名人地獄 / 国枝史郎
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出、八幡を過ぎ船橋へあらわれ、津田沼から幕張を経、検見川の宿まで来た時であったが、茶屋へ休んで一杯ひっかけ、いざ行こう
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亀戸から市川へ出、八幡を過ぎ船橋へあらわれ、津田沼から幕張を経、検見川の宿まで来た時で
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なるものを挙げて見ると尾州大納言、紀州中納言、越前、薩摩、伊達、細川、黒田、毛利、鍋島家、池田、浅野、井伊、藤堂、
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「へえ、甲州から参りました」そのいう事が半間であった。
、大きな看板は上げているが、その実とんだ贋物で、甲州の千代千兵衛に試合を望まれたら、おっかながって逢わなかったと、こう
、その信州の追分で、甚三殺しと関係い、その後ずっと甲州へ隠れ、さらに急流富士川を下り、東海道へ出現し、江戸は将軍お膝元で
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した声でもあった。当時国定忠次といえば、関東切っての大侠客、その名は全国に鳴り渡っていて、「国定忠次
たので、取り立てた弟子も多くなかったが、しかし一面関東の侠客は、全部弟子だということが出来た。その間特に可愛がった
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※おもしろや、馴れても須磨の夕まぐれ、あまの呼び声かすかにて……
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「平河町の政兄イ、あそこでは一時に五人というもの、姿がなくなったと
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破れたという訳だ」平八老人は観世家を辞し、本所の自宅へ帰りながら、さびしそうに心でつぶやいた。「さてこれからどうし
「おい駕籠屋、本所へやれ」
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な、恐ろしい事件がもう一つ起こった。その同じ夜に谷中の辻で、掛け取り帰りの商家の手代が、これも一刀にしとめられ、
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船が銚子へ着いたのは、その翌日のことであった。
「おれは銚子では名高いんだからな」
「だが、銚子の小町娘も、田の草を取ったり網を干したり、野良馬の手綱
あった。主人夫婦も人柄で、しかもなかなか侠気があり、銚子の五郎蔵とも親しくしていた。銀之丞が頼むと快く、すぐにはなれを
ていた。漁師町であり農村であり、且つ港である銚子なる土地は、粗野ではあったが詩的であった。単純の間に複雑
難場であった。首尾よく越せば犬吠崎。それからようやく銚子となり、みちのりにして百五十里、風のない時には港へ寄っ
「うん、そうか、銚子までな」こういうと武士は坐り込んだが、それからじっと平八を眺め、「
それからじっと平八を眺め、「なんに行くな、え、銚子へ?」
方で。……それはそうとお武家様も、やはり銚子でございますかな?」
「で、今はどこにいるのだ?」「へい、銚子におりますので」「ううむ、そうか、銚子にな……そこで大船
へい、銚子におりますので」「ううむ、そうか、銚子にな……そこで大船を造っているのだな? ……なんの
かと訊ねましたところ、最近日本へ帰って来て、銚子にいるというのです。そこでわたしも考えました。相手が赤格子九郎右衛門
までして、彼奴の行方をさがしていたのさ。銚子にいると耳にしては、どうも一刻もうっちゃってはおけない。頼む
はおけない。頼む、小船を仕立ててくれ。そうして銚子へ着けてくれ」
を、銚子まで続いているそうで」「ふうむ、なるほど、銚子までね」次郎吉は腕を組んで考え込んだ。
はどうもお気の毒ですなあ。……それで今日はこの銚子に、何かご用でもございまして?」「うん」といったが声
て面白くない。そこで大海の波でも見ようと、この銚子へやって来たのさ。それに銚子ははじめてだからな。……おや
