猫の蚤とり武士 / 国枝史郎

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地名一覧

京都所司代

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「京都所司代の厭な爺さんが、松平伊豆守様への忠義顔に、お前さんという

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(二)その島は有名な堺の豪商、魚屋助右衛門が闕所になる前に、財産の大半を隠した所で

四国

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「四国、九州の諸豪方が、いざ事ありという時には、瀬戸内海を水軍で

兵庫

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兵庫に至ってはそうではなかった。

と兵庫は思った。

平青眼にピタリとつけて辷るがようにスルスルと出で、兵庫の行手を遮った。

と兵庫は心の中で叫び、踏み出した足を後へ返した。

と兵庫は戦慄を感じた。

は何んだ! ――という怒りの感情が、兵庫を改めて身顫いさせた。

と怒りを心頭に発し、兵庫は浪人へ斬り込んだ。

兵庫は嗄れた声で叫んだ。

して声の来た方角に向かい、眼を走らせた兵庫の眼に、五十嵐右内が捕えられ、紀州藩士達に手籠めにされ、

とばかりに、兵庫は心顛倒し、痣の浪人の存在を忘れ、右内の方へ駈け出そうとし

あるが、そう知ったと見えてスルスルと下がり、クルリと兵庫へ背中を向けると、まったく兵庫を無視した態度で、これも燈火のチラツイ

てスルスルと下がり、クルリと兵庫へ背中を向けると、まったく兵庫を無視した態度で、これも燈火のチラツイている、町の方へしとしと

あくまでも嘲弄したこの態度に、兵庫の心は掻きむしられた。

見よ兵庫は地に仆れ、舌打ちをした痣の浪人は、いつか刀を鞘に

兵庫は正雪の異母弟だけに、幕府に対する反感と、勤王の血とに燃え

で、兵庫の同志となった。

いるうちに、菊女の心はいつの間にか、兵庫へ恋となって傾いて行った。

と兵庫は微笑したが、

入谷田圃でのあの夜の出来事を、あの夜兵庫はこの家へ帰るや、菊女へ細かく物語った。爾来菊女は同志の

切歯せんばかりに兵庫は云った。

兵庫は無念そうに云い続けた。

の前に紀州公がいるかのように、罵るように兵庫は云った。

先輩だけにたしなめるように、兵庫はそう云って苦い顔をした。

と、兵庫と向かい合って座を占めた。

云い云い兵庫は膝を進めた。

兵庫はここで打ち案じた。

ここで兵庫は菊女の方を見た。

菊女はいくらか頬を染めて、兵庫を見ながら不安そうに云った。

ややあってから兵庫が云った。

またここで兵庫は菊女を見た。

て無情を訴えるように、眼に薄く涙を溜めて、兵庫の顔を睨むように見た。

られたればこそ……心定めてはおりまするが……兵庫様! あなた様のお口から……妾お怨みに存じまする!」

事実悪かったと思ったらしく、兵庫はそう云うと頭さえ下げた。

兵庫にしてからがこの菊女が、自分を愛しているということを、

いかに同志のためとはいえ、いかに兵庫の頼みとはいえ、色仕掛けで萩丸を誘惑することなど、彼女として

菊女にもしものことがあったら、助太刀せよという兵庫の命により、見え隠れに尾行けて来た民弥なのであった。

鵜の丸兵庫、松浦民弥、熊谷菊女をはじめとし、柴田一角、金井半九郎、加藤

それから鵜の丸兵庫に向かい、

兵庫は云った。

兵庫にしてからが菊女という娘が、この自分を愛していること、

喜ばしそうに兵庫は云った。

兵庫に関する伝説によれば、彼はこれと云って正式立った、昆虫学者で

――これらの事情を鵜の丸兵庫へ、一応話して置く必要があると、兵庫の住居へ出かけて行こうと、

