が口

の侘しく散らばふ青梅街道。此處には昔ながらの新宿が現存して居る。しかもガードを一つ距てて、淀橋の向ふに二

新宿で好きなのは、あの淀橋から煙草工場の方へ出る青梅街道の通