見ようと、この銚子へやって来たのさ。それに銚子ははじめてだからな。……おや、あれはなんだろう? おかしなものが流れ寄っ
。いずれ手近のこの辺に、別荘はあるに違えねえ。銚子からはじめて付近の港を、これからズッと一巡し、人に訊いたら解りましょうよ
であった。そこで二人は一切を聞いた。銀之丞が銚子へ来たことも、お品の家に泊まっていたことも、主知ら
しかるにこの頃暗い暗い、銚子の海の一所に数隻の親船が現われた。森田屋一味の海賊船で、赤
ている。行く所行く所で鼓が鳴る! ここは銚子だ江戸ではない! ……」彼には起きる元気もなかった。
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も及ばない辺鄙の土地、四時煙りを噴くという、浅間の山の麓の里、追分節の発生地、追分駅路のある旅籠屋で、ポンポン
浅間の麓追分宿
と呼ぶことにしよう。聞けば昔京師の伶人、富士と浅間というものが、喧嘩をしたということだが、今は天保癸未ここ
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い、その後ずっと甲州へ隠れ、さらに急流富士川を下り、東海道へ出現し、江戸は将軍お膝元で、かえって燈台下暗しというので、大胆
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池田、浅野、井伊、藤堂、阿波の蜂須賀、山内家、有馬、稲葉、立花家、中川、奥平、柳沢、大聖寺の前田等が最たる
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の木立ちへ反響し、空を仰げば三筋の煙りが、浅間山から靡いていた。と、突然武士がいった。「追分宿の旅籠屋では
見れば三筋の噴煙が、浅間山から立っていた。思えば今年の夏のこと、兄甚三に送られて、
富士甚内、富士に対する名山と云えば、俺の故郷の浅間山だ。それでは今日から俺が名も、浅間甚内と呼ぶことにしよう。聞け
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桜は咲こうというのに、季節違いの大雪が降り、江戸はもちろん武蔵一円、経帷子に包まれたように、真っ白になって眠ってい
、「今の世や猫も杓子も花見笠」で、江戸の人達はきょうもきのうも、花見花見で日を暮らした。
大金を、その懐中に持っていた。利巧な彼は江戸へ帰ってからも、危険な仕事へは手を出さず、地所を買ったり
江戸を飾っていた桜の花が「ひとよさに桜はささらほさらか
ているのは、本街道の中仙道で、真っ直ぐに行けば江戸である。次の宿は沓掛宿で、わずか里程は一里三町、それ
た二十畳の部屋に、久しいまえから逗留している、江戸の二人の侍のうち、一人がこういうと微笑した。名は観世銀之丞
殿方にはいけません」「そう両方いい事はない。江戸はどこだ? 日本橋辺かな?」「なかなかもって、どう致しまして
「有難迷惑という奴さな。信州あたりの山猿に、江戸の鼓が何んでわかる」かえって銀之丞は不機嫌であった。
鼓賊江戸を横行す
も気の毒な人間だとも」「この地にもあきた。江戸へ行きたい」「おれもあきた。江戸へ帰ろう」
もあきた。江戸へ行きたい」「おれもあきた。江戸へ帰ろう」
翌日二人は追分を立ち、中仙道を江戸へ下った。
盗まれてしまう。鼓賊、鼓賊とこう呼んで、江戸の人達は怖じ恐れた。「何のために鼓を鳴らすのだろう?
まで、伊達家に仕えて禄を食んだが、後忠左衛門江戸へ出で、医をもって業とした。しかし本来豪傑で、北辰無双
且つ酒豪、手に余ったところから、父が心配して江戸へ出し、伯父の屋敷へ預けたほどであった。しかしそういう時代から、
上州の侠客国定忠次が、江戸へ姿を現わしたのは、八州の手に追われたからで、上州から
へ隠れ、さらに急流富士川を下り、東海道へ出現し、江戸は将軍お膝元で、かえって燈台下暗しというので、大胆にも忍んで来
「観世、貴公は知っているかな、当時江戸の三塾なるものを」
にかててくわえて、辻斬り沙汰というのであるから、江戸の人心は恟々として、夜間の通行さえ途絶えがちになった。
入れるため?」「ハイ、江戸中の黄金をね。ナニ江戸だけじゃ事が小せえ。日本中の黄金を掻き集めたいんで」「鼓が何
もう夜は明けに近かった。その明け近い江戸の夜の、静かな夜気を驚かせて、またも鼓が鳴り出したの
しかし侍は元気付けるように、「恐らくは江戸にいようと思う」
「え、江戸におりましょうか?」
「江戸は浮世の掃き溜だ。無数の人間が渦巻いている。善人もいれば悪人