鵜の丸兵庫へ、一応話して置く必要があると、兵庫の住居へ出かけて行こうと、こう思ったからである。

民弥はお屋敷から外へ出た。そうして兵庫の住居の方へ歩いた。

やがて兵庫の住居まで来た。

三十郎の姿はそれから間もなく、兵庫の家の裏庭にある、八ツ手の茂みの暗い蔭に、巨大な蟇のよう

夜になっても暑いからであろう、兵庫の家では雨戸もとざさず、裏庭に向けて障子さえも開け、燈火の

娘が、菊女という女だということと、明後日兵庫が江戸を立って、紀州に向かうということと、その目的が同志の一人

と思ったその時には、もう兵庫が座敷から縁、縁から庭、庭から裏木戸――裏木戸の前に立って

鵜の丸兵庫の剣技については、入谷田圃で試験ずみであった。自分と伯仲の

兵庫にも民弥にも見えないらしい。

その間も正面からは民弥が近づき、背後からは兵庫が寄せて来た。

そこへ踏み込んだ鵜の丸兵庫、

感付いた兵庫、

が、兵庫が声をかけた。

これも、刀を構えたままで、兵庫は憎さげに罵るように云った。

と、鵜の丸兵庫はおもむろに云った。

と兵庫は安心したように云ったが、

と兵庫は刀をふり冠った。

その兵庫の姿はといえば、例によってまことにみすぼらしい、蚤とり武士の姿で

が、兵庫は兵庫一人で、決して旅をしているのではなかった。

が、兵庫は兵庫一人で、決して旅をしているのではなかった。

蚤とり武士の兵庫であった。

の夜の景気見物――といった風にブラブラ歩き、兵庫の後へ従ったが、他人顔して同じ宿へ泊まった、明暦義党

と兵庫は云って、拝殿の縁へ腰をかけた。

躊躇せず兵庫はそう云った。

弁舌さわやかに兵庫は云った。

と、こう云ったのは関口勘之丞で、そう云うと兵庫の顔を見た。

鵜の丸兵庫その人である。

と、兵庫も歩き出した。

とまず兵庫はそう云った。

こう云って兵庫は一葉の紙片を、そっと菊女の手へ渡した。

云いすて兵庫は行こうとした。

女はそう云って、男装を忘れ女となり、スルスルと兵庫へ寄り添った。

と兵庫は小路へそれた。

菊女や足洗主膳に別れ、露路へはいった鵜の丸兵庫は、間もなく桔梗屋の店先へ、みすぼらしい猫の蚤とり姿を、恥ずかし気も

兵庫は愉快そうに云うのであった。

その猫の蚤をとってしまうと、フラリと兵庫は往来へ出、家蔭にかくれて待っていた。

ここじゃというように兵庫は手を上げ、知らぬ顔をして先へ進んだ。

と、兵庫も小声で囁くように云った。

策略のもとに、宿の往来で民弥と逢った時、兵庫は民弥から聞かされて、少なからず仰天し、一方ならず心痛したが、

と、兵庫は厳めしい声で云い、その手筈をくわしく話した。

と兵庫の大音声!

と兵庫の凄い声!

とまたも兵庫の声!

一方鵜の丸兵庫の一党は、取り返した五十嵐右内を囲み、火事と事変とを聞き込んで

これは兵庫をはじめとし、明暦義党の面々にとっては、思いもよらなかった

兵庫は眼早く民弥を認めた。

と鵜の丸兵庫は、同志に向かって大音に叫んだ。

走りながらも鵜の丸兵庫は、五十嵐右内を取り返したことを、言葉せわしく物語り、幸い取り返しは取り返した

と兵庫が嬉しそうに叫んだ時には、兵庫たちはいつか脇本陣の、柊屋の

と兵庫は大音に叫んだ。

と、忽然兵庫の脳裡へ素晴らしい考えが浮んで来た。

兵庫は萩丸へ躍りかかった。

兵庫の言葉を背後に聞き、

と兵庫も笑ましげに云った。

と兵庫へ云った。

――そこで嘉門は奥の座敷へ行き、兵庫は隣室へこっそり行き、襖の傍に端座した。

嘉門と並んで兵庫も出た。

云われて兵庫は進み出た。

聞いて兵庫は感謝し安心し、勇気を加えて大音に叫んだ。

菊女は馬に跨がるや、兵庫の勢のいる方へ、真一文字に走らせた。

と兵庫は訊いた。

兵庫も嘉門も顔色を変えた。

いぶかしそうに兵庫は云った。

が、それにしても兵庫たちこそどうしてこんな島へ来たのであろう?

