剣侠受難 / 国枝史郎

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地名一覧

天王寺

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「天王寺の妖霊星!」羽団扇で膝をたたきながら、僧正天狗、頼宣卿、さも

「天王寺の妖霊星! 見ずや見ずや妖霊星! 天下乱るる

平戸

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「は、大略、三十人!」こういったのは平戸という武士。

四国

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塩屋の金精神、信濃の△△、日向の△△、四国の五剣山、美濃の山神、いくらもあります! いくらもあります!」

兵庫

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「うむ、ちょっと兵庫を呼べ」

兵庫前名を弥左衛門といい、尾羽打ち枯らした浪人であったが、その器量に眼を

兵学講義に参上する、紀伊頼宣公へ推薦した。爾来兵庫累進し、おそば去らずの寵臣とはなったが、昔のことは忘れ

逢わざること十数年! ……兵庫兵庫!」と兵庫を呼ぶ。「そちの献策で小松原家から京姫を取り寄せはしたものの、

「殿!」と兵庫、さえぎった。「千金の御身、かかる場合に!」

八ヶ岳

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二千九百尺の八ヶ岳、その大傾斜地の富士見高原! そこに郷があるのである。

八ヶ岳の大傾斜、富士見高原の木地師の郷! 囲繞しているのは森林で

「もうソロソロ八ヶ岳の峰へは、雪が来ることでございましょう」袴広太郎の挨拶である。

乗鞍岳

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やがて二人は木曽街道へはいった。信濃と越後の国ざかい、乗鞍岳の大渓谷、そこに出来ている木地師の郷、そこを眼差して行くの

日本アルプス

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今日のいわゆる日本アルプス、そっちへ走って行くのである。楽しい生活、彼らにあれよ!

八丁堀

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そこへバラバラと走って来たのが、市中見廻りの八丁堀の同心。

箪笥町

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山伏町から箪笥町、築土八幡から東北へそれた。

小松原

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スッと駕籠から現われたのは、小松原の娘お京である。

広太郎は考えた。「ききたいことは沢山ある。あの夜小松原の屋敷から、どうして突然身をくらませ、今日までどこにいたの

ているのだ。……だがそれにしても、小松原の家の娘になったのはなぜだろう? いやいやこれとてもよくわかる。つまり

赤坂

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小路の屋根上を過ぎ、深夜の江戸を西南に向かい、赤坂の方へかけてゆく。

島原

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「ああなるほど、島原をね。あいつも江戸にいるのかい」

「天草、島原の残党などもな」

「南蛮屋の一味を一口にいえば、天草、島原のキリシタン、その目的は邪教の布衍、ただし刻下の目的は、巻軸を奪おうと

「島原、島原、城之介! おいのりかな、精の出ることだ」まず

「島原、島原、城之介! おいのりかな、精の出ることだ」まず正雪声

お前ではないか、もしその筋へ突き出されてみろ。島原の残党キリシタンとして、否応なしに火あぶりだ。それを助かったというもの

「こうなりゃアおれが投げ状で、島原の残党天草時行、浅草安宅町にとぐろを巻き、凶徒を集めて陰謀中、

「残念!」と忠弥まず叫んだ。「島原の残党天草時行。こやつが敵にござります! 味方に裏切る者があっ

「ご苦労! 島原! また逢おう!」

「よう島原か」「うん、早引」

は思うのだ。……オヤどうした? え、島原! もう帰るのか。まあよかろう、茶でも飲みねえ。おれも乾いた

「島原!」と斬り込んで来たものがある。

「あねご!」「忠さん!」「島原の野郎!」「つけて来たねえ!」「幽霊のように!」

よ」かえっておかしそうに笑ったが、「二本の巻軸島原の手から、やっと取りあげて帰宅してみれば、百人余りのおさむらいさん

「島原! 島原!」とその時である、滝の中から声がした。

「島原! 島原! どうして来たな!」体に似つかわしい、しわがれた声だ。

時のたのみだったが、わけのわからないものだよ。島原という老修験者、正雪屋敷にとらわれている。是非とも許してくれるように

伊豆

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さえ退治られる奴らだ。松平伊豆にかなうものか。松平伊豆ときた日には、神様へ塩を振りかけて、取って食おうという

