蔦葛木曽棧 / 国枝史郎
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筋目が正しいのでございまして、あの善光寺の如来様を難波の池から拾い上げた本田善光の後胤とか。それで代々家の長は、
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思うならまず聞くがいい。正しい甲斐源氏の流れを汲んだ甲州の武田はどうかというに、信玄の武勇をもってしても、京都
ないというが、戦の聖人と崇われている彼の甲州の信玄様は父を押しこめた不孝者でござる。越後の上杉謙信公も兄
「おおそれではあなたのお故郷は、あの甲州でございますか」
けれど、乱れた戦国の世に、他国の女がうかうかと甲州の地へ行けましょうか?」嘲けるようにお銀は云った。
「いえ甲州へはいる方法、ただ一つだけござります」
「まさか甲州へも行かれめえ」
「おやまだ甲州を云っているよ」
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飛び立った。湖水の彼方に連らなるのは信濃の名山八ヶ岳、右手に独り聳えているのは富士によく似た立科山、八ヶ岳颪が
向かうところ一道の白光闇を貫き、その白光の杳か彼方、八ヶ岳の山頂と覚しき辺りに、権六を抱えた五右衛門の姿、豆より小さく見え
は、すなわち、上泉伊勢守、また信州の方面にては、八ヶ岳の麓に閑居する鉄砲の名人として世に名高き、三羽烏玄々斎。その
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「お母様だけは日本の生れで、それも九州の大大名、竜造寺家の姫君の、不知火姫と仰せらるる美しいお方で
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再び一軍は粛々と中津川を指して行進した。こうして野尻へ来た時に忽ち今来た
野、坂下、落合川、三つの宿を打ち越えて目差す中津川へ来た時には夜ももう初夜を過ごしていた。
爾来、中津川の花村家は、木曽家、伊那家、御嶽冠者、以上三つの敵を
しかし、中津川の城下だけは、花村甚五衛門の支配の下に人も散らず商売も栄え
「どうじゃな各自、中津川の城下で、近頃こういう噂があるが、耳にしたことがござるか
「ねえお夏様どう思います。中津川の町人も最初のうちは、私達三人を敬って、『中津川の三狐
短気の鈍二兵衛様がとうとうすっかり腹を立てて、この中津川の人達に怨みを返す相談をしようと、今夜集まるのではございませぬ
からものの三日も経たないうちに、苗木の城下、中津川の町に、奇怪な熱病が流行して、それにかかった人達は焦熱
不思議な熱病の蔓延は恐ろしいほどに速かった。中津川の町の町人のほとんど全部がこれにかかり泣き声喚き声呪咀の声が城中へまで
が武兵衛のことを恐れていたということと、現在中津川の住民が不思議な熱病に取り付かれ、頻々と死ぬということと、この熱病
「何はともあれああいうお方が中津川のお城下へ出たというものは、やはり花村甚五衛門様が勇士をお
抜小女郎と法蔵寺鈍二兵衛とで、さすが名物の中津川の三狐も、武兵衛の法力には勝つことが出来ず憐れにも自滅を
「雪の曠野へ野宿も出来ぬ、一旦、中津川へ帰りましょうかな」数馬は寂しそうにこう返辞えた。
にし、秀吉の帷幕に参していたそうで、「中津川の智嚢」と綽名されたのは、この人物だったということである
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境遇がひどく愉快で気に入った。塵寰を離れた山中湖の附近、神のように清い二人の乙女、女ばかりの水入らずの生活
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を囲み、人通りもない夕暮れを、声荒々しく語っている。稲荷山に近く、篠井にも近い、吹きっ曝らしの堤である。
山つづきに百鳥が囀りを交わすようになると、向かい合った稲荷山と篠井の里とは、薄紫の春霞に朝と晩とを化粧され、