兵庫も嘉門も当惑そうに、顔を見合わせて黙ってしまった。

と兵庫は仰天したように云った。

と兵庫は唸るばかりであった。

と、兵庫が不思議そうにそう云って訊いた。

と兵庫は胸に落ちたように云った。

「鵜の丸兵庫も佐原嘉門も、今度こそ洩らさず討って取らねばならぬよ」

兵庫は面白そうに耳を傾けた。

と兵庫は苦笑して云った。

「ほほう」と兵庫は驚いたように云った。

こう兵庫はつづけて訊いた。

いう場合には、水軍を率いて瀬戸内海を、大坂ないしは兵庫へ来るであろう。それを防ぐにはこの××島へ、兵備を施すの

と兵庫は考え深そうに云った。

(や、兵庫と右内とだわい)

兵庫と右内とは岩壁の面へ、石筆で記しをつけながら、しずかに先

兵庫は云って右内を見た。

と、間もなく兵庫と右内とが、松明で道を照らしながら、右手の枝道から現われて来

で、心外ではあったけれど、兵庫たちの後から行くことにし、今、その二人を追って行くのであっ

そんなこととは夢にも知らず、兵庫と右内とは歩いて行った。

と、兵庫は右内へ不安そうに云った。

と今度は兵庫が云った。

兵庫は情深くそう云った。

と、兵庫が待ちかまえていて、真っ向から切りつけた。

兵庫や民弥に討たれるよりも、洞窟の中で道に迷い、永遠に外へ

「兵庫と右内とが洞窟内にいるとか、それ方々洞内へはいり、二人を

ものなら、容易に外へは出られませぬ。……兵庫や右内もかかるがゆえに、今に洞内にウロウロと、うろつき廻っております

ウロウロと、うろつき廻っておりますので。……で、兵庫や右内めを、討って取ろうとなさるなら、この洞窟には他に二つ

三十郎を取り逃がし、兵庫や右内や菊女などをも、乱闘によって見失った今は、ただ

それにしても民弥や梶子にとり、兵庫や右内や三十郎や、菊女などとこのような島の中の、この

二人は時々大声を立てて、兵庫や右内や菊女の名を呼んだ。

の出口の内側に立って、出口の方をうかがいながら、兵庫と右内とは囁き合っていた。

その右内や兵庫とは、洞内で邂逅しているのであったが、空トボケて梶子は

「それにしても梶子殿あれは事実で? 兵庫や右内が洞窟を出たと……」

していた菊女さえ、この時飛び上がり走り寄り、思わず兵庫へ縋りついた。

兵庫や右内に出でられて、民弥に助太刀されたひには、それに

しかし兵庫は慌ただしく止めた。

そこへ明方集まって来たのが、兵庫、右内、民弥、菊女、梶子などの一党であった。

と鵜の丸兵庫が喜んで云った。

姉小路卿、萩丸様、梶子に菊女に兵庫に民弥とが、胴の間のお座敷に座を占めていた。

と、兵庫は不安と不快とで云った。

不安と不快そうに云い、これも不安と不快そうに、兵庫の横へ坐りながら、二人の話を黙って聞いている、菊女の方

と兵庫は険しい眼付きをし、

と兵庫は強く云った。

と兵庫も頷き、

と、兵庫はいかにも心外らしく云った。

と、ややあってから兵庫は云った。

兵庫は呼ばれて菊女を見、

恋人兵庫がやがて去り、松浦民弥が夜に入ってから、これも旅籠を出て行っ

と兵庫は怪訝そうに云った。

と兵庫は云って四辺を見廻し、

恋人兵庫にかかわる事件!