ますかな」「また自然の順序からいっても、まず江戸から探すべきだ」「へえ、さようでございますかな」「で、江戸から
だ」「へえ、さようでございますかな」「で、江戸から探してかかれ」
、有難う存じます。それではお言葉に従いまして、江戸を探すことに致します」
どうも心もとない。……おおそうだいいことがある。お前江戸へ参ったら、千葉先生をお訪ね致せ。神田お玉ヶ池においでなさる、日本一の
「だってお前さん評判だぜ。お品の所へ江戸の役者が、入り婿となって来たってな」
か、万事親切に世話をした。ひとつは銀之丞が江戸で名高い、観世宗家の一族として、名流の子弟であるからでもあっ
に彼は生まれながら、都会人の素質を持っていて、江戸の華やかな色彩に対しては、あこがれの心を禁じ得なかった。
ところが今日はからずも、江戸めいた美しい女の顔を、駕籠の中に見たばかりか、その女から
「おれは観世銀之丞だ。おれは江戸の能役者だ」
だが私の物語は、ここから江戸へ移らなければならない。
何んとかいったっけ、うん油屋だ。その油屋に江戸の武士が、二人泊まっているのですね。その一人が能役者で、そうし
今年の最初の雪だというに、江戸に珍らしく五寸も積もり、藪も耕地も白一色、その雪明りに照らされて
ある音であった。追分で聞いた鼓であった。江戸の能役者観世銀之丞が、追分一杯を驚かせて、時々調べた鼓の音だ
こいつ本当かも知れねえ。追分宿からポッと出の、きょうきのう江戸へ来たんだからな。見る物聞く物といいてえが、お前は唖
お霜は、富士甚内を見知っている筈だ。妹を江戸へ連れて来て、一緒に市中を廻ったら、よい手引きになろうもしれ
追分宿で七日を暮らし、いよいよ江戸へ立つことになった。心づくしの餞別も集まり、宿の人達は数を
二人が江戸へ着いたのは、それから間もなくのことであった。
唄う追分たるや、信州本場の名調なので、忽ち江戸の評判となった。ひとつは歌詞がいいからでもあった。
は甚内自作の歌詞で、情緒纏綿率直であるのが、江戸の人気に投じたのであった。
「ところでお前に訊くことがある。この江戸の船大工が、姿を消すっていうじゃないか」
玻璃窓の平八江戸を離れる
こうして名探索玻璃窓は、江戸から足を抜いたのであった。
鼓賊伝、ところで主人公の鼓賊ときては、現在江戸を荒し廻っていて、お上に迷惑をかけてるんでしょう」
「お前にとっては苦手の玻璃窓、そいつが江戸から消えたとあっては、ふふん、全く書き入れ時だ。盆と正月が来
いや有難うございました。そこでついでにもう一つ、いつ江戸をたったので?」
その夜、江戸の到る所で、鼓の音を聞くことが出来た。そうして市内十ヵ所
ないが、はて、それにしても誰だろう? 当時江戸の剣豪といえば、千葉周作に斎藤弥九郎、桃井春蔵に伊庭親子、老人ながら
「で、どこに住んでいたな?」「へい、江戸におりました」「ナニ江戸に? 江戸はどこに?」「日本橋は
たな?」「へい、江戸におりました」「ナニ江戸に? 江戸はどこに?」「日本橋は人形町、森田屋という国産問屋
「へい、江戸におりました」「ナニ江戸に? 江戸はどこに?」「日本橋は人形町、森田屋という国産問屋、それが私
私の隠れ家でした」「人形町の森田屋といえば、江戸でも一流の国産問屋だが、それがお前の隠れ家だとは、今が
父勝重を、ぶんなぐったという麒麟児であり、壮年の頃江戸へ出て、根岸お行の松へ道場を構え、大いに驥足を展ばそう
和泉屋次郎吉はこの日頃、ひどく退屈でならなかった。「チビチビ江戸の金を盗んだところで、それがどうなるものでもない。どうかし
のだ」「おやおやさようでございますか」「おれも江戸をしくじってな。道場の方も破門され、やむを得ずわずかの縁故
。行く所行く所で鼓が鳴る! ここは銚子だ江戸ではない! ……」彼には起きる元気もなかった。
「江戸から追っかけて来たんだな! 恐ろしい奴だ。素早い奴だ!」彼
近寄ったが、「しからばお訊きしたい一義がござる。江戸の能役者観世銀之丞、当家に幽囚されおる筈、どこにいるかお明かしください
桜の花が咲き出した。春が江戸へ訪ずれて来た。この物語りの最初の日から、ちょうど一年が過ぎ去った
江戸で需めた馬の前輪へ、妹お霜の骨をつけ、
それとは反対の心持ち――その信州の風を慕い、江戸を立ってふるさとの、追分宿へ向かったのは、それから一月の後
こうして江戸の人々は、信州本場の追分を、永久聞くことが出来なくなったが、
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由来造酒は尾張国、清洲在の郷士の伜で、放蕩無頼且つ酒豪、手に余ったところから
