娘煙術師 / 国枝史郎

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地名一覧

佐久間町

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たがそれはどうやら和泉橋らしい。とするとここは佐久間町の三丁目にあたっているのかもしれない。

起こった。往来の者に蹴られたのでもあろう。佐久間町の二丁目の方角から、駕籠が一挺来かかったが、相生町のほうへ曲がっ

た月夜の往来には、蠢めく物の影もなくて、佐久間町の通りは真っ直ぐに延びて、足もとのあたりは明るかったが、先暗がりに暗く

左内の顔をのぞくようにしたが、「ここは佐久間町の二丁目でござる」

「ははあ佐久間町の二丁目で?」

か家の背後へまわったからでもあろう、片側道の佐久間町の家並みは、いちように間口を黒めていたが、その家並みに添いながら、

と、もう一人の男がいった。「だが佐久間町の屋敷には、何者が籠っているのだろうな」

が、夜空に風情を添えて見せた。鞘町の向こうが佐久間町なのである。

」いいながら友吉は四方を見たが、「おい、そろそろ佐久間町だぜ」

そこは佐久間町の一丁目であった。

友吉をはじめとして四人の者はこうして佐久間町の一丁目まで来たが、不思議な老人の籠もっているという、佐久間町

こうして四人は足を早めたが、まもなく佐久間町の二丁目の、土塀のいかめしい、植え込みの繁った、大門の厳重な屋根の

で、小次郎は腰の大小を束に両手で握りしめると、佐久間町の通りを両国のほうへ、疾風のように走り出したが、このころ覆面

て、それを西のほうへたどって行けば、自然と佐久間町の通りへ出る。

果然二人の行く先はわかった。例の佐久間町の二丁目の、不思議な老人の籠っている屋敷へ、見張りをするがため

こうして互いに話しながら、佐久間町の町の入り口まで、美作と兵馬とが歩いて来た時に、一つ

が行なわれた。というのは一人の若衆武士が、佐久間町のほうから風のように、二人のほうへ走って来たが、美作の

なる。そこの町筋を西へ走れば、久左衛門町となり佐久間町となり、儒者ふうの老人の籠っている、例のいかめしい屋敷となる。いつ

は声を上げたが、その小次郎は紋也の行く手の、佐久間町の入り口の往来で、難を受けているはずである。

一人の若衆武士が佐久間町のほうから、疾風のように走って来て、おりから佐久間町の入り口へ

のほうから、疾風のように走って来て、おりから佐久間町の入り口へまで来た、北条美作と桃ノ井兵馬とへ、――いや

火事は大きくなったらしい。ここ佐久間町と両国とはかなりの距離を持っているのに、ここまで届いている遠

なども、聞こえて来たことは来たけれども、この佐久間町の往来ばかりは、ただに寂しくて人通りもなかった。このことは美作と兵馬

であろう? が、この不思議な一団はいつぞやも佐久間町の往来へ、このような姿で現われて出て、小次郎の兄の山県紋也

の色と変った、火事の遠照りの空の下を佐久間町の二丁目の方角をさして、粛々としかし傍若無人に、美作を後に

行けば、代官町となり水谷町となり、鞘町となって佐久間町となる。

と駒雄とは、東南のほうへ走り下った。こうして佐久間町の二丁目まで来たが、その時鈴江は行く手にあたって、黒塗り蒔絵らしい一

兵馬は、火事の光を背と肩とへ浴びて、佐久間町の入り口から鈴江たちのほうへ、変った足どりで歩いていた。美作は

謡いつづけて横丁の口から、佐久間町の通りへ現われて来たのは、お狂言師の泉嘉門であった。

うたいながら先へ歩いて行く。やがて佐久間町の三丁目へ来た。儒者ふうの老人の籠っているはずの、いかめしい屋敷

とうべてヒョロヒョロと……」でたらめの謡をうたいながら、佐久間町二丁目まで彷徨って来た。と、女の声であったが、子守唄をうたう

佐久間町の二丁目と三丁目との境いは、儒者ふうの老人の籠っている例

宏大な屋敷であって、その屋敷から東南の方が、佐久間町の三丁目となっていて、それと反対の西北のほうが、佐久間町

となっていて、それと反対の西北のほうが、佐久間町の二丁目となっていた。で、怪しい四軒の空家は、二丁目の

の姿は、ふたたび闇に呑まれてしまって、横丁から佐久間町の通りへ出られる、出口の辺で唄う声が聞こえた。あの山越えて

、誰かに向かって話しかけるような、同じ女の話し声が佐久間町の通りから聞こえて来た。

なかった。返辞をしないでいるのであろう。で、佐久間町の夜の通りには、なんの物音も聞こえないで、いかにも秋の深夜

ここは佐久間町の往来で、月が明るく照らしている。泉嘉門はよろめきながら、往来を西北

と、その時一個の人影が、佐久間町の入り口の方角から、こなたをめざして歩いて来た。酒にでも酔っ

たが、横歩きにそろそろと右手のほうへ、――すなわち佐久間町の二丁目のほうへ、蟹が歩くように位置を移した。「どういうお

を持ち、右に町家の家並みを持った、月に明るい佐久間町の往来を、前へのめったり後へよろけたり、下げている抜き身を杖の

立ってすかして見たのであったが、やはり真っすぐに佐久間町の往来を、先へ追って行くことにした。こうして佐久間町の

を、先へ追って行くことにした。こうして佐久間町の通りをはせ過ぎ、代官町の入り口まで来た、しかしその間に老人らしい

目掛けて飛びかかった。と、ワッという声が起こって、佐久間町の方角へ転がるように、走って行く牛のような形が見えた。「

人数の出て来るようすもなく例の小男一人だけが、佐久間町の往来を西北のほうへ、空家の前を駆け抜けて、走って行ったの

であった。足にまかせて走って行く。しかし嘉門は佐久間町の通りを、代官町の方角へ、今や走っているのであった。

そうな憐れっぽい声で、あくがれるように呼ばわったが、佐久間町のほうへ歩き出した。