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も小梅の里あたり、小ぢんまりとした寮構え、是非とも萩の柴折戸だ。庭木がこんもり繁っていて、容易に奥が見えすかれず

いったものである。それから四辺を見廻したが、「萩の柴折戸、金目垣、木立が茂って、奥が見えぬ、大変ひそやかな

、お前のセイだよ! 小梅のほとり、寮住居、萩の柴折戸、金目垣、などと、お前さえしゃべらなかったら、いくらあいつが魔法

熊野神社

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神社、笠島の道祖神、屋張の国の田県神社、印旛郡の熊野神社、奥州塩屋の金精神、信濃の△△、日向の△△、四国の五

我孫子

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。松戸から三里、小金の宿。小金から三里、我孫子となる。ずっと行けば、水戸へ出る。これすなわち水戸街道。今日の里程と

出る。これすなわち水戸街道。今日の里程とはだいぶ違う。我孫子と小金との中間に、馬橋という駅路がある。その馬橋から我孫子へ向け

との中間に、馬橋という駅路がある。その馬橋から我孫子へ向け、十町余りも行ったところに、目立たない一基の石標がある

島原城

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限る以夷制夷というやつだ。競争相手の随一人、好色漢の島原城之介、あねごに以前から参っているはず、こいつをおたらしなさいまし」

「何を袴氏仰せられる。修験者とか島原城之介とか、さような囚人はおりませぬよ。貴殿捕えたと仰せられる

「盗賊かな、遺恨かな? 島原城之介の一味かな? 困ったものだ。ちと手強い」前足を折り、後足を敷き

島原城之介力をこめ、ピューッと鉄杖を横へ振ったが、払い落とすことは

物がころび出て、コロコロと草間へ隠れたのを、島原城之介見のがしてしまった。

「今夜はよくよく変な晩だ」島原城之介突っ立ってしまった。

もなく、あっしの責任ではございますがね。たった今し方島原城之介、あねごを探しに来たってもので。ついうかうかと舌が廻り、

というと島原城之介、グルリ鉄杖を右手廻し、環頭をもってすくい上げた。

ところでこの頃島原城之介、どこを走っていたかというに、蓮華寺の背後藪地の

アッという間に島原城之介、二間あまりうしろへ飛んだ。左手に抱えたは気絶の広太郎、

後を見送った島原城之介、しばらくはぼんやり立っていた。ひどく感心したらしい。ややあって

音がして、ユラユラと現われた白い物、行衣姿の島原城之介、捨てられた松明のそばまで来ると、ジャラーンと鉄杖を地面へ

光景が演ぜられた。すなわち次のような問答の後、島原城之介身をおどらせ、滝壺の中へ飛び込んで、再びこの世へ出なかった

「いいえそんなことはありません!」かえって島原城之介、はじき返すようにいったものである。

江戸

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……それはそうとねえあねご、その後あっしはこの江戸で、随分仲間を作りましたよ。命令一下働く奴が、さあどのくらいあり

