南蛮秘話森右近丸 / 国枝史郎
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鹿苑院金閣寺、いつかその辺りも通ってしまった。だんだん山路が険しくなる。いよいよ木立が
ちょうどこの頃のことである、鹿苑院金閣寺、そこから離れた森林の中に、一人の女が坐っていた。
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信長に楯突くの非を悟り、関東の方へ居を移し、広大な山間の地域を領し、女ながらも大豪族
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と民弥との結婚式が、織田信長の仲人の下に、安土城内において行なわれた。その客の中には改心をした猿若が
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ずれると北野になる。大将軍から小北山、それから平野、衣笠山、その衣笠山まで来た時には、とっぷりと日も暮れてしまい、林の上
になる。大将軍から小北山、それから平野、衣笠山、その衣笠山まで来た時には、とっぷりと日も暮れてしまい、林の上に月が
蘭丸。その蘭丸の従兄弟であり、そうして過ぐる夜衣笠山まで、巫女を追って行った若武士なのである。信長の大切の命を受け
、それを過ぐれば平野となる、それを過ぐれば衣笠山! そっちへドンドン走って行く。道は険しい、森林がある、夜鳥の羽搏き、
た、いよいよ平野へやって来た。……衣笠山! 衣笠山! 衣笠山の裾まで来た!」
あたかもこの頃猪右衛門と玄女が右近丸と民弥に追いかけられ、衣笠山の坂道を、上へ上へと上っていた。
、そうして西の方へ走ろうものなら、小北山から衣笠山となり、同じく町へは出られない。
衣笠山から小北山、鷹ヶ峰から釈迦谷山、瓜生山から白妙山、その方面の山林地帯へ
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勢力を失うだろう。一向一揆も潰されるだろう、天台の座主比叡山も、粉砕されるに相違ない。世は乱れる。世は乱れる! だが
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信長の居城安土の城、そこから乗り出した小舟がある。
信長の居城安土の城、そこから船で乗り出したのは、昨日の昼のことであった
南蛮寺の謎を解き明かせた、研究材料さえ目つかれば、安土に居られる信長卿が、高価にお買い取り下さると、右近丸様は仰有っ
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廃屋と云っても云い過ぎではない。世が世なら伊勢の一名族、北畠氏の傍流の主人、多門兵衛尉教之殿、その人
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小倅には、それだけの仕置をしなけりゃアならねえ。佐渡か沖の島か遠い所へ、こいつも小僕として売ってやる。……
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ここは京都二条通、辻に佇んだ一人の女、凜々として説いている。
時とは云うものの、織田信長の管理している、京都の町の辻に立ち、その信長を攻撃し、その治世を詈ると
その同じ日の夕方のこと――ここは京都四条坊門、南蛮寺が巨然と聳えている。その周囲は四町四方、
この頃京都で評判の高い、多門兵衛という弁才坊(今日のいわゆる幇間)と、
ことであった。琵琶湖を渡って大津へ着き、大津から京都へ入ったのは、昨日の夜のことであり、明けるを待って従者
いつぞや京都二条通りで、時世を諷し、信長を譏り、森右近丸を飜弄し
その翌日のことである、一人の女が物思わしそうに、京都の町を彷徨っていた。
たものか見えなかった。で苦心して道を辿り、京都の町へ帰って来て、自分の家へ戻ったが、右近丸の
この頃北山の方から、異形の人数が五人揃って、京都の町の方角へ、陰森とした山路を伝いストストストストと下っていた
行くことになったが、憎い信長の管理している、京都の町を見ることは、この妾としては好まないのだよ」
ともそうともその通りだよ。だから妾も厭々ながら、京都の町へ行くというものさ。……が民弥という娘ごが、
数人で宙につるし、悠々として山路を下り、京都の町へ入ったが、そのまま行方をくらませてしまった。
は小北山における、例の乱闘の場から遁れ、京都の町へ入り込んだが、民弥のことが気にかかってならない。で
ませぬ。そこで貴郎様にお願い致します。山を下り京都へ行き、南蛮寺へおいでになり、多聞兵衛殿の死骸を掘り出し、
月のあきらかな山路を、京都の方へ下って行く。
一人となった右近丸は、京都の方へ下って行く。
更にその後京都の地に、南蛮寺、即ち唐寺が建てられ、その五億円の黄金
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舟はズンズン駛って行く。軽舟行程半日にして、大津の宿まで行けるのである。
矢走が見える、三井寺が見える、もう大津へはすぐである。
昼のことであった。琵琶湖を渡って大津へ着き、大津から京都へ入ったのは、昨日の夜のことであり、明けるを待っ
は、昨日の昼のことであった。琵琶湖を渡って大津へ着き、大津から京都へ入ったのは、昨日の夜のことであり
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あまりの身長を持った、人形が一つ置いてある。奈良朝時代の貴女風俗、そういう風俗をした人形である。
から改めて卓の上の、人形を取り上げて調べたが、奈良朝時代の風俗をした、貴女人形だというばかりで、これと云っ
いう訳でございますよ。ナーニ商売の道から云えば、奈良朝時代の貴女人形、大した値打もありませんので。精々がところ青
ということだ。これで解った、すっかり解った! 奈良朝時代の貴女人形、あの人形の眼さえ打ったら、唐寺の謎の
謎の研究材料、その有場所が解るのでござる! 奈良朝時代の貴女人形、あの人形に一切合財、秘密が籠っているので
て居るかも知れません。すぐに参って目付け出し、奈良朝時代の貴女人形買い戻すことにいたしましょう」
楽々と苦労もなく、唐寺の謎を持っている。奈良朝時代の貴女人形を、手に入れようとは思わなかったよ。運が
これお侍に娘っ子、聞け聞け聞け、聞くがいい、奈良朝時代の貴女人形、返しゃアしねえよ、返すものか! 青差