てすわってさえいた。水戸様石置き場の空屋敷や、佐久間町の入り口で行なわれた、烈しい戦いに薄手ではあったが、幾箇所か

切り傷であり、骨にまで達しない打ち傷であった。しかし佐久間町の入り口で、桃ノ井兵馬と闘って、体あたりをしてくれたのが

と、そういう静寂を破って、佐久間町の往来からわめく声が、ここの部屋まで届いて来た。

流れる川を持ち、反対の側に家並みを持った、この佐久間町の往来には、例によって月光が敷き満ちていて、蒼白い明るさ

松が、兇暴となり自暴自棄となって、衆をひきいて佐久間町の、儒者ふうの老人の籠っている、屋敷に乱入をした上で、

はいたし、おびただしく疲労をしていたので、佐久間町の通りまで来たころには、走ろうにも走ることができなくなった。

さっき方佐久間町の入り口で、美作と兵馬とを相手にして、紋也とお粂とは

は、驚いて一散に走って逃げた。が、その時佐久間町のほうから、鈴江と駒雄とを尾行けて来た、友吉の一団が走っ

「印籠も印籠ではあるけれども、佐久間町の入り口の往来の上に捨てられてあった片袖が、妾にはどうに

「あの佐久間町の入り口で、小次郎が誰かに何らかの害を、受けたように

、雉子町の自分の家から出て、五十嵐駒雄を伴って佐久間町の二丁目まで来た時であった。緑色の衣裳を一様に着た、四

佐久間町の入り口の往来で美作はさんざんな目にあった。で、体なども疲労

祇園

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祇園の境内では昔ながらの、桜の老木が花を咲かせて、そよろ

松永町

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度目に美作が小次郎へ追いつき、ぶっ放さんとした時、松永町のほうと通じている、小広い横丁から一団の者が、忽然として

またもや切り捨てようとして、刀を高く振りかむった時に、松永町へ通う横丁から、駕籠の一団が現われ出て、殺そうとした小次郎を、瞬間

和泉

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「鷺はなかなか軽妙にして飛び放れたる芸をなし、和泉もまた鷺のごとし、唯ひとり大蔵は堅実なる芸をなせば素人受けなき方

金山

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賄賂請託が到る所から到来した。それに密かに佐渡の金山の、山役人と結托をしていた。で美作は暴富であった。

薩摩

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すなわち一人は薩摩の大領、島津修理太夫のお側用人、猪飼市之進その人であり、もう一人は

箱根

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ここは箱根の山中である。

でございますやら? ひょっとかすると軍資金として、箱根を越した方角から……おッとおッとこいつはいけない。ここまで喋舌っちゃアいけ

武士であったそうな。その清左衛門を矢柄源兵衛めが、箱根の山の中で討ち取って、奪って俺の所へ持って来たものだ。…

しかも箱根の山中で矢柄源兵衛という武士によって、――京都所司代の番士であっ

、江戸へ下られた清左衛門様には、お気の毒にも箱根の山中で、誰にともなく討ち果たされ、この世を去られてしまいまし

「園子様のお兄様の青地清左衛門様を、箱根の山中で討ち取りましたは、何者なのでございましょう?」

矢柄源兵衛も同じであった。青地清左衛門を箱根の山中で討ち取ったあげくに巻き奉書を奪い、北条美作へもたらせるや、北条美作

「うん」と源兵衛は不気味そうにいった。箱根の山中で背後から、声をかけずに叩っ切ったが、今ではいやな

。というのは廊下での足音の主が、源兵衛が箱根の山中で、討ち果たした青地清左衛門の妹の、園子その人であったから

甲州

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、諸子百家の学に通じ、わけても兵学に堪能であった甲州の処士の山県大弐と、その友の藤井右門とによって、企てられた

関東

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や殿中人を、標準といたしたものでござるが、ただちに関東の武家方にも、あてはまるべき方法でござる、いやいや武家方ばかりでなく、浜

伊豆

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「死んだ老人だということだ。去年伊豆の三宅島でな。……痛いなあ、ズキズキすらあ」また友吉は横面を

高台寺

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ばかり酒気も帯びているらしくて、歩く足つきが定まらない。高台寺、常林寺、永昌寺、秦宗寺を通れば広徳寺で、両国についで

越前

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「薩、長、土、肥に水戸に越前か!」とたんに紋也が呻くようにいった。「佐賀藩の重臣もお

「薩、長、土、肥に水戸に越前か! 佐賀藩の重臣もおいでになる!」こう紋也の呻いたの

「薩、長、土、肥に水戸、佐賀、越前※」

薩、長、土、肥に、水戸、佐賀、越前の憂国の志士たちがそれである。

江戸

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たち二人へ命ずる、それとなく清左衛門を警護するよう。なお江戸の地へ着いたならば、大先生の指揮の下に、何かと事を

