剣侠 / 国枝史郎
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白川郷など今もそうである。
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名古屋に一軒、犬山に一軒、知多に一軒、都合三軒、いずれも
御三家の筆頭尾張家の城下、名古屋の町にも桜の葉などが風に誘われて散るようになった。
へ、源女を附けて江戸へ帰し、自分一人だけが名古屋へ来た。
であり、せっかく福島まで来たのであるから、久々で名古屋へ出かけて行き、諌早殿にお目にかかり、お城下見物をすることに
名古屋の城下へ行ったらしかった。
で、兄妹は連れ立って、名古屋へ来たのであって、この地へ来ると主水と澄江とは、とりあえず
でも一方右手の方には、逸見三家中の名古屋逸見家の、大旗本の下屋敷のような、宏大な屋敷の一部が、黒く
騒動から嘉門や多四郎たちは木曽福島に遁れ、そこから共に名古屋の地へ来、逸見三家の実際の主人が、井上嘉門その人だっ
の主人が、井上嘉門その人だったので、まず名古屋逸見家の屋敷へ、一同入ったのにすぎないのであった。
福島へ出、名古屋へ出た。
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「へい左様でございます。……赤尾村の林蔵親分か、高萩村の猪之松親分かと、並び称され居ります
い、林や森や耕地があった。左へ行けば赤尾村、右へ行けば高萩村、双方へ行ける分岐点、そこに六地蔵が立って
を吐き、グルリと猪之松へ背中を向け、街道を赤尾村の方へ歩き出した。
の身に起こった。そこでほとんど夢遊病患者のように、赤尾村の林蔵の家を脱け出し、どこをどう歩いたか自分でも知らず、この
「そなたは赤尾村の林蔵殿じゃな」
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先ず甲州へ出かけて行った。
で、二人――主水と澄江との二人は、ともかくも甲州へ行くことにした。
さて甲州へ行って尋ねたところ、栗原宿の博徒の親分、紋兵衛という老人が
鴫澤庄右衛門を討って取り、甲州へ一旦落ち延びたが、主水が敵討にやって来るであろう、燈台かえって下暗し
師匠、逸見多四郎先生も居られる、かたがた都合がよかろうと、甲州から武州へ引っ返し、以前わけても世話になった高萩村の猪之松方に、
娘、陣十郎に誘惑され、情婦となって江戸や甲州を、連れ廻されたとそんなように、主水には話して置いたので
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「関東の麒麟と称されて居ります」
「いや関東の女こそ、肌も荒ければ気性も荒く、申して見ますれば癖の多い
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を飲み、肉を喰らったといわれている、伝説の大江山の酒顛童子、それさながらの表情をして、ぐっと多四郎を睨むように
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「源女殿を連れて秩父地方に参る。よろしかったら貴殿もご同道なされ」と。
「秩父地方に何か用でも?」
なく、金の埋没地も不明となり、わずかにこの地方秩父地方において『秩父の郡小川村、逸見様庭の桧の根、昔はあっ
のじゃ。というのは普通の手毬歌として、秩父地方の人々は、昔から知っているのだからな。ところがどうだろう源女
はこう思った。あの歌の前半の歌われている、秩父地方へ出かけて行って、気長く源女殿をそこに住ませて、源女殿
は頷いて云った「逸見多四郎殿の門弟として、秩父地方に永らく居た彼、黄金の秘密は知悉しているはずじゃ」
たということじゃ……云々と云う昔からの歌が秩父地方でうたわれ居ります。この歌の意味は伝説によれば、源頼義、その
源頼義、その子義家、奥州攻めの帰るさにおいて、秩父地方に埋めました黄金、それにまつわる歌とのこと、しかるにこの歌の末
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「あの婦人が――いや、あの婦人の歌が、秩父行きの原因でな。……秩父の郡小川村逸見様庭の桧の根、