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の落伍者もないように上へ上へと登って行く。大天井ヶ岳を越えてからは若干か道は平易くなったがやがて槍ヶ岳へかかると共
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二、三の重役どもが、表面には件の盃を御嶽山の頂きに埋めたと云いふらし、実は窃かに宝蔵へ蔵い、盃を納めた
それと同時にまた一方――御嶽方面の郡代からは、御嶽山上に籠っているマドリド司僧の遺児の御嶽冠者が一味を率い、降り積もる雪
白皚々たる御嶽山は、暮れ行く夕陽に照らされて、薄紅の瑪瑙のように深碧の空に
、主君を見限り領地へ引退、洞院左膳は謀反をする。御嶽山には、御嶽冠者。四方八方敵ばかり、社稷艱難の有様でござる」
ましょう。……が、その前にあなたをお連れし、御嶽山へ行かなければなりません。あなたを兄君にお逢わせするため」
「御嶽山上においでになる、御嶽冠者こそそのお方です。そうして私は
その御嶽山の頂きの、御嶽冠者の砦には、岩石ヶ城から帰陣した、御嶽
晩秋の山中の美しさ! わけても御嶽山には薬草多く、その薬草が花を咲かせ、虹のような美しさを
さて鳰鳥と百地三太夫とは、御嶽山中を歩いて行く。
またこれにおる多勢の男女は某の盟友同志でござる。御嶽山上に御嶽冠者という、若き聖雄ありと聞き、面会して意見を交換し
て、今は鳰鳥と三太夫と、右京次郎の一団とが御嶽山を上へ上っている。
義明を狙い同志を集め、鬱然とした勢力を作り、御嶽山上に砦を築き、天下の大勢を窺って、自由自在に活躍し、今日の
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いわば賓客の身分でござるに、お手討ちなんど遊ばすが最後、伊予との同盟忽ちに破れ、国の乱れとなるは必定! それでもお
尚ならぬ――賓客の礼もこれまでじゃ! いざ伊予の国へお帰りあれ」――手を上げて戸口を指すのであった。
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せ、北山から大石を引き出させ、七堂伽藍を建立し、近畿地方二万の信徒より、寄附金を募り浄財を出させ、京都所司代村井貞勝をして
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などと互いに語りながら、桔梗ヶ原も打ち越えて、次第に重なる山々谷々の、岨道を踏み分けて進むのであった
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なんと奇怪な光景ではないか! 駒ヶ岳の谷である! 昼の陽がキラキラ輝いている! 一筋滝が落ち
「いったいここはどこだろう? 駒ヶ岳には相違あるまいが、いったいなんという所だろう? そうしていったいこの
、何かの理由で漂流して来て、この日本の駒ヶ岳に、隠れ住んでいたものと見なさなければならない。
だからな。……麗人も糸瓜もあるものか。同じ駒ヶ岳の住民じゃねえか」
帰って行くとして、では彼女はこの険難な、駒ヶ岳の山道を一歩一歩、辿って行かなければならないのであろうか?
間もなく月夜の駒ヶ岳の、大自然をあたかも黒い魔のような物が、疾風のような素早さで
来たのさ。お前達にしろ俺達にしろ、同じ駒ヶ岳に住んでいる身分だ。お互いに仲よくやろうじゃあないか。不平はあるまい
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でもなく、一風変わった不思議な男で、それになかなか金山については豊富な知識を持っておる。むしろ坑夫をさせて置くの
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近畿地方二万の信徒より、寄附金を募り浄財を出させ、京都所司代村井貞勝をして、保護をさせたのが南蛮寺であったが、
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「おおそれじゃ、妙高山に……」
