神州纐纈城 / 国枝史郎
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越後国、春日山の城主、上杉謙信の旧家臣、直江蔵人の隠遁所である。
で、彼は思うところあって飄然と春日山へ来たのであった。
受け答えたのは直江主水で、「伯父様のご武勇は春日山では、今も評判でございますよ」
「春日山の城中だそうだ」
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ひらけている。そうして全身をあらわした藍色をした富士山が、庄三郎の眼前に聳えていた。
古来富士山の美については多くの墨客騒人が競って絵に描き詩歌に作った
競って絵に描き詩歌に作ったが、しかし誰一人その富士山の物騒な方面を説いたものはない。
そうしてこの頃の富士山は全然休火山とも云えなかった。時々焔を吹き出した。四時煙りを上げ
長保元年三月七日。富士山焚。
長元五年十二月十六日。富士山焚。
こう思われるほど四辺の光景は気高く美しい物であった。富士山! そうだその富士の峰は眉に逼って指呼の間に浮かぶように
彼は富士山が好きであった。円満玲瓏たる君子の姿! それが富岳の山容で
空には富士山が聳えている。その山骨の一所に騎馬武者が無数に蠢いている。そう
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大友家へ仕え、肥前へ行っては竜造寺家へ仕え、薩摩へ入っては島津家に仕えた。……そのうち故郷が懐しくなり、窃
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しても庄三郎は何故黙って他国したのだろう。この甲州の掟として、無断に国土を離れた者は草を分けても詮索
求めて上杉、北条、織田などへ随身するに違いない。甲州の機密はそれらの口から自然敵方へ洩れなければならない。これは実
から授けられた武田家の割符を持っているので、甲州の地は気随気儘に通ることも出来れば泊まることも出来る。その夜甚太郎の泊まっ
のだろう? 駿河国の方面だろうか? それとも甲州の側だろうか? どっちへ流れているのだろう? 東へだろうか西
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られなかった。ああ悪の美の牽引力! ……四国へはいっては長曽我部へ仕え、九州へ渡っては大友家へ仕え、肥前
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の豪族ども、すなわち都留郡の小山田氏、東郡の栗原氏、河内の穴山、逸見の逸見氏、また西郡の大井氏なぞを権威をもって抑え付け
というではないか。伯耆美作では大猿を祭り、河内では河伯を崇めると云う。これらの迷信は捨てなければならない」
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卜伝塚原義勝は、常陸国塚原の産、その実父は土佐守といい塚原城の城主であった。
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乾徳山恵林寺の住職、大通智勝国師快川は、信玄帰依の名僧であって、信玄は就い
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州境には雨ヶ岳同じく竜ヶ岳が聳えていたが、大室山、長尾山、天神峠の山々を隔てて富士の霊峰の峙っているのはまこと
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どの辺を流れているのだろう? 駿河国の方面だろうか? それとも甲州の側だろうか? どっちへ流れて
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ながら峨ヶ岳の峰に続いている。駿州境には雨ヶ岳同じく竜ヶ岳が聳えていたが、大室山、長尾山、天神峠の山々を隔て
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、悉く臣下としたばかりか、隣国信濃では平賀、諏訪、また小笠原氏、村上氏、木曽氏などとも兵を構えて甲斐武者の
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力! ……四国へはいっては長曽我部へ仕え、九州へ渡っては大友家へ仕え、肥前へ行っては竜造寺家へ仕え、薩摩
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上杉家へ仕え、会津へ行っては蘆名家へ仕え、奥州へ行っては伊達家へ仕え、盛岡へ行っては南部家へ仕え、常陸