あの婦人の歌が、秩父行きの原因でな。……秩父の郡小川村逸見様庭の桧の根、昔は在ったということじゃ。
※秩父の郡、小川村、
お妻は秩父の産れであり、秩父香具師の一人であった。が、ずっと若い頃に、
しまった――源女殿を見失ってしまったので、秩父にいる必要がなくなってしまった。そこで江戸へ帰ろうと思う。……江戸
※秩父の郡
「秩父の山にゃア熊や狼が、ソロソロ冬も近付いて来た、餌がねえ
「秩父の郡小川村、逸見様庭の桧の根、むかしはあったということじゃ
それ以前に、あの歌にうたわれて居りますように、秩父の郡小川村の、逸見様のお庭の桧の根方に、――即ち貴郎
秩父の郡小川村
「一つ秩父の同じ地方で、それほどの立派な男が二人、両立して争うとは
十郎と連立って、道中旅をして参りましたは、秩父の高萩の猪之松の家で、馬大尽の井上嘉門に、すんでに
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両国橋を本所の方へ渡ると、江戸一番の盛場となり、ことに細小路一帯に
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、元弘三年新田義貞卿が、北條高時を滅ぼすべく、鎌倉に兵を進めようとし、分倍河原に屯して、北條泰家と合戦した
したということじゃ。更に下って足利時代に入り、鎌倉の公方足利成氏、管領上杉憲忠を殺した。憲忠の家臣長尾景晴、これを
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していることだが、後冷泉天皇の御宇にあって、奥州の酋長阿部の頼時が、貞任、宗任の二子と共に、朝廷に背い
ばかりでなく、前九年の役が終了した際、奥州産の莫大な黄金、それを携えて帰って来、それを国分寺の境内に
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「と云いましても抜目は無く、武州には小金井の牧場があり、牧馬や、牧牛が盛んでありますから、その間に牧主
源右衛門、廣澤の兵右衛門、江尻の和助、妙義の雷蔵、小金井の半助、御輿の三右衛門、鰍澤の藤兵衛、三保松源蔵、藤岡の慶助――等々
驚いたのは他の貸元連で、小金井の半助、江尻の和助、鰍沢の藤兵衛、三保ノ松の源蔵、その他の
その結果小金井の半助が、猪之松方へ出かけて行き、そうして鰍沢の藤兵衛が
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「木曽の大金持でございます」
「木曽の金持? 信州木曽のか?」
「それにしても木曽の馬大尽が、武州の博徒などと親しいとは?」
「木曽の馬市なら存じて居る。日本的に有名じゃ」
「それじゃア何かいお山の客は、木曽の馬大尽井上嘉門様か?」
、眼の前に迫って参りました、いずれその時は木曽の福島で、又皆様にお眼にかかれますが、何しろ福島は山の
「ええこれは木曽の馬大尽様事、井上嘉門様に申し上げます。私事は八五郎と申し、
お見知り置き下さりましょう。……さて今回嘉門様には、木曽よりわざわざの武州入り高萩村へお越し下され、我々如き者をもご引見、
間もなく行なわれる木曽の馬市、納めの馬市へは武州甲州の、博徒がこぞって行くはずである
旅へ出てはじめて木曽へ行くのだと、澄江は陣十郎によって明かされた。とはいえ
て明かされた。とはいえ鴫澤主水を討つべく、木曽へ行くのだとは明かされなかった。
(しかし澄江がこの俺が、主水を討つために木曽へ行くのだと、そう知ったら安穏では居るまいなあ)
陣十郎はそう思い、そうとは明かさずただ漫然と、木曽への旅に澄江を引き出した。自分の邪の心持が、自分ながら厭に
のようになり、弁三の家にかくまわれてから、木曽への旅へ出た今日が日まで、日数にしては僅かであった
しかしその中に弁三の口から、木曽の納めの馬市を目指して、馬大尽を送りかたがた、猪之松が大勢の
防ぎ、猪之松方の賭場防ぎ。で、猪之松が木曽へ行くからは、陣十郎も行くでござんしょう」
「では拙者も木曽へ参って……」
、あの土地に居附いていたと云える。とすると木曽の福島へ、納めの市へ馬大尽ともども、猪之松が行くということ
と、街道を背後の方から、木曽の納めの馬市へ出る、馬の群が博労に宰領されて、陸続と
、猪之松方へ行ったところ、本日井上嘉門ともども、木曽へ向かって行ったとのこと、それではこちらも木曽へ行こうと、東馬