江戸の本郷の一画にりっぱな邸が立っていた。潜り戸をトントンと打つ者

「どうやらきゃつらの残党どもが、最近に江戸へ入り込んで来て、何やら策動をしているそうだ。……こいつら

処は名に負う江戸一番の盛り場の両国の広小路である。で、往来の両側には、女芝居

たのか? ……それにしてもこのような江戸の土地などへ、いつからお乗り込みなされたのであろう? ……どう

てござります。よりより彼らの後胤や一味が、京都から江戸をさしまして、いろいろのものに姿をやつして、入り込みました由にござり

目明しを嫌わねばならないのであった。代官松は江戸においても、名うての腕っこきの目明しであって、その上に紋也と同じ

「お前さんは当時江戸で名高い、女煙術師のお粂さんで」まずこういって声をかけた

にかけます。……いえいえあなたとご一緒ならば、江戸を立ちのいて他国へ行って、流浪をしてもよろしゅうござります。……只今

の門弟があずかった。まず大弐と右門とであるが、江戸の地へ出て塾をひらいて、大義名分尊王抑覇の、堂々とした

日数が重なって初秋が来て、江戸へ涼気が訪れて来た。

の青地清左衛門様は、徳大寺様の密使を受けまして、江戸へ密行をなされる途中、箱根の峠路で何者とも知れず、殺害なさ

「まだまだ当分は園子様を、江戸へお呼び寄せなさいますなと、つまりこのようにいったのだよ」――

「そういう園子様のよいご性質が江戸へおいでになることによって、悪くなられると思われるからだよ」

「私たちの使命が片づいたら、さっそく江戸を引き払って、お前さんのすきな京都へ帰って、長閑なくらしをすること

手から「あのお方」の手に渡すように命じて江戸へ上したもので非常に大切な、かつ危険な意味深い品物といわなければ

「すると、お前さんはあの時以来、ずっと京から江戸へかけて、お妻太夫さんを探していられるので」

たが、「で、ただ今はお前さんの一座は、江戸においででござんすかね?」

しておりまして、ご贔屓様もたくさんにあります。江戸や浪華や京などという、そのような繁華な都などは、物の数にも

の光に、陰をなすまでに深くもあった。「江戸の界隈に建てられた、農家のようではございませぬな。建て方が

―それにしても巻き奉書をお持ちになって、江戸へ下られた清左衛門様には、お気の毒にも箱根の山中で、誰に

「そなたは確か正親町卿から、お心を受けて江戸へ出て、志士を募っておられたはずだが?」

」と老儒者は意味深くいった。「島をのがれて江戸へはいって以来、武力と金力の充実ている、大名衆へ眼をつけて

「元気よく江戸へ旅立たれたではないか」

なされて『私は江戸表へ参ります。そうして江戸の同志の方々と、江戸で仕事をいたします』と、このようにいわれ

表へ参ります。そうして江戸の同志の方々と、江戸で仕事をいたします』と、このようにいわれて金兵衛殿と、京丸を

「江戸で働くのも大いによろしい」

浪人の身の上となり、妻の君江にさえ逃げられて、江戸に住むことが苦痛となった。

て働こうという、そういう口実で京丸を出て、事実江戸へ出たのであったが、江戸にはいろいろの思い出があって、住居

を出て、事実江戸へ出たのであったが、江戸にはいろいろの思い出があって、住居をすることが苦しかった。「京都に

「そのほうがよろしゅうございますとも。江戸までは長旅にございます。今から足など痛めましては、それこそ大変でござい

てよいばかりか、事実自分の恋を捨てて、その後は江戸や京都の地や、京丸などへ往来して、得意の煙術を種に

本郷

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江戸の本郷の一画にりっぱな邸が立っていた。潜り戸をトントンと打つ者がある

「本郷の殿様」と呼ばれた武士は、まことに威厳のある風采であった。

「本郷の殿様」その人なのであった。で、立ち止まって見守った。

橋詰めのほうへ、歩いて行く儒者ふうの老人を、「本郷の殿様」と呼ばれた武士は、疑念を差しはさんで見守ったが、足を

「本郷の殿様」と呼ばれた武士と、代官松という目明しとに、疑念を

、儒者ふうの老人のまとっているところの雰囲気は、「本郷の殿様」と呼ばれている武士のまとっているところの雰囲気とは、全然

ものを合わせたような、限りない奥ゆかしい雰囲気であった。「本郷の殿様」に対しては、人は威圧を感ずるのであろう、儒者ふうの老人

「本郷の殿様」はうなずいたが、「矢柄、矢柄」と声をかけた。

と、「本郷の殿様」は、心持ち顎をしゃくって見せたが、「見覚えはないかな

「本郷の殿様」と呼ばれた武士や、代官松がつぶやいたところの、つぶやきと

その月が暮れて、翌月の中旬となった時に、本郷の高台の一郭で、ひとつの変った事件が起こった。というのは

が当然でもある。時刻は深い夜であり、所は本郷の一画で、大名屋敷が並んでいる。下町と違って昼間でも、人通り

「大大名や大旗本が、この本郷にはたくさんあるが『本郷の殿様』と一口にいえば、すぐにも北条

大大名や大旗本が、この本郷にはたくさんあるが『本郷の殿様』と一口にいえば、すぐにも北条美作のご前と、誰

が、いかにも腑に落ちないというようすであった。本郷の往来で煙術を見ていて、うっかり油断をしていたところを

。どこへ二人は行くのであろうか? 安心して本郷の美作の屋敷へ、引っ返して行く途中なのであろうか? いやいやそうで

「ご前にはじめて本郷の通りで、お目通り致しましたあの夜のことで、お粂は手下の

草津

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「草津でも打ちましてございますが、あそこの名物と申しますれば……」