「ああなるほど、島原をね。あいつも江戸にいるのかい」

引っかぶる。と、もう虚無僧姿である。街道へ出て江戸へ入る。雀色の夕まぐれ、さっと人波にさらわれてしまった。

に相違あるまい、イスラエルお町と早引忠三。二人が江戸へ入り込んでから、十数日が経過した。とその時事件が起こった

「江戸じゃあ一流の人物だ、まさかそうとは思っていまい。顔の知れている

「なるほどなあ。かなわない筈だ。五人ながら江戸の一流、わけても丸橋柴田ときては、匹儔のない名人だ。一人と一人立ち合っ

であるが、碁盤目小路の屋根上を過ぎ、深夜の江戸を西南に向かい、赤坂の方へかけてゆく。

深々とふけた夜の江戸、そこを駈けゆく一挺のかご、まるで流れる星のようだ。いったいどこへ

明けゆく江戸は美しい。高台のあたりで烏がなき、雀が八方に飛びちがう。乳色をし

を怒鳴りつけた。「さてな」と見廻すとお茶の水でここが江戸かと思われるほど、木立が繁って物淋しい。と向こうから駕籠が来た。

「私事は袴広太郎、江戸の旗本、小禄者。尋ねる人がございまして、諸国漫遊に出でましたが

あの、お客様でございますの、山で目つけたお客様。江戸のお方でお旗本、そして剣道は柳生流、お若くてりりしくて立派な

さてある日のことである。江戸へ出して置いた物見の一人が、敵の行動を知らせて来た。

「江戸を離れる数里の山間、おそらくあたりに人もあるまい。連判状を読み上げい」

今は秋! 江戸も涼しい。ここは上野山下である。明月が空にかかっている。と一人

さてその木地師の一隊だが、しのびやかに江戸へはいったのは、それから程経た後のことであった。

タッタッと一隊は進んでゆく。江戸から笹子まで幾十里。その間かれらは到る所で、気に入った木を

もう一人の武士がいった。「拙者ことは柴田三郎兵衛、江戸の浪人にございます。なにとぞ自今お心やすく。名前ぐらいご存じかと存ずる、由井正雪

。……さてその巻軸でござるがな、原の城より江戸へ運ばれてござる。誰がどうして運んだか、まあまあそれもよろしゅうござろう

があって、持ち出したに相違ござらぬからな。ところで江戸へ運ばれて以来、欲気の多い連中が、遮二無二そいつを奪い合ったのでござる

「江戸の浪人、由井の正雪、一味の者が参りました」

「一挺の駕籠を引っ包み、小梅を通って江戸へはいり、ところもあろうにお父様のやかたへ……」

引の忠三、ポイと話を横へそらせた。「江戸を出た時からあっしには、ひどく気にかかっていたんですがね

どうしたものだろう?」考え込まざるを得なかった。「江戸へ帰って武士になるか? 山に残って木地師になるか? …

「まずとりあえず江戸へ帰り、旅の仕度をいたしましょう」

のみをして来たが、爾来町姫消息がない。江戸にいるかな? あってみたいものだ。――そうだ、あの時

それはとにかく、慶安騒動で、江戸が動揺をしている最中、日本橋の真ん中で、夏の熱い日を浴びながら

本郷

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本郷を抜けて下谷へ入り、それから浅草洗足町、碁盤目小路を上手に抜け

四谷

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まるで流れる星のようだ。いったいどこへゆくのだろう? 四谷を過ぎ、市ヶ谷を過ぎ、牛込の方へ走ってゆく。

早引の忠三、びっくりして先へ駈け出したが、四谷までは道のりがある。駈け通せそうにも思われない。「駕籠ってものが

だがな……」とにわかにニヤニヤして、「オイ四谷までなんぼで行く?」

 とこう元来ならいうところだが、おれは大変忙しい。四谷へゆくのだ、追い込んでな。で、目こぼしというのじゃアねえが、きょう

駕籠屋、ちょうどいいところへやって来た。おれを乗っけろ、四谷まで」

「へい四谷へ参りました」

霞ヶ浦

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そして剣道は柳生流、お若くてりりしくて立派な方。霞ヶ浦へおいでの途次、この里の噂をお聞きになり、見物に参られ

隅田

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夜をふかし、別れて家へ帰る途次、さしかかったのが隅田の堤。