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はないとしても、この浅草の観音堂と信州長野の善光寺とは、特にそれが著しいな」こういったのは年嵩の方で、どう
あれは一昨年だった、わしは深夜ただ一人で、その善光寺の廻廊に立って、尺八を吹いたことがある。なんともいえずいい
が異った? ふうむ、それは何故だろうな?」「善光寺本堂の天井に、金塊が釣るしてあるからだ」「ナニ金塊が釣るし
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家、有馬、稲葉、立花家、中川、奥平、柳沢、大聖寺の前田等が最たるもので、お金御用の飛脚も行き、お茶壺、
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隅田のほとり、小梅の里。……
。野暮用というなりではない。ここは浅草雷門、隅田を越すと両国盛り場。聞いたぞ聞いたぞその両国に、新しい穴を目
市中を流し、敵を目付けておりますうち、ふと隅田の片ほとり、小梅の里のみすぼらしい家に、お北によく似た若い女を
いつもの通りお霜を連れて、信濃追分をうたいながら、隅田の方へ参りました。そうしてその家の前に立ち、しばらく様子を
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は、人間業では出来ねえ事だ。追分一杯鳴り渡り、軽井沢まで届きそうだ。それに比べりゃあ俺らの唄う、追分節なんか子供騙しにもならねえ
宿で、わずか里程は一里三町、それをたどれば軽井沢、軽井沢まで二里八町、碓井峠の険しい道を、無事に越えれば阪本
、わずか里程は一里三町、それをたどれば軽井沢、軽井沢まで二里八町、碓井峠の険しい道を、無事に越えれば阪本駅路、
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いるのが、他ならぬ秋山要介であった。武州入間郡川越の城主、松平大和守十五万石、その藩中で五百石を領した、神陰流の
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どっちも行き止まりだ。さて後は南ばかり、あっ、そうだ湯島へ出たな!」
だな。どうして俺と鼓賊とが、あの晩湯島と池ノ端とで、追いつ追われつしたことを、この役者達は知っ
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同勢三千、人足五千、加賀の前田家は八千の人数で、ここを堂々と通って行った。年々通行
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間取り立てた門弟、三千人と註されていた。水戸藩の剣道指南役でもあり、塾弟子常に二百人に余り、男谷下総守、
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に調べるんだろう。鼓も上等に違えねえ。……『追分一丁二丁三丁四丁五丁目、中の三丁目がままならぬ』と
まで抜けて聞こえるとは、人間業では出来ねえ事だ。追分一杯鳴り渡り、軽井沢まで届きそうだ。それに比べりゃあ俺らの唄う、追分節なんか
西は追分、東は関所
甚三の馬へ甚内が乗り、それを甚三が追いながら、追分の宿を旅立った。宿の人々はまだ覚めず家々の雨戸も鎖ざされて
啼き、草蒸れの高い日であったが、甚三の唄う追分は、いつもほどには精彩がなく、咽ぶがような顫え声が、低く低く草
の七不思議、あなたご存知じゃございませんかね」「ナニ追分の七不思議? いいや一向聞かないね」「それじゃ話してあげましょうか
これはもっともだ」「それから馬子の甚三さん」「はあて追分がうま過ぎるからか」「それから唖娘のお霜さん。あんな可愛い様子で
追分油屋掛け行燈に
翌日二人は追分を立ち、中仙道を江戸へ下った。
追分油屋掛け行燈に
追分、油屋、掛け行燈に
で聞いた鼓であった。江戸の能役者観世銀之丞が、追分一杯を驚かせて、時々調べた鼓の音だ。いいようもない美音の
とまれ甚内は追分を唄って、江戸市中をさまよった。しかし敵の手がかりはない。そこで
そこで周作に暇を乞い、故郷の追分へ帰ることにした。
次郎吉はテレたように笑ったが、「へい、いかにも追分では、無断拝借をいたしやした。だがその後観世様へ、一旦ご返却