聖護院

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も淡く、霞の奥所にまどろんでおれば、知恩院、聖護院、勧修寺あたりの、寺々の僧侶たちも稚子たちも、安らかにまどろんでいること

四谷

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て来た。というのは家を建てたものが、四谷の夜鷹宿の親方の、喜六という老人であったので、そうして

相生町

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の二丁目の方角から、駕籠が一挺来かかったが、相生町のほうへ曲がってしまった。

北のはずれには一ツ目橋があって、渡れば相生町や尾上河岸へ出られ、南のはずれを少し行けば、有名な幕府のお

を払って突き進む。一ツ目橋を向こうへ越すと、相生町の一画へ出る。それを北のほうへ走って行けば尾上町の河岸へ

庄田

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飛び込んで来た大兵の武士は、庄田といって浪人であったが、腕は相当にすぐれていた。

でいる。と、一本の竹刀であるが――すなわち庄田の竹刀であるが――切っ先が上へ上がろうとした。と、それより

その鋭い気合に押されて萎縮をしたというように庄田の竹刀が左へまわった。と、その行く手に紋也の竹刀がすでにまわって

に紋也の竹刀がすでにまわっていておさえつけた。とまた庄田の竹刀であるが、鋭い気合を避けかねたかのように今度は顫えを

。先に立って走って行く二人の武士があった。庄田とそうして菰田なのである。すぐその後に引きつづいて、一人の武士と

知恩院

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は薄墨よりも淡く、霞の奥所にまどろんでおれば、知恩院、聖護院、勧修寺あたりの、寺々の僧侶たちも稚子たちも、安らかにまどろんで

隅田

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水戸様石置き場の空屋敷というのは、一方は隅田の川に面し、反対の側は寺院通りに面し、いうところの鰻の寝所

浜松

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歩いて行った。飯田の城下も通り過ぎ、日数を重ねて浜松へ出た。この浜松から東海道となる。東海道を京に向かって、二人の

の城下も通り過ぎ、日数を重ねて浜松へ出た。この浜松から東海道となる。東海道を京に向かって、二人の兄妹は歩いてゆく、

佐賀藩

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越前か!」とたんに紋也が呻くようにいった。「佐賀藩の重臣もおいでなさる!」

「薩、長、土、肥に水戸に越前か! 佐賀藩の重臣もおいでになる!」こう紋也の呻いたのには、もっともの

勧修寺

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、霞の奥所にまどろんでおれば、知恩院、聖護院、勧修寺あたりの、寺々の僧侶たちも稚子たちも、安らかにまどろんでいることであろう

根岸

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へはいったころのことで、所は下谷の車坂から、根岸の里へ下りようとする、上野の山の裾の辺で、人家がとだえて

「妾と竹之助様とのささやかな住居は、根岸にあるのでございますよ」

佐渡

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で賄賂請託が到る所から到来した。それに密かに佐渡の金山の、山役人と結托をしていた。で美作は暴富であっ

両国

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しかし対岸の西両国には、華やかな光がともっていた。船宿だの料理屋だの水茶屋だのが、岸に