木曽へ向かって行ったとのこと、それではこちらも木曽へ行こうと、東馬をも連れて旅立ったので、途中で馬大尽や猪
着き、先を急いで泊まろうとせず、夜をかけて木曽の福島へ向かう、猪之松と馬大尽との一行と、一瞬掛け違ってしまっ
と、二人が連立って、木曽へ向かったと人伝てに聞いた。
現代の木曽の馬市は、九月行なわれる中見の市と、半夏至を中にして
て、かなり劣ったものであった。もうこの頃は山国の木曽は、はなはだ寒くて冬めいてさえ居り、人の出もあまりなかったからで
「木曽の秋の夜……寒いのう。……風邪でも引いては大変だ。
くれ。俺の言葉を信じてくれ。そうして一緒に木曽へ行って、澄江殿を取り返そう」
で、嘉門に連れられて行ったとすれば、急いで木曽へ出張って行って、澄江を奪い返さなければならない。
木曽の五木と称されている、杜松や扁柏や金松や、花柏や、
「木曽の奥地西野郷へ、行って見ようではござらぬか」
奥地の木曽の風景を探る。こう二人には云ったものの、その実は奥地の西野
分け上る道は険しかったが、名に負う木曽の奥地の秋、その美しさは類少なく、木々は紅葉し草は黄ばみ
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四時煙を噴く浅間山の、山脈の裾に横たわっている宿場、参覲交代の大名衆が――北陸、西国
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家臣であったが、故あって浪人となり、家族ともども江戸に出た。貨殖の才がある上に、信州人特有の倹約家で、金貸
に関係したあげく、わざと勘当されて浪人となり、江戸へいでて技を磨き、根岸御行の松に道場を設け、新影流を教授
のであるが、それほどの高名の剣豪であった、江戸に住居する武士という武士は、要介を知らない者はなく、そういう意味
「彼、悪鬼、江戸まで来たか!」
江戸はほんの眼の先にあり、自分の屋敷も眼の先にあったが、
探して探して探し廻ったあげく、江戸は両国の曲独楽の席で、ゆくりなくも発見した。が、その
起こった事件――鴫澤庄右衛門を討ち果したことから、江戸にいられず旅に出たため、源女のその後の消息については
「は、ご尤もには存じますが、主人こと事実江戸へ参り、今に帰宅いたしませねば……」
にかけられた門札を、お預かりして持ちかえる。逸見殿江戸よりご帰宅なさらば、この旨しかとお伝え下され。宿の小紅屋に滞在
ので、秩父にいる必要がなくなってしまった。そこで江戸へ帰ろうと思う。……江戸へ帰って行く置土産に、林蔵を立派な男
なくなってしまった。そこで江戸へ帰ろうと思う。……江戸へ帰って行く置土産に、林蔵を立派な男にしてやりたい。それで
殿を宿へ連れて参り、事情を詳しく訊いたところ、江戸両国の曲独楽の太夫、養母というものに悪婆あって長崎の異人に妾
じゃ。……それからわしは源女殿を連れて、江戸へ帰って屋敷へ置いたが、そこは女芸人のことで、もう一度
実は其先生お屋敷へ、本日参上いたしましたところ、江戸へ参ってご不在との御事。と、いつもの悪い癖が――酔興
「その儀でござる、実は其所用あって江戸へ参り、三日不在いたしまして、先刻帰宅いたしましたところ、ご高名の
「へい、不機嫌でございますとも、倅が江戸へ出て行ったまま、帰って来ないのでございますからな」
しまった。と、ヒョッコリ弁太郎が、膏薬売となって江戸へ出て来、バッタリお妻と顔を合わせた。爾来弁太郎は附き纏い
婆さんには死に別れ、たった一人の倅の弁太郎は江戸に出たまま帰って来ない。ただでさえ不安で小寂しいところへ、そんな
江戸土産の錦絵を張った、枕屏風を横に立てて、褥の上に坐って
香具師の娘、陣十郎に誘惑され、情婦となって江戸や甲州を、連れ廻されたとそんなように、主水には話して置いた
の女師匠や、折から同じ宿にかかっていた、江戸の芝居の役者の中、綺麗な女形の色若衆を、無理に頼んで三
頭様の御代の頃、大変流行いたしまして、いまだに江戸じゃア流行っているそうな、献上箱の故智に慣い、八五郎細工の献上箱
で要介は門弟の浪之助へ、源女を附けて江戸へ帰し、自分一人だけが名古屋へ来た。
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本郷の台まで来たときである。榊原式部少輔様のお屋敷があり、お