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に素足にわらじ、百姓でなければ人足だ。それがずっと両国の方から、二つずつ四つ規則正しい、隔たりを持ってついている。先に立っ
い事、すぐに分ります」平八は提灯を差し出したが、「両国の方からこの根もとまで、堤の端を歩くようにして、人の足跡が大股に、一
を振り照らすと、「ご覧なされ足跡が、土手下の耕地を両国の方へ、走っているではござらぬかな。さて何者の足跡でござろう?」
人に見られるのを憚って、堤から飛び下り耕地を伝い、両国の方へ逃げたのでござる」
銀之丞と別れた平手造酒は、両国の方へあるいて行った。
「へい、両国の女役者で」
うのひるすぎですが、ちょっと野暮用がありましてね、両国を通ったと覚し召せ。ふと眼についた看板がある。わっちはおやと思いやし
、お江戸と来たひにゃア豪勢なものさ。しかも盛り場の両国詰め、どうだいマアマアこの人出は! ペンペンドンドンピーヒャラピーヒ
ここは両国の盛り場で、興行物もあれば茶屋もあり、武士も通れば町人も通り、そうか
ここは両国の芝居小屋、阪東米八の楽屋であった。
雷門、隅田を越すと両国盛り場。聞いたぞ聞いたぞその両国に、新しい穴を目つけたそうだな。羨ましいな一緒に行こう」
用というなりではない。ここは浅草雷門、隅田を越すと両国盛り場。聞いたぞ聞いたぞその両国に、新しい穴を目つけたそうだな。羨ま
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こう怒鳴りつける声がした。湯島天神の境内であった。怒鳴ったのは侍で、ほかならぬ観世銀之丞で
尋ねあぐんだそのあげく、うまく池ノ端で探りあてたはいいが、湯島天神へ追い込んで、さていよいよ捉えてみると、何んのことだ観世銀之丞!
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、ご家人の株を他人に譲り、その金を持って長崎へ行き、蘭人相手の商法をしたのが、素晴らしい幸運の開く基
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は不思議はないとしても、この浅草の観音堂と信州長野の善光寺とは、特にそれが著しいな」こういったのは年嵩の方
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千葉道場の田舎者
北辰一刀流の開祖といえば、千葉周作成政であった。生まれは仙台気仙村、父忠左衛門の時代まで、伊達
ある日、千葉家の玄関先へ、一人の田舎者がやって来た。着ている衣裳は
「お目にかかりたい? どなたにだな?」「千葉先生にでごぜえますよ」「お目にかかってなんになさる?」「
試合に参ったのか」「へえさようでごぜえます」「千葉道場と知って来たのか」「へえへえさようでごぜえます」「ふうん
か」「ナニいい触らす? 何をいい触らすのだ?」「千葉周作だ、北辰一刀流だと、大きな看板は上げているが、その実とんだ
、この人物であったればこそ、北辰一刀流は繁昌し、千葉道場は栄えたのであった。性来無慾恬淡であったが、その代り
ているのは、四十年輩の立派な人物、外ならぬ千葉定吉で、周作に取っては実の弟、文武兼備という点では
そこで二人はまた構えた。千葉道場の切り紙は、他の道場での目録に当たった。もう立派な腕前
ても英発し、今日ではすでに上目録であった。千葉道場での上目録は、他の道場での免許に当たり、どうして
は変り者の彼のことで、一門の反対を押し切って、千葉道場へは五年前から、門弟としてかよっていた。天才に
も上目録だよ」「へえさようでごぜえますかな。千葉道場での上目録は、大したものだと聞いているだ。さっきの野郎
千葉門下三千人、第一番の使い手といえば、この平手造酒であった
上己が塾へ入れることにした。爾来研磨幾星霜、千葉道場の四天王たる、庄司弁吉、海保半平、井上八郎、塚田幸平、
袴を裾長に穿き、悠然とそこに立っていた。千葉周作成政であった。
ので、大胆にも忍んで来たのであった。千葉道場へやって来たのも、深い魂胆があったからではなく、
「千葉道場におりさえしたら、八州といえども手を出すまい。忠次ここ
千葉周作はこういって勧めた。
「お前達はずんで餞別をやれ」千葉周作がこういったので、門弟達は包み金を出した。それが積もっ
三児といえども知っているよ。まず第一が千葉道場よ、つづいて斎藤弥九郎塾、それから桃井春蔵塾だ。それがいったい
一刀流は、今日限り取り上げる。師弟の誼みももうこれまで、千葉道場はもちろん破門、立ち廻らば用捨せぬぞ」