翌日のことであったが、ニヤリニヤリと笑いながら、西両国の広小路を、人をつけて行く人物があった。

処は名に負う江戸一番の盛り場の両国の広小路である。で、往来の両側には、女芝居や男芝居の、垢離場の芝居小

が逃げて行くのを、目明しの代官松が追って行く。所は両国の広小路で、人が出盛ってうねっている。逃げるには慣れている掏摸であっ

袖姿の町娘が、人波を分けてあわただしそうに、これも両国の橋詰めのほうへ走って行く姿が眼についた。

。高台寺、常林寺、永昌寺、秦宗寺を通れば広徳寺で、両国についでの盛り場であったが、今夜は妙にうら寂しい。おでん、麦湯、甘酒

人のわびし気な老人が、二間あまりの先を歩いている。両国にいた大道売卜者であった。いつものように店の道具を、一軒の懇意な水茶

月の以前であったが、三宅島で死んだはずの老儒者が、両国の広小路を歩いていたので、たしかめようと後を追ったところ、老儒者には

「両国でお逢いしましたねえ」

「え、両国で? さあいつごろ?」

時には手代ふうをして、お嬢さんのお粂さんと一緒に、両国の広小路でやりましたような、ああいうこともいたします。そうかと思うと

腰の大小を束に両手で握りしめると、佐久間町の通りを両国のほうへ、疾風のように走り出したが、このころ覆面をした忍び姿の、二人

「うむ、両国の広小路ですられた」

不動の森の木であった。その森の木から北東の一帯に、両国の盛り場はあるのであったが、水戸様石置き場の空屋敷も、そこの付近にな

ふと立ち止まって北条美作は両国の方面と思われるほうへ、覆面頭巾の顔を向けた。空には真珠色の月の光が

が、この時火事の光が、両国の空を深紅に染めた。水戸様石置き場の空屋敷が、今や焼き討ちをされたの

両国の方面の霧の深かった空がしだいに紅色に染まって来た。水戸様石置き場の

屋根の上へ昇って見たようであったが、大川をへだてた両国の地点が、火元であると知ったからか、まもなく人影は消えてしまった。擦

火事は大きくなったらしい。ここ佐久間町と両国とはかなりの距離を持っているのに、ここまで届いている遠照りの光が、し

し兵馬がわめいた時には、二間あまりのかなたの道を、両国のほうへ無二無三に、――どういう理由でそうもにわかに、走るだけの度胸

「火事は両国だということだ! 水戸様石置き場の空屋敷だそうだ!」

いたが立ち上がって鈴江は雨戸をあけて見た。なるほど両国の方角から、火の手がカッとあがっていた。

かないで縁から離れて、鈴江は玄関まで走って行った。両国に屋敷を持っていて、毎日道場へ通って来る五十嵐駒雄という門弟が、大急

の汗を押しぬぐったが、「自宅に近うございますので、両国一帯の盛り場は――妙ないい方ではございますが、私の縄張りにございます

る人は、眼を見張って鈴江を見送った。雉子町の通りを両国をさして、東南に向かって走って行けば、吹矢町となり、番場町となり、神

因からであろう、遠照りなどとはいわれないほどにも、両国のほうの空はいうまでもなく真上の空までカッと明るく、珊瑚を砕いて塗り

に行くのだった!」鈴江は気がついて空を見た。火元の両国へ近づいたためと、火事が大きくなったためとこの二つの原因からであろう

しが、俺の正体を見きわめようとして、追って来た日の両国の往来で、俺は、売卜者に尾羽打ち枯らした、吉田武左衛門の姿を見かけた

して、私ども申し訳が立ちませぬ。……ところがあの日両国の往来で、北条美作の懐中から奪い取ることができました。……でもすぐ目

「先生がお見掛けなされました、両国にいた売卜者には、妾も縁がござります。徳大寺様から清左衛門様へ預け、

京都

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京都所司代の番士のお長屋の、茶色の土塀へ墨黒々と、楽書きをし

といえば、禁闕を守衛し、官用を弁理し、京都、奈良、伏見の町奉行を管理し、また訴訟を聴断し、兼ねて

京都所司代の役目といえば、禁闕を守衛し、官用を弁理し、京都

「それじゃア大津からこの京都へまで、お妻太夫さんを探しに来たので?」

が、片恋なるものをしていましてね、深夜の京都の町々を『お妻さんお妻さん』と呼び歩きますので、惻隠の

ここは京都の烏丸通りの、徳大寺別邸の裏庭である。植え込みがしげく繁っていて

「京都所司代よりまいりましたるもの、大切の文書をたずさえてござる。至急ご主人に

のは、三十七、八の供の武士であったが、京都所司代の番士をしていた、ほかならぬ矢柄源兵衛であった。

へ手を入れたが、「あの老人があの老人なら、京都から送られた留書き奉書が、いよいよ重大なものとなる。……はてな

蝋塗りと思われるが、長目の大小を帯びている。京都あたりの武士ではあるまいか? とそんなように思われるほどにも

というのが理由の一つであった。そうして京都の貧しい公卿の、美しい姫を養女として養い、巧みに時の将軍

すなわち竹内式部なる処士が、徳大寺卿をはじめとして、京都の公卿に賓師となって、勤王思想を鼓吹した時に、左近将監

幕府方にとっては力強い味方で、京都方にとっては恐ろしい敵――というのが北条美作なのであっ

知りましてござります。よりより彼らの後胤や一味が、京都から江戸をさしまして、いろいろのものに姿をやつして、入り込みました

人に及び、まさに大事を企てようとしたが、時の京都の所司代たる松平輝高に搦め捕られて、追放の刑に処せられた。そう

者で、かつ兵学の大家であったが、宝暦年間に京都において主人の徳大寺大納言家をはじめ、正親町三条公積卿などに、

もの。で、私は兄上に向かって、すぐにも京都から園子様を、お呼びしてご一緒におなりなさいますようにと

「どうやらこのごろ兄上のもとへ、京都の青地園子様から、いかにも思い余ったような、お気の毒なご書面が

が片づいたら、さっそく江戸を引き払って、お前さんのすきな京都へ帰って、長閑なくらしをすることにしましょう」

質素なお邸などへね。……でも小次郎や、京都へ帰るには、帰って行けるだけの功をして帰って行かなければ

て、険しい所などどこにもない。……妾だって京都は大好きなのだよ。ね、帰って行きましょう。そうしておちついた

「京都! ああ、いい所だわねえ。――平和にまどろんでいる東山、

したが、「たいして手間暇はかからなかったってわけさ。京都から来る飛脚の状箱を、こっそりあけるだけでよかったのだからな」四

ているよ。京都所司代の番士の一人の、矢柄源兵衛が京都表から、わざわざ俺に持って来たのだからな。ただし本来は巻き

「もちろん俺は知っているよ。京都所司代の番士の一人の、矢柄源兵衛が京都表から、わざわざ俺に持って

箱根の山中で矢柄源兵衛という武士によって、――京都所司代の番士であっていまは北条美作の手に養われている武士で

。今はそれどころじゃアありません。ね、あれが、京都からのあれが――徳大寺様からご依頼をされた、おわかりでしょうな

たっているだろうよ。が、俺は覚えているよ。京都で逢って話をしたはずだ。千本お屋敷のご用地の露路で

に! ――とお粂は思うのであった。京都の土地に紋也様には、許婚のお方がおありなさるそうな。

とが、旅よそおいをりりしくして、京丸のある地点から京都に向かって発足した。

憂うつらしいようすをした、浪人者らしい二人の武士が、京都のほうへ歩いていた。

、北条美作へもたらせるや、北条美作に愛せられ、美作から京都の所司代の、阿部伊予守へ懇望して、源兵衛を番士の籍から抜か

そこで二人はこう考えた。「京都へ行ってよい運をつかもう」――で、旅をして来たの

かかって、お話をする義務もある」――で、京都へ出かけることにした。

の思い出があって、住居をすることが苦しかった。「京都にも同志の人たちはある。その人たちと働くことにしよう。それ

へはいった。しかるに同じ日にもう一組の男女が京都から大津の駅路へはいった。

ばかりか、事実自分の恋を捨てて、その後は江戸や京都の地や、京丸などへ往来して、得意の煙術を種にし

奈良

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ば、禁闕を守衛し、官用を弁理し、京都、奈良、伏見の町奉行を管理し、また訴訟を聴断し、兼ねて寺社の

