大阪の宿 / 水上滝太郎
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男の聲について、聲量の極めて乏しい女の聲で熊野を稽古してゐるのであつた。男は師匠であらう、女は誰だ
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お酌なんかさせるもんか。それよりも一緒に箕面か寶塚にでも行くか、それでなければ成駒屋はんの芝居でも見に行き
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「安うて居心のえゝ宿屋やつたらな、土佐堀の醉月や。」
いふ名は忘れなかつた。そして、翌日會社の歸りに土佐堀の川岸を順々に探して行つて、此の家を見つけたのである。
「あのおつさんべろべろに醉拂つて、土佐堀の醉月の廣告をしてゐた。うちが綺麗で、靜かで、
程はつきりと秋の景色をあらはさないが、それでも土佐堀の水も澄み、醉月の二階に照つけた西日の色も日に日
「日華洋行といひますと土佐堀の……」
近づいたら、極力いゝ印象を與へるであらう。交際する。土佐堀に端艇を浮べて月を見る景色を、年の暮だといふのにはつきりと
も深くなつて、またたくひまに貸端艇が、中之島附近から土佐堀へかけ、又道頓堀のどぶ泥のやうな水面にも、無數に浮ぶ時節と
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と、机を荷車に積み、自分で後を押して、梅田の驛前の旅人宿に一時の寢所を定めたが、宿の内部の騷々
朝の散歩の二日目に、娘が南の方から梅田へ行く電車を降りるところを發見して、それと無く尾行し、まんまと其の勤務先
追出されると直ぐにその牛屋の女中に住込んだが、梅田の驛近くの宿屋に口を見付た男の爲めに年中いたぶられて、
「いゝえ、あの男は梅田の驛の近所の宿屋にゐて、今でもお金をねだりに來て困る
朝、三田は宿醉のはれぼつたい顏をして、梅田まで見送るといふおつさん、娘はん、お米、おつぎ、おみつに取圍まれ
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足だつた。えなみさんといふ苗字も知つたが、江南かしら、榎並かしら、江波かしら――と考へながら、銀杏返の生際のいゝ優しい
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「東京に二年、伊豆の方にも行つてゐたし、靜岡にもゐたし、大阪にも
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大阪の宿
夥しい煤煙の爲めに、年中どんよりした感じのする大阪の空も、初夏の頃は藍の色を濃くして、浮雲も白く光り
三田は、大阪へ來て、まだ半年にしかならない。其間、天滿橋を南へ上る
をつく座敷で、夜の更ける迄酒を飮んだ。大阪に歸つたのは十二時過ぎで、引越して來た最初の晩に、
にも行つてゐたし、靜岡にもゐたし、大阪にもこれで滿一年半になるんですよ。女中奉公はしてゐる
なあ。姐さん、こいつのお母さんがねえ、田原さんせがれが大阪に參りましたら、ようく監督して下さい。どうぞ一人前の人間になれるやうに
肩身の狹いおもひをした。此頃――殊に大阪では――休みといへば何處か、海か山に遊びに行くのが
掲げた、昔の大店を今風に改造したやうな、大阪特有の店構だつた。冬は硝子のはいつた重い開閉扉がとりつけられるの
贅六」が完成したのは八月の末だつた。大阪に舞臺をとつて、大阪といふ商業都市と、大阪人といふ金儲
月の末だつた。大阪に舞臺をとつて、大阪といふ商業都市と、大阪人といふ金儲中心の特殊の性格に、多少皮肉
廣島の生れで、其處で藝者に出たのだが、大阪に來てからでも、最早十年になる。外土地から來たといふいはれ
に東京を凌駕して亞米利加に追隨しようと云ふ大阪に、不思議にも多く殘つてゐる景色である。近松や西鶴の描いた時代
、大多數の人には新しい印象を與へた。此の前大阪の新聞に小説を書いた時の如きは、意外に讀者うけはよかつた
樹や草の少ない大阪の町は、東京程はつきりと秋の景色をあらはさないが、それでも
おつぎは始めて身の上話をした。大阪の郡部の役場に勤めてゐる男のところに嫁に行き、子供も一人出來
事さへ、何の反省もなく從つてゐるらしかつた。大阪には、嫁入道具をこしらへる爲めに、さういふ稼ぎをする娘も少なく
親達や村の衆に顏を合せる氣もないから、大阪で何處ぞへ奉公したいとも云ふてゐやはるさうです。」
「それですがな。本人は大阪で奉公したいいふてゐやはるので、そんならえゝところに奉公させ
「どこぞ大阪で奉公し度い云ふので、よろしい、命を助けたついでに、それも
、川にはまるいふのは阿呆らしいやないか。廣い大阪には、お日いさんも照れば花も咲く、色こそ白うはないがまんざら
ついぞ振向いて見た事も無いが、此方にとつては大阪中で一番忘れ難い人なのだ。いつたん近づいたら、極力いゝ印象を與へる
な體になり、生駒なんぞはこりこりしたから、今度は大阪に住替てしやうばいをし度いと思ふけれど、自分のやうな藝
月もなかばを過ぎてからだつた。何とかして大阪を離れ度く無いと思つて愚※々々して居たけれど、もう目の前
花の少ない大阪の市民の口にも、造幣局の櫻の噂がのぼる頃となつた。醉月