、加賀白山へは帰らずに、傾城小銀が山寨を持つ妙高山へ行くことにした。
「妙高山に立てこもる女賊の張本傾城小銀が、女兵ばかりを四百率い殿致しておりまする」
に翻弄され、這々の態で逃げ帰るや、小銀の山寨妙高山へともかくも一時落ち着いたが、すぐに白山へ使いを出し、兄弟分の天丸左陣へ事
に思案の臍を決めると、部下の兵を引率して妙高山へ出張って行った。そこで三人凝議の末いよいよ復讐ということになり、小銀
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組は前後して宿を出て立って先へ進む。諏訪を通れば木曽街道で、塩尻、洗馬、もと山と、路はだんだん険しくなる
道筋を押し上ぼりそこからちょっと横へ外れ、この信州の諏訪まで来ると日本第一大軍神、諏訪明神の境内で、計らず見つけた四
にするがよいと、有難い仰せに涙を流し生まれ故郷の諏訪へ帰り、産み落したのがこの私、それとも知らず養育され、十
の四年間を諸国を巡って暮らしたが、再び故郷の諏訪へかえり、明神の孕石を囮として、我より優れた陰陽師に、
「逢いたく存じて参ります途中、諏訪にて計らずある人と逢い、そのため百地三太夫殿にお逢いする必要なくなり
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血生臭い事ばかりが行われたが、八方山に囲まれた木曽の谿谷三十里は、修羅の巷を懸け離れた自らなる別天地で、春が来れば
「それは」とお霜は声をひそめ、「木曽の山国を受領する木曽義明でございます」
「木曽の受領の義明!」
木曽の谷間の美しさは、万山の紅葉一時に染まる晩秋に越すものはない
「諸国は広い、木曽ばかりに、陽が射すものとも限っていまい。土地を見棄てて立ち去るが
一度とっくりと考えてくださりませ。あの父上の仰せには木曽を離れて他国せよとこうあったではござりませぬか! それ故二人
たとえ毎晩藪原へお通い遊ばすと致しましても、そのため木曽のお館が潰れることもありますまい。もしまた毎晩の藪原通いが殿様の
可愛しい者はないとか、そちのためなら国も棄てよう、木曽の館を出もしよう、日本の国は広くとも女の数は多くともそち
があるとのこと、今頃は既によい年頃、恐らく二人とも木曽のお館を父の仇敵と思い詰めて、付け狙いおるも計れず、いやいや人伝てに
て、金銀財宝を蒐めたり、多くの手下を駆り集め、ときどき木曽へも出没して、館の周囲に立ち廻わり、殿を狙うておるとの
華やかな秋もこうして過ぎ、木曽の天地は冬となった。山も人家も川も谷も、一面に雪
ともあれ、こうして平和の木曽は、忽ちのうちに騒がしい、不安な天地に変わったのである。
をいかなる者と思いおるぞ! 汝らが敵と付け狙う木曽の館とは切っても切れぬ。汝ら、名ぐらいは聞きおろう、木曽
切っても切れぬ。汝ら、名ぐらいは聞きおろう、木曽の家中にその人ありと隣国までも聞こえたる、花村甚五衛門宗房こそ、
もなったる際には、吾ら必ずそなたを連れて、木曽へ参るでござろうほどに……」
の家臣ながら故あって父に勘当され、女房と連れ立ち木曽を立ち退き、諸国を経巡っておりましたところ、今度お館の大事と知り、
ではお話し致しましょう。一口に申せば吾らが主君、木曽のお館義明公を、淫酒をもって騙かす鳰鳥と申す殿の側女を
「木曽の大領、義明朝臣!」
「木曽の大領義明に打ち滅ぼされた西班牙の司僧マドリド教主の遺児の千曲姫と申す
「木曽の大領義明公」
挺担いで来ました。さあさあこれへお乗りなせえ、木曽まで路は遠くともまたどのように険しくとも、これだけの同勢で福島までお伴
なる上は仰せに従い、いかにも駕籠にも乗りましょう。木曽までお送り願いましょう、辱けのうござるぞ、如来衛門殿!」
このまま打ち棄て置く時は旭将軍義仲公より連綿と続いた木曽の館も、間もなく滅亡に及ぶも知れぬ」
そして、かつては木曽の人達から、
木曽へ木曽へとつけ出す米は
木曽へ木曽へとつけ出す米は
来て見ればここも浮世の例に洩れず、伊那と木曽との国争い! わけても伊那は饑饉に襲われ道に斃れる者さえある!