長崎

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「長崎渡りの奇術なども、幕間幕間に演じます」

大津

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「大津の宿でございますよ」

「それじゃア大津からこの京都へまで、お妻太夫さんを探しに来たので?」

はおりまするが、近いうちに一座は打ち上げまして、東海道を大津まで、上って参るはずにございます。はいはい私ども一座の者は、

さっそく戻っていただきまして、翌日に大津を立ちました。大津はよい所でございます。瀬多の蜆が名物で……」

大変に喜びまして、さっそく戻っていただきまして、翌日に大津を立ちました。大津はよい所でございます。瀬多の蜆が名物

、間延びした声に籠らせたが、「あの時は大津で打っていました。お妻太夫さんが目付かりましたので私

これは後日のことであるが、大津の駅路にお妻太夫の、小屋掛けの見世物がかかった時、その菰張りの

た。しかるに同じ日にもう一組の男女が京都から大津の駅路へはいった。

か幾日か泊まりを重ねて、三組の人たちは大津の駅路へはいった。しかるに同じ日にもう一組の男女が京都から

を招く合間に、こんな話を話し合っていたが、この大津の駅路のはずれの、水無神社の境内に、事実この時お妻太夫の

まだ浅夜であったので、大津の町は賑わっていた。と、その往来を一人の浪人が、抜き身

水戸

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目橋となるであろう。一ツ目橋の袂から、水戸様石置き場へ上がることができる。