。……一度は藩士たちをマイて逃げたが、兵庫が中に加わって、とうとう俺をさがし出し、ついそこまで追っかけて来た。おっつけ

と馳せつけて来た鵜の丸兵庫は、菊女の方へ走り寄り、邪魔する非人を二、三人、叩っ斬って

と縋りつくのを、兵庫はしっかり抱きしめて、

と兵庫が叫んだ。

兵庫をはじめ島の人々は、虚心坦懐にその言葉を容れた。

ある日姉小路卿は兵庫、菊女、民弥、梶子の四人を呼んで、人形についてこんなこと

関東

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「では私が私人の資格で、関東へ下向仕り、諸閣老方にお目にかかり諒解を得ることにいたしましょう」

本所

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菊女と萩丸とを乗せた駕籠が二挺、この頃本所の亀沢町の辺を、深川の方をさして走っていた。

な、剣のご馳走というやつに! ……江戸は本所のそなたたちの住居で! ……今日こそご馳走のお返しじゃ! …

九州

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「幕府にとって恐ろしいのは、長州や九州の外様大名でござる。で、それらの外様大名が、いざ合戦という場合

「四国、九州の諸豪方が、いざ事ありという時には、瀬戸内海を水軍で上る。

伊豆

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相手が寸分隙がないので、有名な評判の智恵伊豆であった。

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「どっちにいたしても一大事! 萩丸様に異変あっては、我らは生きてはいられない」

江戸

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江戸と京都と紀州とに、同志たちは別れて活動した。

の保管方を、ご依頼いたせし重要人物! 今回紀州より江戸へ出られたも、一つはその金の保管の場所を、拙者に告げよう

の資格で、今よりちょうど一月ほど前に、京都から江戸へやって来た。それに扈従して民弥も来、江戸の同志と久々

へやって来た。それに扈従して民弥も来、江戸の同志と久々で逢い、連絡をとっているのであった。

となされぬ。それを無理無理にわしは願うて、江戸見物にやって来たのだが、来て見ると国へなど帰りとうない

毎日若殿のお供をして、面白くもない江戸見物、作右衛門にとっては迷惑らしく、編笠の中の顔はしかんでいるの

民弥様がおいでなさる。姉小路様のお供をして、江戸へ来られたとは聞いていたが、ここでお見かけしようとは)

「姉小路様に扈従なされて、江戸へおいでとは承わりましたが、どこにお泊まりでございますやら」

京都へも行けば大坂へも行き、紀州へも行けば江戸にも来ている。日本国中この女は、どこへでも出かけて行く

取り、爾来自分でも世を狭めていたが、こんな江戸の地でその勘解由の忰の、民弥に逢おうとは思わなかった)