「ふうむなるほど、それでわかった。隅田で出あったあのくせ者、恐らくそいつらの一人でござろう」

がござる。非常に簡単な理由がな。一口に申せば隅田において、島原城之介と斬り合われて以来、拙者不断に貴殿の身辺

「袴氏、しばらくでござった。隅田以来随分の因縁、今日はお礼に参ってござる。わけてもよくぞ拙者を捕え

時から広太郎、「残念、駄目だ!」と考えた。隅田の堤で逢って以来、敵の力量は知れている。無双の手利き、恐ろしい

大江戸

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へにえささげようぞ』この手でゴロゴロころがして来た、大江戸のいいところの別嬪さんたちを、野郎、そこへ蓄えているのだ。その

松戸

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日本橋から三里、新宿となる。新宿から一里、松戸となる。松戸から三里、小金の宿。小金から三里、我孫子となる

里、新宿となる。新宿から一里、松戸となる。松戸から三里、小金の宿。小金から三里、我孫子となる。ずっと行けば

の風景でも、探ってみようかと存じましてな。松戸の宿まで参りましたところ、眼についたは一つの石標、西、

小石川

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行く。内にはたれがいるのだろう? 牛込を過ぎ小石川に入り、掃除町まで来た時である。駕籠がとまってタレがあがり、

牛込

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どこへゆくのだろう? 四谷を過ぎ、市ヶ谷を過ぎ、牛込の方へ走ってゆく。

その牛込の榎町に、大名屋敷を思わせるような、立派な屋敷が夜空をぬき、

て走って行く。内にはたれがいるのだろう? 牛込を過ぎ小石川に入り、掃除町まで来た時である。駕籠がとまってタレ

寛永寺

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、成長した陰間とでもいいたげである。行きずりに寛永寺の坊主などが、いやらしい眼をして見送りながら、「惜しいものでござるな、

長命寺

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一人の女、走る走る東北へ! 三囲から牛御前、長命寺から須崎たんぼ! 一面の野面、諸所に林、人家乏しく、耕地も乏しい。

加賀

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「伊達、島津、加賀、毛利」

が見当がつかない。「目ぼしい大藩の大名といえば、加賀に島津に細川に、尾張に紀伊に仙台の伊達。しかしそれとて城郭は、

根岸

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根岸の屋敷

さて文三つけられるとも知らず、上野山内を根岸へおりた。今日の上根岸、六十番地にあたる辺、そこに立派な屋敷

ローマ

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 神の子よ! あなたがお悪い! ……ローマで虐殺が行なわれました! スペインで虐殺が行なわれました! あり

安宅町

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「これは」と思って眼をやると、対岸安宅町の方角で、飛び廻っている御用提灯! しかも五つ六つではない、

長崎

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トンと声を落とし、「一切準備が出来たればこそ、長崎くんだりまで飛脚を出し、江戸入りをおすすめしたんですよ。そうし

来たのは、築土新吾と向こう傷のある武士――長崎左源太という武士であった。

「なんのなんの長崎から、持ち運んで来たしろ物だ。蝦夷松前へでも持って行けらあ」

に見れば額に傷、すなわち天草時行の片腕、九州浪人長崎左源太。

「ふふん」とばかり鼻を鳴らした。「おお長崎か、左源太か。いつの間に後をつけて来た! ご苦労千万

逼り詰められた長崎左源太、さっきから身動きさえ出来ないのであった。

「しめた!」と叫んだ長崎左源太、斬り込みはしない、太刀を引き、パッと横っ飛びに逃げ出した。

からである。絶望してペタペタと坐ったが、一方この頃長崎左源太、耕地を町の方へ走っていた。

長崎左源太走って行く。

長崎左源太も走って行く。するとまたもや行く手から、二、三十人の人影が

をあがる音、間のふすまがやがて開き、現われたのは長崎左源太、すわるといきをはずませた。

出した馬上の武士、すなわち天草時行で、つづいて一騎、長崎左源太! さらに一騎、さらに一騎、さらに一騎! 間隔を置いて十五人

すると一人の武士がいった。「ええ拙者ことは長崎左源太、貴殿ご存じの天草時行、その者の使者にございます」

、実は出張っておられるのでござる」「まあさまあさ長崎氏」こういってとめたのは三郎兵衛。「やぶから棒に性急に、

「されば」といったのは長崎左源太、一膝ズルよう進み出たが、「万事掛け合いは率直がよろしい。で

これは潔い。さあさあいわれい!」つづいていったのは長崎左源太。

「まず長崎へ! それから船で!」

和歌山

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、そこに広大な屋敷がある。五十五万五千石、紀州名草群和歌山の城主、三家の次席大納言、紀伊頼宣卿のお館である。

