生死卍巴 / 国枝史郎

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地名一覧

萩村

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飛騨の萩村は街道筋における、相当に賑やかな駅であって、旅籠屋などにも

を没した、ちょうどその日のことであったが、この萩村の四挺の駕籠が、旅人を乗せて入り込んで来た。

いた出女の声も、封ぜられたようになくなって、萩村の駅は寂静となった。

いるうちに、長崎へは行かずに飛騨の山中の、萩村の柏屋へ来たのであった。

数日前に萩村の駅の、柏屋という旅籠屋から、乗り出した駕籠に相違ない。

小石川

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ここは小石川の一画で、大名屋敷や旗本屋敷などが、整然として並んでいて

いつぞや江戸の小石川の、松倉屋勘右衛門の別邸の前で、弦四郎に突然に切りかけられた

蝦夷

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れている武士は、出雲松江侯の傍流の隠居で、蝦夷や韃靼や天竺や高砂や、シャムロの国へまで手を延ばして、珍器名

極東

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「これは極東のカリフ様の、お言葉の通りにござります。両眼の価値を知りました

(それにしても極東のカリフ様とは、一体どういう意味なのであろう?)

しかし極東の教主という、極東の意味が解らなかった。

(日本のことを極東というと、蘭人からかつて聞いたことはある。では極東の教主と

いうと、蘭人からかつて聞いたことはある。では極東の教主というのは、日本におけるマホメット教の、教主というような

その屋敷の門の前まで、極東のカリフ様が行った時であったが、

「極東のカリフ様がおいでなされたぞ! 謹んでお迎えなさるがよろしい!

江戸

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――あなた様が長崎へおいでになった時に、江戸を立ってこの地へ参りました。飛騨の国の高山城下から、十里

ていないばかりか、肝心の実家へもろくろく住まず、江戸の市中や地方などへ出て、人相だの家相だの身の上判断だの

とは反対に、昔よりも一層に盛んになって、江戸における特殊の古物商として、認められるようになっていた。

拍子に回教の教理の、ほんの一端を知ったところから、江戸へ出て来て布教したのであろう。大して勢力もなかったので、

偶然からにござります。珍らしい器類を置き並べてあると、江戸で名高うございますので、一度は見ようと存じまして、本日門口を通りまし

(どうして俺が江戸を立って、飛騨の山中へ入り込んだことを、あの男は探り知ったの

いつぞや江戸の小石川の、松倉屋勘右衛門の別邸の前で、弦四郎に突然に切りかけ

。と云うこういう事というのは、突然に深夜の江戸の町で、貴殿に切ってかかったり、飛騨の山中の峠道で、妙な

で、恐怖に耐えられなくなって、江戸を発足したのであった。

たまででございます。『素晴らしい物を手に入れた。江戸にいては危険である。山中へ行って守ることにしよう』……」

を持って、父とほとんど同じ時に、父のように江戸から身を隠して、白河戸郷へ参ったのだそうで」

をとり巻いて、よくないことをやっている。こいつらを江戸へ残して置いては、どんなことをやり出すか分らない。旅へ一緒に

たところで、手助けにも何にもなりはしないが、江戸へ残して置くよりはいい)

いう、慶正卿の意見に従い、二郷の人達が江戸へ出て、千賀子を昔通り教主に立て、回教弘通に努力したと、

雲州

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「これこれ何だ雲州の爺、いちいち極東のカリフ様だの、ご連枝様だのと呼ばないが

の弟にあたられる、徳川慶正卿その人であり、雲州の爺と呼ばれている武士は、出雲松江侯の傍流の隠居で、蝦夷

「雲州の爺々、この屋敷などあぶないものだ」

「愚老は雲州の隠居だよ」

メッカ

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※メッカの礼拝堂に

根津

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(ははあそうか、根津なのか。よしよし根津へ行ってやろう。……ところでここはどこな

(ははあそうか、根津なのか。よしよし根津へ行ってやろう。……ところでここはどこなのかしら?)