人の云いつけで梶子の後見――附け人として江戸の地へ、今度派遣されて来たのであった。

「『江戸にいる明暦義党の者に、嬲り殺しにされまする。今萩丸はその

報酬と手当てを受け、ある時は伊豆守の指図に従い、江戸、京都、大坂、その他、到る所へ出かけて行き、命ぜられた仕事をやる

だけさ。……姉小路様が何かのご用で、こっそり江戸へおいでになったのについて、江戸へ来たとか云ってい

で、こっそり江戸へおいでになったのについて、江戸へ来たとか云っていたっけ。……松浦民弥っていう人さ」

「姉小路様に扈従して、江戸へ参られたとあるからは、姉小路様と同じ住居に、すまいしている

姉小路卿は使命を終って、江戸から京都へかえることになり、柳営諸閣老に別れを告げるべく、それぞれのお

ということを公卿衆が知って、今にも江戸の幕府方から、問いただしという形式の下に、一大弾圧が来るかもしれ

その結果江戸へ来たのであった。

「わしは明後日江戸はたつが、ほかへこっそり廻らねばならぬ」

おくれたなら、同志は刑殺されてしまう。……明後日江戸を立って京都へ帰る――ということであったればこそ、宥免状を

「さようさようあのお荷物を持って、やはり明後日江戸を立って、京都へ帰って貰いたいのじゃ」

「……では鵜の丸兵庫殿にも、明後日江戸をお立ちになり、紀州をさしておいでになる?」

、菊女という女だということと、明後日兵庫が江戸を立って、紀州に向かうということと、その目的が同志の一人を、

美しい娘が、萩丸君を介抱しながら、これも明後日江戸を立って、紀州へ向かうということと――大略こういうことであった

「申し上げましたとおり江戸を立って、私も明後日京へ参ります。……と、我々三人の

一味を知ることが出来、しかもそれらの連中が、明日江戸の地を立って、旅へ行くことまで知ることが出来た。

しかも江戸の地にいた頃には、一つ家に住んでいた二人であっ

三十郎も同じ日に江戸を立って、京への旅へ出たのであった。

「こういう田舎にはないかもしれぬが、江戸では大分流行っている。……拙者は江戸から参ったものじゃ」

ぬが、江戸では大分流行っている。……拙者は江戸から参ったものじゃ」

し、一緒に人形を送って行くことになったと、江戸を発足しての最初の宿の、神奈川の宿で連絡をとるため、今夜

としましてはあなた様を靡かせ、女房にいたして江戸へ行き……」

「そうそう捕えられているそうだねえ。……江戸で何者かに誘拐されたと、そういう噂は承わりましたが……

ましたな、剣のご馳走というやつに! ……江戸は本所のそなたたちの住居で! ……今日こそご馳走のお返しじゃ!

(元々二人が江戸を立ったのが、あの人形箱を警護して、京都の土地へまで行く

「江戸にあると噂に聞いていた、猫の蚤とりというような、しがない商売

大江戸

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が出て、そうして地上には靄が立って、大江戸が夜にはいった時には、どこへ行ったものか蚤とり武士の姿は、

但馬

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間もなく但馬と源兵衛とが来た。

嘉門と但馬とは顔馴染であった。

な者は、老獪で策略に富んでいた。で、但馬もその通りで、なかなかの老獪の男であった。

老獪の但馬はそう云って止め、当惑したように渋面をしたが、

こう但馬はジリジリと、理詰めをもって説き出した。

と未練らしく、尚しかし但馬は云った。

とうとう但馬も立ち上がった。

但馬と源兵衛とを送り出すと、嘉門は前庭へ現われた。

浜松

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が、数日を経過した夜、浜松の城下で事件が起こった。

浜松の異変

この浜松の城下へ来た。

「さぐっているといったところで、わずかの道程の浜松まで行って、その後の成り行きをさぐるだけじゃないか。そうそう時間をとるわけ

昨夜の浜松の火事の様子や、松浦民弥があの火事によって、災難を受けはし

無理に勧めて、配下の博労の由蔵を、今朝ほど早く浜松へやり、それらを探るようにさせたのであった。

「浜松の城下から帰ったと見える!」

「浜松のお城下は大変で。……謀叛人が出たので大騒ぎで……

昨夜浜松で騒動を起こし、同志の五十嵐右内を奪い、紀州藩士や井上家の

そのくせ梶子は昨夜浜松で、本陣備前屋へ放火して、紀州藩士を怯かし、護送し

彼らは浜松での出来事を、紀州へ帰って重役衆へ告げ、自分たちの手落ちの罪

(浜松でも地雷を使ったし、青塚の郷でも鉄砲を使った。……

神奈川

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どうじゃな、これお女中、その足じゃ日のうちに神奈川までは行けめえ。安く行くによ、乗っておくんなせえ」

「神奈川の宿で貴殿の口より、その事情拙者承わった時には、これは一大事

なったと、江戸を発足しての最初の宿の、神奈川の宿で連絡をとるため、今夜のような策略のもとに、宿の往来

太秦

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(ありゃア松浦勘解由の忰だ。わずかの意趣から太秦の野道で、その勘解由を討って取り、爾来自分でも世を狭めてい