下谷

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本郷を抜けて下谷へ入り、それから浅草洗足町、碁盤目小路を上手に抜け、象潟町へ

奈良

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ございます」リリカルに口上を述べ出した。「下って飛鳥奈良朝から平安朝に至っては、色売る女がこれを使い、下品に

水戸

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、我孫子となる。ずっと行けば、水戸へ出る。これすなわち水戸街道。今日の里程とはだいぶ違う。我孫子と小金との中間に、馬橋

宿。小金から三里、我孫子となる。ずっと行けば、水戸へ出る。これすなわち水戸街道。今日の里程とはだいぶ違う。我孫子と小金

に水戸の方を……といって何もその水戸に、尋ねるお方がいるものと、そう思ったのではございません

ましたとおり、尋ねる人がありまして、まず手はじめに水戸の方を……といって何もその水戸に、尋ねるお方

「巴御殿からチラホラと、天草一味の連中が、水戸街道へ入り込みましたぜ」

君尾様、君尾様、君尾様とな! 水戸家の御曹司光圀様、明の亡命大学者、朱舜水先生に守られてい

様、そのお方の弟ご様、副将軍のお家柄、水戸中納言様の下屋敷……だろうとあっしは思うのですがね。そこにい

爆発したのは天草一味であり、発掘したのは水戸光圀と、朱舜水との一行なのであった。つまり時行を大将とし

、ああいうものにぶつからないように」こういったのは水戸光圀。

が朱舜水。その朱舜水と肩を並べ、左手にいるのが水戸光圀、右手にいるのが光圀の寵臣、朝日奈小弥太という若い武士。ほか

それにもう一つ修験者の死骸が」こういったのは水戸光圀。

すると光圀、老成的態度で、「水戸家でお預かりいたしましょう」

京都

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「京都表は熊谷三郎兵衛」

仙台

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といえば、加賀に島津に細川に、尾張に紀伊に仙台の伊達。しかしそれとて城郭は、こうも大きくない筈だ。……

甲府

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。鶴瀬村を過ぎれば菱山村、甲運村を過ぎれば甲府城下、韮崎過ぎれば穴山の宿、日野春を過ぎれば葛木の駅路、ここから

浅草

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はどんな人相かと、拙者たたみかけてききますと、場所は浅草の河喜という料亭。さらった武士は四十格好の、あごひげの濃い、