でせうねえ。隨分あたし氣まりは惡いんだけど、大阪では外に知つてる人もないし、それに三田さんはなさけ深い方
大阪には外に頼る人もなく、又三田程親切な人は無いので、
だつたから、直ぐにそれぞれ手配をした。一年半大阪に居た間に、自分の周圍にゐた人々に別れを告げる爲め、その
「三田公、お前はどうせ大阪の人間ではないと思つてゐたが、斯う早く引上ようとは思は
ます。今度突然東京に歸る事になりましたが、此の大阪の一年有半は、皆さんの御蔭でいゝ修業を致しました。その間
て見ると此の座敷の中に、私の一年有半の大阪生活は、そのまゝ生きて動いて居るやうに思はれます。」
逢はなくなつた事を話した。どういふものか、愈々大阪を去るといふ時になつて、その娘の姿は、最も明かに彼の
大阪らしくどんより曇つた朝、三田は宿醉のはれぼつたい顏をして、梅田
、無秩序に無反省に無道徳に活動し發展しつゝある大阪よ、さらばさらばといふ樣に、烟突から煤烟を吐き出しながら、東へ東
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さんといふ苗字も知つたが、江南かしら、榎並かしら、江波かしら――と考へながら、銀杏返の生際のいゝ優しい顏だちを想つた。
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も無い。今、或人に勸められてゐるのは、山陰道の米子で、藝者を抱へ度がつて居るのがあるから行つて見ないか
つて居る野呂をまのあたり見て居るので、此の女が山陰道の町に行つてからの事が、はつきり想像されるのであつた。
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電車の中でも、道頓堀の人ごみの中でも、女中達は事毎に面白さうに笑ふので
またたくひまに貸端艇が、中之島附近から土佐堀へかけ、又道頓堀のどぶ泥のやうな水面にも、無數に浮ぶ時節となつた。三田が
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氣なので、直ぐにも※まるに違ひ無いが、鳥取縣なんてどんな處だらうと考へると心細い。いつたい自分のやうな女は
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氣ぶりにも見せないで、吉野に行かうとか、奈良の方がいゝとか、しきりに遠足の計畫も提案されて居た
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「東京はどちらです。あたしも東京に叔母さんがあつて、行つてた事があるんですよ。」
「東京はどちらです。あたしも東京に叔母さんがあつて、行つてた事が
「東京に二年、伊豆の方にも行つてゐたし、靜岡にもゐ
仰せつける。たまにはうまい酒も飮ましてやらないと、東京にゐる三田公のお母さんに濟まないからなあ。姐さん、こいつのお母さんが
二週間を公休日とする會社の内規だつた。久振で東京に行つて見ようかとも考へたが、此の休暇を利用して長編小説
ながら狹く限られた町中の空を見て居た。東京風のおもてつきばかり堂々としてゐて、融通の利かない建て方で
云はれる大酒飮みに似合はぬ親孝行兄弟おもひで、弟は東京の大學に通つてゐて、間もなく學士になるといふ事
土臺迄も傾いた古家で、此の新しいもの好きでは今正に東京を凌駕して亞米利加に追隨しようと云ふ大阪に、不思議にも
出る小型の端艇が、縱横に漕廻る。近年運動事は東京よりも遙かにさかんだから、女でも貸端艇を漕ぐ者が頗る多い
て來た。時には藝者をよぶものもあつた。東京では見られない景色だが、宿の廊下を裾を引いた姿で
樹や草の少ない大阪の町は、東京程はつきりと秋の景色をあらはさないが、それでも土佐堀の水も
子供の學校の爲めに女房は東京に置いてあるといふ四十男のみだりがましさは、充分想像する事が出來
の暮が早くなつて、それもさして來なかつた。東京のやうにはげしくはないが、矢張塵埃の舞上る往來を、三田は外套
ては三田一人で、三番の野呂も休暇を利用して東京にゐる妻子のところへ行つてしまつた。
松の内も過ぎて、東京から歸つて來た三番の野呂は、毎晩お米を相手に酒を
三田は突然東京の本店へ復歸を命ぜられた。支店長につれられて北の新地の
のだらう。さういふ事を追及して考へると、全く東京なんかに歸る氣はしなくなつた。
三田は何の辯解もしなかつた。再び東京に歸るのは嬉しくない事もなかつたが、何と云つても突然の
「あの女故に三田さんも東京へ歸らはる事になつた。あいつが來たら、みなでどづいてやろ、
云やあがるんだい。昨日の社長、今日の浪人だ。東京に追かへされる三田公の方が、喰扶持に離れない丈まだ
繰合せて御出で下さつて、滿足に思ひます。今度突然東京に歸る事になりましたが、此の大阪の一年有半は、皆さん
が下手なので手紙を書くことは大嫌ひです。だから東京へ歸つたが最後手紙なんかは恐らく書きますまい。年賀状さへ出さないだらう
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「僕は麹町。」
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「あたしの叔母さんは本所。もつとも今では荻窪とかに越しちまつたさうだけれど。」