と一日一僕を従え、勘解由は太秦へ秋景色を見に出た。

紀州藩

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斃れたは紀州藩の武士で、月をさすように振り上げられたは、鵜の丸兵庫の血刀

「紀州藩の方々この男にかまわず、もう一人の男におかかりなされ。……拙者

いつまでもべんべんと、このまま日時を費やしましたなら、紀州藩の者や町方の者に、この本部を突き止められたあげく、萩丸殿を

てして、我らが同志の五十嵐右内氏を、おめおめ紀州藩に捕えさせたぞ? 云え、聞こう、意趣を聞こう!」

そうしてそれを警護して行く武士は、紀州藩の武士なのであった。

それにしてもどうして紀州藩では、五十嵐右内を国元へ送るに、罪人として網打ち駕籠へ乗せ

して、今はこっちの手に取ってある。城方と紀州藩との連合軍、どうして乱暴に攻めて来られるものか)

ぬと見える、迂濶千万! ……拙者は井上家と紀州藩との、連合軍に味方して、汝らを攻めているのじゃぞ! 

「変な事情から犬帰村へ落ち、そこで井上家と紀州藩との、連合軍にぶつかって、面白ずくからその勢に味方し、萩丸様

小平などがおりましてござる。されば思うにその人数は、紀州藩の者にござりまして、この島へ上陸いたしましたは、我々がこの島

この島へ渡来いたしたことを、どうしてそのように紀州藩へ知れたか?」

出口に屯ろしている者は、紀州藩の武士たちであった。

これは三十郎には痛快であったが、紀州藩の若い武士が、変装までして狙っている、このことは三十郎には辛かっ

(紀州藩の密偵ではあるまいかな?)

××町に厳めしく、しかし寂しく立っているのは、この紀州藩の牢屋であった。

「わずか紀州藩の政治さえ、よく執ろうと思えばむずかしい。まして日本の全体の政治は、執る

と、そのうち紀州藩から、帰還せよというお達しが来た。

安宅町

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走り走って菊女の駕籠は、安宅町の外れまで来た。

両国

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浪人しているのであって、今はしがない売卜者として、両国辺へ店を出していたが、学問もあり思慮にも富んでいる、なかなか立派な人