という手合もあれば生若い武士の身分でいながら、水戸様の石置き場の空屋敷などで、つまらないことを説教して、人の

がね。そうかと思うとお粂さんと一緒に、水戸様の石置き場の空屋敷などへ行って、人の心へ火をつけるお

大望も知ってる、行動も知ってる、みんな知ってる! 水戸様石置き場の空屋敷、そこでの企みも知っている! 貴様のこと

「水戸様の石置き場の空屋敷へ、今夜も兄上にはまいられましたよう

た市井の女のほうが、わしの嗜好に一致する。水戸様石置き場の空屋敷に出入りをしている女どものほうが、私に

だからね。心配するほどのことはないよ。……水戸様石置き場の空屋敷などへ、たとい私たちが出入りをしたにしても

なさるがよいとね。なるほどお前さんの眼から見れば、水戸様石置き場の空屋敷などへ、お兄様や妾が出かけて行くのは

「そこで水戸様石置き場の、空屋敷へ親分と俺たちの仲間が、今夜乱入しようと

「綺麗な女煙術師が、水戸様石置き場の空屋敷へ、出入りをしていると知っていたら、俺

はこうしてはいられない。代官松の連中が、水戸様石置き場の空屋敷を襲って、兄上に危害を加えようとしている

は一つしかなかった。焼き討ちのはじまらないその以前に、水戸様石置き場の空屋敷へ行って、危険の迫っているということを兄

「水戸様石置き場の空屋敷も、松吉の一味にああ囲まれましては、山県

へ進んで行く。どうやら二人の話から推せば、今夜水戸様石置き場の空屋敷を焼き討ちにかけようという、そういう知らせを代官松の

の一帯に、両国の盛り場はあるのであったが、水戸様石置き場の空屋敷も、そこの付近になくてはならない。で、

老人の手へ、すでに渡してしまったかしら? ……水戸様石置き場の空屋敷へ、お粂は今夜も行っているはずだ。松吉

時火事の光が、両国の空を深紅に染めた。水戸様石置き場の空屋敷が、今や焼き討ちをされたのである。

なくて、一種の下賤の歓楽境なのであった。水戸様の建築の用材の石を、積み重ねておく置き地があったが、

水戸様石置き場の空屋敷などといえば、化物屋敷めいて聞こえはするが、

こうして成立をとげたのが、水戸様石置き場空屋敷なのであるが、しかしどうして空屋敷などというの

て、官では制裁を加えないのであろうか? 水戸様の用地だという事と、夜だけの商売だという点とで

であった。ここは家号を「笹家」といって、水戸様石置き場の空屋敷の中では、かなりに大きい私娼宿なのであっ

した暗い中で、酒を飲ませるというやり方は、水戸様石置き場の空屋敷の、私娼宿でやるやり方なのであった。ここ

をなめながら、無言でお粂を見守っているようすは、水戸様石置き場の空屋敷という、特殊の私娼窟であるがために何となく

して、露路のほうへ走って行く者もあれば、水戸様石置き場の空屋敷という、この一画から遠のく者もあって、混雑を

あの目明しの代官松が、兄弟分と乾分とを率いて、水戸様石置き場の空屋敷へ、焼き討ちをかけて、混乱させて、ドサクサまぎれ

水戸様石置き場の空屋敷というのは、一方は隅田の川に面し、反対

たのであろうか? 今日の夕方お粂と一緒に水戸様石置き場の空屋敷へ、常連として来たのであったがまも

ここの空地へ集まって、それからさらに露路を通って、水戸様石置き場の空屋敷の、この気味の悪い境地から、外へ出ようとし

、群衆とまざろう、そうして混雑に身をまぎらせて、水戸様石置き場の空屋敷から、のがれて市中へはいることにしよう」――

水戸様石置き場の空屋敷という、この境地へ入り込んで、潜行的に山県紋也

兵馬が抜き討ちざまに、小次郎の胴へ切りつけたのは、水戸様石置き場の空屋敷にある笹家から火の手の上がった時で、小次郎の兄

霧の深かった空がしだいに紅色に染まって来た。水戸様石置き場の空屋敷が、焼き討ちのために焼けているからである。しだい

もなかった。同時に小次郎はこう思っていた。「水戸様石置き場の空屋敷で、兄上が苦闘しておられるだろう。行って

「火事は両国だということだ! 水戸様石置き場の空屋敷だそうだ!」

「水戸様石置き場の空屋敷へは、今宵も兄上には行っていられるはず

空屋敷へね。ところで火事が起こったのだよ。その水戸様石置き場の空屋敷にね」

「兄上が行っていられるのだよ。水戸様石置き場の空屋敷へね。ところで火事が起こったのだよ。その

「お嬢様お嬢様大変でござる! 水戸様石置き場の空屋敷を……」

代官松の一味の輩が、先生に危害を加えようと、水戸様石置き場の空屋敷へ、只今焼き討ちをかけましたそうで。……」

が、私の縄張りにございます。で、今宵もブラブラと水戸様石置き場の空屋敷を、……すると火事ではござりませぬか。

代官松が乾児をひきいて、放火焼き討ちを企てながら、水戸様石置き場の空屋敷へ、はいり込んだというからには、五十嵐様のいわ

の男だ。揃ってあわただしく走って行くのは、火事が水戸様石置き場の空屋敷だということを聞いたので、紋也のことが

水戸様石置き場の空屋敷を、今はことごとく燃やしつくしたのでもあろうか、

水戸様石置き場の空屋敷で、代官松の一味の者に襲われて金兵衛は

もしなかったのねえ。妾は随分心配したよ。水戸様石置き場の空屋敷から逃げ出したことは知っていたが、あんまり帰りが

と、数十人の人影が、行く手にあたって現われた。水戸様石置き場の空屋敷から、引き揚げて来た代官松の一味らしい。で、

でもあった。膝を崩してすわってさえいた。水戸様石置き場の空屋敷や、佐久間町の入り口で行なわれた、烈しい戦いに

、捲き立てられてあることに、驚かされるに相違ない。水戸様石置き場の空屋敷でこうむったところの傷なのである。

くださらないかもしれない。また自分にしてからが、水戸様石置き場の空屋敷の、笹家の土間で感情のままに、――亢

たが、「このお屋敷には見覚えがある。これは水戸様のお下屋敷でござるよ」ともう一人の老女へいった。「あなた

「妾にも見覚えがございますとも。水戸様のお下屋敷でございますとも」――そういった老女の醜さも

「よくまあこれだけ詳しく正しくあの水戸様のお下屋敷を、写したものでございますなあ」

松の住居へ近寄り、彼らのようすをうかがったところ、水戸様石置き場の空屋敷で、紋也やお粂を取り逃がしたことに、怒りを

目明しの代官松が、乾児や兄弟分を引き連れて、水戸様石置き場の空屋敷から、自分の家へ帰るのと逢った。ギョッと

薩、長、土、肥、佐賀、水戸、越前

「薩、長、土、肥に水戸に越前か!」とたんに紋也が呻くようにいった。「佐賀藩の

「薩、長、土、肥に水戸に越前か! 佐賀藩の重臣もおいでになる!」こう紋也の

守の智謀、永見文庫介その人であり、もう一人は水戸家の若年寄、渡辺半蔵その人なのであった。そうしてこれら

まずまず大丈夫でござりましょう。お粂殿に詳しく承わってござる、水戸様石置き場空屋敷とやらで、随分ひどい目に逢われましたそうで。

「はじめには水戸様のお下屋敷へ、その次には土屋采女正様のこれも同じお下屋敷

。あの晩は俺たちには悪い晩だった。……水戸様石置き場の空屋敷のあの惨酷な焼き討ちから、お狂言師の老人に、なぶら

たのだよ。ここの屋敷もめざされております、水戸様のお下屋敷へお移りなされと、勧められていたおりだったの

「薩、長、土、肥に水戸、佐賀、越前※」

薩、長、土、肥に、水戸、佐賀、越前の憂国の志士たちがそれである。

下谷

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暮れて、夜が大江戸を包んだ時に、上野に向かう下谷の道を、一つの人影が歩いていた。浪人ふうの若い武士

浪人ふうの若い武士が、下谷の通りを歩いている。今しがた降った雨が止んで、雲切れがして

初夏の、ようやく初夜へはいったころのことで、所は下谷の車坂から、根岸の里へ下りようとする、上野の山の裾の辺

が零れていた。しかるにこのころ一人の武士が、下谷の町の一所に、腕を組みながらたたずんでいた。「こんなりっぱな

両国橋を日本橋のほうへ渡って、さらに神田川を下谷のほうへ渡れば、平左衛門町の通りとなって、それを西のほうへ

山形

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……別れて……二間をへだてた! ……山形をなした相青眼の、二本の刀が宙に浮かんで、砂塵の

佐賀

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薩、長、土、肥、佐賀、水戸、越前

越前か!」とたんに紋也が呻くようにいった。「佐賀藩の重臣もおいでなさる!」

「薩、長、土、肥に水戸に越前か! 佐賀藩の重臣もおいでになる!」こう紋也の呻いたのには、

「薩、長、土、肥に水戸、佐賀、越前※」

薩、長、土、肥に、水戸、佐賀、越前の憂国の志士たちがそれである。

神田

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この人物こそ目明しなのであった。住居は神田代官町で、そうしてその名を松吉といった。そこで綽名し