ら聞いて驚くな! 吾を語らいしその者とは木曽の霊境に砦を構え、四方の勇士を集め召す、御嶽冠者行氏なるわ
旗下となるは必定、それに冠者もまた伊那家も、木曽に対しては深讐あり、二党揃って押し寄せなば、木曽の没落は眼前
に対しては深讐あり、二党揃って押し寄せなば、木曽の没落は眼前にありと、さてこそ今夜忍び入り、奥方を攫わんとなしたる
てなし! かかる女子を得たというは、神々いまだ木曽のお館を見捨て給わぬ証拠であろう。ああ有難し有難し」
お館に取って不為を働く側女鳰鳥の首を打つか木曽から彼方へ放逐するか、いずれか一つ執行うように……これさえお聴き入れ
駅路では寄るとさわるとこの噂で――花村一族と木曽のお館との合戦の噂で持ち切っている。
「ちょうどよいところへ立ち帰ったぞ。右門、父はな、木曽のお館へ、こちらより主従の縁を切って、ただ今所領の中津の
「ナニ木曽だって? 信濃の木曽か?」天丸左陣が訊き返した。
「ナニ木曽だって? 信濃の木曽か?」天丸左陣が訊き返した。
「信濃の木曽と加賀の白山とは随分道が遠いじゃないか」
「木曽まで出かけるにもあたるめえ」
「そうは云っても木曽は大領、千や二千の兵はあろう」
「木曽の奴らよりゃあマシですぜ」
「木曽は武家の名門でござるに、我ら如き緑林の徒に、何んと思う
木曽へは方角違い
わざわざのお見送りお礼申す。実は少しく思うところござって至急木曽へ立ち帰りますれば、その辺よろしくご斟酌の上構わずお引き取りくだされますよう。
「いや木曽へ立ち帰ります」
「木曽は南へ当たっております」
たろう? 木曽義明の運命はいかに? 久方振りで物語は木曽の天地へ帰らなければならない。
「そうして今は木曽のお館義明公のご愛妾です」
と更け渡った深夜ではあり、巨木矮林茂り重なった、木曽の山路であるだけに、恐ろしさも一層であった。
」というと鳰鳥は、思わず軽く一礼した。「木曽の福島から参りました」
「木曽の福島?」と訝しそうに、二人の乙女は顔を見合わせたが、「
出来ない以上は、この「双玉湖」の別天地から、木曽へ帰ることは困難であった。それに彼女は帰りたくもなかった。もちろん
であった。それに彼女は帰りたくもなかった。もちろん木曽の館では彼女を待っているだろう。換え玉もやがて露見しよう。そうし
木曽へ帰って行くとして、では彼女はこの険難な、駒ヶ岳の山道を
から、尺地術を念じ行いさえすれば、易々として木曽へ帰って行くことが出来た。
間もなく木曽へ着くことであろう。
が経った時、義明を討たれて萎靡沈滞した、木曽の館を御嶽冠者の軍が、ほとんど一揉みに揉みつぶし、木曽の館を占領
の館を御嶽冠者の軍が、ほとんど一揉みに揉みつぶし、木曽の館を占領した時、その願望がとげられたのである。
百地三太夫の、お世辞の言葉ではなかったのである。木曽の館を占領し、義明の領地を手に入れてからの、その後のこと
洞院左膳もその一人で、この人物は御嶽冠者が、木曽の館を占領した時、反抗して戦って討って取られた。
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男石、日向小林在の陰陽石、上野須原の凹凸神、富士山麓の夫婦岩、岩瀬の陽石などそれである。
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て立って先へ進む。諏訪を通れば木曽街道で、塩尻、洗馬、もと山と、路はだんだん険しくなる。にえ川、奈良井へ来
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「蕭々たる秋の景色、しかもここは塩尻峠、向こうに見えるは乗鞍山脈、秋草の花はおおかた枯れ、昼鳴く虫も死に絶え
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中にあって、北方の頭目であるからであって、箱根の山に山寨を構え海道筋を稼ぎ場とし旅人を嚇し脅かしていた彼
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「黒姫山の地丸左陣とよ」
黒姫山の麓に近く古田という駅路があった。温泉などが湧き出してまことに住み
温泉などが湧き出してまことに住みよい土地であったが、黒姫山の山寨から地丸左陣の手下の者が時々大挙して劫掠に来るので、
木々の葉は悉く色染まり黄もあれば紅もあり、黒姫山は眉を圧してすぐ眼前に聳えている。
寂しいでございましょう。……石黒、大沢、上野、古田、黒姫山を取り巻いて幾個か宿はございますけれど、みんな寂しい宿ばかり、雪が六
「ええ、それじゃ黒姫山の?」
「うんそうだ、黒姫山に、山寨を築いて住んでいる地丸左陣の乾児の中で、名を
古歌であるが、この古歌によっても知れるように、黒姫山は険しい山で、人の住めるような場所ではない。