「本郷の榊原式部少輔様の、お長屋の一軒でございました」と、浪
こうして本郷の榊原様の、お屋敷地辺りまでやって来た。
旅装で変わってはいたが、いつぞやの夜、本郷の屋敷町で、危難を秋山要介と共に、救ってやった鴫澤家
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、大菩薩峠を越し丹波川に添い、青梅から扇町谷、高萩村から阪戸宿、高阪宿と辿って行くのをもって、まず順当として
「高萩村の猪之松親分から、迎え出ました乾分衆で」
へい左様でございます。……赤尾村の林蔵親分か、高萩村の猪之松親分かと、並び称され居ります大親分で」
「高萩村の猪之松親分とは、心が合うとでも申しましょうか、わけても
ところが入間郡と境を接する、高麗郡の高萩村に、猪之松という貸元があり、この頃年三十一歳、小川宿の逸見
があった。左へ行けば赤尾村、右へ行けば高萩村、双方へ行ける分岐点、そこに六地蔵が立っていて、木立がこんもり茂っ
と、甲州から武州へ引っ返し、以前わけても世話になった高萩村の猪之松方に、賭場防として身を寄せた。それは水品陣
を窃に確かめようと、上尾宿の旅籠桔梗屋を立って、高萩村へ行こうとして、今来かかった途中なのである。
澄江を担いで三人の博徒が、高萩村の方へ走り出した時、街道へ二つの人影が現われ、指差ししながら
「杉さん……てっきり……高萩村だア!」
の一味でごわしょう。その先刻の奴らといえば、高萩村の猪之の乾兒で。ですから恐らく陣十郎って奴も猪之の家
かいう悪侍、主水様とかいうお侍さんを、高萩村の方角へ……」
鍔際束に掴み、大薮のある方角とは、筋違いの方角高萩村の方へ、浪之助は耕地の土を蹴り、走った、走った一散
之松に振舞われ、少し遅れてその山城屋を出た、高萩村に属している、四人の博労が酔いの覚めない足で、機嫌よくフラフラ
そいつが陣十郎とかいう悪侍に、オビキ出されて高萩村の方へ行った。とその女が云ったんで、こいつ大変と杉さん
女が云ったんで、こいつ大変と杉さんがね、高萩村の方へ追って行ったんで。――が、まあ可いやそんな事ア
「以前一二度お見かけいたした。高萩村の猪之松殿か、拙者秋山要介でござる。刀を納め下されい」
高萩村に近い森の中まで、陣十郎を追って来た鴫澤主水は、心身
「高萩村の猪之松を、お賭下さらば本望でござる」
勝てば赤尾の林蔵を、関東一の貸元になすべく、高萩村の猪之松を、林蔵に臣事いたさせ下され」
高萩村の村外れに、秩父香具師の部落があり、「刃ノ郷」と称してい
「ここは高麗郡の高萩村、博徒の縄張は猪之松という男、陣十郎の親分でござんす。
「ここは『刃ノ郷』と申し、高萩村でも別趣の土地、秩父香具師の里でござんす。住民一致して居りまし
高萩村の博徒の親分、猪之松の家は賑わっていた。
――と云ったところで上尾も田舎、とは云え勿論高萩村より、いくらか都会というところから、料理は上尾からことごとく取った。
は以前馬大尽事、井上嘉門を迎えに出た、高萩村の博労達であったが、その連中が縦六尺、横三尺もある
……さて今回嘉門様には、木曽よりわざわざの武州入り高萩村へお越し下され、我々如き者をもご引見、光栄至極に存じます。そこ
しかしこの頃覆面武士は、とうに土塀を乗り越えて、高萩村を野良の方へ外れ、淡い月光を肩に受け、野を巻いている霧
、二人の様子を見てやろうと、源女を連れて高萩村の、猪之松方へ行ったところ、本日井上嘉門ともども、木曽へ向かって
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「数日前の夜で厶るが、大須の境内を歩いて居りますと、若い女が来かかりました。あの辺りのこと
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山毛戸の源太郎、中新田の源七、玉川の権太郎、閂峰吉、錚々たる猪之松の乾児達が、首を揃え
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川越の城主三十五万石、松平大和守の家臣であって、知行は堂々たる五百石、
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秋山要介の高い武名は、尾張藩にも知られていたので、今夜の宴にも勘兵衛と一緒に、