「桃ノ井久馬ならば存じている。神田小柳町に住居していたはずだ」

女はうべなわなかったらしい。同じ口調でいいつづけた。「神田の雉子町の四丁目で、一刀流の剣道指南の、道場をひらいておいで

の目明しであって、その上に紋也と同じように、神田の区域に住んでいた。で、紋也はずっと以前から、代官松の

しかるに一方大弐の門弟に、神田小柳町に住居をしている桃ノ井久馬という浪人があったが、

そういう潔い竹刀の音が、神田雉子町の一所から、朝に夕に聞こえて来た。山県紋也の道場で

弟の小次郎の安否を気づかい、五十嵐駒雄を走らせて、神田雉子町の自分の家の、ようすを見させにやったところ、家には

上野

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もすっかりと暮れて、夜が大江戸を包んだ時に、上野に向かう下谷の道を、一つの人影が歩いていた。浪人ふう

所は下谷の車坂から、根岸の里へ下りようとする、上野の山の裾の辺で、人家がとだえて藪畳があったが、

鶯谷

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が、そこを右へとって進んで行けば、寂しい寂しい鶯谷となる。そっちへ浪人は歩いて行く。と、にわかに足を止めた

日本橋

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「が、お咎めを受けまして、日本橋において三日間晒らされ、遠島されましてござりまする」

訴人ノ事故此処ヲ以テ、其方共助命申付、日本橋ニ於テ、三日晒ノ上、遠島之ヲ申付ル」

両国橋を日本橋のほうへ渡って、さらに神田川を下谷のほうへ渡れば、平左衛門町の

麹町

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なく明けはなれて、翌日の昼になった時に、麹町三番町のお狂言師の、泉嘉門の屋敷の庭で恋語りを

向島

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が仕立て上がります。明日から着せてあげましょう。くよくよせずと向島へでもいって、秋草の花でも見て来るがよいよ。…

品川

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「今日の夕方でございます。品川の通りでございます。お妻太夫さんをお探ししながら、来かかった時

お茶の水

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美作たちが屋敷を見まわっている時に、一人の大男がお茶の水あたりを、

両国橋

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両国橋の橋詰めをめがけて、歩いて行く一人の老人があった。編笠をいだい

両国橋の橋詰めのほうへ、歩いて行く儒者ふうの老人を、「本郷の殿様

でいた。むしろ神々しい姿である。と、まもなく両国橋の、橋詰めの擬宝珠の前まで行った。そうしてそれを渡りかけた

両国橋を日本橋のほうへ渡って、さらに神田川を下谷のほうへ渡れば、

走って左へ曲がれば、九十八間の両国橋となる。両国橋を渡り越せば、吉川町となり柳橋となる。そこの町筋を西へ走れば

。河岸について走って左へ曲がれば、九十八間の両国橋となる。両国橋を渡り越せば、吉川町となり柳橋となる。そこの町筋

神田川

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。しかもいうところの片側町であった。反対の側は神田川で、今、銀鱗を立てながら、大川のほうへ流れている。下流に

神田川を越した向こう側の、市橋下総守の屋敷の辺から、二声三

例によって静寂を保っていたが、反対側の神田川では、目覚めた鴎でも羽搏いたのであろう、バタバタという物音が

東南へ下れば、吹矢町、本物町、番場町となって、神田川の河岸へ出る。――今日の地理とはだいぶ違う。その区域に立っ

て、四人の乾児たちは往来を行きつくして、神田川にかけてある橋の上へその姿を現わした。

て、水が音も立てずに流れていた。すなわち神田川の流れである。四人は先へと進んで行く。

両国橋を日本橋のほうへ渡って、さらに神田川を下谷のほうへ渡れば、平左衛門町の通りとなって、それを西の

右手に流れている神田川の水が、にわかに微光を失ったのは、月が雲の中を

通りは静かである。依然として左側に流れている神田川の水の面には、月の光が降りそそがれているし、右側に

向かって走って行けば、吹矢町となり、番場町となり、神田川の河岸へ出る。渡って先へ走って行けば、代官町となり水谷町

吹矢町を走り抜け、本物町も走り抜けた。番場町も走り抜け、神田川の河岸へ出た。と、橋を渡り越して、なおも鈴江と駒雄

家々の甍の屋根を白め、往来の片側を流れている神田川の水に銀箔を踊らせ、往来を霜のように色づけていた。

はあぶなかった。人影――すなわち君江なのであるが、神田川が家並みと反対の側に、たっぷりと水をたたえた姿で、月光を

てしまったからであろう。でこの境地はひっそりとなって神田川の水音と水鳥でもあろうその川の中で羽搏く音が眠い嘉門の眼

勇気であり、躯の衰弱は衰弱であった。左に神田川の流れを持ち、右に町家の家並みを持った、月に明るい佐久間町

人の姿は見えなかった。往来の向こう側を流れている神田川の水の音ばかりが、寂寥の中での音であった。

左側に流れている神田川の水が、月の光に踊っているのも、嘉門には美しく見え

て、這いまわってうごめいているのであった。その片側に神田川の、ゆるやかに流れる川を持ち、反対の側に家並みを持った、この

隅田川

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は賭博小屋の火の光であった。その賭博小屋から隅田川のほうへ寄った、土地の低い一所に木立ちがあったが、そこに