京都

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江戸と京都と紀州とに、同志たちは別れて活動した。

京都において活躍している、義党の中心人物でもあった。

に個人の資格で、今よりちょうど一月ほど前に、京都から江戸へやって来た。それに扈従して民弥も来、江戸の

京都型とでも形容しようか、どっちかといえばふとり肉で、顎は

名を刃三十郎と云い、最近京都のある方面から、梶子に対する附け人として遣わされたところの男

「京都でも幾度かお眼にかかり、大坂でも幾度かお眼にかかり、

今も現にこの女が云ったように、京都へも行けば大坂へも行き、紀州へも行けば江戸にも来て

手当てを受け、ある時は伊豆守の指図に従い、江戸、京都、大坂、その他、到る所へ出かけて行き、命ぜられた仕事をやるか

松浦民弥と京都や大坂や、紀伊などで数回逢ったのも、そういう事情から逢っ

、大変お気に入りのご家臣なのだよ。……妾が京都で仕事をした時、ちょっとばかり懇意にした人さ。それであの

「ありゃア京都の姉小路様の、大変お気に入りのご家臣なのだよ。……妾が

「京都所司代の厭な爺さんが、松平伊豆守様への忠義顔に、お前さん

姉小路卿は使命を終って、江戸から京都へかえることになり、柳営諸閣老に別れを告げるべく、それぞれのお屋敷

の公卿衆がよりより集まり、その実行にとりかかったのを、京都所司代が耳に入れ、これを幕府へ通達した。

卿が江戸表へやって来たのは、京都の公卿衆が古来の習慣の、典籍や和歌の研究ばかりに、安逸の

と、こういう注意があったばかりで、京都方に対して、それ以上に何ら交渉しないことになった。

それに京都の殿上人たる、姉小路卿などとは事かわり、生きた日本の政治に参与

前……まだ私が四十歳ぐらいの頃に、京都へ参って一月あまり、滞在致したことがございましたが……」

身分の軽い時代だった筈だ。……ははあそんな頃に京都へ来て、鷹司卿あたりに歓迎されたら、終生好意は忘れられない

持って行ける。京都から紀州までは間近である。で、京都へ着いてから、姉小路卿に暇を貰い、紀州へ行ってつてを求め

をたずさえていようと、安全に京都までは持って行ける。京都から紀州までは間近である。で、京都へ着いてから、姉小路卿に

られない。彼が宥免状をたずさえていようと、安全に京都までは持って行ける。京都から紀州までは間近である。で、京都へ

帰って行く筈である。姉小路卿の家臣として、京都まで行くことは道中何より、これより安全のことはない。関所などで

民弥は近日その主人の、姉小路卿に扈従して、京都の地へ帰って行く筈である。姉小路卿の家臣として、京都

同志は刑殺されてしまう。……明後日江戸を立って京都へ帰る――ということであったればこそ、宥免状をたずさえて紀州

さようあのお荷物を持って、やはり明後日江戸を立って、京都へ帰って貰いたいのじゃ」

先へ帰ってもらいたいのじゃ……そうして京都へ着くと同時に、鷹司関白家へ伺候して、『老中松平伊豆守様

をこわれないように、お前上手に荷づくりをし、大切に京都まで持って行っておくれ。……さあさあ人形と人形箱とを、

二人は京都での知己であった。

梶子はいうところのスパイ――女細作であるところから、京都にいるうち姉小路卿家や、鷹司関白家や所司代邸へ、時々伺候し

明後日? まあまあ、それは急な。……で、ずっと京都のお館へ?」

「いえいえ仮りにも姉小路様、京都にお公卿様は多うございましても、随一の智恵者と立てられまする

「いっそ妾がその進物を、京都まで持参いたしましょう」

「あなたも京都へおいでかな?」

からがこわれやすい品物、人形などをたずさえて、長い道中を京都まで行くこと、迷惑であるに相違ない。破損でもしたら責任問題、

だから。……ええとそこでお前としては、明後日京都へ帰ってもよければ、わしと一緒に伊香保へ行って、ゆっくり湯治を

はいけない、ではお休み。……伊香保へ行くか京都へ帰るか、明日中にゆっくり考えるとよい」

たは、姉小路様よりあなた様に、お預けして、京都へ送る筈の人形、あの女男の人形を拙者の手へ返戻――お

は京へ帰ります。ですから人形は妾が持参し、京都へお送り致しましょう』『さようか、それではお願いしましょう』と

人形を京都へ送るべく、梶子へ預けたのは姉小路様で、決して自分ではなかっ

「あの人形と申すもの、本来拙者が姉小路様から、京都へ持って帰るようにと、命ぜられましたものでございましてな…

ます。……で、ともかくもあの人形を二人で大切に京都まで、お送りしようではございませぬか」

東海道は百三十里、駅路の数は、五十三、京都までは二十日の長旅、この時代では人生の大事、そこで旅へ

(だんだん京都も近くなる。二人の道中も短くなる。うかうかしてはいられない)

「あたしゃア人形の箱を持って、京都へ行かなけりゃアならないのだよ」

「あたしゃア人形の箱を持って、一日も早く京都へ行って……」

「やりませんな、京都へはやらぬ」

伊豆守が壮年であった頃、京都にしばらく滞在していた。そうしてその時代に鷹司家から、一方

おのれ代って将軍となり、幕府を建てて権勢に誇り、京都御禁裡様をないがしろにし、『百姓はちょうど油かすのようなものじゃ、

。……松浦氏と連れ立って、人形箱を送りながら、京都へ出たということも……」

、また以前と同じように、人形箱を警護して、京都の地へ行くのは当然だ)