それというのは金田一新助は、尾張藩の中でもかなりの使い手として、尊敬されている武芸者だからで
「試し切りに来たらしい尾張藩の武士を、菰垂の裾からただ一刀に、足をお斬りになっ
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さて、追分の宿へ着いた。
主水にしてからが澄江の姿を、追分の宿で見かけたことを、不思議なことに思っていた。馬大尽井上
つもりだ。……最初は上尾の街道で、二度目は追分の宿外れの野原で、三度目はこの黒川渡で……」
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一番の盛場となり、ことに細小路一帯には、丹波から連れて来た狐爺とか、河童の見世物とか和蘭陀眼鏡とかそんな
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杉浪之助は宿を出て、両国をさして歩いて行った。
浪之助はそんなことを思いながら、両国の方へ歩いて行った。
浅草観世音へ参詣し、賽銭を投げて奥山を廻り、東両国の盛場へ来たときには、日が少し傾いていた。
、以前にここの娘太夫で、美貌と業の巧いのとで、一時両国の人気を攫った、本名お組芸名源女そういう女と妙な縁から、彼一流の恋を
探して探して探し廻ったあげく、江戸は両国の曲独楽の席で、ゆくりなくも発見した。が、その直後に起こった事件――
殿を宿へ連れて参り、事情を詳しく訊いたところ、江戸両国の曲独楽の太夫、養母というものに悪婆あって長崎の異人に妾に出そうとい
の前に陣十郎には、情婦があったのでござります。江戸両国の女芸人、独楽廻しの源女という女、これが情婦でござりまして、諸所方々
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いう噂があったり、養母に悪いのがついていて長崎の異人へ妾に売ったのと、そんな噂があったりしたが、
両国の曲独楽の太夫、養母というものに悪婆あって長崎の異人に妾に出そうという。それを避けて旅へ出で、ある
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多四郎や、小野派一刀流の浅利又七郎や、北辰一刀流の千葉周作等、前後して輩出した名人達と、伯仲の間にあった
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を、それからそれと伝わって、この一画から遁れ出て、下谷の方へ行こうとするらしく、ぞろぞろと歩いて行くのが見えた。
「ここへ来たかというのかえ。……下谷の常磐で待ち合わそうと、お前と約束はしたけれど、気になったの
あの夜澄江様を誘拐し、しかも妾という人間を、下谷の料亭常磐などに待たせ……さて首尾よく澄江様を、連れ出す
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「へい左様でございます。信州木曽谷福島宿の奥所、西野郷に住居いたします。馬持大尽様にございます」
「などと仰せられても福島の賭場、甲州身延山御会式賭場と一緒に、日本における二大賭場と
福島で、又皆様にお眼にかかれますが、何しろ福島は山の中、碌なご馳走も出来ませず、まして女と参りましては、
の前に迫って参りました、いずれその時は木曽の福島で、又皆様にお眼にかかれますが、何しろ福島は山の中
以上、俺も行くものとそう睨んで、俺を討つため福島さして、主水も行くに相違ない。ヨ――シそいつを利用して
、知っているということであるから、猪之松が福島へ行く以上、俺も行くものとそう睨んで、俺を討つため福島さし
土地に居附いていたと云える。とすると木曽の福島へ、納めの市へ馬大尽ともども、猪之松が行くということや
先を急いで泊まろうとせず、夜をかけて木曽の福島へ向かう、猪之松と馬大尽との一行と、一瞬掛け違ってしまった
とは云え天下の福島の馬市! そうそう貧弱なものではなく、馬も五百頭それくらい
居り、上り下りの旅人を調べる。で、どうしてもこの福島へは、旅人は一泊かあるいは二三泊、長い時には七日十
そういう福島の繁盛を外に、かなり距たった奈良井の宿の、山形屋という旅籠屋
それにしてもどうしてそんな負傷者を連れて、福島などへ行くのであろう?