て来た。季節は夜長の晩秋である。二千尺の黒姫山、夜が更けるにしたがって、寒気骨身に徹るばかりだ。ヒューッ、ヒューッと夜嵐
なり、水晶山の人足ども、明十日の払暁に、黒姫山を逃げようと企てておるのでございますぞ」
を加えて総勢一千の大軍を窃かに巧妙に繰り出して黒姫山を包囲させたのは実に昨夜のことであって、一日だけ人馬
この一隊こそ他でもない黒姫山を脱出した右京次郎の一味であった。
城内の方々に物申す。我らが主君飛鳥井右京次郎、黒姫山の賊寨を出で、同志合して四百人、只今城下まで参ってござる。そもそも
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なくなった。四方岩石に囲繞された彼の持ち城苗木城はその構えこそ小さくはあったがその巧妙なる縄張りによって難攻不落と称され
の医者。これが武兵衛の本身でござる。それを誉れある苗木城の浪人組に加えようとは殿にも似合わぬ不覚千万。それとも武兵衛に
思えば変化のあったことよ! 苗木城の客分になった事も、ようやく雲助の足を洗って苗木城中浪人組の
か。いかにもあなた様のおっしゃる通り、つい一昨日までは苗木城の客分の身分でございましたなれど、仔細あって城を出たからは
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聞き、面会して意見を交換したく、数日前に飯山の城主、佐野常氏の城を立ち、ここまで辿って来てござる。お
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藪原長者の大館は木曽川に臨んだ巨巌の上に砦のように立っていた。裾
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武士は恵那山を指差した。
助もその中におるに相違ござらぬ。これよりすぐに恵那山を差して、雪深くとも分け登り、探し求めようではござらぬか」
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の恩に報ずるため防ぎ矢少々差し上げ申す。かく云う我らは伊勢の豪族北畠家の家人として弓手の一人に数えられたる鉄主馬之介
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「吾、四方に志あって、故郷の加賀を立ち出でしは、今よりちょうど三年前、諸国の国状を探りつつ、木曽
「思うところあって家を出で、加賀へ参る道程、ここあたりを通ったのじゃと、老人の方が申されまし
いかに高貴とはいえ、小判一枚持たぬ身で、はるばる加賀まで参るとは、恐らく狂人か白痴であろうぞ!」
「加賀へお越しとか承わりましたが?」
「さよう、加賀まで参るつもり」
殺伐の戦国の世に、旅金も持たずどうして加賀まで、長の旅路を参られまするかな?」
ましょう。すなわち、部下の兵を率い、沿道の悪者打ち払い、加賀までお供致すでござろう。しかしそれとて急がずともの事。当分は当城にお
私諸国を漫遊し名ある勇士を尋ねおりました際、加賀の白山に英雄ありと聞き分け入りまして調べましたところ、山路に迷い谷に
長年の間、望んでいたところの宝物がござる。すなわち加賀は白山の奥、ここ瑠璃ヶ岳のひと処に、その宝物は隠されて
「信濃の木曽と加賀の白山とは随分道が遠いじゃないか」
「ハイ、さようにござります。男の方は加賀の白山に、山寨を作り設けている、人丸左陣と申す者の由、三百人
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境内へ二人は出た。向こうを見れば玉垣の奥に津島神社の本殿がある。右手に絵馬堂が立っている。二人は神水で手を
「神様と云えば武兵衛様は駒場の森の津島神社の拝殿に寝ていたと申すことじゃ」
「それではいよいよ津島神社のお遣使かもしれないぞ」
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計を用いたのも、わずか百五十人の寡兵をもって金剛山に立てこもり、北条二十万の大軍を堂々として破ったのも、この書がお
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「馬鹿、そいつあ阿房宮の賦だ」
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覚しめし、戦いの場にもお出張り遊ばさず、尚また関東の北条氏と、昔からお仲よろしからぬを嘆かれ、今回和平の証に
たるは、主人を持たぬ人々でござる。数えて申せば関東にては、すなわち、上泉伊勢守、また信州の方面にては、八ヶ岳の麓に