…おおそうだいいことがある。お前江戸へ参ったら、千葉先生をお訪ね致せ。神田お玉ヶ池においでなさる、日本一の大先生だ。よく
で。そういう訳でございましたら、何を置いても千葉先生とやらを、お訪ね致すでございましょう」甚内は嬉しそうに頭を
よい、是非訪ねろ。……そこでお前に頼みがある。千葉先生におあいしたら、一つこのように伝言てくれ。大馬鹿者の
「うん、いささか、千葉道場でな」
「ははあ、千葉家で、それで解った」
当然な理由があった。というのはその師匠が、千葉周作だからであった。
千葉道場へ入門してから、すでに三月経っていた。
初め敵討ちの希望をもって、千葉道場を訪ずれて、武術修行を懇願するや、周作はすぐに承知した
千葉周作は笑い出してしまった。
こうして甚内はこの日以来、千葉道場の内弟子となり、五寸釘手裏剣の妙法を周作から伝授されること
て不具というので、かえってお霜は同情され、千葉家の人達から可愛がられ、にわかに幸福の身の上となった。
千葉、木更津、富津、上総。安房へはいった保田、那古、洲崎。野島ヶ
しても誰だろう? 当時江戸の剣豪といえば、千葉周作に斎藤弥九郎、桃井春蔵に伊庭親子、老人ながら戸ヶ崎熊太郎、それから島田
並んでいるあの町は、金持ちで鼻を突きそうだ。千葉へ行ってあばれ廻ってやろう。しかし海路は平凡だ。陸地を辿って行く
か。いや、それより千葉へ行こう。うん、そうだ、千葉がいい。酒屋醤油屋の大家ばかりが、ふんだんに並んでいるあの町は
「東海道は歩きあきた、日光街道と洒落のめすか。いや、それより千葉へ行こう。うん、そうだ、千葉がいい。酒屋醤油屋の大家ばかりが
の敵を討ったかについては、彼は恩師たる千葉周作へ、次のように話したということである。
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間取り立てた門弟、三千人と註されていた。水戸藩の剣道指南役でもあり、塾弟子常に二百人に余り、男谷下総
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の開祖といえば、千葉周作成政であった。生まれは仙台気仙村、父忠左衛門の時代まで、伊達家に仕えて禄を食んだが
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「秋田氏、お出なさい」
「はっ」というと秋田藤作、不承不承に立ち出でた。相手は阿呆の田舎者である、勝ったところで
「なんだ?」といったが秋田藤作すっかり気勢を削がれてしまった。試合の最中しないを下ろし、ちょっくら
「参った」といったものの秋田藤作は、どうにも合点がいかなかった。いつ撲られたのかわから
「秋田藤作は駄目としても、観世銀之丞は上目録だ、それが一合
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、その晩のことであるが、みすぼらしい一人の侍が、下谷池ノ端をあるいていた。登場人物の一人であった。すると
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いたらしい黄金の冠、黒檀の机、紫檀の台、奈良朝時代の雅楽衣裳、同じく太鼓、同じく笛、大飛出、小飛出、般若
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街道を東北に曲がった。成東、松尾、横芝を経、福岡を過ぎ干潟を過ぎ、東足洗から忍阪、飯岡を通って、銚子港、そこ
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夜のひきあけに家を出ると、深川の淀屋まで歩いて行った。
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」「そう両方いい事はない。江戸はどこだ? 日本橋辺かな?」「なかなかもって、どう致しまして。そんな大屋台で
「日本橋だ、河岸へやれ」
た」「ナニ江戸に? 江戸はどこに?」「日本橋は人形町、森田屋という国産問屋、それが私の隠れ家でした」「
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しかるに麹町土手三番町、観世宗家の伯父にあたる、同姓信行の屋敷まで来た時、
いって親友の平手造酒と、黒門町で手を分かつと、麹町のやしきへ戻ろうと、彼はここまで来たのであった。その時