で本日無理に勧め、小間使いお常に供をさせ、浅草へ遊びにやりましてござる。夕方になっても帰ってこない。どう

おわび、全く失礼いたしてござるよ。お名をかたって浅草から、いわば、誘拐いたしたので。が、それとて例の獲物、あいつ

今日の浅草千束町、慶安時代には何といったか? 洗足町といったらしい

「ふふん、浅草七軒町もいらあ」

三好坂といわれる武士。と、一人ヒョイと立った。浅草七軒町と呼ばれている武士で、部屋の片隅に腰かけている、商家の

「浅草へおいでなさりませ。象潟町の南蛮屋、そこにいるイスラエルのお町様

しんと更けた浅草界隈、店々は閉ざされ燈火は消え、通る人さえまばらである。と、

続いてもう一人の武士がなのった。「浅草七軒町で槍術指南、拙者は加藤市右衛門でござる」

本郷を抜けて下谷へ入り、それから浅草洗足町、碁盤目小路を上手に抜け、象潟町へ踏み入った。南蛮屋の

こうなりゃアおれが投げ状で、島原の残党天草時行、浅草安宅町にとぐろを巻き、凶徒を集めて陰謀中、早くお手入れなさるよう

どうしたのだろう?」ぼんやりと四辺を見廻した。「浅草河喜という料理屋に、袴広太郎様がおいでと聞き、行った時

いたしました。さよう、こんな事がありましたよ。ええと浅草へ参りました時、五人の浪人にとりまかれ、そのなんだ、ゆすら

だけで飛ぶことが出来る。プーッと飛び立つと空を斜め、浅草の方角へかけったが、見る見る姿が見えなくなった。

ところでこれと同じ日に、例の浅草の南蛮屋からも、二人の旅人が発足した。虚無僧姿のイスラエル

ではござるが、もっとミジメな浪人時代、食うに困って浅草へ出、習い覚えた皿廻し、大道芸を売りましてな、日々の生活を得

上野

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だが上野まで来た時である、うしろから人の足音がした。振り返ってみる

今は秋! 江戸も涼しい。ここは上野山下である。明月が空にかかっている。と一人の若ざむらいションボリとし

さて文三つけられるとも知らず、上野山内を根岸へおりた。今日の上根岸、六十番地にあたる辺、そこ

思しめせ。へいさようで、昨晩ね。帰って来た所が上野山下、そこで逢ったのでございますよ。へい二人の野郎にね。

お茶の水

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「知らなくってよ。お茶の水だあ」

「これ、ごろん棒、お前はどこだ?」お茶の水と呼ばれた四十年輩の武士が、横手に腰掛け酒を飲んでいた

は、にが笑いをしてだまっていた。かさにかかったお茶の水という武士、

あたったかというにあたらない、ヒョイと身を開いたお茶の水という武士、相手の利き腕をつかんだが、

「いや、お茶の水面白かった」こういったのは最上家の浪人。

「もうよかろう」といったのは、お茶の水という武士であった。「さあさあ帰れ。今後は来るなよ」

高い値段である。またゴテルかと思ったところ、例のお茶の水と呼ばれた武士、だまって小判を五枚並べた。一斉に立ち上がって

すると槍の武士が一揖した。「本郷お茶の水に道場を持つ、丸橋忠弥盛幸でござる」

」自分で自分を怒鳴りつけた。「さてな」と見廻すとお茶の水でここが江戸かと思われるほど、木立が繁って物淋しい。と向こうから

品川

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ては扶桑第一、丸目一貫目の筒をかかえ、品川の海、五町の沖合い、廃船を轟然と打ち沈めたという。人品骨柄

市ヶ谷

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ようだ。いったいどこへゆくのだろう? 四谷を過ぎ、市ヶ谷を過ぎ、牛込の方へ走ってゆく。

神田

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おれはな、エーと、早引の忠……うんにゃ、神田の忠六だ。それはそうとオイ駕籠屋、ちょうどいいところへやって来

新宿

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日本橋から三里、新宿となる。新宿から一里、松戸となる。松戸から三里、小金の宿。小金から

日本橋から三里、新宿となる。新宿から一里、松戸となる。松戸から三里、小金の

日本橋

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日本橋から三里、新宿となる。新宿から一里、松戸となる。松戸から

とにかく、慶安騒動で、江戸が動揺をしている最中、日本橋の真ん中で、夏の熱い日を浴びながら、こんなことを話している人物

草加

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一百人の同勢が、二挺の駕籠を引っ包み、草加宿の方面から、上がって来る」というのである。

「草加の方から来るといえば、里の背面を襲うものとみえます。うっちゃっ

ことである。杉窪盆地から西南の山路、ふもとへ下れば草加宿となる。そのウネウネとした山路を、杉窪の方へ上ってゆく

大宮

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二人は歩いて行く。下板橋からわらびの方へ、浦和から大宮、上尾の方へ。道には野茨、香水のようなにおい!