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そう云えばあの侍は二人にとっては結ぶの神、出雲の神様でございましたなあ」そう云うと山尾は両の頬を耳までポッ
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胡蝶軍、名こそ様々に呼ばれてはおれ、支那、高麗に押し寄せて、武威を揮う大船隊、その船隊の頭領として、伊予一円
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を越えてからは若干か道は平易くなったがやがて槍ヶ岳へかかると共ににわかに一層険しくなり、女子供は行き悩んだが、そういう時
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も思わず真っ向に受け、昨夜の雪の積った道を駒場の方へ行くのであった。長い街道を行き抜けて、だらだら坂を丘
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になるような、掘り出し物はあるまいかと、産れ故郷の筑紫を出て海道筋を押し上ぼりそこからちょっと横へ外れ、この信州の諏訪
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固不抜じゃということがお父上達に感ぜられた時、自と両国の和睦もなり平和が参るに相違ござらぬ。――おお老人には所用がござった
こうして両国は平和となった。大建築はとどこおりなく、進行するに相違ない。
はあたかも長蛇のように、麒麟山上の麗人国を目掛け、両国をはっきり境いしている、険しい断崖をよじ上った。
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「福島は今日から馬市で、さぞまあ賑わうことだろう」
「福島の馬市も馬市だが、藪原の繁昌はまた格別じゃ。と云って祭り
が、行末どうなることであろう……敵の住むという福島へはたった二宿の道程で、どんなに山路が険しくとも一日がかりで
「拙者は、福島の木曽殿の、執事を致す花村じゃ」
は遠くともまたどのように険しくとも、これだけの同勢で福島までお伴しようじゃございませんか――さあさあこれへお乗りなさい」
までうかうか来申したが、これでおいとま仕る。無事に福島へ参られい」
もついておいでなせえ、つい福島は目の先じゃ。福島まで従いておいでなせえ」
遠慮にゃ及ばねえ。どこまでもついておいでなせえ、つい福島は目の先じゃ。福島まで従いておいでなせえ」
「いやいやそれには及ばない。宮越、越えれば福島じゃ。これまで隙のないものが、これからありよう筈はない……
声を合図に駕籠は山路を飛ぶように走り、真夜中に福島へ入って来た。
「木曽一帯は福島と云わず、藪原であれ洗馬であれ、みなよい所でございます」
「そのよい景色の福島へ、由縁もないのにあなたと一緒にこの私が参るとは、不思議
上中沢、下中沢、菅沼地方に陣を敷いて一挙に福島を侵そうとする。さすがのお館義明公もこう腹背に敵を受けて
福島の城下は云うまでもなく、宮越、藪原の駅路では寄るとさわると
まだ宵ではあったが人の往来も途絶えてしまって福島の城下は物寂しく空には風さえ吹き渡って真冬に間近い星の光は
福島の城下を出外ずれて上松の畔へ来た時に夜はほのぼのと
は後の祭りであった。で行列は死体を乗り越え、福島指して進んで行った。
いうと鳰鳥は、思わず軽く一礼した。「木曽の福島から参りました」
「木曽の福島?」と訝しそうに、二人の乙女は顔を見合わせたが、「どう
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かというに、信玄の武勇をもってしても、京都への上洛がむずかしい。だから武田家はシケなのだ。駿遠三の大
名人であった。例えば主君信長が逆臣明智光秀のために京都本能寺で弑せられたと知るや敵の毛利氏と和を講じ、光秀
土地の豪農、助左衛門方へ泊まったかと思うと、近頃京都の親類先から遊びに来ていたお銀という娘と、どうやら
お銀も笑って口を蔽うた。さすが京都で育っただけに、肌の白さ美しさ、眼鼻立ちから姿から何
「それに致しても京都から、こんな山奥の古田などへ何んでおいでなされました?」
「天子在す所、すなわち京都だ」
「姓は飛鳥井、京都の産、伶人の身分で笛を吹く? 失礼ながら貴殿には、中納言
「京都産まれの青公卿が、何用あってかような辺土へ供も連れず
「……いや全く仰天した。京都のお公卿さまだと云うじゃないか」
近畿地方二万の信徒より、寄附金を募り浄財を出させ、京都所司代村井貞勝をして、保護をさせたのが南蛮寺であった
の人々の説を入れ、吉利支丹宗門に帰依をして、京都四条坊門に、四町四方の地をもて、菅谷九右衛門に奉行を