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となり、下鍛冶屋宿、上鍛冶屋宿、住吉、畔、高台寺、甲府の城下へはいった頃には、一番鶏の啼くほどの、深い夜
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あり、その性格が役立って、甲斐国内の豪族ども、すなわち都留郡の小山田氏、東郡の栗原氏、河内の穴山、逸見の逸見氏、また西郡
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越後国、春日山の城主、上杉謙信の旧家臣、直江蔵人の隠遁所である。
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「葵の上、道成寺、そういうものに使うのです」
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が、わけてもお館の中庭と伝奏屋敷と山県邸と神明の社地とに多かった。
と、鉄砲の音がした。神明の社の方角からであった。お館から繰り出された鉄砲足軽が、ぶっ放した鉄砲
の屋敷があった。その隣りが勘解由小路、小路を隔てて神明の社、その社の広庭にも、焚火が赤々と燃えていた。立っ
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尼子家へ仕え、備前へ行っては浮田家へ仕え、安芸へ行っては毛利家へ仕えた。いずれも二月か三月であった
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里十町もあろうか、村には戸数三十戸あまり、富士登山の道もあり、夏は相当賑わうらしく、旅舎が二軒立っている。村
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「表に塗ったこの金箔、これこそ佐渡の黄金でござる」
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に、躑躅ヶ崎のお館を巡り左右前後に延びているこの甲府のいたるところに爛漫と咲いているのであったが、わけてもお館
館を囲繞しやや南寄りに甲府の条坊が出来ていた。東西五百三十間南北九百二間というのがすなわち
「ともかく甲府へ帰ることにしよう」
甲府の城下へ着いたのはその翌日の夕方であったが躑躅ヶ崎のお館
のも、皆快川長老であった。後年織田の軍勢が甲府城下へ征め込んだ時、安禅不必須山水、滅却心頭火自涼と
ていた。云う必要がないからであろう。とは云え甲府の城下を去り、ここ裾野へ来るについては来るだけの理由があっ
彼が甲府を抜け出して、再び裾野へやって来たのには、次のような
甲府から裾野までは遠くはない。で、若侍は家を出ると、富士の
父母と叔父とを探がそうとして、甲府を抜け出した庄三郎が、その叔父や父母を忘れたかのように、ここ
甲府の館。……信玄公の姿。……友人の真田源五郎。……
別れた父の名が。そこで俺は脱走した。甲府の館を、武田家を! そうだ父を見付けようために。……
土屋庄三郎だ! 去年の春だ、桜の夜だ、甲府の神社へ参詣に行った。その時年寄りの布売りがいた。それが
そうして甲府の城下では、あの豪快な信玄公が、観桜の宴をひらいている
「俺は昔を思い出した。俺は甲府へ行って見たくなった」
「俺は昔を思い出した。俺は甲府へ行って見たくなった」
た。彼は、城主は、成功者ではない。故郷の甲府へ行ったところで、なんの慰めを見付けることが出来よう。
故郷の土地を恋しがり、故郷の人を懐しがり、甲府を差して行くのであった。
暖かい人情に憧憬れながら、産れ故郷の甲府を差して、仮面の城主は歩いて行った。
甲府よ甲府よ懐しい甲府よ!
甲府よ甲府よ懐しい甲府よ!
甲府よ甲府よ懐しい甲府よ!
「甲府へ」
「甲府へ!」
甲府の人よ、気を付けるがいい! 「神聖な病気」が入り込もうと
と、遥かの前方に、甲府の城下の灯火が見えた。
永禄二年春以降、大いに甲府に癘風起こる。ただ、風土記にはこう記されてある。
花嫁の行列が通っていた。甲府城下の夜であった。提灯の火が輝いた。沢山の人達が
であった。かつて一度も外寇を受けない、信玄治下の甲府城下は、思いもよらない悪病のために、苛まれなければならなかった
信玄の居城、甲府の城下を、祝福しようそのために、仮面の城主が現われたのであっ
「なつかしい故郷! 恋しい甲府! 俺の祝福を受けてくれ!」
「そんなに甲府はひどいのか。俺にとっちゃあ初耳だ」