来たがために、神田の区域の蝋燭町という、根津とはまるっきり反対の方へ、京助は来たことに感付いた。

で、きびすをクルリと返すと、根津の方へ歩き出した。

(ここから根津へ行こうとするには、どう道順を取ったらよかろう? ……雉子町へ出

湯島神社へ抜けて、それから上野の裾を巡って、根津へ行くのがよさそうだ。どれ)

た片袖を柔かに外し、同じ辷るような歩き方で、根津の方角へ足を運んだ。

追いかけられ、弁太や杉次郎に助けられ、ようやく逃げて根津まで来て、あっちこっちをほっつき廻り、ようやく目的の刑部屋敷の、露路の口まで来

両国

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こうして足を早ませて、両国の橋詰めまで行った時に、向こうから一人の若い武士が、息をせき切って走

長崎

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青木昆陽の門下であって、三年あまり長崎へ行って、蘭人について蘭学を学んだ二十五歳の若侍の、

(せっかく仕官をしたところで、長崎仕込みの俺の蘭学を、活用してくれなければ仕方がない。それより

雄には不安であった。どっちつかずの心持で、長崎から帰って今日で半年、ブラブラ遊んでいるのであった。放胆で自由

ただし長崎におった頃、茅野雄は蘭人の口を通して、カリフという

。妾の一家は五年前に、――あなた様が長崎へおいでになった時に、江戸を立ってこの地へ参りました

親戚として、叔父の一族があったっけ。俺が長崎へ行っていた留守に、消えたと云ってもいいほどに、行衛

て保護を加えた。で勘解由という人物であるが、長崎あたりにゴロツイていて、何かの拍子に回教の教理の、ほんの一端

器具などを、安い値でたくさん仕入れて来て、これも長崎で知り合いになった、勘解由という男と結托して、大袈裟に宣伝し

刑部という男にしてからが、同じ頃に長崎にゴロツイていて、いろいろの国の紅毛人と交わり、異国の安っぽい器具

のその時代においても、少し利口な人間であり、長崎などと往来し、紅毛人などと親しくし、多少商才のある人間であっ

「長崎へ行こう! 長崎へ行こう!」

「長崎へ行こう! 長崎へ行こう!」

に代えることにしよう。これほどの物を買い取る者は、長崎の蘭人の他にはない)

で、長崎へ向かったのであった。

こうして道中をしているうちに、長崎へは行かずに飛騨の山中の、萩村の柏屋へ来たのであっ

長崎の事情にも通じてい、刑部という老人が、長崎辺りの蘭人達と、取り引きをしているということなども、ずっと

ほどの男で、異国の事情に通じていたし、長崎の事情にも通じてい、刑部という老人が、長崎辺りの蘭人

(長崎へ行ったに相違ない)

いたばかりで、碩寿翁ほどの人物を、目的の長崎へやろうとはせず、飛騨の地へ来させてしまったことなどは

(五)醍醐弦四郎はその以前に、長崎辺りにゴロツイていた、某大名の浪人であったが、この出来事の

下谷

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茅野雄は、苦笑を笑いつづけながら、下谷の方へ歩き出した。そっちに屋敷があるからである。

松江

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であり、雲州の爺と呼ばれている武士は、出雲松江侯の傍流の隠居で、蝦夷や韃靼や天竺や高砂や、シャムロの国

お茶の水

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となって、そこを東の方へ曲がって行けば、お茶の水の通りとなる。

神田

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夢中で小走って来たがために、神田の区域の蝋燭町という、根津とはまるっきり反対の方へ、京助は

駿河台へ出て、橋を渡って松住町へ出て、神田神社から湯島神社へ抜けて、それから上野の裾を巡って、根津へ

上野

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へ出て、神田神社から湯島神社へ抜けて、それから上野の裾を巡って、根津へ行くのがよさそうだ。どれ)

刑部屋敷を出た弦四郎が、上野の山下まで来た時であったが、紗を巻いたような月光の