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どうやら病気上がり、一向元気のないご様子――私は長野の権堂で、ちっとは人にも知られた男。忘八屋商売はし
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「甲斐の甲府でございます」
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蜂谷礼司、永瀬忠作、江間犬丸、古幡牛丸、島崎惣右衛門、松山五郎哉、綺羅を尽くして控えていたが、いずれも口舌の佞臣ども
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……その後この書は我が朝に渡り、神代を経て奈良朝となり、蘇我入鹿が手に入れたため、大不敬罪をさえ犯そうと
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。珍らしい食物でも貰った時には、お霜はきっと千曲を呼んで、自分は食べないでも彼女にはくれた。たとえお霜
千曲と呼ばれていた。それでお霜はその千曲をそういう貧しさの中にあっても、決して不自由をさせなかった
その頃は鳰鳥と呼ばれてはいなかった。彼女は千曲と呼ばれていた。それでお霜はその千曲をそういう貧し
その親はきっと云うのである。「千曲さんをご覧、千曲さんだったら、そんな夜遊びはしないだろう」と。こう云われると娘達
娘があると、その親はきっと云うのである。「千曲さんをご覧、千曲さんだったら、そんな夜遊びはしないだろう」と。こう
その娘に云うのであった。「千曲さんをご覧、千曲さんだったら、そんな剛情は張らないだろう」と。夜遊びをするような
には、親はその娘に云うのであった。「千曲さんをご覧、千曲さんだったら、そんな剛情は張らないだろう」と。
育てられたためか、貧しい家庭の娘にも似ず、千曲は鷹揚で情け深い立派な娘として成長した。彼女は近所の褒め
ある朝、お霜は恭しく千曲の手を取って上座に据え、眼醒めるばかりに美しい金襴の袱紗を押し開き、
「え?」と思わず千曲は云った。「日本の者でないというのは?」
千曲は呟くと十字架を取って、額にしっかりとあてたのである。
千曲川堤の焚火
大領義明に打ち滅ぼされた西班牙の司僧マドリド教主の遺児の千曲姫と申す者こそ、仮に妾の娘となり、この篠井に住みまし
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、鉄扇を机に突き立てた様子は、怒れば関羽笑えば恵比寿、正に英雄偉傑の姿を充分に備えているではないか。
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「さぞ寂しいでございましょう。……石黒、大沢、上野、古田、黒姫山を取り巻いて幾個か宿はございますけれど、みんな寂しい
た。信濃の笠石、男石、日向小林在の陰陽石、上野須原の凹凸神、富士山麓の夫婦岩、岩瀬の陽石などそれである。
主」の字をつけていた。大物主、八雲主、上野主、石上主、こんな塩梅につけていた。僧族は文字通り僧侶
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で鳰鳥は四辺を見た。わずか離れて小岩があり、そのうしろの草の中に、唐織錦の巻物が木の葉に蔽わ
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のお霜を、彼女は母だと思っていた。千曲川の岸の篠井の里で、母だと信じて老婆のお霜に彼女
しかし清らかな千曲川の水へ、桜の花弁が散り浮く頃、弥生も末の逝く春の頃
洋々と流れる千曲川も、冬は氷にとざされて、その水色さえ黝黒く、岸の枯蘆
その千曲川の堤の上に、七、八人の武士が焚火を囲み、人通りも
足踏み外して真っ逆様、幾丈と高い断崖から、氷張り詰めた千曲川へ、「無念!」と叫ぶ声と共に行方も知れず落ちて行っ
「たいした獲物もござりませぬが、篠井の畔、千曲川の岸で女子を一人捕えましてござる」
するような卑怯者に、生まれついてはおりません。右門は千曲川の絶壁から真っ逆様に川の中へ切り込まれたのでございます」山吹の
千曲川の岸に蓮華草が咲き、姥捨山の山つづきに百鳥が囀りを交わすように
空では雲雀が気忙わしく、ひっきりなしに歌を唄い、千曲川の流れるほとりからは、川を溯る帆船の風にはためく音がする。二人
その日千曲川に添いながら、不思議な一隊の軍勢が、谷家街道を西南の方へ、
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調え、粛々と前進を続けて行く。三留野、坂下、落合川、三つの宿を打ち越えて目差す中津川へ来た時には夜ももう