江戸を立ったのが、あの人形箱を警護して、京都の土地へまで行くためだったのだ。……そいつを俺が奪い取ったり

二人はそれから京都へ行ったり、大坂などへ行ったりした。

民弥は京都へ行った際に、まだご主人の姉小路卿が、湯治場に悠々静養

帰ろうとしたが、保養気分がなお退かず、それに京都へ帰ろうものなら、政事の中心にいる卿だったので、すぐに渦中

伊香保の湯治場でノビノビと保養し、さて京都へ帰ろうとしたが、保養気分がなお退かず、それに京都へ帰ろう

のは、これといって深い意味はなく、姉小路卿は京都の公卿中、勤王の念最も厚い、しかも奇略縦横の珍らしいような政治家

あちこち人形はいたんでいたが、しかし京都辺の細工師をして、修繕させたら修繕出来る程度の、意外に

下谷

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「妾の住居は下谷の鳥越、中山様のお屋敷の裏手、わかりよい所でござります。一度

下谷鳥越の一所に、中山右京という大旗本の、豪奢な屋敷が立って

福島

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主膳は祖父以来福島家の家臣、福島家お取り潰しになってからは、ずっと浪人しているのであって、

主膳は祖父以来福島家の家臣、福島家お取り潰しになってからは、ずっと浪人している

和歌山

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の手で、紀州家の立派な御座船が出来、それが和歌山へ廻航されると聞き、

いいとな。……どうせわしは明日か明後日、御座船で和歌山へ行き、紀州公にお目にかかるのだから」

「そこで和歌山まで行く人数だが、大挙して行っては目立ってならぬ。数人だけ

のことであった。上村の湾から紀州の御座船が、和歌山さして帆をあげた。

天気はよく海は穏かで、やがて御座船は和歌山の港へ、つつがなく無事に到着した。

と、この頃から和歌山お城下に、不思議な辻斬りが行われ出した。ある時には浪人姿

――で、和歌山の藩士たちは、切歯して口惜しがり、どうぞしてそいつと巡り逢い、

ところがもう一つ和歌山お城下に、ちょっと異色ある出来事が起こった。

「萩丸様を和歌山城下まで、現在つれて来ておりながら、尚拘留するということは、

様には、猫の蚤とりなどに姿をやつされ、こんな和歌山のお城下などで、人家へお立ちなされますとは?」

それにしてもどうして三十郎は、和歌山城下などへ来たのであろう?

一番に近い、本土の立派な、城下といえば、この和歌山の城下だからで、それで、彼は船頭に頼み、××島を

(その梶子殿はどうしたことか、和歌山のお城へはいったきりで、その後まるで消息がない)

この夜和歌山のお城の一室、善美をつくした結構なお部屋で――姉小路卿と

の生る土地は、気候温暖で住みよいというが、この和歌山など、よい例でござるよ」

深川

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乗せた駕籠が二挺、この頃本所の亀沢町の辺を、深川の方をさして走っていた。

と、深川のこの家へ、十数人の人々が集まって来た。

浅草

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た浪人らしい武士が、明暦三年七月の夕を、浅草の裏町を歩きながら、家々の間でそう呼んだ。

であったが、貴公子風の若侍が、家来を連れて浅草境内の、雑踏の巷を歩いていた。

もうこの時代から浅草境内は、盛り場として栄えてい、水茶屋、見世物、香具師、楊枝店

浅草の大通りから娘を追って、小路へ駈け込んで行ったところ、そこに二

娘を尾行けて浅草から、この屋敷へまでやって来た。と、娘はこの家へはいっ

それによってはじめて知ることが出来、菊女――さよう浅草境内から、自分をここまで誘惑して来た娘が、菊女という

過ぐる日梶子は浅草境内で、紀伊家の御曹司萩丸君が、若い美しい娘によって、

萩丸を浅草で誘拐した女を、発見することが出来たからである。