るというのは、応仁時代の京師だが、今の甲府は癩患者で、それこそ身動きも出来ないほどだ」
か見なかった。……目ぼしい仕事はあるまいかと、甲府の城下へ行ったのだが、今からちょうど十日以前、仕事どころか
。チラリと俺は聞き込んだ。どうだどうだ聞きたかろう。甲府の城下で聞いたのさ。よかったら聞かせてやってもいい。が
奴だな。よしよしそれでは只で話す。……甲府で聞いた物語、夢のような話だが、根のねえことでも
。「どっちへ行ったらよかろうな? ……まずともかくも甲府へ行こう。それから八ヶ岳へ行くとしよう。……存分人が斬れそうだ
鍛冶屋街道を甲府の方へ、二人の老人が辿っていた。
二人は甲府へ行くのであった。
た。そこで彼は彼らに訊いた。そうして甲府の乱脈を知った。悪病の主? 火柱の怪! 彼はそれ
そこで彼は甲府へ行き、ともかくも様子を見ることにした。
甲府はまだまだ遠かった。
畔宿を通り南池を過ぎ、二人はようやく甲府へはいった。
「あいつらも甲府へ行ったらしい。……甲府へ行くのが恐ろしくなった。……だが素敵な楽しみだとも云える
「あいつらも甲府へ行ったらしい。……甲府へ行くのが恐ろしくなった。……だ
甲府城下へ入り込んだ。
しかし甲府は寒かった。四方山に囲まれていた。いわゆる甲府の盆地であった。山々には雪が残っていた。夏暑く冬
桜の花の季節であった。しかし甲府は寒かった。四方山に囲まれていた。いわゆる甲府の盆地であった
甲府城下そのものが、臭気と黴菌との巣窟なのであった。
製造か。……が、そいつが出来上がった頃には、甲府に人種がなくなるだろう」
甲府よ、お前は呪われている! 悪病の主が入り込んだ。そうし
火柱が出現したからでもあろう、甲府城下のあちこちから、叫喚の声が湧き起こった。
「何が甲府なんか面白いものか。気に食わねえ奴ばかり揃っている。ああどこかへ
「甲府にゃあまったく驚いたなあ」
「甲府へ参ろうではございませんか。賑やかな武田家のお城下へ。…
飛び飛びに、幾個かの宿場や村を繋ぎ、ウネウネと甲府まで続いていた。もう菜の花は散っていたが、街道の左右の
下鍛冶屋宿、上鍛冶屋宿、住吉、畔、高台寺、甲府の城下へはいった頃には、一番鶏の啼くほどの、深い夜と
依然甲府は火柱の主と、癩人と血吸鬼との巣窟であった。
屋根から見下した甲府の城下の、所々に桃色の火気が、闇を貫いて立っているの
あり、丘は林に続いていた。もう振り返っても甲府城下は、山に隔てられて見えないだろう。一里以上も来たの
甲府に向いた一方の側は、人工の岩と木立であり、反対の側
甲府を荒らした悪病も、やがて終熄する時が来た。
甲府城下は恢復って来た。あちこちから笑い声が聞こえるようになった。少年達
四散した甲府の人々も、争って故郷へ帰って来た。活溌に人達は働き
。ああそうして帆鳴りの音が。……それから甲府へ行ったかしら?」
を出たのだろう? ああそうだ思い出した、故郷の甲府を訪ねようと、ある闇の晩に城を出た筈だ。……うん
「やっと俺は思い出した、たしかに俺は甲府へ来た。躑躅ヶ崎のお館を、俺はこの眼で見たような
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ほどに、京都一円荒れてしまっては、暢気そうに京都に止まってはおられず、またもや四方へ彷徨い出で、次いで消息を絶っ
を」と、飯尾彦右衛門をして嘆かせたほどに、京都一円荒れてしまっては、暢気そうに京都に止まってはおられず
一人この術を喜び、四散していた造顔師達を京都の土地へ呼び集め、愛妻富子の美しい顔を一層美しく手入れさせたと一条
んでした。山を越え、河を渡り、どうして京都へ行かれましょう。一杯になった壺の涙を、湖水の中へ捨て
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蘆名家へ仕え、奥州へ行っては伊達家へ仕え、盛岡へ行っては南部家へ仕え、常陸へ行っては佐竹家へ仕え、
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川もついに越した。山城、下鍛冶屋、小瀬、下河原、住吉、小河原、畔まで来た。
住吉宿まで来た頃には、日がトップリと暮れてしまった。月も
鍛冶屋街道住吉の外れ、往来に茫然立っているのは、他ならぬ三合目陶器
も暮れて夜となり、下鍛冶屋宿、上鍛冶屋宿、住吉、畔、高台寺、甲府の城下へはいった頃には、一番鶏の
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すなわち信濃先方衆や、小幡上総守、松本兵部、すなわち西上野先方衆や、朝比奈駿河守、岡部丹波守、すなわち駿河先方衆や、間宮