国事犯の行方 ―破獄の志士赤井景韶― / 国枝史郎
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大井川の岸まで来た。長い橋がかかっている。橋番の爺に橋銭を渡し
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馳走であった。今金の門で二人は別れ、松田は本郷から俥に乗り浦和の知人を訪ねようとした処、この車夫たるや余人に
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を宣せられていたし赤井に至っては二十四歳。越後国高田の産れで天誅党なる秘密結社を結び、要路の大官を暗殺しようとし
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年三月二十七日の夜で、此頃河野広中氏は福島事件に連座して、此処監房に入れられていたが、同室の赤井
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松田は此時二十八歳。加賀金沢の産であって、島田一郎の同志の一人で、明治十一年五月
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て一泊させた。翌日身分を訊いて見ると信州長野在吉田村の士族、佐藤義範ということであった。年は二十三歳
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「君、静岡へ急行して呉れ給え」
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赤井と松田とは――石川島を破獄するや、先ず深川永住町へ出で、折柄其処に供待していた、車夫宇田川三次郎(
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一人で、明治十一年五月十四日、時の内務卿大久保利通を紀尾井坂に於て暗殺したため無期徒刑を宣せられていた
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麹町八重洲町一丁目。元松平三河守屋敷。此処に当時の警視庁があった。
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のあった其翌朝、一人の百姓が駆け込んで来て、千住五丁目六道の辻、字反野の畑の中に人が殺されていると
でございますな」二人の刑事も同意見であった。千住警察署の警官達や法官や医者が来た頃には大方の目星や手筈
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「東京で少々漢籍の方を……」
「実は東京の人心が益々軽佻浮華に流れ見るさえ不愉快に存じますので修業を廃し
併し逃げ道は三つしかない。東京へ戻るか長野県へ出るか、富士川を下って静岡県へ出るか。
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七月二十七日、破獄謀殺二重の罪に依って、市ヶ谷監獄の絞首台で二人乍ら死刑に処せられたが、流石に名を惜む壮士
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が三次郎の着物を着、赤井を乗せて俥を曳き、京橋区新肴町、元自由党の先輩たる井上啓二郎方を訪れたのが、人