澄江殿が逃げ込まれた。と、嘉門が駕籠に乗せ、福島の方へ走らせて行った。その以前からあの嘉門め、澄江殿に
は翌日山形屋を立って、旅駕籠に身を乗せて、福島さして歩ませた。
こんな塩梅に二人を連れて、多四郎は福島の宿を立った。
要介は源女を取り返して以来、そうして源女と福島へ来て以来、源女の口からこういう事を聞いた、
顛童子のような老人のいた所、そこはどうやら福島の、奥地のように思われます」と。
それに福島へ来て以来、林蔵の乾児をして逸見多四郎の起居を、絶え
今日の歩みをもってすれば、福島から西野郷へは一日で行けるが、文政年間の時代においては、
の嘉門の家の子郎党が、騒乱の領内から裏山づたいに、福島の方へ走り出したのは、それから間もなくのことであった
さて福島へやって来た。
、この一角から遥か離れた、巣山や明山の中腹を、福島の方へ行くらしい、たいまつの火が点々と見えた。
所で死んではたまらない! 早く人里へ! 早く福島へ!)
「ここに居りましても致し方ござらぬ、ともかくも福島まで引揚げましょう」
何故要介がこんな所にいるのか? 福島の馬市が首尾よく終えるや、赤尾の林蔵と高萩の猪之松とは
重臣諌早勘兵衛が、要介の知己であるからであり、せっかく福島まで来たのであるから、久々で名古屋へ出かけて行き、諌早殿に
幸運を感謝しながら、井上嘉門の領地を遁れ、まず福島の宿へ来た。
福島へ出、名古屋へ出た。
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二本の刀が山形をなし、朝の黄味深い日の光の中で、微動しながら浮いて
静止したまま山形をなし、山形をなしたまま微動した。
静止したまま山形をなし、山形をなしたまま微動した。
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「しからばご免」と仙台平の袴に、黒羽二重の衣裳羽織、威厳を保った多四郎は、
五貫もありそうであり、黒羽二重の紋付に、仙台平の袴をつけ、風采は尋常で平凡であったが腹の辺りが
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加賀金沢百万石の大名、前田侯などお通りの節には、行列蜿蜒数里
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浅草観世音へ参詣し、賽銭を投げて奥山を廻り、東両国の盛場へ
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が小石川富坂町の、自分の屋敷へ戻ろうとして、お茶の水の辺りを歩いていたのは、初夜をとうに過ごしていた頃
人家無く、これが江戸内かと疑われるほど、寂しい凄いお茶の水の境地を、微吟しながら歩いて行った。
ところで……」と浪之助は言葉を改め、昨夜お茶の水の寂しい境地で、その水品陣十郎に逢い、一種の脅迫を受けたこと
それにしても昨夜お茶の水で、陣十郎に脅迫された時、反抗しないでよいことをし
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の莫大な黄金、それを携えて帰って来、それを国分寺の境内に、ひそかに埋めたということじゃ。それには深い訳が
は立派な寺院で、堂塔伽藍聳えていたそうじゃが、その国分寺へとどまった……ところが止まったばかりでなく、前九年の
往来に、武蔵の国にとどまった。今日の国分寺村の国分寺、さよう、その頃には立派な寺院で、堂塔伽藍聳えていたそうじゃが
征めの往来に、武蔵の国にとどまった。今日の国分寺村の国分寺、さよう、その頃には立派な寺院で、堂塔伽藍聳えて
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両国橋を本所の方へ渡ると、江戸一番の盛場となり、ことに