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ない。いや我ながら智慧のない話さ。むしゃくしゃするなあ、浅草へでも行こう」
で平八は足を返し、浅草の方へ歩いて行った。
いつも賑やかな浅草はその日もひどく賑わっていた。奥山を廻って観音堂へ出、
大きい御堂、これには不思議はないとしても、この浅草の観音堂と信州長野の善光寺とは、特にそれが著しいな」こういった
嘘をいえ。野暮用というなりではない。ここは浅草雷門、隅田を越すと両国盛り場。聞いたぞ聞いたぞその両国に、
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なったほどであった。後故あって離縁となり、神田お玉ヶ池に道場を開き、一派を創始して北辰一刀流ととなえ、一生の間取り
ある。お前江戸へ参ったら、千葉先生をお訪ね致せ。神田お玉ヶ池においでなさる、日本一の大先生だ。よく事情をお話し致し、是非お
「神田の由太郎でございますがね、随分有名な棟梁で、それが羽田へ参詣
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翌晩またも辻斬りがあった。場所は上野の山下で、殺されたのは二人の武士、やっぱり桃井の塾弟子で
詰まっていた。そうして幕が開いていた。上野山下池ノ端、美しい夜景が展開されていた。と、一人の人物が
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した。いわゆる一種の時代の子で、形を変えた大久保彦左衛門、まずそういった人物であった。
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「お前に習った信濃追分、お前が唄うなら妾も唄う。……『信州追分桝形の茶屋で』
あった。「ゆるしてください。恐ろしい」「馬子甚三」「信濃追分」「南無幽霊頓証菩提」「もう、わたしは生きてはいられない」
のでございますが、いつもの通りお霜を連れて、信濃追分をうたいながら、隅田の方へ参りました。そうしてその家の前
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郡上平八は名探偵、すぐに品川から船に乗り出し、日本の海岸をうろつくような、そんなへまはしなかった
「業平町の甚太郎、これも相当の腕利きですが、品川へ魚釣りに行ったまま、家へ帰って来ないそうで」
品川を出た帆船で、銚子港へ行こうとするには、ざっと次の
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屋という国産問屋、それが私の隠れ家でした」「人形町の森田屋といえば、江戸でも一流の国産問屋だが、それが
「ナニ江戸に? 江戸はどこに?」「日本橋は人形町、森田屋という国産問屋、それが私の隠れ家でした」「人形町の
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亀戸から市川へ出、八幡を過ぎ船橋へあらわれ、津田沼から幕張を経、検見川の宿まで来た時であったが、茶屋へ休んで
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亀戸から市川へ出、八幡を過ぎ船橋へあらわれ、津田沼から幕張を経、検見川の宿まで来た時であったが、茶屋へ
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亀戸から市川へ出、八幡を過ぎ船橋へあらわれ、津田沼から幕張を経、検見川
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「そいつは少し変じゃないか。両国橋の小屋者なら、とうに悉皆洗ってしまった筈だ」
打ち拉がれた平八は、両国橋の方へ辿って行った。雪催いの寒い風が、ピューッと河から吹き上がっ
強盗武士の習い。昔の俺はそうだった。……両国橋の橋詰めで、あいつに河へ追い込まれてからは、何彼につけて
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、夜烏の啼く音、ギーギーと櫓を漕ぐ音。……隅田川を上るのでもあろう。
も花見笠」の、そういう麗かの陽気となった。隅田川には都鳥が浮かび、梅若塚には菜の花が手向けられ、竹屋の渡しで
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翌朝早く家を出ると、駕籠を京橋へ走らせた。